第37話 無自覚な聖女と、当惑の公爵令嬢
クラスでの説明を終え、カレン、トビアスと校内を見て回っていると、校舎の外れの死角から、甲高い言い争いのような声が聞こえてきた。
「あら、何かしら。穏やかではありませんわね」
「あちらの建物の裏からではないでしょうか?」
「行ってみよう。何か面白いもの……いや、困っている人がいるかもしれないしね」
リディアは厄介事には巻き込まれたくなかったが、正義感の強いカレンと好奇心旺盛なトビアスに引っ張られ、仕方なくついて行く。そこで目にしたのは、信じられない光景だった。
薄桃がかった金髪の女子生徒が地べたに座り込み、それを数人の令嬢が取り囲んでいる。
(え、何? いじめ……? ……って、あれフィオナ様じゃない!)
リディアの心臓が跳ねた。どうして「次期聖女」の彼女が、入学早々こんな目に遭っているのか。
「学園は学びの場であって、殿下を誘惑する場所ではなくてよ。聖女を気取って殿下の腕を掴むなんて、はしたないこと!」
「そうよ。上目遣いで瞳を潤ませれば、殿下たちも先生方も、思い通りに操れると思っていて?」
「そんな……つもりはありませんわ。私は皆様と、ただ仲良くなりたかっただけで……っ」
「まあ、またそうやって泣けば許されると思っているのね!」
フィオナは、その清廉な聖女のイメージとは裏腹に、守ってあげたくなるような危うい可憐さを持ち合わせていた。それが、規律と格式を重んじる女子生徒たちの目には「男をたぶらかす不純な存在」として映り、嫉妬の炎を燃え上がらせてしまったようだ。
(さすがに、目撃して放置はできないわね。でも、誰が止めに入るのが正解かしら?)
トビアスを見る。……ダメだ、公爵家子息が助ければ、フィオナへの嫉妬はさらに加速する。
カレンを見る。……彼女もまた、その凛々しさから女子生徒の憧れの的だ。下手に首を突っ込めば、騒ぎが大きくなりすぎる。
「――おやめなさい。こんなところで、見苦しい姿を見せるものではありませんわ」
結局、自分が一番『角が立たない』と判断し、リディアは毅然とした足取りで輪の中に割って入った。女子生徒たちは一斉にリディアを振り返り、その顔を青ざめさせた。
「エルヴィン公爵令嬢……!? どうしてこのような場所に……」
「公爵家の名誉にかけて、このような卑劣な行いを見過ごすわけにはいきませんわ。……さあ、フィオナ様。お立ちになって」
リディアがすっと手を差し出す。フィオナは自分の土で汚れた手を見て躊躇したが、リディアは構わずその手を取り、ぐいと引き上げた。
「皆様。せっかくこのヴァルディア王立魔法学園に入学できたというのに、その権利を棒に振るおつもり? この学園に、誰かを妬んでいる暇などありませんわ。……他人を貶める暇があるのなら、自分を磨きなさいな。その醜い歪みは、いつか必ず己に返ってきますわよ」
まるで、かつての自分に言い聞かせるような言葉だった。リディアの冷徹な正論と、公爵令嬢としての圧倒的な威圧感に、女子生徒たちは言葉を失い、逃げるように去っていった。
「……ありがとうございます、エルヴィン様」
フィオナが、濡れたまつ毛を揺らしながら子犬のような瞳でリディアを見つめる。その純粋な視線に、リディアは少しだけ胸がちくりとしたが、すぐに平静を装った。
「お礼なんて結構よ。今後、不用意に人目のつかない場所へ近づかないこと。それから、信頼できる方から絶対に離れないことね。……では、失礼しますわ」
早口で必要なことだけを告げ、リディアはすぐに踵を返した。関わりすぎれば、また運命の渦に飲み込まれるかもしれないという防衛本能だった。
「「リディア様、素晴らしかったです!」」
背後でカレンとトビアスが称賛の声を上げる。
「今の場では、私が一番適役かと思っただけですわ。……柄にもないことをしてしまいましたわね」
リディアは小さく溜息をついたが、その内心では「助けられた側」から「助ける側」に回った自分に、少しだけ戸惑いと、確かな変化を感じていた。
あの日、フィオナを助けてから数日。
リディアの学園生活には、以前の時間軸にはなかった妙な変化が起きていた。
休み時間、Aクラスの教室の入り口から、ふわりとした薄桃がかった金髪がひょっこりと覗く。
「あの……リディア様! 少しだけ、よろしいでしょうか」
子犬のように目を輝かせたフィオナが、そこにはいた。手には丁寧に包まれた小さな小箱がある。
(……また来たわ。これで今週三回目よ)
リディアが当惑している間に、フィオナは小走りで近づいてくる。その後ろには、彼女を一人にしないよう気を配っているのか、ローレンツが控えめについてきていた。
(ああ、ローレンツ様がBクラスでよかったわ。女子の反感は買うかもしれないけど、ローレンツ様以上に信頼できる方もいませんもの)
「これ、実家から送られてきたハーブで作ったクッキーなんです! リディア様にお礼がしたくて……その、もしよろしければ!」
フィオナが差し出したクッキーからは、どこか懐かしく温かい香りがした。
「フィオナ様。お礼ならもう何度も頂きましたわ。私、そんなに甘いものをたくさん食べる方ではなくて……」
「そうなんですか!? では、次は甘いものではなく……リディア様の美しさを表現した詩か、曲を……それとも絵がいいかしら……」
「いえ、そういう意味ではなくて……」
リディアの困惑をよそに、フィオナの瞳はきらきらと輝きを増していく。彼女にとって、あの窮地から自分を救い出し、凛とした言葉を投げかけてくれたリディアは、もはや憧れの存在になっているようだった。
「リディア様は、本当にお優しくて格好良くて……。私、あの日からずっとリディア様のようになりたいって思っているんです!」
(……前世の私が見たら、ひっくり返って驚くでしょうね)
かつては嫉妬の対象であり、自分からすべてを奪っていると思っていた彼女にこれほど真っ直ぐな目を向けられるとは。
「フィオナ様、あまりにストレートに気持ちをぶつけ過ぎて、リディア嬢が困ってしまいますよ」
後ろにいたローレンツが、苦笑混じりに口を挟む。
「困っているわけではありませんが……フィオナ様は、わたくしよりも別の方を目指した方が……」
(教科書に並ぶ素晴らしい歴代の聖女たちがいるじゃない)
「わたし、リディア様と同じAクラスに上がれるように、必死で予習しているんですから!」
握り拳を作って意気込むフィオナ。
どうやら、リディアに近づきたい一心で、彼女の学習意欲に火がついてしまったらしい。
「あはは! リディア様、これはもう諦めて懐かれるしかないですね」
トビアスが本を片手に楽しそうに笑う。
「トビアス様、他人事だと思って……。カレン様も、笑っていないでフィオナ様になんとか言ってください」
「いいえ、リディア様。慕われるというのは徳の現れですわ。素敵じゃありませんか。フィオナ様、Aクラスに来られるのを楽しみにしてますね」
カレンまで楽しそうにフィオナを応援する。
リディアは小さく溜息をついた。
かつての運命を変えるためにとった行動がこんなおかしな方向に向かうとは。
「クッキー、頂くわ。……でも、曲も絵も不要ですわよ。お互いに勉学に励みましょうね」
「はいっ! お勉強頑張ります!」
嬉しそうに頬を染めて去っていくフィオナの背中を見送りながら、リディアは自分の想定していた学園生活が、予想外の方向に騒がしくなっていく予感に、頭を押さえた。
そのやり取りを、少し離れた窓際の席から眺めている者がいた。
カイである。
彼は隣で本を開いているクラウスへ、面白そうに声をかけた。
「フィオナ・ヴァイス嬢は、とても素直で可憐な子だね。次期聖女様と聞いていたから、もう少し堅苦しいイメージをもっていたよ」
「ああ、フィオナ嬢はいつも明るく前向きで誰に対しても優しい女性だよ。教会の仕事も頑張っておられると聞く」
「教会の仕事……ね」
カイは表情を変えずに呟いた。
フィオナの力には興味がある。
だが、教会という組織は何かと厄介だ。できることなら、深入りは避けたい。
カイは悩ましげに眉をひそめた。
ふと、クラウスの読んでいる本が目に入った。
「クラウス殿下、それは帝国の本だよね?」
「ああ。帝国ではどのような食べ物が好まれているのか、少し学んでおきたくてね。皇女殿下がこちらへ来られたとき、故郷の味を恋しがることもあるだろうから」
「……素晴らしい。姉上はこんなに優しい王子様と結婚できるなんて幸せ者だよ」
「あまり褒めないでくれ。恥ずかしいじゃないか」
クラウスの耳が少し赤くなるのを見て、カイは優しい目でクラウスを見た。
「君と家族になれて本当に嬉しいよ」
「ありがとう。私もだよ、カイ殿下」
カイは思わずクラウスを抱きしめたくなったが、すぐそばに控えていたセドリックの鋭い視線に気づき、そっと諦めた。




