第34話 選ばれた杖
魔法学園への入学が目前に迫り、屋敷の中は準備で慌ただしくなり始めた。
(いよいよ、本番という感じね……)
この三年間、リディアは前の時間軸とはまるで違う道を選んできた。
勉強も、魔法も、領地のことも、人との関わり方もできる限り向き合ってきたつもりだった。
友人と呼べる人たちも、少しずつ増えた。
(フィオナ様とは必要以上に関わらない。余計な嫉妬も、意地も、もう選ばない)
そう心に決めながら、リディアは右手の中指に嵌めた指輪へ、そっと視線を落とした。
透明な石が嵌め込まれた、細身の銀の指輪。
マグダレーナが学園入学前の餞別として贈ってくれたものだ。
普段はただの透明な石にしか見えない。けれど、精神干渉の魔法やその痕跡に反応すると、淡く光るのだという。
(精神干渉の魔法については、文献でも断片的な記述しか見たことがない。だからこそ怖いけれど、もし痕跡が分かるなら心強いわ。まあ、光らないことが一番いいのだけれど)
リディアは小さく息を吐き、気持ちを切り替えた。
今日は、学園で使う魔法の杖を買いに行く日だ。
普段、装飾品や日用品を選ぶ際は、行商人や御用商人を屋敷に招くことが多い。
だが、杖ばかりはそうもいかなかった。
杖には数えきれないほどの種類があり、素材も形も魔力の通り方も、それぞれ異なる。直接触れ、魔力を通し、相性を確かめなければならない。
そのため、王族ですら杖を選ぶ際には、店へ足を運ぶのが通例だった。
リディアは父アルヴィスと共に馬車に乗り、王都の街へ向かった。
(加護が前と同じだったように、杖もまた、同じものを選ぶことになるのかしら……)
馬車の窓から外を眺めながら、リディアはぼんやりと考える。
前の時間軸で選んだ杖は、たしかに美しかった。
星銀に希少な宝石を埋め込んだ、華やかで目を引く杖。
当時の自分には、いかにもふさわしいと思っていた。
けれど、今思えば、それは自分らしい杖なのか、少し疑問だった。
やがて馬車は、王都一の目抜き通りへ入った。
宝飾店や高級仕立て屋、老舗の魔道具店が並ぶ華やかな通りの一角に、その杖店は静かに店を構えていた。
重厚な石造りの建物は、小さな塔のような佇まいをしていた。
黒檀の扉は、近づくと音もなく内側へ開いた。
中へ入った瞬間、空気が変わる。
店内は高い吹き抜けになっていた。
外の賑わいは遠ざかり、乾いた木と古い羊皮紙、それに微かな薬草のような香りが鼻先をくすぐった。
壁一面、天井の際まで届く棚には、無数の細長い箱が整然と並んでいた。
(何度見てもすごい杖の数だわ)
リディアは見上げながら、箱の数に圧倒される。
「おや、これはエルヴィン公爵閣下。お久しぶりでございます」
奥から現れた老店主が、アルヴィスに気づいて深々と頭を下げた。
背はそれほど高くないが、背筋はぴんと伸びている。
白く長い眉の下から覗く目は、年齢を感じさせないほど鋭く、こちらの内側まで見透かしているようだった。
「ああ、久しぶりだね。今日は娘の杖を選びに来た」
「なるほど。こちらのご令嬢の、初めての杖でございますな」
「ああ。この子に合う、とびきり良い杖を用意しておくれ」
「よろしくお願いいたします」
リディアは丁寧にお辞儀をした。
(この老店主の目は、全てを見抜かれているようで少し怖いのよね)
老店主は穏やかに微笑むと、店の奥へと二人を案内した。
通されたのは、重厚な扉の向こうにある選定の間だった。
床には複雑な魔術式が刻まれ、中央には丸い紋様が描かれている。壁にも天井にも細やかな術式が走り、空間全体が一つの魔法の術式になっているのが分かった。
「お嬢様。杖は、ただの道具ではございません」
老店主は静かに口を開いた。
「魔力を導き、術式を支え、時に使い手の癖を補うもの。長く使えば、半身であり、友ともなる存在です」
その言葉に、リディアは自然と背筋を伸ばした。
「……はい」
「では、こちらへ。胸の奥にある魔力の源を、震わせるようにして。無理に押し出す必要はございません。杖に呼びかけるのです」
老店主が枯れ木のような指先で、床の中央を示した。
リディアはそこへ立つ。
「こう唱えてください」
老店主が恭しく一礼し、低い声で告げる。
「――『選定の理よ、我が声に応え、導きの杖よ、来たれ』――」
リディアは小さく息を吸い、言われた通りに呪文を口にした。
「――選定の理よ、我が声に応え、導きの杖よ、来たれ」
直後、床に刻まれた魔術式が淡く光った。
光は細い糸のように伸び、店内に並ぶ杖の棚へと届いていく。
やがて、いくつかの箱が静かに震えた。
箱は棚から音もなく滑り出し、まるで見えない手に運ばれるように、選定の間へと入ってくる。
リディアの周囲を囲むように浮かんだ箱は、ひとつ、またひとつと蓋を開いた。
「ほう……なかなか良い杖が応えておりますな」
老店主はまず、白い布に包まれた一本の杖を取り出した。
「こちらは、ユニコーンの角を芯材に用いた『聖角の乙女』。清浄な魔力との相性が良い杖でございます」
リディアは両手で受け取った。
見た目は美しい。
白を基調とした細身の杖で、持ち手には小さな真珠のような装飾が施されている。
だが、魔力を通した瞬間、指先に走ったのは、どこかよそよそしい冷たさだった。
(……少し、魔力の通りが鈍いわね)
拒まれているわけではない。
けれど、こちらの魔力が杖の中で迷っているような感覚がある。
老店主は目を細め、小さく頷いた。
「……おやおや。あまり相性が良くないようだ。では、こちらはいかがかな」
次に差し出されたのは、月桂樹に水晶が埋め込まれた『月下の賢人』だった。
落ち着いた色合いの、癖の少ない杖だ。
手にすると、魔力はきちんと通った。
悪くはない。
だが、しっくり来るかと問われれば、そうではなかった。
リディアが首を傾げるより先に、老店主が首を振る。
「これでもないな」
その後も、数本の杖を試した。
桜の枝に銀糸を巻いたもの。
黒檀に青い魔石を埋め込んだもの。
魔鳥の羽を使った軽い杖。
魔力を強く増幅する代わりに、制御がやや難しい杖。
どれも悪くはない。
けれど、決定的に「これだ」と思えるものはなかった。
そして数本目。
老店主が取り出した箱を見た瞬間、リディアの指先がわずかに止まった。
深い藍色の布に包まれた、星銀の細い杖。
「これは、星銀に希少宝石を埋め込んだ『星銀の夜空』ですね」
前の時間軸で、自分が選んだ杖だった。
当時のリディアは、その華やかさに一目で心を奪われた。
公爵令嬢であり、王太子の婚約者である自分にふさわしいと、疑いもしなかった。
けれど今、その杖を手にした瞬間、リディアは息を呑んだ。
(全く、しっくりこない……!)
魔力が通らないわけではない。
だが、通した魔力が杖の中で跳ね返り、細かく乱れる。
まるで、今の自分には合わないと、杖の方から静かに告げられているようだった。
本当にこれが、前回選んだ杖だったのだろうか。
そう疑ってしまうほど、違和感がある。
(前と同じはずなのに……私自身が、もう違うのかしら)
よほど変な顔をしていたのだろう。
老店主が、どこか含みのある笑みを浮かべた。
「今のお嬢様が求めているものとは、少し違ったようですな」
老店主はそれ以上何も言わず、次の箱へと手を伸ばした。
「さて、ではこれはどうかな」
取り出されたのは、白樫の古木に、純銀の蔦飾りを絡ませた杖だった。
華美ではない。
けれど、持ち手に絡む銀の蔦模様は繊細で、凛とした品がある。
「白樫の古木に、純銀の装飾を施した『銀蔦の白樫』でございます」
リディアはそっと手を伸ばした。
杖を握った瞬間、指先から腕へ、そして胸の奥へと、すっと魔力の流れが通った。
驚くほど自然だった。
まるで、最初からそこにあるべきものが、ようやく手の中へ収まったような感覚。
強く主張するわけではない。
けれど、確かに支えてくれる。
「……これですわ」
言葉は自然にこぼれた。
老店主も満足げに頷く。
「白樫の古木とは、堅実なものを選ばれましたな。これは非常に頑丈で、ちょっとやそっとでは折れませんよ」
隣で見守っていたアルヴィスが、楽しげに笑った。
「ははは。良い杖が見つかってよかったな」
そして、リディアの手元の杖を見ながら、少しだけ目を細める。
「……折れにくいというのも、学園で剣術の授業まで受けるつもりのおてんばなお前には安心だね」
「お父様、おてんばだなんて!」
思わず抗議すると、アルヴィスは愉快そうに肩を揺らした。
アルヴィスからは、剣は学園の授業で基礎を学ぶだけで十分だと止められている。
(でも、確かにこの安心感は悪くないわ)
白樫の杖は、派手ではない。
けれど、今のリディアには、この堅実さが心地よかった。
店の奥から、扉の開く小さな音が聞こえた。どうやら次の客が訪れたらしい。
選定の間を出ると、ちょうど店に入ってきた一組の親子と鉢合わせた。
グラウ公爵と、その息子ローレンツ・グラウだ。
「おや、グラウ公爵。ご機嫌いかがかな」
アルヴィスが穏やかに声をかける。
「ローレンツ君も、先日の夜会以来だね。こちらは娘のリディアだ」
リディアは一歩前へ出て、丁寧に礼を取った。
「グラウ公爵閣下、お初にお目にかかります。リディア・エルヴィンです」
まさか、こんなところで出くわすとは。
グラウ公爵は、丁寧に整えられた茶色の髪に、質の良さそうな上着をまとっていた。
彼は穏やかな笑みを浮かべ、リディアを見た。
「これはこれは、エルヴィン公爵令嬢。噂に違わぬお美しさですな。私も息子の杖を選ぶため、ローレンツを連れてまいりました」
「お久しぶりです、エルヴィン公爵閣下」
ローレンツがアルヴィスに微笑み、次にリディアへと視線を向けた。
深い焦げ茶色の髪は、前髪を片側へ流すように整えられている。少し長めの髪型も、彼が持つ穏やかな雰囲気によく似合っていた。
細身で姿勢がよく、緑色の瞳には柔らかな笑みが宿っている。
(ローレンツ様……その優しい笑顔は、前と変わっていないわね)
胸の奥に、懐かしさがふわりと広がった。
前の時間軸で親しくしていた彼は、リディアにとって初対面とは思えない相手だった。
けれど、今の彼にとって、自分は初めて言葉を交わす公爵令嬢にすぎない。
その事実が、ほんの少しだけ不思議で、そして寂しい。
「リディア嬢。同じ新入生として、よろしくお願いします」
ローレンツが穏やかに言った。
その声も、記憶の中と同じように柔らかい。
「ええ、こちらこそ。よろしくお願いいたしますわ、ローレンツ様」
リディアは微笑んで答える。
前の時間軸で親しくしていた相手との、思いがけない出会いに、胸の奥へ小さな温かさが灯った。
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