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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ
第1章 公爵令嬢再生編

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第33話 領地を守る研究


 春の舞踏会から、しばらく経った頃。


 エルヴィン家の王都タウンハウスに、トビアス・アイゼンが訪れていた。


 案内されたサロンは、王宮ほどの華やかさこそないものの、磨き込まれた調度品と落ち着いた色合いの壁紙が、エルヴィン家らしい品の良さを感じさせる空間だった。


 リディアは父アルヴィスと共に、トビアスを迎えていた。


 今日の訪問は、春の舞踏会で交わした約束によるものだ。トビアスがリディアを助けたお礼に、アルヴィスの研究について話を聞きたいと願い出たのである。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます。こちら、母が皆様にぜひ召し上がっていただきたいと申しておりました。領地で採れた果物を使った菓子と、果物を加えた茶でございます」


 トビアスが穏やかに告げると、従者が大きな箱を開けた。


 中には、淡い色の紙に包まれた焼き菓子や、果実の香りがふわりと漂う茶葉の小瓶が、美しく収められていた。どれも品よく整えられていて、アイゼン家からの心遣いが伝わってくる。


「これは立派な品をありがとう。どれも美味しそうだね」


 アルヴィスはにっこりと微笑んだ。


「母も、エルヴィン公爵閣下に喜んでいただければ幸いだと申しておりました」


「それはありがたい。あとで家族でいただこう」


 そう言ってから、アルヴィスは改めてトビアスへ視線を向ける。


「改めて、リディアを助けてくれてありがとう。それで、今日は私の研究について話を聞きたいとのことだったね」


「はい!」


 トビアスの表情が、ぱっと明るくなった。


 いつもの飄々とした雰囲気とは少し違う。今の彼は、憧れの人を前にした少年そのものだった。


「以前、閣下が書かれた『魔力だまりの浄化の研究』を拝見しました。閣下の研究のおかげで、国内の魔力だまりによる被害が大きく減ったと、父からも伺っております」


 その言葉に、リディアは思わず目を瞬いた。


(知らなかったわ……。お父様って、すごい方だったのね)


 リディアは、家中の本はほとんど読み尽くしたつもりでいた。

 

 けれど、父が執務で使う専門書や研究資料だけは、勝手に手に取らないようにしていた。

 

 書斎の椅子の真後ろ、父が仕事の合間にすぐ取り出せる場所に並んでいたため、父の仕事道具として意識の外に置いていたのかもしれない。


「はは、そこまで大げさなものではないよ」


 アルヴィスは軽く笑ったが、その表情はどこか嬉しそうだった。


「魔力だまりへの対処は、長年の課題だったからね」


「魔力だまり……」


 リディアが小さく呟くと、アルヴィスは娘にも聞かせるように、ゆっくりと説明を始めた。


「魔力だまりは、ただ魔力が濃い場所というだけではない。魔力が一箇所に滞留し、異常に濃縮され、やがて変質する。そうなると、土地そのものが歪むんだ」


 アルヴィスの声は穏やかだったが、その内容は決して軽いものではなかった。


「植物は枯れ、動物は死ぬ。運悪く生き残ったものが、元の姿を失って変異することもある。人が長く留まれば、体調を崩す。領地を守る者にとって、放置できるものではない」


 リディアは思わず息を呑んだ。


 魔力だまりという言葉は、本で読んだことがある。けれど、どこか遠い知識として捉えていた。


 植物が枯れ、動物が死ぬ。人にも害が出る。


 そう聞くと、人々の暮らしを脅かす現実なのだと分かる。


「最初は、汚染された魔力を吸収する植物を使う方法を試した」


「白脈樹、ですね」


 トビアスがすぐに答えると、アルヴィスは満足そうに頷いた。


「よく読んでいるな。その通りだ。白脈樹は、変質した魔力を少しずつ吸い上げ、時間をかけて無害な魔力へ整える性質がある」


「ですが、浄化までに年数がかかりすぎる」


「そうだ。長期的に土地を安定させるには向いている。だが、被害が出ている場所への即効性はない」


 アルヴィスは、テーブルの上を指でとん、と叩いた。


「だから私は、まず危険な変質魔力を水晶へ吸収し、封じる魔法を考えた。水晶で急場をしのぎ、その後に白脈樹を植えて、土地を長く整える。どちらか一方では不十分だからね」


「変質魔力を水晶に移し、その後に白脈樹を植えておく。そうすれば、自然と再び魔力が溜まってしまうのを、白脈樹が少しずつ吸い取ってくれる……ということですね」


「その通りだ」


 アルヴィスは頷く。


「ただし、簡単な魔法じゃない。少々癖のある術式で、水晶へ変質魔力を吸わせるには、術者に高い魔力制御力が必要になる。実際に試験中は何度も失敗をしてなかなか大変だったよ」


 アルヴィスは昔のことを思い出したように苦笑し、茶器を口元へ運んだ。

 

「そして、封じたばかりの水晶は、不安定で安全なものではない。扱いを誤れば、漏れ出す危険もあるからな」


「では、魔石のように使えるというのは……」


「安定化処理を終えたものに限る。水晶の内側の不安定な魔力を安定させ、外へ漏れ出さないよう術式を重ねる。そこまで終えて、ようやく魔石に近い用途へ転用できるんだ」


「なるほど……。浄化の魔法だけで終わりではなく、その後の管理も必要なのですね」


「そういうことだ。危険なものを封じるのは、それなりのリスクがあるということだな」


 その言葉に、リディアは父を見つめた。


 アルヴィスはただの趣味で楽しむために研究しているのではない。領地を守り、人の暮らしに役立てるところまで考えている。


 研究者であり、領主でもある父の姿が、リディアには少し眩しく見えた。


「私がこの研究を閣下より直接伺いたかったのは、アイゼン領にも深く関わることだからです」


 トビアスが静かに口を開いた。


「アイゼン領の東には、“霧深き古森”と呼ばれる古い樹海があります」


 その名に、リディアは聞き覚えがあった。


(霧深き古森……。本で読んだことがあるわ)


 王都から東へ進んだ先に広がる、古い樹海。


 深い霧に包まれ、謎が多い森。リディアが知っていたのは、その程度だった。


 だが、アルヴィスはすぐに頷いた。


「霧深き古森か。あの森なら、私も何度か調査で入ったことがある。王国でもよく知られた危険地帯だ」


「お父様も、行かれたことがあるのですか?」


「ああ。もっとも、私が入れたのも外縁部から少し奥までだったがね。あそこは簡単な場所ではない。魔力の流れが複雑で、危険な魔物も多い。何より、奥へ進むほど人の世界とは離れていく」


「人の世界から離れる……?」


 リディアが聞き返した。


「ああ。リディアも北の山脈の麓でグリフォンを見ただろう? エルヴィン領も、山脈の向こう側までは人の手が及ばない。ああいう場所は、力任せに管理できる土地ではないから、なかなか難しい」


 トビアスは、その言葉に深く頷いた。


「やはり、閣下もそうお考えですか」


「そうだな」


「霧深き古森には、古くから魔力だまりが点在しています。水晶による封印と白脈樹の植樹で、外縁部の被害は少しずつ減ってきました。ですが、奥地には規模の大きな魔力だまりも多い。白脈樹が吸い上げる量より、新たに溜まる魔力の方が多い場所もあるのです」


 トビアスの表情は、いつになく真剣だった。


「あの森には昔から精霊が多く住むとも言われています。下手に手を出せば、何が起こるか分かりません」


「そうだな」とアルヴィスが頷く。


「魔力だまりを減らすことは必要です。ですが、森そのものを人の都合だけで変えてよいのか。かといって、何もしなければ人里に被害が出る。……どこまで手を入れ、どこからは森の領域として残すべきなのか、まだ答えを出せずにおります」


 リディアは、少し意外な気持ちでトビアスを見つめた。


(トビアス様は、いつも自由に振る舞っているように見えるけれど……ちゃんと次期公爵として、領地のことを考えていらっしゃるのね)


「まず守るべきは、人の暮らす場所だろう」


 アルヴィスが、ゆっくりと口を開いた。


「森を全て管理しようとするのではなく、人里との境界を安定させる。魔力だまりの濃度を記録し、危険が外へ溢れる前に対処する。踏み込まない場所を決めることも、領主の重要な判断だ」


「境界を、守る……」


 トビアスは、その言葉を噛みしめるように目を伏せた。


「……大変勉強になります」


「それに」


 アルヴィスは、少しだけ声を和らげた。


「どうしても人の手に余る時は、次期聖女であるフィオナ・ヴァイス嬢の力を借りるのも手だと思う」


 アルヴィスの口からフィオナの名前が出たことにリディアは驚いた。

 

「次期聖女様の、力ですか」


「ああ。彼女は非常に強い浄化の力を持っていると聞いている。魔力だまりの変質魔力も、彼女の祈りであれば浄化できる可能性が高い」


(やはり、フィオナ様の力はこの国にとって特別なものなのだわ……)

 

 リディアは、フィオナの姿を思い浮かべた。


 あの小柄な少女の中に、それほど大きな力が宿っているのだと思うと、不思議な気持ちになる。


「もちろん、彼女一人にすべてを背負わせるべきではない。だが、本当に手に負えない時、助けを求めることは恥ではない」


 アルヴィスは、トビアスを真っ直ぐ見た。


「我々、エルヴィン、アイゼン、ヴァルデック、グラウは、ヴァルディア王国を支える四本柱の仲間だ。領地は違えど、国を守る役目は同じ。今後も協力していこう」


 トビアスは一瞬だけ目を見開き、それから深く頭を下げた。


「……ありがとうございます。そのお言葉、心より感謝いたします」


「堅苦しいな。今日は研究の話をしに来たのだろう?」


 アルヴィスが笑うと、トビアスも少し肩の力を抜いた。


「はい。では、もう少しだけ質問してもよろしいでしょうか」


「もちろんだ。そうだな、関連する資料をいくつか持ってこよう」


 アルヴィスはそう言って、席を立った。


 サロンに残されたのは、リディアとトビアスの二人。


 窓の外では、タウンハウスの庭に植えられた若葉が、春の光を受けてやわらかく揺れている。


「……トビアス様にも、悩みごとがあるのですね」


 リディアがぽつりと言うと、トビアスは少し驚いたように目を瞬いた。


「僕は悩みがなさそうに見える?」


「ええ、まあそうですね」


「即答だね」


「いつも自由に振る舞っていらっしゃるので」


 リディアが素直に答えると、トビアスは笑った。


「はは、そうだね。けど、僕にも真面目に考えていることくらいあるさ」


「トビアス様は、きちんと次期公爵として領地のことを考えていらっしゃるのですね」


「きちんと、かどうかは分からないけれどね。まだ答えは出ていないし、父上や家臣たちから見れば、僕は余計なことばかり考えている息子かもしれない」


「余計なことではないと思います」


 思わず、リディアは少し強く言っていた。


 トビアスが、目を丸くしてリディアを見る。


「霧深き古森は危険な場所なのでしょう? なら、どう守るべきか考えるのは、とても大切なことだと思います」


「……ありがとう」


 トビアスは、いつもの軽い調子ではなく、少しだけ素直な声でそう言った。


 その表情が年相応の少年のように見えて、リディアは少し微笑ましく思えた。


「リディア様も、エルヴィン領のことをよく考えているよね」


「私は、まだ考えているだけです。お父様やお兄様のようには、とても」


「じゃあ僕と同じだね」

 

「……同じ、ですね」


 リディアとトビアスは顔を見合わせて笑った。

 

 やがてサロンの扉が開き、アルヴィスが数冊の書物を手に戻ってきた。それを見たトビアスの瞳が、再び少年のようにきらきらと輝き出す。

 

 その後も、サロンでは熱心な研究の話が続いた。

 

 リディアには難しい内容も多かったが、父の知識が国民を守るために使われているのだと知り、誇らしさが胸に満ちていく。

 

 父とトビアスの会話を心地よく聞きながら、リディアはその光景を静かに胸に刻むのだった。


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