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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ
第1章 公爵令嬢再生編

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第29話 暖かい日


 長かった冬が、少しずつ緩み始めていた。


 屋根の端に分厚く垂れ下がっていた雪は、昼の陽射しを受けるたびにぽたり、ぽたりと雫を落とす。庭木の枝に積もっていた白い重みも少しずつ薄くなり、石畳の上には、ところどころ灰色の地面が顔を出していた。


(冬が終わるのね)


 リディアは窓の外を眺めながら、小さく息をついた。


 吐く息が白く曇らないだけで、心まで少し軽くなるようだった。


 そんな、エルヴィン領に温かな気配が差し始めた日のこと。


 王都へ戻っていたドワーフたちが、再び領地へやってきた。


 鍛冶場の前に停まった馬車から降りてきたのは、親方のドロガン、若いトールン、寡黙なグレンの三人である。


 厚手の外套をまとい、大きな荷物を抱えた三人の姿を見つけた瞬間、リディアの顔が自然とほころんだ。


「ドロガン様、トールン様、グレン様。長旅、お疲れ様でした」


 リディアが淑女らしく礼を取ると、ドロガンは豪快に笑った。


「おう、嬢ちゃん。元気そうだな」


「はい。皆様もお変わりないようで安心いたしました」


 トールンが周囲を見回し、少し驚いたように目を丸くする。


「こっちはまだ雪が結構残ってるんだな」


「これでも、だいぶ溶けた方なんですよ」


「そうなのか。王都じゃ、もう道端に雪なんてほとんど残ってねえぞ」


 ドロガンは足元の雪を靴先で軽くつつき、ふむ、と顎髭を撫でた。


「せっかくだから、雪解け水でも汲んでくるか。晩酌用に」


「それはいいな」


 トールンがすぐに乗る。


 グレンも無言のまま、こくりと頷いた。


 三人が妙に真剣な顔で雪解け水の使い道を考え始めたので、リディアは思わず笑ってしまった。


「相変わらず、お酒がお好きなのですね」


「酒は鍛冶場の潤滑油だからな」


 ドロガンが胸を張ると、トールンとグレンが当然のように頷く。


 その様子がおかしくて、リディアはまた笑った。


 ドワーフたちが戻ってきただけで、冬のあいだ少し静かだった鍛冶場に、火の粉が跳ねるような賑やかさが戻ってきた気がした。


「そうですわ。ドロガン様に、ぜひお伝えしたいことがあるのです」


「なんだ?」


「クリムゾンハートベリーの芽が出ました」


 その言葉に、ドロガンの目がぱっと輝いた。


「おお、そうか!」


「はい。雪が積もる前に、屋敷近くの畑に試験区画を作って種を蒔いておいたのです。雪香草と一緒に植えた区域だけ、芽が出ました。雪香草を植えなかった方は、まだ何も」


「ほう。やっぱり一緒に植えたのが良かったんだな」


「その可能性が高いと思います。まだ芽が出ただけなので、断言はできませんけれど」


 リディアは、冬のあいだに読んだ本の内容を思い返した。


 寒冷地のベリー類は、雪の下で冬を越す間に種が目覚めるものがある。さらに、近くに生える草や土の状態によって、発芽率が変わることもあると書かれていた。


 もちろん、クリムゾンハートベリーは普通の植物ではない。だからこそ、雪香草を一緒に植えた区域と、そうでない区域を分けておいたのだ。


「このまま順調に育つと良いのですが」


「じゃあ、クリムゾンハートベリーの酒ももうすぐだな」


 あまりにも嬉しそうに言われ、リディアは苦笑する。


「まだ芽が出たばかりです。実がなるまでには、しばらくかかりますわ」


「芽が出ちまえば成長なんぞあっという間だ」


「そういうものでしょうか」


「まあ、モノによるかもな」


 軽口を交わしながらも、リディアの胸には別の思いが浮かんでいた。


 クリムゾンハートベリーの発芽。


 ミスリル加工。


 晶蜂蜜の運用。


 どれも少しずつ形になり始めている。


 だが、夏の終わりには魔法学園へ通うことになる。そうなれば、今のように領地の畑や鍛冶場を毎日のように見て回ることは難しくなるだろう。


(お兄様は外交院のお仕事でお忙しいし……私がいない間にも、きちんと記録を取ってくれる人が必要だわ)


 考え込んだリディアの様子に気づいたのか、ドロガンが「そうだ」と声を上げた。


「嬢ちゃん、これを見てくれ」


 そう言って差し出されたのは、小さな布に包まれた品だった。


 リディアが受け取って布を開くと、そこにはミスリルで作られた腕輪があった。


「まあ……」


 思わず声が漏れる。


 腕輪は、華美すぎない細身の作りだった。けれど近くで見ると、驚くほど繊細な細工が施されている。淡い銀色の表面には、見たことのない花が彫り込まれていた。


 細く伸びた茎。


 凛と開いた花弁。


 儚げなのに、どこか芯が強い。


 春の陽射しを受けたミスリルは、冷たい金属であるはずなのに、どこか柔らかく輝いて見えた。


「とても綺麗です。これを、ドロガン様が作られたのですか?」


「まあな。エルヴィン領の品を作りたいって言ってただろ」


「はい」


「ただのミスリル細工じゃ、どこの品か分からん。だから、印になるような意匠があった方がいいと思ってな」


 ドロガンは少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。


「この花は、俺の国に咲く花だ。岩場でも根を張るし、寒さにも強い。小さいくせに、なかなかしぶとい」


「その花を、エルヴィン領の品に?」


「ああ。嬢ちゃんのイメージにも合うと思ってな」


「私の、ですか?」


 リディアは驚いて顔を上げた。


 ドロガンは少し視線を逸らしながら、ぶっきらぼうに続ける。


「見た目は細くて綺麗だが、芯は強い。雪の中でも簡単には折れねえ。……まあ、そういう花だ」


 胸の奥が、じんわりと熱くなった。


 これは、ただの装飾品ではない。


 ドロガンが、エルヴィン領の未来を考えて作ってくれたものだ。ミスリルをただ掘り出して売るのではなく、この土地の名を背負う品にするために。


 リディアは腕輪をそっと両手で包んだ。


「ドロガン様……ありがとうございます。お父様に、必ずお話しいたします」


「おう」


 ドロガンが満足そうに頷く。


 そして、急に真面目な顔をした。


「ちなみにこの花はな。猛毒なんだ」


「ええっ!?」


 リディアが思わず腕輪を落としそうになる。


 その瞬間、ドロガンがにやりと笑った。


「嘘だ」


「ドロガン様!」


 抗議するリディアの横で、トールンが腹を抱えて笑い、グレンも肩を震わせている。


「嬢ちゃん、いい反応するなあ」


「もう……本当に驚いたではありませんか」


「悪い悪い。だが、毒はない。少なくとも、酒に漬けても問題ねえ花だ」


「またお酒ですか」


 呆れたように言いながらも、リディアの口元には笑みが浮かんでいた。


 やはり、この人たちが戻ってきてくれてよかった。


 そう、素直に思った。


 その後、リディアは腕輪を大切に布へ包み直し、屋敷へ戻った。


 向かった先は、父アルヴィスの執務室である。


「お父様、少しよろしいでしょうか」


「ああ、もちろんだ。どうした?」


 書類に目を通していたアルヴィスが顔を上げる。


 リディアは机の前へ進み、布を開いた。


「ドロガン様が、エルヴィン領のミスリル加工品につける意匠を提案してくださいました」


「ほう?」


 アルヴィスは興味深そうに身を乗り出し、腕輪を手に取った。


 光の角度を変えながら、細工をじっくりと眺める。


「これは見事だな。細工が細かいのに、主張しすぎない。貴族向けの装飾品にも使えるし、魔道具の部品に刻印として入れても良さそうだ」


「私も、そう思いました」


「この花は?」


「ドロガン様の母国のお花だそうです。寒さに強く、岩場でも根を張る花だと。詳しいことは、後で調べてみます」


「なるほど。エルヴィン領の品に使うなら、由来も確認しておいた方がいいな」


「はい」


 アルヴィスは腕輪を机の上に置き、満足げに頷いた。


「ドロガン殿は、思っていた以上にこちらのことを考えてくれているようだ」


「本当に、ありがたいことです」


 リディアは胸に手を添えた。


 そして、少しだけ姿勢を正す。


「それから、お父様。もう一つ、お願いがございます」


「言ってごらん」


「私が学園に通うようになった後、領地のことを今までのように細かく見るのが難しくなります。クリムゾンハートベリーの畑や、鍛冶場の試作、晶蜂蜜の記録もありますし……」


 言いながら、少し不安になる。


 まだ自分は子どもだ。領地の大きな仕事を任されているわけではない。


 それでも、自分が関わり始めたものを放り出したくはなかった。


「私の代わりに、日々の記録を取って、必要なことを報告してくれる人が欲しいのです。もちろん、最終的な判断はお父様や執事長にお願いすることになりますけれど」


 アルヴィスはしばらく黙ってリディアを見つめた。


 叱られるかと思ったが、父はゆっくりと微笑んだ。


「いい判断だ」


「よろしいのですか?」


「ああ。自分で全て抱え込むのではなく、任せる相手を用意する。それも大切な仕事だ」


 その言葉に、リディアの肩から少し力が抜けた。


 アルヴィスは控えていた執事長へ視線を向ける。


「誰か適任はいるかな」


 執事長は少し考えた後、静かに答えた。


「新しく入ったクララはいかがでしょうか。まだ若い娘ですが、素直で働き者です。文字も書けますし、簡単な記録なら問題なくこなせるかと」


「クララ……」


 リディアはその名を繰り返した。


「では、その方にお願いできるかしら」


「すぐに呼びましょう」


 しばらくして、執務室の扉が控えめに叩かれた。


「失礼いたします」


 入ってきたのは、十五歳ほどに見える若いメイドだった。


 まだ屋敷勤めに慣れていないのだろう。背筋を伸ばそうとしているものの、緊張で肩に力が入っている。栗色の髪をきちんとまとめ、清潔なエプロンを身につけていた。


「ク、クララと申します。お呼びとのことで……」


 声がわずかに震えている。


 アルヴィスとリディアの前に呼び出されたのだから、無理もない。


 リディアはできるだけ柔らかく微笑んだ。


「急に呼んで驚かせてしまったわね。怖がらなくていいの」


「は、はい」


 クララは慌てて頭を下げる。


「あなたに、私の補佐をお願いしたいの」


「お嬢様の……補佐、でございますか?」


「ええ。エマにはこれまで通り、私の身の回りをお願いするわ。あなたには、その補佐として、畑や鍛冶場の記録、試作品の報告書の整理を手伝ってもらいたいの」


 クララは目を丸くした。


「わ、私などでよろしいのでしょうか」


「最初から完璧にできる必要はないわ。分からないことはエマや執事長に聞いてちょうだい。大切なのは、見たことをきちんと記録すること。勝手に判断せず、必要なことを報告することよ」


「はい……!」


 クララはぎゅっと手を握りしめた。


 緊張はまだ残っているが、その瞳には少しだけ光が宿っている。


 リディアは、自分が初めて本を読み、畑に種を蒔き、鍛冶場へ足を運んだ日のことを思い出した。


 最初から何でも分かっていたわけではない。


 何度も首を傾げ、失敗し、周囲に教わりながら、少しずつ進んできた。


 だから、クララにも最初の一歩を任せてみたいと思った。


「これから、よろしくね。クララ」


「はい。精一杯、務めさせていただきます」


 深々と頭を下げるクララを見て、リディアは静かに頷いた。


 その日の夕方。


 リディアは屋敷近くの畑へ足を運んだ。


 雪はまだ畑の端に残っている。けれど、雪香草のそばに蒔いたクリムゾンハートベリーの区画には、小さな芽が顔を出していた。


 まだ、ほんの小さな緑だった。


 けれど確かに、土の中から伸びている。


 リディアはそっとしゃがみ込み、その芽を見つめた。


 冬のあいだ、雪の下で眠っていたものが、ようやく外の世界へ出てきたのだ。


 鍛冶場では、ドロガンたちが戻ってきた。


 ミスリルの腕輪には、異国の花が刻まれていた。


 そして屋敷には、これから自分を支えてくれる新しい補佐が加わる。


 少しずつ、何かが動き始めている。


(これからどうなるか楽しみね)


 学園へ行けば、また新しい日々が始まる。


 けれど、エルヴィン領で芽吹いたものを置き去りにはしたくない。


 リディアは立ち上がり、遠くに見える山並みを見つめた。


 白く覆われていた山肌にも、ところどころ黒い岩が見え始めている。


 吹いてくる風は、まだ冷たい。


 それでも、真冬の刺すような冷たさとは違っていた。


 どこか柔らかく、土の匂いを含んでいる。


「……暖かい日ね」


 リディアが小さく呟くと、そばに控えていたエマが微笑んだ。


「はい。春が近いのですね」


 リディアはもう一度、小さな芽へ視線を落とした。


 その小さな緑を見つめながら、リディアは胸の奥に灯る静かな希望を感じていた。


 エルヴィン領の春は、ゆっくりと訪れる。


 雪を溶かし、土を起こし、眠っていたものを少しずつ目覚めさせながら。


 その日、北の風はまだ冷たかった。


 けれどリディアには、それが確かに、新しい季節の始まりに思えた。

 

ここまでお読みいただきありがとうございます!

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