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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ
第1章 公爵令嬢再生編

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第27話 冬の過ごし方


 北のエルヴィン領は、すっかり冬の中にあった。

 恵神祭の賑わいも遠ざかり、領地は静かな冬籠もりの季節を迎えていた。

 

 屋根にも、庭木にも、石畳にも雪が積もり、遠くの森は白い霞の向こうに沈んでいる。


 王都からは、四方の公爵領へ向かう主要街道が伸びている。

 そのうち北へ続く街道が、エルヴィン公爵家の領地へ至る道だった。冬のあいだも完全に閉ざされることはないが、この時期の移動にはどうしても時間がかかった。


 秋の終わりには、約束していた三ヶ月の滞在を終えたドワーフたちも、雪が深く積もる前に一度王都の工房へ戻っていた。


 彼らはエルヴィン領をすっかり気に入ってくれたらしい。


「春になったら、また来る。あの炉の具合も見ねばならんしな」


 そう言って、親方のドロガンは豪快に笑っていた。


 ドワーフたちが去った鍛冶場は、以前より少し静かになった。


 けれど、炉の熱が消えたわけではない。領地の職人たちは、彼らが残してくれた助言や作業の手順を何度も確かめながら、今日もミスリル加工の練習を続けていた。


 冬が深まるにつれ、商人や冒険者の姿はぐっと減り、屋敷の者たちも用がなければ外へ出なくなる。


 当然、王都に暮らすマグダレーナが、この雪深い時期にエルヴィン領まで魔法の授業に訪れることもなかった。


 もともと彼女の授業は、王都のタウンハウスで行われることが多い。領地で冬を過ごすあいだ、リディアは事前に出された課題を一人で続けていた。


 屋敷の裏手にある小さな演習場で、リディアは厚手の外套を羽織り、手袋をしたまま雪の上に立っていた。


 吐く息は白い。


 頬も鼻先も、冷たい空気にさらされて赤くなっている。


 しかし、リディアの視線は目の前に置かれた木製の的へ、まっすぐ向けられていた。


「……形を保って。力を込めすぎず、けれど緩めすぎず」


 小さく呟きながら、リディアは足元の雪へ手をかざした。


 杖で空中に術式を描く。


「雪よ、集いて形を成せ」


 ふわり、と雪が持ち上がった。


 それは空中でゆっくりと集まり、不格好ながらも丸い形を作っていく。


 雪玉。


 ただ雪を丸めるだけなら、手で作った方がずっと早い。


 けれど、これはマグダレーナに出された課題だった。


 雪を魔力で集め、形を保ち、狙った場所へ運ぶ。


 単純に見えて、これが思った以上に難しい。


 はじめの頃は、そもそも雪がまとまらなかった。術式に魔力を強く流しすぎると、雪は粉のように弾けてしまう。逆に弱すぎると、持ち上がる前に崩れてしまった。


 ようやく雪玉の形になったと思っても、的へ届く前にぼろぼろと崩れ落ちる。


 前の人生で、もっと真面目に学んでいれば。

 そう思ったことは、一度や二度ではない。


 だが、今は違う。


 少なくとも、雪玉は空中に浮いている。


「……行きなさい」


 リディアがそっと指先を動かすと、雪玉は頼りない速度で前へ進み始めた。


 ふらふらと揺れる。


 途中で形が歪み、表面から細かな雪がこぼれ落ちる。


 それでも雪玉は落ちなかった。


 白い軌跡を残しながら、ゆっくり、ゆっくりと的へ近づいていく。


 そして――。


 ぽすん。


 雪玉は的の中心から少し外れた場所に当たり、その場でふわりと崩れた。


 木の板に白い粉が散る。


「……当たったわ」


 一瞬遅れて、リディアの口元がほころんだ。


「お嬢様、すごいです!」


 少し離れた場所で見守っていたエマが、大げさなほど嬉しそうに手を叩いた。


「的に当たりました! ちゃんと当たりましたよ!」


「まだ中心から外れているわ。それに、速度も遅すぎるもの」


 リディアはそう言って、冷えた鼻先を少しだけ上向けた。


 けれど、声に滲む嬉しさまでは隠しきれない。


 マグダレーナが手本として見せてくれた魔法は、もっと滑らかだった。雪玉は美しく丸まり、まるで意思を持っているかのように空中を走り、的の中心を正確に撃ち抜いた。


 それに比べれば、今のリディアの魔法は、歩き始めたばかりの子どものようなものだ。


 それでも、前に進んでいる。昨日よりも、少しだけ上手くなっている。


 その実感が、胸の奥を温かくした。


 その声を聞きつけたのか、演習場の端で雪かきをしていた騎士や使用人たちが、こちらを振り返った。


「お嬢様、今の的に当たったのですか?」

「すごいじゃありませんか!」

「お嬢様、やりましたね!」


 どうやら、いつも鼻の頭を赤くしながら練習しているリディアを、皆、遠巻きに見守ってくれていたらしい。


「ありがとう。けれど、まだまだですわ」


「応援しております、リディア様!」


 温かな声援に、リディアは笑って手を振った。


「もう一度――」


「お嬢様」


 リディアが再び雪へ手をかざそうとしたところで、エマがやんわりと声をかけた。


「そろそろお戻りになりませんか? このままでは、リディア様が雪像になってしまいます」


「ふふ、それは困るわね」


「今日はこのくらいにして、体を温めましょう」


「わかったわ」


 エマにさとされて、リディアは杖をしまった。


「お部屋に戻ったら、温かいココアをお淹れします」


「っ!」


 その言葉を聞いた瞬間、リディアの顔がぱっと明るくなった。


 (ココア…!)


 自分でも分かるほど、素直に反応してしまった。


 エマがくすくすと笑う。


「はい。カイ殿下からいただいたものです」


「ええ、そうしましょう。今日はよく頑張ったもの。少しくらい飲んでもいいわよね」


「お嬢様は、いつもそうおっしゃっています」


「だって、美味しいのだもの」


 リディアは少しだけ照れたように言った。


 ココアは、少し前にカイが贈ってくれたものだった。


 ルグナス帝国では王国よりも馴染みのある飲み物らしいが、ヴァルディア王国ではまだ珍しい。初めて飲んだとき、リディアはその濃厚な香りと、舌の上に広がるまろやかな甘さにすっかり驚いてしまった。


 それ以来、リディアはココアの虜である。


 とはいえ、量には限りがある。なくなるのが惜しくて、少しずつ、大切に飲んでいた。


 演習場から屋敷へ戻ると、暖かな空気が身体を包み込んだ。


 外の冷たさでこわばっていた指先が、じんわりとほどけていく。廊下の燭台には柔らかな火が灯され、窓辺には厚手の布が掛けられている。


 暖炉の火、厨房から漂う煮込み料理の香り、使用人たちが行き交う足音。


 屋敷の中には、冬を越すための確かな温もりが満ちていた。


 部屋に戻ると、エマは手早くリディアの外套を外し、冷えた手袋を受け取った。


「すぐにお持ちしますね」


「ありがとう、エマ」


 礼を言うと、エマは嬉しそうに微笑んで部屋を出ていった。


 リディアは窓辺へ歩み寄る。


 ガラスの向こうには、どこまでも白い庭が広がっていた。先ほどまで訓練していた演習場も、こうして遠目に見ると、ただの静かな雪原に見える。


 その先には、雪に半ば埋もれながらも王都へ続く街道が、細く白い筋のように伸びていた。


 その道の先に、今は兄がいる。


 アレクシスは外交院の仕事があるため、冬の間もほとんど王都のタウンハウスで過ごしている。年末には一度戻りたいと手紙には書かれていたが、仕事の都合次第では難しいかもしれない。


 兄がいない食卓は、少しだけ静かだ。


 けれど、それもまた、今のアレクシスが自分の道を歩き始めている証なのだと思うと、寂しさの中に誇らしさもあった。


「お嬢様、お待たせしました」


 扉が開き、エマが盆を手に戻ってきた。


 白い湯気を立てるカップから、甘く濃い香りがふわりと広がる。


「ありがとう」


 リディアは椅子に腰掛け、両手でカップを包み込んだ。


 温かい。


 指先からじわじわと熱が染み込んでくる。そっと口をつけると、まろやかな甘さとほろ苦さが舌の上に広がった。


「……やっぱり、美味しいわ」


「本当にお好きですね」


「ええ。王国でも作れないかしら」


「お嬢様なら、なんでも作ってしまいそうですね」


「さすがになんでもは無理よ」


 エマの言葉に、リディアは思わず笑った。


 リディアはカップを膝の上に置き、窓の外を見つめた。


 白く閉ざされた庭。

 静かな屋敷。

 暖炉の火。

 温かなココア。


 あと数日もすれば、年が明ける。


 そして来年はいよいよ――ヴァルディア王立魔法学園への入学が待っている。


 その名を思い浮かべた途端、胸の奥がわずかに強張った。


 魔法学園。

 前の人生で、リディアが多くのものを失うきっかけとなった場所。


 あの中央講堂の冷たい床。

 集まった生徒たちの視線。

 クラウスの冷え切った声。

 フィオナの涙。


 記憶は、今でも時折、鮮明に胸を刺す。

 

 リディアは無意識にカップを握る手に力を込めた。


 けれど、今の自分は前とは違う。


 まず、クラウスの婚約者ではない。そもそも婚約していないのだから、婚約破棄のしようがない。そう考えると、少しだけ胸が軽くなった。


 そして、今のリディアはフィオナを敵視するつもりもない。


 必要以上に近づかず、穏やかに過ごす。相手を傷つけず、自分も踏み込みすぎない。そうすれば、前世のようなことにはならないはずだ。


 ――本当に?


 胸の奥で、小さな声がした。


 前の人生で、自分はどこからおかしくなってしまったのだろう。どこから、どうして間違えてしまったのか。


 嫉妬も、傲慢さも、間違いなく自分の中にあったものだ。

 それを誰かのせいにするつもりはない。


 それでも、今思い返すと、ところどころ記憶が不自然に曖昧な部分がある。あの時、自分はなぜ、あそこまでフィオナを憎んだのか。なぜ、あんな危険なことを思いついてしまったのか。


 考え始めると、胸の奥が冷えていく。


「お嬢様?」


 エマの声に、リディアははっと顔を上げた。


「どうかなさいましたか?」


「……いいえ。少し、考え事をしていただけよ」


 リディアは小さく首を振り、カップに残ったココアを見下ろした。


 湯気はまだ、細く立ちのぼっている。


 今の自分には、前にはなかったものがある。


 家族との穏やかな関係。


 エマの変わらない優しさ。


 マグダレーナに教わった魔法。


 領地のために考える時間。


 友人たちとの出会い。


 そして、自分で選び直してきた日々。


 まだ不安は消えない。けれど、これまで培ってきた日々が無駄なはずがない。


 リディアはゆっくりと息を吸い、白い窓の外へ視線を戻した。


 雪は静かに降り続いている。


 この冬が終われば、新しい季節が来る。前の人生とは違う道を、自分はもう歩き始めている。


「……きっと、大丈夫」


 自分に言い聞かせるように、リディアは小さく頷いた。


 そして、温かなココアをもうひと口飲む。


 甘く、ほろ苦い味が、冷えかけていた胸の奥をゆっくりと温めていった。


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