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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ
第1章 公爵令嬢再生編

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第25話 森の中の甘い果実


 リディアはアレクシスと共に、ドロガンたちのいる鍛冶場を訪れていた。


 リディアはこれまで何度も足を運んでいたが、外交院に勤めるアレクシスは王都での仕事が忙しく、なかなか領地へ戻れずにいた。そのため、鍛冶場ができてから実際に訪れるのは、今日が初めてだった。


 職人に案内され中へ入ると、壁にはドロガンたちによって作られたミスリル製の剣や鎧、細かな留め具などが並べられていた。


 剣や鎧の知識がない者でも、それがただの武具ではないことはすぐに分かる。


 磨き上げられた刃は、銀とも白ともつかない淡い光を帯びている。鎧の表面には、職人の手による繊細な模様が刻まれ、光を受けるたびに輝いた。


「すごい……!」


 アレクシスが、思わずというように声を漏らした。


「これほど美しいとは。武具というより、工芸品のようですね」


「ガハハ! 見る目があるじゃねぇか、若旦那」


 ドロガンは満足げに笑い、炉のそばで太い腕を組んでいた。


「そういや、このあいだ来た冒険者がそれを見て、売ってくれって言ってきたな。これは売り物じゃねぇって断ったが」


「冒険者の方が欲しがるのも分かりますわ」


 リディアは壁に掛けられた細身の剣を見つめながら、素直に頷いた。


 まだ試作品にすぎないはずなのに、すでに十分な存在感がある。


 かつてはただの鉱石として眠っていたものが、職人の手によって、こうして形ある価値へ変わっていく。その事実に、胸の奥が高鳴った。


 そのとき、リディアはふとドロガンの手元に目を留めた。


 彼は何やら赤いものを摘まみ、口へ放り込んでいる。


「ドロガン様……それは何を召し上がっていらっしゃるの?」


「ああ、これか?」


 ドロガンは、手のひらの上にある赤い実を見せた。


「このあいだ森の中を散歩していたら見つけたんだ。初めて見る実だが、なかなか美味い。でかいし、食いごたえもある」


「見せていただいてもよろしいですか?」


「おお、嬢ちゃんも食ってみな。ちょっと棘があるから気をつけろよ」


 ドロガンは、ほいっと気軽に赤い実を差し出した。


 リディアは両手で受け取り、じっと見つめた。


 小さな卵ほどの大きさがある。形は少し不揃いで、表面はごつごつとしていた。色は、血を閉じ込めたような鮮やかな真紅。実の周囲には細かな棘があり、知らずに握れば指先を刺してしまいそうだ。


「これは……クリムゾンハートベリーですね」


「へぇ。そんな名前なのか」


 ドロガンは興味深そうに眉を上げた。


「クリムゾンハートベリーは、森の奥深く、山の麓に近い場所に群生する貴重な果実です。市場にはほとんど出回りませんわ」


「そんなに珍しいのか?」


「ええ。群生地の周辺には魔物も多いので、採取するだけでも危険が伴います。文献で読んだことはありましたが、実物を見るのは初めてです」


 リディアは棘に気をつけながら、赤い実を少しだけ齧った。


 途端に、きゅっとした酸味が舌先を刺す。


 けれど次の瞬間、ぷつりと果肉が弾け、濃い赤い果汁が口いっぱいに広がった。


 野苺のような甘酸っぱさ。


 熟したチェリーにも似た、深い果実の香り。


 その奥には、薔薇の花びらを甘い酒に浸したような華やかさと、ミントに似たほのかな爽やかさが漂っていた。


「……不思議な香りですわね。生で食べるには少し酸味が強いけれど、加熱したらもっと香りが立ちそうです」


「ああ、加熱してもいいかもな。俺はこのままでも十分だが」


 ドロガンは嬉しそうに笑い、また一粒を口へ放り込んだ。


 リディアは思わず彼を見つめる。


「ドロガン様、ずいぶん遠くまでお散歩に行かれたのですね。森には魔物も多いはずですが、大丈夫でしたか?」


「ああ、斧を持っていったからな。ここら辺の魔物なら、俺でも簡単に倒せる」


 あまりにも当然のような口ぶりだった。


「倒した魔物はちゃんと鍋にして食ったから大丈夫だ。森の中で腐らせちゃいねぇ」


「そこを心配していたわけではないのですが……」


 リディアが小さく呟くと、アレクシスが呆気にとられたように息を吐いた。


「ドロガン殿は、鍛冶師なのか冒険者なのか分からなくなりますね」


「ドワーフは鍛冶だけしてるわけじゃねぇぞ。山を歩けねぇ鍛冶師なんざ、鉱石ひとつ満足に見つけられん」


「なるほど……説得力があるような、ないような」


 アレクシスが苦笑する。


 そのとき、ドロガンは何かを思い出したように顎を撫でた。


「そういや、その実の近くに変わった草も生えてたぞ。いい匂いがしたから、根ごと少し持ってきた」


「草、ですか?」


「ああ。鍛冶場の外に置いてある。庭にでも植えりゃ増えるかと思ってな」


 ドロガンに案内され、リディアとアレクシスは鍛冶場の外へ出た。


 そこには、木箱に土ごと植えられた小さな草があった。葉は銀がかった緑色をしており、細く柔らかい。冷たい光を薄くまとっているようにも見える。


 リディアはそっと膝を折り、葉を一枚だけ指先で摘んだ。


「これは……雪香草かもしれませんわ」


「それも知っているのか?」


「本で読んだことがあります。クリムゾンハートベリーの群生地近くに生えることが多い、珍しいハーブです。強い薬効があるわけではありませんが、香りづけや虫除け、料理などに使われることがあるそうです」


 リディアは葉を軽く揉んだ。


 すると、指先からふわりと清涼感のある香りが広がる。


 針葉樹の森を思わせる清冽な香りの奥に、柑橘の皮のような爽やかさがあった。冬の朝の空気を、そのまま葉に閉じ込めたような香りだ。


「いい香りですね。クリムゾンハートベリーと合わせたら、後味が澄みそうですわ」


「だろう? 俺もそう思ったんだ」


 ドロガンは得意げに胸を張った。


「俺の国には、果物を凍らせてから潰して作る酒があってな。寒い土地だからこそできる酒だ。水っぽさが抜けて、甘みと香りがぎゅっと残る。エルヴィン領の冬なら、同じようなことができるんじゃねぇかと思ったんだ」


「酒ですか。いいですね」


 酒と聞いた瞬間、アレクシスの目の色が変わった。


 リディアは横目で兄を見る。


「お兄様、急に真剣になりましたね」


「領地の新たな特産になるかもしれない話だからね。真剣にもなるさ」


「本当にそれだけですか?」


「もちろんだよ」


 アレクシスは悪びれもせずに微笑んだ。


 リディアは少し呆れながらも、手の中の赤い実へ視線を落とす。


 酒。


 たしかに、ドロガンの言う通り、この香りなら果実酒にすればきっと素晴らしいものになるだろう。熟したチェリーに似た濃い香りも、薔薇の花びらを甘い酒に浸したような華やかさも、発酵させればさらに深みを増すかもしれない。


 けれど、リディアの胸に真っ先に浮かんだのは、酒ではなかった。


「実ができれば、酒だけじゃなく、ジャムやお菓子にも使えますね」


 思わずこぼれた声は、自分で思ったよりも弾んでいた。


 鮮やかな赤いジャムを塗った焼き菓子。


 冬の紅茶に添える、甘酸っぱい果実の砂糖煮。


 晶蜂蜜を少し加えて煮詰めた、艶やかな果実ソース。


 雪香草をほんの少し混ぜれば、甘酸っぱさのあとに涼やかな香りが残るだろう。


 恵神祭の日、クッキーを受け取った子どもたちの笑顔が、ふと脳裏に浮かんだ。


「甘いものが増えれば、きっと領民の方々にも喜ばれますわ」


 リディアは赤い実を見つめながら、そっと頬を緩めた。


「生では少し酸味が強いですが、加熱すると酸味が丸くなり、香りも深く立つはずです。ジャムや焼き菓子には、とても向いていると思います」


「酒の話より、そっちに食いつくのかい?」


 アレクシスが少しおかしそうに言う。


「お兄様はお酒のことばかり考えていらっしゃるではありませんか」


「否定はしないよ」


「否定なさらないのですね」


 リディアが呆れると、ドロガンが豪快に笑った。


「ガハハ! 酒も菓子も作れるなら、なおさら良いじゃねぇか。楽しみが倍になるってもんだ」


「良い案だとは思います。ですが……」


 リディアは表情を少し引き締めた。


「クリムゾンハートベリーを採りに行くには遠すぎますし、危険も多すぎませんか? ドロガン様は平気でも、領民の方々に同じことをさせるわけにはいきません」


「クリスタルスティングの蜂蜜の発案者とは思えない発言だな」


 アレクシスが苦笑する。


「……たしかにそうですわね」


 リディアは少しだけ気まずくなった。あの時も、危険だと思われていたものを領地の恵みに変えたのだった。


 とはいえ、それを理由に危険を軽く見るわけにはいかない。


 そう考えていると、ドロガンがあっさりと言った。


「わざわざ森の奥深くに行かなくたって、この実から種を採って栽培すればいいだけじゃねぇか。実ならたくさん採ってきたぞ」


 リディアとアレクシスは、思わず顔を見合わせた。


「……栽培、ですか」


「ああ。この草も、庭に植えときゃ増えるんじゃねぇか?」


 ドロガンは雪香草の植えられた木箱を指さす。


 リディアは少し考え込んだ。


 クリムゾンハートベリーは森の奥、山の麓近くに生える。つまり、湿度、土質、日当たり、寒暖差など、いくつか条件があるはずだ。


 エルヴィン領の気候は合うかもしれない。


 だが、屋敷近くで問題なく育つかは分からない。


 雪香草が近くに生えているというなら、虫除けや土壌の手がかりになる可能性もある。けれど、すぐに成功すると考えるのは早計だろう。


「すぐに育つとは限りません。ですが、試す価値はありますわ」


「そうだね」


 アレクシスも頷いた。


「まずは試験栽培だな。いきなり大きく動かすのは危険だ。屋敷近くの管理しやすい畑に小さな区画を作って、土や日当たりを変えて試してみよう」


「雪香草も、一緒に植える区画と、別々に植える区画を作った方がよさそうですわね」


「いい考えだ。育ち方を比べれば、相性も分かる」


 アレクシスの声には、次期領主らしい落ち着きがあった。


 ドロガンは腕を組み、満足げに頷く。


「じゃあ決まりだな。種は好きなだけ使え。俺は酒の試作品ができるのを待ってる」


「お兄様も、同じことを考えていらっしゃる顔ですわね」


「もちろん。試作品ができたら、私も確認しよう」


「試飲係になりたいだけではありませんか?」


「領地の未来のためだよ」


 涼しい顔で言うアレクシスに、リディアは思わず笑ってしまった。


 鍛冶場の外には、秋の冷たい風が吹いている。


 木箱の中の雪香草が、小さく葉を揺らしていた。その隣で、リディアの手の中にあるクリムゾンハートベリーが、鮮やかな赤色を放っている。


 森の奥で人知れず実っていた果実。


 その近くに寄り添うように生えていた、銀緑色のハーブ。


 それらが、いつかエルヴィン領の長い冬に、新しい甘さをもたらすかもしれない。


「この実が、エルヴィン領の新しい恵みになるかもしれませんわ」


 リディアがそう呟くと、ドロガンは大きく口を開けて笑った。


「ガハハ! 酒も菓子も作れるなら最高じゃねぇか。また楽しみができちまったな!」


 その豪快な笑い声が、鍛冶場に響く。


 こうして、クリムゾンハートベリーと雪香草の試験栽培が始まることになった。

 

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