第23話 帝国皇子の歓迎夜会
隣国ルグナス帝国第五皇子――カイ・ルシアンの歓迎夜会が、数日後に開かれる予定となっていた。
帝国からの正式な使節団を迎える、大規模な社交の場だ。
最近の王都では、その話題で持ちきりだった。
大陸屈指の軍事国家として名高いルグナス帝国。
大胆で華やかな文化を持つとされる彼らの装いや振る舞いに、若い令嬢たちは興味津々らしい。
そんな話をエマから聞き流していたリディアだったが――。
「リディア! あなた、これを聞いたらきっと驚くわよ」
突然、部屋の扉が勢いよく開き、母エレノアが手紙を手に、ご機嫌な様子で入ってきた。
「どうしたんですか? なんだか楽しそうですわね」
「ええ、楽しいに決まっているわ。娘にカイ・ルシアン殿下から、夜会のパートナーのお誘いが来たのだから」
「……え?」
予想外の名前に、リディアは思わず目を丸くした。
エレノアは、洒落た深紅の封筒を差し出す。
封蝋には、帝国の双頭鷲の紋章が刻まれていた。
リディアは封を開き、中の便箋へ視線を落とした。
そこには流麗な筆致で、歓迎夜会への招待と共に、こう記されていた。
『当夜をより華やかなものにするため、君をエスコートさせてほしい』
「……本当だわ」
「先日の視察でのあなたの印象が良かったのね」
エレノアは終始にこにこしている。
最近、リディア宛ての手紙がいくつか届いているとは聞いていた。
けれどその多くは、母エレノアが先に確認し、問題ないものだけがリディアの元へ届くようになっている。
そのため、リディア自身は誰からどのような手紙が届いているのか、ほとんど把握していなかった。
「エマ、先日仕立てたドレスの中に、帝国風の流行を取り入れたものがあったわよね?カイ殿下に合わせて、そのドレスに合うアクセサリーなどを準備しておいてちょうだい」
「かしこまりました、奥様」
控えていたエマも、すっかり張り切っている。
「……これは、カイ殿下のお申し出を受けることになるのですよね?」
「あら? 他にパートナー候補がいるの?」
「……いません」
「なら問題ないわよね!」
にっこりとエレノアが微笑む。
「そ、そうですね」
勢いに押されるまま、リディアは曖昧に頷いた。
「ふふ、異国の皇子様とダンスなんて素敵ね」
エレノアは楽しげに鼻歌を歌いながら、部屋を出て行った。
「私も急いで衣装係と相談してまいります!」
エマも早足で部屋を出ていく。
一人残されたリディアは、手紙を見つめながら小さく息を吐いた。
(夜会でエスコートされるなんて……お父様やクラウス様以外では初めてだわ。クラウス様からは、こんなふうに誘われたことなんてなかったし)
しかも相手は隣国の皇族。
王国と帝国では、礼儀作法やダンスも微妙に違うと聞く。
(帝国のダンスって、王国と同じなのかしら……)
そんなことを考えながら、リディアはペンを手に取り、承諾の返事をしたためた。
書き終えた封筒を使用人に手渡し、届けるよう頼む。
すると、ほどなくして――。
「リディア様ー! 大変です!」
慌てた様子のエマが戻ってきた。
「そんなに慌ててどうしたの? 今日はずいぶん頻繁に、勢いよく扉が開くわね」
「トビアス・アイゼン様がお見えです!」
「……え?」
リディアは思わず瞬きを繰り返した。
なぜ今、このタイミングで。
不思議に思いながら玄関ホールへ向かうと、そこにはトビアスが待っていた。
いつもの穏やかな笑みを浮かべているが、どこか落ち着かない様子にも見えた
「あら、こんなところで待たせてごめんなさい。サロンへ行きましょうか」
「いや、急に押し掛けてすまない。ここで少し、話をさせてもらえるかな」
「? 何かありまして?」
するとトビアスは、一度だけ深く息を吐き、意を決したようにリディアを見つめた。
「……単刀直入に言うよ。歓迎夜会のパートナーを、もしよければリディア様にお願いしたいと思っていて」
リディアは目をぱちくりとさせた。
まさか一日に二度も、夜会のパートナーに誘われるとは思ってもみなかったのだ。
「ありがとうございます。ですが……大変申し訳ないのですけれど、先ほどカイ殿下からお誘いをいただきまして」
「……カイ殿下から?」
「ええ。帝国から来たばかりで、王国に知人も少ないでしょうから。今回は殿下のお申し出を受けようと思っているんです」
「な、なるほど……」
さすがのトビアスも、わずかに動揺したようだった。
彼は額へ手を当て、小さく天を仰ぐ。
「……敵は国外にも及ぶか」
苦笑いを浮かべながら、小さく呟く。
「え?」
「いや、なんでもないよ」
すぐに、トビアスはいつもの穏やかな笑みに戻った。
「今回は残念だけど、また機会があれば誘いに来てもいいかな」
「もちろんですわ」
「ありがとう。では、夜会で」
トビアスは優雅に一礼すると、そのまま颯爽とエルヴィン家を後にした。
そして数日後。
歓迎夜会の当日を迎えた。
リディアが身に纏っているのは、深い青を基調とした帝国風のドレスだった。
首元が大きく開いたスクエアネック。
胸元には白い糸で繊細な刺繍が施され、肩から腕にかけては薄いレースがふわりと揺れている。
王国風の装いよりも、女性らしい華やかさを前面に出した衣装だった。
銀色の髪は後ろで緩やかに結い上げられ、耳元には小粒の真珠が揺れている。
鏡の中の自分を見て、リディアは少しだけ落ち着かない気持ちになった。
(なんだか、いつもの自分じゃないみたい……)
ホールで家族を待っていると、後ろからアルヴィスの声が聞こえた。
「……帝国風というのは、少々派手すぎるな」
それを聞いて、エマが一瞬だけ不安そうに表情を強張らせる。
「あら、素敵じゃない。私ももう少し若ければ、このようなドレスを着てみたかったわ」
エレノアが、リディアのドレスを微笑ましそうに眺める。
アルヴィスは腕を組みながら娘を見つめたあと、小さく息を吐いた。
「……まあ、今夜だけは大目に見よう。変な男どもに絡まれたら、すぐに私のところへ来なさい」
そこへ、アレクシスが真面目な顔でやってきた。
「父上、不届き者の対処は俺が請け負います」
「しっかり頼むぞ」
アルヴィスは真顔で言い切った。
その様子に、リディアはどこまで本気なのだろうかと、少し不安になった。
馬車は夜の王都を進み、やがて王宮へ到着した。
歓迎夜会の会場は、普段の王国式夜会とは少し雰囲気が違っていた。
薔薇と金を基調にした装飾。
高く掲げられた帝国旗。
流れている音楽も、王国よりどこか情熱的で華やかだ。
薔薇や香水の香りが混ざり合い、会場全体が熱を帯びているようだった。
リディアは周囲を見回し、カイの姿を探す。
その途中、ふと視界の端に、懐かしい顔を見つけた。
(……ローレンツ様)
ローレンツ・グラウ。
四大公爵家の一つ、グラウ公爵家の子息。
前世では、魔法学園で親しくしていた相手だった。
少し離れた場所で、彼は穏やかな笑みを浮かべながら、周囲の貴族たちと談笑している。
(あの優しそうな笑顔、懐かしいわね)
思いがけず前世の友人を見つけて、リディアは小さく微笑んだ。
けれど、今の人生では、ローレンツとはまだ何の縁もない。
前世と同じように親しく声をかけてしまえば、きっと不自然に思われるだろう。
(今日は、心の中でご挨拶するだけにしておきましょう)
リディアは胸の内だけでそう呟き、静かに視線を戻した。
すると、会場の中央付近で、カイがクラウスたちと談笑しているのが見えた。
「カイ殿下、お待たせいたしました」
リディアが声をかけると、その場にいた全員の視線がこちらへ向いた。
一瞬、空気が止まる。
最初に口を開いたのは、カイだった。
「おお、リディア嬢」
彼は普段通りの余裕ある笑みを浮かべる。
「帝国風の装いも、とても似合ってるね」
「ありがとうございます。カイ殿下も、本日の装いがとてもよくお似合いですわ」
リディアが礼を返すと、カイは楽しそうに目を細めた。
その隣で、クラウスがしばらく言葉を失っている。
「……クラウス様?」
「え? あ、いや……」
ごほん、と咳払いし、クラウスはリディアを真っ直ぐ見た。
「いつもと雰囲気が違って、思わず見惚れてしまった。……とても美しいよ」
真面目なクラウスが、精一杯絞り出したような言葉だった。
「リディア様、とても華やかで素敵です! 帝国風のドレスもすごくお似合いですよね、兄上!」
「ああ、すごく素敵だ」
ルーカスの言葉に、クラウスが頷く。
(クラウス様にドレスを褒めていただくのは初めてだわ)
「みなさん、ありがとうございます」
リディアは少し照れながら微笑んだ。
「カイ殿下から帝国の話をいろいろ伺っていたんですが、とても興味深いんですよ!」
そう言ってルーカスは目を輝かせる。
「ぜひ私もお話を伺いたいですわ」
異国の本を読むようになってから、リディアの中には、さまざまな国への興味が芽生えていた。
「帝国に興味を持ってもらえて嬉しいな。そうだな……ヴァルディア王国は、伝統をとても大切にしている印象がある」
カイは少し考えるように視線を上げた。
「一方で、帝国では新しい物が好まれやすいかな。魔法も、魔道具を使って効率化させる方法が今の主流になっているし。その点では、王国のほうがずっとロマンがある」
「そうなんですね。僕も帝国に行ってみたいな」
「ルーカス殿下、ぜひ来てください。俺がいろいろ案内しますので」
「本当ですか? 僕、絶対行きますから」
短い期間で、カイとルーカスはすっかり仲が良くなったようだった。
やがて、夜会の中央で音楽が変わる。
ダンスが始まる合図だった。
「リディア嬢、では踊ろうか」
(帝国式は王国と少し違うと聞いていたけれど……うまく踊れるかしら)
一抹の不安を胸に抱えながらも、リディアはカイの手を取った。
「はい」
カイに手を引かれ、リディアはダンスフロアへ足を踏み入れる。
帝国式のダンスは、王国のものより距離が近かった。
回転も多く、テンポも軽快だ。
自然とカイとの距離が近づき、リディアの心臓が少しだけ騒がしくなる。
「緊張している?」
「……少しだけ」
「はは、素直だね」
低く穏やかな声。
先ほどまでの軽やかな印象とは違う、落ち着いた声に、リディアは戸惑ってしまう。
カイのリードは驚くほど自然で、気づけばリディアも音楽に身を任せていた。
くるり、とドレスが広がる。
深い青の布が揺れるたび、周囲から小さな感嘆の声が漏れた。
カイとのダンスを終えると、彼の元へ、親しくなりたい貴族たちが次々と集まってきた。
(帝国の皇族と話せる機会なんて、なかなかないものね)
リディアはその輪から少し離れたところで、ふと視線を感じた。
人垣の向こうで、見知らぬ若い貴族がこちらを見ている。
目が合うと、彼は嬉しそうに微笑み、手にしたグラスをわずかに掲げた。
(……どなたかしら)
社交の場で視線を向けられること自体は珍しくない。
リディアは深く気に留めなかった。
公爵家の令嬢として大切に育てられ、前の時間軸でも王子の婚約者という立場にあった彼女は、男性から不躾に距離を詰められる経験がほとんどなかった。
だからこそ、その視線に含まれた危うさにも、まだ気づけなかった。
緊張で火照った顔に涼しい風を感じたくなり、リディアは会場から見える庭先へ、ほんの少しだけのつもりで足を向けた。
庭にも薔薇や金の装飾が施され、噴水には薔薇の花が浮かべられていた。
「あら、美しいわね」
リディアは思わず呟いた。
そのとき、背後で砂利を踏む小さな音がした。
誰かが庭へ出てきたのだろうか。
そう思って振り返るより早く、甘ったるい声が耳に届いた。
「なんて美しい薔薇なんだろう……!」
声の方へ目を向けると、先ほど会場でこちらを見ていた若い貴族の男が立っていた。
「……ええ、とても美しい薔薇ですわね」
「君のことだよ、リディア嬢」
どこかで聞いたような大げさな言い回しに、リディアは思わず苦笑してしまった。
けれど、その笑みを好意と受け取られたらしい。
「この会場は薔薇の香りが強くて、くらくらしてしまうね。君に酔っているのか分からなくなるよ」
「あら、そうですか。たしかに、少し酔われているようですわね?」
困ったな、と思いながらアレクシスの姿を目で探す。
しかし、兄は少し離れた場所で令嬢たちに囲まれ、四方を塞がれている。こちらには気づいていないようだった。
父の姿も見えない。もしかしたら、母とダンスを踊っているのかもしれない。
「失礼ですが、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
男は名乗ったが、リディアには聞き覚えのない名だった。
「以前、手紙も出したんですが、読んでいただけましたか?」
「ええと、きっと手紙は父が……」
捨てた、とは言えず、リディアは言葉をぼやかした。
しかし男は、その曖昧な返事を都合よく受け取ったらしい。
ぱっと顔を明るくする。
「やはり、お父上が止めていらしたのですね」
「いえ、そういうわけでは……」
「もし、お父上が反対されていても、僕は諦めるつもりはありません。場合によっては……駆け落ちだって考えています!」
「何を言っていらっしゃるの?」
男はかなり酒に酔っているのか、なおもずいずいと距離を詰めてくる。
リディアは一歩下がろうとしたが、身体がこわばって思うように動けなかった。
「それ以上、近寄らないでください」
「困った顔も可愛らしい。照れないでください」
もう少しで、男の手がリディアの肩に触れそうになった。
その瞬間、横から伸びた見慣れた手が、男の手を払いのけた。
「貴様、無礼だな」
トビアスだ。
珍しく、声を荒げている。
「お前こそ無礼だ。邪魔をするな! いきなり来て何者なんだ」
「トビアス・アイゼンだ。君は今、エルヴィン公爵令嬢に無礼を働き、アイゼン家の前でそれを続けようとしている。意味は分かるな?」
トビアスの言葉を聞いて、男はわずかに怯んだ。
「僕はずっとリディアのことを愛しているんだ。彼女もそれを望んでいるはずだ」
リディアは驚きのあまり、声を失った。
背筋に冷たいものが走り、指先はまだ震えている。
トビアスはリディアの表情を見てすぐに察し、警備隊の方へ視線を向ける。
警備隊を呼ぼうと手を上げようとした瞬間、リディアはそれを制した。
自分の意思だけは、自分の口で伝えなければならない。
リディアはゆっくりと呼吸を整え、背筋を伸ばした。
そして、男を真っ直ぐに見据える。
「失礼ですが、わたくしと貴方は親しい間柄ではございません。そのような馴れ馴れしいお言葉は、お控えくださいませ。これ以上続けられるようでしたら、公爵家として正式に抗議いたします」
男は青い顔をして、その場から走り去っていった。
その背中が庭の向こうへ消えた途端、リディアの身体からふっと力が抜けた。
「……っ」
リディアが思わずトビアスの腕を掴むのと同時に、トビアスの手も咄嗟に伸びていた。
その手が、支えるようにリディアの肩のそばで止まる。
「大丈夫?」
リディアの手は、がくがくと震えていた。
「ええ、すみません……あまりに、びっくりしてしまって」
声にすると、ようやく自分がどれほど強張っていたのか分かった。
トビアスはリディアを、噴水のそばに置かれた石椅子へそっと座らせた。
どうやら、庭へ出るリディアの姿に気づいて、追ってきてくれたらしい。
「家族の方を呼んで来させようか?」
「いえ、父が知ったら大変なことになりそうなので、大丈夫ですわ」
そう言って笑おうとしたが、まだうまく表情が作れない。
リディアはゆっくりと呼吸を整える。
少しずつ、体の震えも落ち着いてきた。
「助けてくださってありがとうございました。本当に助かりましたわ」
「もう少し早く気づくべきだったよ。……でも君も、今後はあまり人気のないところに一人で行くのはやめたほうがいい」
「ふふ、トビアス様も真面目なことをおっしゃるのですね」
「僕も、君が傷つくと思ったら怖かったんだ」
いつもとは違うトビアスの表情に、リディアの胸がきゅっと締めつけられる。
「心配させてしまいましたね」
「いや、僕が勝手に心配したことだから。君が無事で良かった」
そう言うと、トビアスはふっといつもの穏やかな表情に戻った。
そのとき、会場の方から足早に近づいてくる気配があった。
「リディア嬢!」
振り返ると、カイがこちらへ向かってくるところだった。
リディアの様子を見たカイは表情を曇らせる。その視線が、リディアのそばに立つトビアスへと静かに向いた。
「……何があった?」
その声は、いつもより低かった。
「トビアス様が助けてくれたのです」
リディアは慌てて、先ほどあったことをカイに伝えた。
話を聞き終えると、カイはわずかに息を吐き、トビアスへ視線を戻す。
「……そういうことか。疑うような目を向けて悪かった、トビアス卿」
「いえ。この状況では、そう見えても仕方ありません」
「リディア嬢を助けてくれてありがとう。俺からも礼を言わせてほしい」
そう言って、カイはトビアスに向かって真剣な表情で頭を下げた。
それから、今度はリディアへ向き直る。
「すまなかった。俺が君を一人にしてしまったばかりに、嫌な思いをさせた」
「カイ殿下のせいではありませんわ。私が勝手に側を離れて、庭へ出ただけですもの」
「それでも、今夜の俺は君のパートナーだ。もっと君を気にかけるべきだった」
カイにそこまで言わせてしまったことに、リディアは居たたまれない気持ちになった。
「せっかくの夜を、こんな嫌な思い出で終わらせたくない。……そうだ。リディア嬢とトビアス卿に、ぜひ見てほしい魔法がある」
「魔法、ですか?」
「うん。とびきり華やかなやつ」
しばらく夜空を見上げていたカイが、ふと表情を和らげた。
「危険はないよ。帝国の祝宴で使う、ただの祝砲魔法だ。ただ、いきなりやったら少し怒られるかも」
カイは上着の内側から、ペンほどの長さの細い杖を取り出した。
「カイ殿下……!」
帝国の護衛が慌てて声を上げる。
しかしそれよりも早く、カイは空中にいくつもの小さな術式を描き、短く呪文を唱えた。
「火花よ、空に咲け」
次の瞬間、庭の上空に淡い光が弾けた。
ぱぁん、ぱぁん、と軽やかな音を立てて、夜空に小さな花がいくつも咲く。
赤、金、青。
火の粉は地上へ落ちる前にふわりと消え、薔薇の香りを含んだ夜気だけが柔らかく揺れた。
リディアは驚きのあまり目を見開き、それから思わず笑ってしまった。
「おお、これはすごい!」
トビアスも興奮気味に夜空を見上げている。
「カイ殿下、それはまずいですよ」
帝国の護衛が小声でカイを咎める。
花火の音に気づいた貴族たちが、何事かと庭へ集まってきた。
カイは悪びれた様子もなく、集まった人々へ向けてにこやかに手を広げる。
「皆様、今回は俺を快く迎え入れてくださり、ありがとうございます。ささやかではありますが、帝国式の祝砲です。どうぞお楽しみください」
そう言って、カイはさらにいくつかの花火を夜空に咲かせた。
ヴァルディア王国の貴族たちは一瞬呆気に取られたものの、やがて華やかな光に笑みを浮かべ、カイへ拍手を送った。
「リディア嬢が笑ってくれて良かった。これで安心して帝国に戻れる」
「カイ殿下、素敵な催しをありがとうございます。とても感動いたしましたわ」
リディアの言葉に、カイは照れたように笑った。
「そう言われたら、もう一つくらい咲かせたくなるな」
「カイ殿下」
護衛の低い声に、カイは肩をすくめる。
「分かってる、これで最後」
そう言って、最後に一輪だけ、ひときわ大きな金色の花を夜空に咲かせた。
その後、事情を知ったアレクシスには、一人で人気の少ない場所へ行ったことをしっかりと咎められることになった。
ただ、その声は怒っているというより、ほとんど自分を責めているようだった。令嬢たちに囲まれていたとはいえ、リディアから目を離したことを、アレクシス自身も悔いているのだろう。
それでも、夜会の終わりにリディアの胸に残ったのは、恐怖だけではなかった。
助けに来てくれたトビアスの声。
夜空に咲いた、帝国の鮮やかな花火。
そして、自分を案じてくれた人たちの表情。
思いがけない出来事はあったけれど、この夜は決して、嫌な記憶だけで終わるものではなかった。




