第15話 友の手紙
「はぁ……。またずいぶんと積もったわね」
部屋の窓から外を眺め、リディアは小さく溜息をついた。
昨夜から絶え間なく降り続いていた雪は、一夜にして景色を一変させていた。
視界の端から端まで、世界は眩いばかりの銀世界に染まっている。
庭園では、すでに使用人や騎士団が慣れた手つきでスコップを動かし、雪かきに追われていた。
エルヴィン領の冬は、驚くほどに長い。
しんしんと降り積もる雪を見ていると、今年もまた厳しい季節がやってきたのだと、肌に刺さるような冷気と共に実感させられる。
だが、今年のリディアの心は、例年になく温かかった。
クリスタルスティングから得られた希少な蜂蜜。
そして、先日鉱山で発見されたミスリル。
まだ本格的な採掘は始まっていないものの、その知らせはエルヴィン領に大きな期待をもたらしていた。
領民たちの明るい表情を思えば、窓の外の寒ささえ、どこか穏やかに感じられる。
「リディア様。カレン様とトビアス様、それからルーカス様からもお手紙が届いておりますよ」
侍女のエマが、柔らかな微笑みを浮かべて三通の手紙を差し出した。
盆に乗せられた封書に、リディアの瞳がぱっと輝く。
「まあ、本当? さっそく読みましょう。エマ、お茶をお願いできるかしら」
「はい、ただいま」
冬は雪が深く、近隣の領地であっても気軽に訪ねることは難しい。
そんな閉ざされた季節に、友人たちと手紙で言葉を交わす時間は、リディアにとって何よりの楽しみだった。
リディアはゆったりとしたソファに深く腰を下ろし、まずはカレンからの手紙を手に取った。
封を切り、丁寧に折られた便箋を広げる。
手紙には、お母様と一緒にアップルパイを焼いたこと。
最近は甘い恋愛小説に夢中になっていること。
そして、夜な夜な時間をかけて、刺繍の大作に挑んでいることなどが、彼女らしい華やかな筆致で綴られていた。
(アップルパイ、とても美味しそうね。カレン様の作った刺繍が完成したら、ぜひ見せていただきたいわ)
想像を膨らませ、リディアの唇が自然と綻ぶ。
楽しそうに手紙を読み進める主人の様子を見て、お茶を淹れていたエマも心が和む様子で微笑んだ。
次に手に取ったのは、トビアスからの手紙だ。
そこには、最近彼がお気に入りだというハーブティーの話。
そして、領地周辺に現れた魔物狩りに同行した際の武勇伝が記されていた。
(エルヴィン領でも、特産品としてハーブティーを研究してみてもいいかもしれないわね。……それにしても、どの領地も魔物の対処には苦労しているのね。お父様にお願いしたら、私も魔物狩りに連れて行ってもらえるかしら?)
トビアスの勇ましい報告に、リディアは感心しながらも、自身の領地経営や自己鍛錬に思いを馳せる。
好奇心を刺激される内容に、読み終えるのが惜しいほどだった。
最後に、リディアはルーカスから届いた手紙を手に取った。
冬になれば、雪のせいで王宮へ足を運ぶのも難しくなる。
そう伝えたとき、人懐っこいルーカスは今にも泣き出しそうな顔をした。
その顔があまりに寂しそうで、リディアは思わず手紙のやり取りを提案したのだ。
以来、二人は季節の便りを交わすようになっていた。
封を切ると、便箋と一緒に、何かがひらりと滑り落ちた。
「これは……?」
それは、手作りのしおりだった。
丁寧に押し花が挟み込まれており、可憐な白い小花が、紙の上でひっそりと咲いている。
(まあ、なんて素敵なしおり……。季節をそのまま閉じ込めたみたいだわ)
指先でそっと触れると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
(私からも、何かお返しを作って贈らなくては)
心のこもった贈り物に、リディアの口元は自然とほころんだ。
改めてルーカスの文面に目を落せば、そこには兄であるクラウスや、セドリックとの日常が賑やかに綴られていた。
(ルーカス様は、本当にクラウス様とセドリック様がお好きなのね。読んでいるだけで仲睦まじい様子が伝わってくるわ)
友人たちの近況に触れ、冷え切った冬の朝であることを忘れてしまうほど、リディアの心は温かな幸福感で満たされていた。
溢れる思いをそのままに、リディアは机に向かった。
ペンを走らせる手は止まらず、気づけば用意した封筒はどれもずっしりと重くなっている。
書き終えた返信をまとめ、リディアはエマに預けた。
「ふふ、ちょっと書きすぎたかしら」
「これは読み応えがありそうですね! お届けはフクロウ便でよろしいですか? それとも、風切鳥を使われますか?」
エマが茶目っ気たっぷりに笑って尋ねる。
「風切鳥」はいわば速達だ。
(本当は、今すぐにでも届けて、またすぐにお返事が欲しいけれど……)
さすがに、近況報告だけの気軽な手紙に速達を使うのは、いかにも待ちきれないようで気恥ずかしい。
リディアは内心の葛藤を隠すように、努めて冷静な声で答えた。
「……フクロウ便で大丈夫よ」
エマを見送ったあと、リディアは小さく息を吐いた。
(ふう、さて。次は本でも読もうかしら)
視線を向けた先には、部屋の一角を占領する大きな本棚がある。
棚には本がぎっしりと詰め込まれ、収まりきらなかった分は棚の上にまで積み上げられていた。
これらはすべて、父であるアルヴィスが贈ってくれたものだ。
リディアが本を読み始めてからというもの、彼は娘の成長を喜ぶように、次々と新しい本を買い与えてくれた。
美しい装丁の詩集や最新の小説、あるいは歴史書や専門書。
リディアが知的好奇心を示すたびに、父の熱意は加速していった。
「リディア、新しい本が届いたぞ。……ふふ、やはりエルヴィン家の娘は勉強熱心だな。次は大陸全土の古文書を揃えようか。リディアのためなら、王立図書館を買い取ってもいいくらいだ」
そんな父・アルヴィスの過剰な期待を苦笑いで受け流しながらも、リディアは届いたばかりの『ドワーフの鉱物植物学』を受け取り、ページを開いた。
最近のリディアのブームは、こうして他種族の視点で書かれた文献を読み比べることだ。
特に植物や動物、魔物に対する評価の違いが面白い。
例えば、ある一種のハーブについても。
人族の書では「薬効の高い貴重な草」とされ、
ある種族の伝承では「単なる食用」と一蹴され、
また別の種族の記録では「猛毒」と忌み嫌われていることがある。
(種族によって体質が違うのか、それとも知識の深度が違うのか……。結局のところは分からないけれど、これほど評価が分かれるなんて興味深いわ)
知的好奇心が静かに燃え上がる。
種族ごとの研究を照らし合わせ、共通点や相違点を探る作業は、パズルを解くような楽しさがあった。
(それぞれの知識を統合すれば、まだ誰も知らない真実が見つかるかもしれないわね)
読み進めていくうちに、リディアは一つの奇妙な記述に目を留めた。
人族の薬草学では、触れるだけで肌を灼き、口にすれば死に至る『猛毒』とされている「紫の苔」。
それがドワーフの文献では、あろうことか『胃薬』として重宝されているというのだ。
(人族での猛毒が、ドワーフには胃薬になるなんて不思議ね。もしかして、毒とされる成分が特定の条件下では別の作用を引き起こすのかしら……?)
窓の外では雪が降り積もり、世界を白く閉ざしていく。
けれど、温かな部屋の中で本を広げるリディアの冬は、知られざる発見と驚きに満ち溢れていた。




