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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ
第1章 公爵令嬢再生編

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第14話 秋風のエルヴィン領


 王都では、まだ夏の気配が残っている頃。

 けれど北のエルヴィン領には、ひと足早く秋の気配が訪れていた。


 朝の空気はひんやりとして、頬を撫でる風にはかすかな冷たさがある。屋敷の庭木は、まだ紅葉と呼ぶには早いものの、枝先にほんの少しだけ赤や黄を滲ませていた。


 リディアは屋敷の玄関前に立ち、遠くの道へ視線を向けていた。


 今日、クラウス、ルーカス、セドリック、トビアス、そしてカレンがエルヴィン領を訪れる。


 名目は、エルヴィン領で見つかったミスリルに関する調査状況の見学と、新たな特産品として検討している晶蜂蜜の紹介。さらに、ちょうど準備が始まっていた恵神祭の様子を見てもらうための、短い視察である。


 リディアは薄い灰青色のドレスに、銀糸で葉模様を刺繍した短いケープを羽織っていた。王都で着る外出着よりも生地に少し重みがあり、北の秋の風にも合う装いだった。


「リディア、友人たちを迎えるのが楽しみで仕方ない、という顔をしているね」


 隣に立つ父アルヴィスが、楽しげに目を細める。

 リディアは少し恥ずかしそうに頷いた。


「ええ、とても楽しみです。けれど、少し緊張もしています」


「あまり完璧に案内しようと背負いすぎるなよ。案内する側が緊張しすぎると、お越しになった方々もくつろげないものだから」


 その言葉に、リディアははっとして深呼吸をし、心を落ち着かせる。


 玄関前には母エレノアと兄アレクシスも並んでいる。

 二人とも、領地で賓客を迎えるため、いつもより改まった装いをしていた。


 やがて、門の向こうに馬車と王家の紋章を控えめに掲げた護衛騎士の姿が見えた。


 リディアの背筋が自然と伸びる。


 馬車はゆっくりと屋敷の前に停まり、扉が開かれた。


 最初に降りてきたのはセドリックだった。周囲へ素早く視線を走らせ、安全を確かめるように一歩脇へ控える。


 黒髪をきちんと整えたセドリックは、装飾の少ない濃灰色の外套を身につけている。鍛えられた体つきと隙のない立ち姿のせいか、年齢以上に落ち着いて見えた。


 カレンは赤みのある茶色の髪を揺らしながら、軽やかに馬車を降りた。


 背筋はすっと伸び、無駄のない身のこなしには、日頃から剣を学ぶ者らしいしなやかさがあった。装飾を排した、動きやすさを重視した仕立てのトラベルドレスは、彼女の凛とした雰囲気によく似合っていた。


 その後にトビアスが降りてきた。淡い亜麻色の癖っ毛を寝癖のように跳ねさせ、濃紺の外套を羽織っていた。その内側には手帳や紙片を忍ばせているらしく、歩くたびにかすかに紙の擦れる音がした。


「エルヴィン領……思っていたより空気が澄んでいるね」


 トビアスは空を見上げ、満足そうに呟いた。


 続いて、ルーカスが降りてきた。

 少し厚手のクリーム色の上着に身を包んだ彼の金髪を、秋風が軽く撫でた。


「わあ……本当に涼しいですね」


「ルーカス様、はしゃぎすぎないようにしてください」


 セドリックが、静かに注意した。


 最後に降りてきたクラウスは、金色の髪が秋の光を受けて淡く輝き、澄んだ青い瞳が屋敷へ静かに向けられる。深紺の上着に軽い外套を合わせた姿は、王子らしい品格を保ちつつも、視察にふさわしい落ち着きがあった。


 リディアは一歩前へ出て、丁寧にカーテシーを捧げる。


「皆様、ようこそエルヴィン領へ。本日は遠いところをお越しいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ、招いてくれてありがとう」


 クラウスが穏やかに微笑む。


「王都とは、ずいぶん空気が違いますね」


「ええ。北の領地では、秋が少し早く訪れますの。朝夕はもう肌寒くなってまいりました」


「寒いけど、気持ちいいです」


 ルーカスが嬉しそうに言う。


 その素直な反応に、リディアは自然と笑みを浮かべた。


 アルヴィスがクラウスたちへ向き直る。


「皆様、本日はお越しいただき光栄です。まだ調査段階のものもございますが、我が領の取り組みをご覧いただければ幸いです」


「こちらこそ、貴重な機会をいただき感謝いたします」


 クラウスが丁寧に礼を返す。


 隣でエレノアが、にこやかに微笑んだ。


「長旅でお疲れでしょう。まずは中で温かいお茶を召し上がってくださいませ」


「ありがとうございます!」


 ルーカスがぱっと顔を明るくする。


 その愛らしい返事に、エレノアの表情がほころんだ。


「あらまあ。可愛らしいこと」


「母上、王子殿下です」


 アレクシスが小声で突っ込むと、エレノアは「あら、ごめんなさい。私ってば」と口元に手を添えた。


「大丈夫です。僕、可愛いとよく言われるんですよ」


 ルーカスはまんざらでもなさそうに、にこにこと笑った。


 クラウスは弟の愛嬌ある振る舞いを優しい目で見守っていたが、セドリックは苦笑していた。


 屋敷へ案内されると、サロンには厚手の絨毯が敷かれ、窓辺には秋草が飾られていた。


 テーブルには温かい紅茶と焼き菓子が用意されている。


 その焼き菓子の表面には、淡い琥珀色の蜜が薄く塗られていた。


「こちらが、晶蜂蜜を使った焼き菓子です」


 アルヴィスが説明する。


「晶蜂蜜。先日献上していただいた蜂蜜ですよね。あれ、とても美味しかったです!」


 ルーカスが嬉しそうにはしゃぐ。


「クリスタルスティングの蜜と聞きましたが……魔物ですよね?」


 セドリックの表情がわずかに引き締まる。


「はい。毒針を持つ危険な魔物です。ですから管理と採取は、騎士団と専門の者が必ず付き添う形で行っています」


 アルヴィスが丁寧に答える。


「保存性が高く、魔力疲労の回復補助にも使える可能性があると見ています。まだ試験段階ですが、いずれは領の特産品に育てたいと考えています」


「いただいてもよろしいですか?」


 ルーカスが期待に満ちた目で尋ねる。


「もちろんですわ」


 リディアが微笑むと、ルーカスは小さな焼き菓子を手に取り、そっと口に運んだ。


 次の瞬間、その瞳がぱっと輝く。


「おいしい……!」


 素直な声がサロンに響いた。


「普通の蜂蜜より、甘さが軽い気がします。香りもふわっと広がって……それに、食べたあと少し身体がぽかぽかします」


「まあ、そこまで分かってくださるのですか?」


 リディアは思わず身を乗り出した。


 ルーカスは嬉しそうに頷く。


「はい! 王宮のお菓子に使ったら、きっと人気が出ます」


「ルーカス殿下は、甘いものがお好きなんですね」


 エレノアはルーカスに微笑む。


「ええ、甘いもの大好きです」


 ルーカスの屈託のない笑顔に、エレノアはすっかり心を持っていかれていた。


 クラウスも焼き菓子を口にし、少し考えるように目を伏せる。


「素晴らしい味ですね。香りに特徴がある。貴族向けの菓子としても人気が出そうです」


 カレンも焼き菓子を一口食べ、静かに微笑んだ。


「危険な魔物から、こんな優しい味のものが採れるなんて不思議ですね」


 トビアスはというと、焼き菓子を味わいながら、すでに手帳に何かを書き込んでいた。


「なるほど……この蜜の効能は花の種類だけでなく、巣材や周辺の鉱物からも影響を受けている可能性がありますね」


 トビアスの呟きに、アルヴィスが目を輝かせた。


「トビアス様、その見解は興味深いですね。後ほど詳しく聞かせていただけますか?」


「もちろんです!公爵閣下のご意見も、ぜひお聞きしたいですね」


 トビアスは嬉しそうに早口になる。


 アレクシスがぼそりと呟く。


「父上、また研究仲間を見つけた顔をしている……」


「いいじゃないか、アレクシス。知的好奇心は尊いものだ」


「はいはい」


 家族のやり取りに、友人たちも穏やかに笑っていた。

 

 茶会の後、一行は屋敷の一角にある資料室へ案内された。


 そこには、エルヴィン領で見つかったミスリルの原石や、簡単な精錬を施した小片、採掘場所を記した資料が並べられていた。


「こちらが、今回見つかった原石の一部です」


 アルヴィスが布を外すと、小さな鉱石が姿を現した。


 銀に似ているが、ただの銀ではない。


 表面には淡い青白さがあり、光を受けると内側からかすかに輝くように見えた。


「ミスリルの原石を見るのは初めてですが、とても美しいですね」


 トビアスが呟く。


 カレンも興味深そうに顔を近づけた。


「思っていたより、硬そうですね」


「ええ。見た目よりずっと軽く、魔力もよく通します。ただ、扱いは非常に難しいのです」


 アルヴィスが説明する。


「今はまだ、どの程度の量が採れるのか、品質が安定しているのかを確認している段階です。産業化などと言えるのは、まだ先の話でしょう」


 リディアは頷き、友人たちを見る。


「まだ夢のような話ですけれど、いつか領内の職人が、ミスリルで品を作れるようになればと思っています」


「夢で終わらせないために、今調べているのでしょう?」


 クラウスの言葉に、リディアは少しだけ目を見開いた。


「……はい。まだ十分とは言えませんが、少しずつ分かることも増えてきました。トビアス様にも、ずいぶん助けていただいています」


「僕はただ、好きなことを話しているだけだよ」と、トビアスは珍しく照れくさそうに頬をかいた。


 セドリックは、原石よりも採掘場所を記した資料に目を向けていた。


「採掘場所の管理は厳重にすべきですね。噂が広がれば、不審者が入り込む可能性があります」


「さすが、王家の守りを担うヴァルデック家のご子息ですね。採掘場所については、すでに領兵を増やして警戒に当たらせています」


 アルヴィスが感心したように答える。


 カレンは、原石のそばに置かれた小さな金具に目を留めていた。


「これは、試作品ですか?」


「はい。領内の職人が、試しに磨いて留め具の形にしたものです。まだ装飾品と呼べるほどではありませんが、軽くて丈夫だそうです」


 リディアが答えると、カレンはそっと手に取り、重さを確かめた。


「本当に軽いですね。もし防具の留め具に使えたら、動きやすくなりそうです」


「カレン様らしい見方ですわ」


「すみません。つい、武具の方へ考えてしまって」


「いいえ。とても参考になります」


 リディアは素直にそう言った。


「私は装飾品や魔道具への利用を考えていましたが、騎士団で使う道具にも向いているかもしれませんね」


 その言葉に、クラウスが静かに微笑んだ。


「リディア嬢は、本当に領地のことをよく考えているのですね」


「……今の私にできることを探している最中です。まだ、何もかも手探りですけれど」


 クラウスは、その言葉を静かに受け止めるように頷いた。


 資料室を出る頃には、午後の光が少しずつ淡い金を帯び始めていた。


 

 次に向かったのは、屋敷から少し離れた街の広場だった。

 恵神祭の準備も視察の予定に入っていたが、ルーカスが特に楽しみにしていた場所でもある。


 広場では、麦穂を束ねる者や木の実を紐に通す子どもたち、紅葉し始めた枝を籠に集める娘たちが行き交っていた。


 店先には厚手の布がかけられ、焼き菓子の甘い匂いが冷たい風に乗って流れていた。


「王都の恵神祭とは、ずいぶん雰囲気が違いますね」

 

 クラウスが、飾りつけの進む広場を見渡しながら言った。


「王都は華やかですものね。こちらは、冬支度の意味合いも強いのです」


 リディアは広場を見つめる。


「収穫物を飾り、森や山の恵みに感謝して、冬を迎える準備をする。北の冬は長いですから、秋のうちに皆で支え合う気持ちを確かめる。そういう意味もあるのだそうです」


「支え合う気持ちを確かめる、か……」


 ルーカスがぽつりと呟いた。


「なんだか、温かいですね」


 ルーカスの言葉にリディアは微笑んだ。


 広場の端では、領騎士団の若者たちが木剣を使って稽古をしていた。祭で行われる奉納試合に向けた準備らしい。


 カレンの瞳が、すっとそちらへ向く。

 それに気づいたリディアは、小さく微笑んだ。


「見に行きましょうか」


「ええ、よろしいのですか?」


 二人で近づくと、騎士たちは慌てて姿勢を正した。


「お嬢様!」


「邪魔をしてごめんなさい。そのまま続けてください。こちらのカレン様が、少し見学なさりたいそうなの」


 カレンが丁寧に礼を取る。


「カレン・エーデルと申します。お邪魔でなければ、稽古を拝見してもよろしいでしょうか」


 凛とした声に、騎士たちの表情が引き締まる。


 その中の一人が、木剣を構え直した。


 短い打ち合いが始まる。


 剣と剣がぶつかる乾いた音が、秋風の中に響いた。


 カレンは真剣な表情で見つめている。リディアには細かな技術までは分からないが、彼女の横顔がとても楽しそうなのは分かった。


「カレン様は、本当に剣がお好きなのですね」


「剣を振るっていると、自分の未熟さも、昨日より少しだけ前へ進めたことも分かるのです」


「……素敵ですわ」


 リディアは素直に言った。


 カレンは少し驚いたように目を瞬き、それから照れたように笑う。

 

「リディア様こそ、領地への思いがとても伝わってきて素敵でしたわ」


 その一言に、リディアは少し照れくさくなった。


「そう見えているなら、嬉しいです」


 リディアは広場へ視線を戻した。


 遠くで、ルーカスが屋台準備中の菓子を見つめている。セドリックが何か注意しているが、結局、店主に試作品を一つ渡されていた。


 クラウスは広場全体を見ながら、領民たちの動きや祭の準備を静かに観察している。


 トビアスは、祭の飾りに使われている古い神紋を見つけたらしく、子どもたちに混じって飾り紐を覗き込んでいた。


 それぞれが、この場所を見ている。


「リディア様」


 振り返ると、クラウスが近くまで来ていた。

 彼は広場を見渡してから、静かに微笑む。


「今日は、招いてくれてありがとう」


「まだ視察の途中ですのに」


「それでも、先に伝えておきたくて」


 クラウスは広場へ視線を向ける。


「今日ここに来て、あなたがこの領地をどう見ているのか、少し分かった気がします」


 その言葉に、リディアの胸の奥が静かに温かくなった。


「……私も、まだ分かり始めたばかりです」


 リディアは静かに答えた。


「けれど、この領地を大切にしたいと思っています」


「ええ。少なくとも、私にはそう見えました」


 秋風が、広場を吹き抜ける。


 麦穂の飾りが揺れ、木の実を通した紐が小さく音を立てた。


 王都には、まだ夏の名残があるという。

 けれどエルヴィン領では、もう秋が静かに根づき始めていた。


 冷たい風の中に、焼き菓子の甘い匂いと、祭を待つ人々の声が混じっている。


 リディアはその景色を、ゆっくりと胸に刻んだ。


 友人たちを領地に迎えたこの日を、きっと忘れないだろうと思いながら。


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