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元・傲慢令嬢は二度目の人生で平穏に暮らしたい! 〜地味な加護だと思っていたら、神の権限を解読できる力でした〜  作者: 星きあさ


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第13話 ミスリル文献と秋の計画


 夏の盛りは過ぎたものの、まだまだ暑い日が続いていた。


 日差しは少しずつ柔らかくなり始めている。けれど風はどこかぬるく、秋と呼ぶにはまだ早い。


 リディアは淡い水色の外出用ドレスに、透けるように薄い白のショールを合わせていた。袖口には銀糸で小さな葉模様が刺されているが、生地は軽く、まだ夏の名残を感じさせる装いだった。


 今日は王宮へ向かう前に、国立図書館へ立ち寄っている。


 探しているのは、ミスリル加工に関する文献だった。


(発掘されたミスリルを、ただ売るだけではもったいないわ)


 領内で加工の技術を育てることができれば、職人たちの仕事になる。商人が動き、工房が増え、領地に新しい流れが生まれるかもしれない。


(ミスリルは魔力を通しやすいと聞くけれど、加工法によって用途も変わるはず。装飾品、魔道具の部品……。何が現実的なのか、きちんと調べなくては)


 リディアは高い本棚を見上げた。


 国立図書館の奥まった一角には、鉱物や魔法素材に関する文献が並んでいる。中には古い種族文字で書かれたものもあり、普通の者なら題名を読むだけでも苦労するような棚だった。


 リディアは背表紙を一冊ずつ目で追っていく。


「……『銀鉱石と魔力伝導の比較』。違うわね。『ドワーフ式精錬炉の構造』……これは少し関係ありそう」


 指先で本の背をなぞり、慎重に抜き取る。


 ずしりと重い本だった。


 机へ運び、ページを開くと、見慣れない文字がびっしりと並んでいる。けれどリディアの目には、その意味が自然と流れ込んできた。


(ドワーフ語……職人の記録らしいわね)


 そこには、魔力を帯びた金属の扱い方について細かく記されていた。


 ただし、専門用語が多い。意味は分かっても、実際の工程までは簡単に理解できない。


(翻訳できることと、技術を理解できることは別なのよね)


 小さく息を吐き、持参した手帳に気になる語句を書き留めていく。


 魔力伝導率。

 低温精錬。

 細線加工。

 魔術式刻印。


 その単語を並べているだけで、胸の奥が少し高鳴った。


 知らないことを知るのは楽しい。

 そんな気持ちが、リディアの中で芽生えていた。


「ミスリル加工の文献?」


 背後から聞こえた声に、リディアは振り返った。


 そこに立っていたのは、淡い亜麻色の髪を少しだけ乱した少年だった。片手には分厚い本を抱え、もう片方の手には栞代わりなのか、細い紙片を何枚も挟んでいる。


「トビアス様」


「また面白そうなものを読んでいるね、白銀のバラ」


「その呼び方は、まだ少し慣れませんわ……」


 リディアが困ったように笑うと、トビアスは悪びれもせずに首を傾げた。


「似合っていると思うけれど」


「そういう問題ではありません」


「そうかな。では、今はリディア嬢と呼ぼう」


「ぜひ、そうしてください」


 真面目に頷くと、トビアスは楽しげに笑った。


 彼は机の上に広げられた本へ視線を落とす。


「エルヴィン領でミスリルが見つかったという話は聞いているよ」


「さすが、お耳が早いのですね」


「アイゼン家は、法と秩序を重んじる家だからね。鉱山や資源の管理に関する話は、自然と耳に入る」


 トビアスはそう言いながら、向かいの椅子に当然のように腰を下ろした。


「加工を始めるの?」


「いいえ。まだ、そこまで進んだ話ではありません。今は情報を集めている段階ですわ」


 リディアは首を振った。


「どのような加工法があるのか、どれほどの設備や職人が必要なのか。それを知らなければ、判断できませんもの」


「なるほど。売るだけではなく、扱い方から考えるわけだ」


「……おかしいでしょうか?」


「いいや。面白いと思う」


 トビアスの瞳が、ふっと輝いた。


「鉱石そのものより、それをどう使うかを考えるほうがずっと面白い。掘り出しただけなら、ただの資源だ。けれど技術が加われば、領地の力になる」


「……私も、そう思います」


 リディアは小さく答えた。


「ミスリルが本当に安定して採れるかどうかは、まだ分かりません。けれど、もし領内で扱えるようになれば、職人を育てることができます。エルヴィン領の名で品を作れたら……素敵だと思うのです」


 言いながら、少しだけ恥ずかしくなった。


 まだ何も決まっていない。夢のような話だ。


 けれどトビアスは笑わなかった。むしろ、真剣な顔で頷いている。


「良い考えだと思うよ。ただ、ミスリルは扱いが難しいと聞くね。精錬温度、魔力の通し方、加工する職人の技量。どれか一つでもずれると、ただの高価な塊になるとか」


「やはり、簡単ではありませんわね」


「ミスリルを扱える職人も少ないと言うしね」


 トビアスはそう言って、本棚の方を指さした。


「ドワーフ系の文献だけではなく、魔道具師の記録も見たほうがいい。ミスリルそのものを鍛えるというより、細く伸ばして魔術式に組み込む用途もある」


「細く伸ばす……」


「魔道具の回路や、魔術式を刻む針。魔力測定器の部品にも使えるかもしれない。装飾品にするなら、魔力に反応して淡く光る性質を活かせるね」


 すらすらと出てくる言葉に、リディアは慌てて手帳へ書き留めた。


「トビアス様、お詳しいのですね」


「本で読んだだけだよ」


「それを詳しいと言うのでは?」


「そうかな」


 トビアスは涼しい顔で言い、手元の本を一冊差し出した。


「これも参考になると思う。魔道具工房の失敗記録だ」


「失敗記録、ですか?」


「成功例より役に立つこともある。何をしてはいけないかが分かるから」


 確かに、とリディアは頷いた。


 受け取った本を開くと、図入りでびっしりと記録が残されている。魔道具師がミスリルを使った部品を作ろうとして、何度も失敗した経緯らしい。


(これは……お父様にも見せたいわ)


 思っていた以上に、得るものが多い。


 リディアは夢中で数ページを読み進めたが、ふと我に返った。


「いけない。そろそろ王宮へ向かわなくては」


「王宮?」


 トビアスが顔を上げる。


「ええ。今日はクラウス様たちとお茶をご一緒する約束があるのです」


「なるほど」


 トビアスは一拍置いて、穏やかに微笑んだ。


「では、僕も行こう」


「……はい?」


 あまりにも自然に告げられ、リディアは聞き返した。


「王宮へ行くのでしょう?」


「ええ。ですが、トビアス様はお約束されていないのでは?」


「していないね」


「では、どうして当然のように同行なさるのですか」


「今、同行する理由ができたから」


 トビアスは、机の上の文献を軽く叩いた。


「ミスリル加工。エルヴィン領の新しい産業の可能性。さらに、君が王宮でその話をする予定なら、僕も聞いておきたい」


「いえ、まだ王宮で詳しく話すかどうかは……」


「話したほうがいい」


 トビアスはきっぱりと言った。


「王族が関心を持てば、余計な横槍を防ぎやすくなる。逆に、知らないところでミスリルの話だけが広がれば、変な者が寄ってくるかもしれない。詳細を話しすぎる必要はないけれど、エルヴィン家が慎重に動いていると示すことには意味がある」


 その言葉に、リディアは黙った。


 確かに、珍しい鉱石が採れたとなれば、興味を持つ者は多いだろう。善意だけとは限らない。


「……それは、そうかもしれません」


「でしょう?」


 トビアスは満足げに頷き、抱えていた本をまとめ始めた。


「では行こう」


「いきなり王宮に行っても入れてもらえるかは分かりませんよ」


「君の連れと言えば大丈夫さ。まあ、行ってみれば分かる」


「まったく……」


 思わずため息をつく。


 けれど、トビアスの言っていること自体は間違っていない。

 それに、ミスリルの件について彼の知識は役に立ちそうだった。


「……王宮に入れたとしても、同席できるかは、クラウス様たちのご判断次第ですわ」


「もちろん。断られたら、廊下で本を読んで待つよ」


「本当に待ちそうだから困ります」


 リディアは小さく笑い、手帳と借りる予定の文献をまとめた。


 図書館を出る頃には、王都の空が少しだけ傾き始めていた。


 まだ夏の熱を残した風が、薄いショールを揺らす。

 その隣を、トビアスが当然のように歩いている。


(……どうしてこうなったのかしら)


 そう思いながらも、不思議と嫌ではなかった。


 王宮へ着くと案の定トビアスは警備隊に止められたが、アイゼン家の子息でリディアの連れだと話すと警備隊は恐縮して頭を下げた。

 

 トビアスが「急に伺うことになりましたので、事前のご連絡が行き届いていなかったかもしれませんね」といい加減なことをいってる隣でリディアは苦笑いしていた。


 案内されたのは庭園に面した小さなサロンだった。


 白い柱に囲まれた半屋外の空間には、涼を取るための薄い布が掛けられている。庭の噴水が陽光を受け、きらきらと細かな光を散らしていた。


 テーブルには冷たい果実水と、軽い焼き菓子が用意されている。


 先にいたクラウス、ルーカス、セドリックの三人が、リディアの姿に気づいて顔を上げた。


「リディア嬢。今日は来てくれてありがとう」


 クラウスが穏やかに微笑む。


 だが、その視線はすぐにリディアの隣へ移った。


「……トビアス卿?」


「こんにちは、クラウス殿下」


 トビアスは何事もなかったかのように礼を取った。


「国立図書館でリディア嬢と会ったので、同行しました」


「同行しました、ではありませんよ」


 すかさずセドリックが眉を寄せる。


「招待もなく来るなよ。空気を読め」


「君は本当に常識を大切にするね」


「お前が大切にしなさすぎる」


 二人のやり取りに、ルーカスがくすくすと笑った。


「兄上、僕はいいと思います。トビアス卿がいると、話が面白くなりそうです」


「ルーカスがそう言うなら、私も構わないよ」


 クラウスは苦笑しながら頷いた。


「リディア嬢も、それでよろしいですか?」


「私は……皆様がよろしければ」


 リディアがそう答えると、トビアスは当然のように席についた。


 セドリックは納得していない顔だったが、王子たちが許可した以上、それ以上は言わなかった。


 リディアも席に着き、冷たい果実水を一口飲む。


 甘酸っぱい香りが、まだ暑さの残る身体に心地よかった。


「それで、図書館では何を調べていたのですか?」


 クラウスが尋ねる。


 リディアは少しだけ姿勢を正した。


「エルヴィン領で見つかったミスリルについて、加工に関する文献を調べておりました」


「すでに加工を始めるのですか?」


「いいえ。まだ、そのような段階ではありませんわ」


 リディアは首を振った。


「今は、ミスリルはどのような使い方があるのか、どれほどの設備や技術が必要なのかを調べているところです」


「なるほど」


「もし領内で加工まで担えるようになれば、鉱石を売るだけではなく、職人を育てることができます。いつか、エルヴィン領の名で品を出せるようにできればと……」


 口にしてから、少し照れくさくなる。


 けれどクラウスは笑わなかった。


「良い考えだと思います」


 静かな声だった。


「資源は掘ればいつか尽きる。けれど、技術は人に残る。領地を治める者として、とても大切な視点だ」


 その言葉に、リディアの胸が小さく跳ねた。


 褒められたからではない。ただ、自分の言葉がちゃんと届いた、そんな気がした。


「……ありがとうございます」


「兄上、ミスリルって、光る金属ですよね?」


 ルーカスが身を乗り出す。


「魔法を通すと、青白く光ると聞いたことがあります。エルヴィン領では、それが採れるのですか?」


「今は採掘準備をしている、という段階ですわ」


 リディアは微笑んだ。


「見てみたいです!」


 ルーカスの瞳が輝く。


「鉱石にご興味がおありなのですか?」


「鉱石も見たいですけれど、エルヴィン領にも行ってみたいです。北の領地は、王都より早く秋が来るのでしょう?」


「ええ。夏の終わりでも、朝夕は少し肌寒くなりますわ」


「いいなあ……」


 ルーカスがほうっと息を吐く。


 その様子に、リディアは思わず笑った。


「ちょうど、恵神祭の準備も始まる頃です。王都の祭とは少し違って、領地では収穫物や森の恵みに感謝を捧げますの」


「恵神祭の準備……お菓子もありますか?」


「もちろん。蜂蜜を使った焼き菓子や、木の実の菓子がよく作られますわ」


「蜂蜜!」


 反応したルーカスに、セドリックが小さく息をつく。


「ルーカス様、食べ物にばかり反応なさらないでください」


「だって、気になるじゃないか」


 ルーカスは少しだけ頬を膨らませた。


 その様子が可愛らしくて、リディアはくすりと笑う。


「そういえば、先日エルヴィン公爵から珍しい蜂蜜を献上していただいたのですが……あれも、領地の特産品なのですか?」


「はい、クリスタルスティングの蜜です」


 その名前を出した瞬間、セドリックの表情が鋭くなった。


「エルヴィン領に希少な蜂蜜があると聞いてはいたが、まさかクリスタルスティング……魔物の蜜なんですか」


「ええ。小型ですが、毒針を持つ危険な魔物ですわ」


 皆の驚いた様子に、リディアは慌てて付け加える。


「古い文献に、クリスタルスティングの蜜が滋養に富むと記されていたのです。領の薬師に頼んで安全性を確かめてもらったところ、優れた効能も確認できましたの」


「我々も少しいただいたのですが、とても香りが華やかで美味しかった」


 クラウスが蜂蜜の味を思い出したのか少し顔が綻ぶ。


「あれ、魔物の蜂蜜だったんだ!軽やかな甘みで、僕いくらでも食べられそうだったよ。また食べたいなあ」


 ルーカスもウキウキした様子で話す。


 セドリックは「魔物を利用する試みは面白いな」と呟く。


「エルヴィン領は色々と興味深いな」


 クラウスは北のエルヴィン領を頭に描きながら頷いた。


「王族が視察する場合は、護衛計画をかなり厳密に組む必要がありますね」


 セドリックがすぐに言う。


「……視察?」


 リディアが瞬くと、クラウスが小さく笑った。


「ここまで聞いてしまうと、実際に見てみたくなります」


「クラウス様まで……」


「エルヴィン領の新しい産業候補に、恵神祭の準備。さらにミスリルの調査。王族としても、学ぶことは多そうです」


 クラウスは穏やかにそう言った。

 しかし、その瞳には確かな興味が宿っている。


「もちろん、迷惑でなければですが」


「迷惑だなんて、そのようなことは……」


 リディアは戸惑いながらも、心の奥が少し温かくなるのを感じた。


 自分の領地に興味を持ってもらえる。

 それが、思ったより嬉しかった。


「お父様に相談してみますわ。正式にお招きできるかどうかは、王家とエルヴィン家で確認が必要になると思います」


「当然です」


 セドリックが即座に頷いた。


「日程、移動経路、護衛、滞在先、視察範囲。すべて事前に確認が必要です」


「セドリックは本当に頼りになるね」


 ルーカスが感心したように言う。


「……なるほど、エルヴィン領への視察ですか」

 

 トビアスが紅茶を一口飲み、ごく自然な口調で続けた。

 

「では、僕も行くよ」


 全員の視線が彼に向く。


「トビアス卿」


 セドリックが低い声を出した。


「なぜお前まで当然のように来ようとするんだ」


「ミスリル加工の文献を一緒に調べていたからね。それに、アイゼン家としても資源管理や加工産業には関心がある」

 

「急に家を背負うな」

 

「では、純粋な知的好奇心ということで」


「なお悪い」


 ルーカスが堪えきれずに笑った。


 クラウスも苦笑している。


 リディアは額に手を当てたくなったが、トビアスが来れば、ミスリルの話は確かに進みそうだった。


「……トビアス様も、まずはアイゼン公爵家にご確認くださいませ」


「分かった。父に話しておくよ」


あまりにも軽い返事に、リディアは少し不安になる。

 

「……今回は本当にご確認してくださいね?」


「大丈夫。ちゃんと確認するさ」


 大げさなほど大きくトビアスが頷く。


 (何も問題が起こらなければいいけど)


 そのとき、ふとカレンの顔が思い浮かんだ。


 恵神祭の準備期間には、領騎士団による奉納試合の稽古も行われる。剣を得意とするカレンなら、きっと興味を持つだろう。


「あの……カレン様もお誘いしてよろしいでしょうか?」


「カレン・エーデル嬢ですか?」


 クラウスが尋ねる。


「はい。エルヴィン領では、恵神祭の前に騎士団の奉納試合の準備も行われます。カレン様なら、そういったものにも興味を持ってくださるかと思いまして」


「いいと思います」


 クラウスはすぐに頷いた。


「同年代の令嬢が一人いたほうが、リディア嬢も心強いでしょう」


「ありがとうございます」


 リディアはほっと微笑んだ。


 こうして話していると、胸の中に少しずつ予定が形作られていく。


 自分の大切な場所を、友人たちに見てもらえるかもしれない。


 そう思うと、胸の奥がそっと弾んだ。


「楽しみにしています。エルヴィン領の秋」

 

 ルーカスが嬉しそうに微笑む。


「まだ決まったわけではありませんよ、ルーカス様」


 セドリックが釘を刺す。


「分かっているけど、楽しみなのは止められないよ」


「僕も楽しみだ」


 トビアスが頷く。


「ミスリル、魔物の蜜、祭礼準備。そして、北のエルヴィン領。これだけ揃っていて楽しくないはずがない」


「あくまで王家の視察だ。勝手な行動はするなよ」


 セドリックが冷静に言う。


「それはどうかな」


 トビアスがリディアにだけ聞こえるように小さく呟いた。


 思わずリディアは口元を押さえた。


 サロンの外では、夏の名残を含んだ風が庭木を揺らしている。


 けれど、吹き抜けた風の端に、リディアはほんの少しだけ秋の気配を感じた。


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