24 私は悪い子なのだから
ことり、と机の上に猫の人形を置く。別れの挨拶は終わった。あとは、終わらせに行くだけ。
誰もこんなこと許してはくれないだろう。誰もこんなこと認めてはくれないだろう。でも、私にはもうこれしか道が残されていなかった。
ああ、だから、こんな私をどうか、許さないでほしい。認めないでほしい。
だってもう、私は悪い子なのだから。
まだ秋になったばかりだというのに今夜はまた一段と寒い。夜空の星は綺麗だけれど、暗闇に目が慣れるころにはだいぶと体が冷えてしまっていた。もう少し着込んでくればよかったかな。まあいいや。どうせすぐに暖かいところに行くんだから。それまでの我慢。
何気なく道の街灯を見つめる。周りには誰もいない。静けさが余計に一人を感じさせる。あの街灯には何匹かの小さな虫が集まっている。みんな、光ある方向へと導かれているんだ。それが少しだけ、羨ましかった。
夜の道を一人歩く。こんな夜中に出歩いてるのがバレたら怒られちゃうかな。そういえば私、誰かに怒られたことなんてなかったかも。みんな優しかったから。ううん、みんな優しくしてくれたから。
私に怒ってくれる人なんていなかった。だから私も怒られるようなことはしなかった。みんなそれを良い子だと呼んだ。まるで真っ直ぐに育ってくれて良かったとでも言うかのように。
でもそれは外面だけで、中身なんて誰にもわからない。私には見えていた。自分の中のぐにゃりと曲がった心が。小さな体に肥大化した悲哀を押し込めたかのように曲がりくねった私の心。それは恨みとか憎しみとかそんなんじゃなくて、ただ"哀しい"。それだけで出来ているようだった。
だから、そんなに哀しいこと、終わらせるべきなんだ。たとえそれが許されないことだったとしても。
学校に着くや否や吹く風に身を震わせる。やっぱり、寒いな。
夜の学校はほぼ無人だ。警備員さんとかは校舎にいるのかな。私が用があるのはそっちじゃなくて、もっと端の木造の古びた倉庫。前に見たときは既に殆ど使われた形跡がなくてただの物置になっていた。設備が整った学校とかだったらそういうとこにも警備が行き届いてるのかもしれないけど、うちの学校じゃあまずありえない。だからこそ、都合がいい。
指定された時間までまだ一時間ほどある。早く準備をしないと。心の準備と整理も含めて……。
「遅ぇよ」
彼女は不機嫌そうに腕を組みそう言った。この子はいつもこんな顔をしている。他人を疎む顔。周りを遠ざける顔。あまり近付きたいとは思わない。
「ごめん南雲さん、なかなか抜け出してこれなくて」
彼女を含めた三人はもう既に約束の場所へと集合していた。一人は変わらず仏頂面で、一人は眠そうに猫背になり、一人は私をあざ笑うかのような笑みを浮かべている。皆私の隣のクラスの女子生徒たちだ。
夜の学校の敷地内の古びた倉庫の前。私達はここに何度か集まっていた。ここなら警備員さんに見つかる心配もないし、補導されることもない。全く、意外なところに盲点というものは存在するものだ。
「まーま、南雲さん。この子は箱入りのお嬢さんっすから、多めに見てやりましょうぜ。どーせご両親が夜中ほっつき歩くのを禁止してるとかそんなんでしょ。大切にされてるなぁ」
取り巻きの一人がにたにたと下品な視線をこちらに向ける。確か浦崎さんとか言ったっけ。この人も私の境遇を知っている。知った上でこう言っているのだ。本当に下卑ている。
だが私はその視線に作られた笑顔で返す。
「ごめんなさいね」
浦崎さんはつまらなそうな表情を見せ頭をぼりぼりと掻いていた。多分さっきの言葉にも大した意味はないのだろう。ただそういった皮肉が彼女の癖になっているのだ。残念だが私はそれに乗るほど親切な人間ではない。
「浦崎、黙ってろ」
南雲さんが一睨み聞かせると浦崎さんはすごすごと下がっていく。力関係が一目瞭然だ。ふともう一人の方、千田さんの方を見ると相変わらず緊張感のない様子で欠伸をしていた。
彼女たちは南雲さんの仲間なんかじゃない。ただ側にいたほうが良いことがあるから付き従っているだけだ。三人組ではなく、一人が三つなんだ。そして今、私がここにいることによりそれが四つになっただけ。それが私の目にはあまりにも寂し気に映る。みんな、一人ぼっちなんだ。
立ち話もそこそこに私たちは集合の目印にしておいた木造の古びた倉庫へと入る。中は当然真っ暗だ。その暗闇が私たちを誘うように奥まで伸びている。
倉庫の明かりをつけると誰かが気付きかねないから持ってきていたランプの電気をつける。弱い光だがそれぞれの顔は見える。これなら問題はない。
「あー、真っ暗じゃんやっぱ。どっか別のとこにしません?話ならこんなところなんかじゃなくてもいいっしょ」
千田さんが機嫌が悪そうに呟く。だが場所を決めたのは南雲さんだ。そして南雲さんもゆっくりと口を開く。その表情は暗闇に紛れていた。
「ここじゃなきゃあ駄目なんだよ千田」
一瞬、風が私の頬を掠める。それが合図だった。
「ここはお前たちを殺るのに都合がいいんだ」
暗闇に一筋の光が散る。それと同時に普段聞き慣れないバチンという大きな音が二つ、小部屋を駆け巡った。
そう、二つ。
「あ……がっ……」
「……なっ……」
それは同時だった。二人の少女は合図とともに一人ずつ、隣にいた少女の露出した首元へとスタンガンを当てる。そして二人は崩れ落ちる。私の眼下にはぼんやりと映る浦崎さんと千田さんの顔があった。
だけどまだ終わっていない。私は手の中のスタンガンを握りしめ後ろに立つ気配へと向きなおし、怪しく笑う彼女へとそれを突き立てようとした。だが……。
「甘ぇよ!」
「きゃっ!」
私の手のひらからスタンガンは容赦なくはたき落とされる。咄嗟に拾おうとするが、彼女の長い脚がそれを阻止すべく私の横っ腹に鋭く突き刺さった。
「うぅっ……」
私はその場に蹲る。必死に顔を上げるとそこには勝ち誇ったような歪な笑みを浮かべスタンガンをこちらに向ける南雲さんの姿があった。
「よう、気分はどうだ? 箱入り娘。お前なんかの考えそうなことなんて全部お見通しなんだよ」
そのまま南雲さんはスタンガンをこちらへ近づける。あのスタンガンはさっき見せた通り、一撃で人を気絶させるくらい強力に改造してある代物だ。あれを食らえばひとたまりもない。
だが、それは彼女だって同じだ。
「はっ!?」
私の斜め後ろ付近から唐突に何かが南雲さん目がけて突っ込んでいく。虚を突かれた南雲さんはなす術もなく小さな雷鳴と共に倒れた。その代わりに立っていたのは南雲さんの持っていたものと同じスタンガンを持つ浦崎さんだった。
「……や、やった……。あ、あたし……南雲をやったんだ……! ははっ!」
浦崎さんは嬉しそうに震えながら自分の手のひらを見つめていた。残念だけど、隙だらけだった。
「……えっ?」
三度目の不快な音。これは何度聞いても慣れそうにない。でもまぁ、これが最後だしいいか。
「まっ……て……」
浦崎さんは信じられないものを見るかのような目で私を見る。そしてそのまま失神したようだ。
この一分にも満たない短い時間に目眩くほど多くの出来事があった。私は手に持った本物のスタンガンを無造作に床に置く。これで、これで良かったんだ。
置いてあったランプの光を強めると、床には三人の少女が転がっているのがよく見えた。
秋口の夜風は火照った私の体を優しく沈めてくれる。夜空の星は静かに私を見つめているようだ。そんな中私は今、スマホで二番目によく使う番号へと繋いでいた。
「弥恵! いまどこにいるんだ!? 母さんが血相変えて弥恵がいなくなったって連絡してきたぞ!」
スマホ越しの風間先生……いや、お姉ちゃんの声は明らかに焦っていた。珍しいな、お姉ちゃんはいつも冷静でかっこいいイメージだったけど、そう一面もあったんだね。
「ごめんね、今はまだ教えられないけどそのうちわかるよ。それよりさ、伝えておきたいことがあるんだ」
「ま、待ってくれ! 電話なんかじゃなくて直接聞くから、どこにいるかだけ教えてくれないか?」
お姉ちゃんも薄々勘付いているのだろう。それを少しばかり悲しく思う。私には私のことがわかってくれる人がまだいるんだなぁって。それは、とても悲しいことだった。
私はお姉ちゃんの言うことを無視して自分の言葉を伝える。思えばお姉ちゃんの言うことに逆らったのは初めてかもしれない。でもいいんだ、私はもう悪い子だから。
「お姉ちゃん、あのね? 私、知ってるんだ。誰が舞衣ちゃんの家に火を付けたのかって」
淡々と、語る。当時の状況。過程。結果。その全てを。お姉ちゃんには知っておいて欲しかったから。
お姉ちゃんは邪魔をしないで聞いてくれた。本当に、優しいお姉ちゃんで良かった。学校では恐い先生だと思われているみたいだけど本当はそんなことないんだよ。血の繋がっていない私を本当の妹のように可愛がってくれた、私にとって世界で一番のお姉ちゃんなんだから。
「わ、わかった。放火事件に南雲たちが絡んでいるのは理解した。そこから先の処分を下すのは私達大人の役目だ。なぁ弥恵、本当に今どこにいるんだ?」
焦りの中に哀しみが混じりだす。その声を聴くのは、苦しい。
「ごめんねお姉ちゃん。それでも、ダメなんだ」
これからすることは間違っても正義じゃない。間違っても許されるべきではない。それでも、私にはそれしか道は残されていなかった。他の道を示されても、もうその道へと進むことは出来なかった。
私は、南雲さんたちが憎い。私の大切な友達を深く傷つけた南雲さんたちが憎い。関係のない家族を巻き込んだ南雲さんたちが憎い。でも、その"南雲さんたち"の中には"私"も含まれている。私もまた、同じ罪を背負っている。私もまた、舞衣ちゃんを深く傷つけた人間の中の一人だった。だから、私は私が憎くてたまらない。
「お姉ちゃん、大人じゃないって、辛いね」
涙は出なかった。今の私は驚くほどに冷静だった。それがどうしてだか、私にはわからなかった。
私たちはまだ子供だ。犯罪を犯しても実名で報道はされず、刑も大人よりもずっと軽い。だからこそ"許されてしまう"のだ。私にはそれが許せなかった。このまま誰か知らない人が決めた法律の下に裁かれるより、自分の手で罪を拭いたいと思った。それがどんなに身勝手で間違っていて、許されないことだったとしても。それを舞衣ちゃんが望んでいなかったとしても。
「子供ってさ、本当に自分勝手な生き物なんだね。お姉ちゃん」
私は笑っていた。涙は流れなかった。その代わりに、お姉ちゃんのすすり泣くような声がスマホ越しに聞こえた気がした。
「こりゃぁ……どういうことだ……っ!」
両腕と両足を縛られ太い木の柱に括りつけられた南雲さんは、意識が戻るなり私を見つけ唸るように睨みつける。悪いけどその恰好じゃ首輪をつけられた猛犬にしかみえない。他の二人も同じように柱に括りつけてあるがまだ意識は戻っていないようだ。時折"うーん……"といった声は聞こえるから別に死んではいないだろう。
「……てめぇがやったのか……?」
こくりと頷き肯定する。すると南雲さんの表情はさらに険しいものになった。その中には苛立ち、焦り、そして恐怖。いろんなものが混ざっている。それに対し私は"たった一つの意味"を持つ笑顔を投げかけた。
「南雲さん、私はね、今とっても哀しいの」
とても、とても優しい笑顔。それは私がいっぱい練習したもの。役者になるという夢を叶えるためにまず練習したことが表情を自在に変えることだった。
無垢、悲哀、驚嘆。そして至福。いろんな表情を覚えた。しかしそれらはいつしか一つの表情となった。
それが笑顔。私の武器。私の意味。私の呪い。それは顔に張り付いて離れない、私の仮面。
それでも、その仮面が剥がれるときがあった。そのときはいつだって舞衣ちゃん、私の親友がいた。
舞衣ちゃんの前では自分でいられた。舞衣ちゃんがいるといろんな表情が出来た。舞衣ちゃんが笑うと私も本物の笑顔を見せることが出来た。それが私にとっての本当の"幸せ"だった。
でも今舞衣ちゃんは心に深い傷を負って入院している。もう、舞衣ちゃんは笑ってくれない。私を見てくれない。もう私が舞衣ちゃんに会うことは出来ない。許されない。それを知ったとき私はやっと、一人になったということに気が付いた。
全部、全部私の所為。私が舞衣ちゃんから笑顔を奪った。だから、哀しい。
「……敵討ちのつもりかよ。虫も殺せねぇような顔したお前が」
縛られた両手を必死に動かしていた南雲さんが舌打ち交じりに呟く。
敵討ち? それはちょっと違う。そんな高尚なことではない。これはもっと、もっと単純なこと。
「私はね? 南雲さん、もっと知りたいんだ。本当のこと。だから、教えて欲しいな」
私は南雲に近付き目線を合わせる。もう少し近付けば噛みつかれてしまいそう。でも南雲さんは苦い顔をしながら顔を引く。きっと私が手に持っているスタンガンを見て何か思ったのだろう。これの威力は南雲さんが一番よく知っているはずだ。別にもう使うつもりはないのだけれど、これを持っているだけで素直になってくれるなら十分役に立つ。
「これが気になるの? こんなもの持ってるなんて南雲さんもすごいよね。人が気絶するくらい強力なスタンガンなんて普通手に入らないと思うけど」
さっき調べたら普通に手に入るスタンガンは防犯用としての意味が強いため牽制のための威力しか出ないとあった。だがこれはそんな生易しいものではない。これもやっぱり……。
「南雲さんのお父さんがくれたの?」
目を逸らしていた南雲さんの眉がピクリと反応する。わかりやすい。
南雲さんのお父さんはこの町のお偉いさんらしい。私に近付いたのもそれを利用してだった。今思えばいくら偉い人が根回ししたとしてもそんなに簡単に戸籍なんか手に入るわけないのに、当時の私はそれすらも気付けなかった。今になって冷静になるなんて、本当に私は愚かだった。
「……だったらなんだよ。てめぇに関係あんのか?」
相当苛立っているらしく言葉尻が強い。でも私は表情を崩さない。いや、崩せなかった。
私は電気ランプを手に取ると南雲さんの近くに置いた。光源が近付き私を睨む南雲さんの顔がよりはっきりと映し出される。微かに身じろぎながら手を結んでいるロープを解こうとしていたのか、首筋にはしっとりと汗が浮かんでいた。
「南雲さんのお父さんはいろんなものをくれるんだね。もしかしたら物以外もたくさんくれたのかな? 例えば……お友達とか」
敢えて挑発するような口調で南雲さんに問いかける。案の定南雲さんはその煽りに乗ってきた。
「てめぇ……何が言いてぇんだよ……! 言いてぇことがあるんだったらはっきり言ったらどうだッ!」
彼女は白い犬歯がよく見えるくらいに表情を歪ませていた。今まで余裕そうな表情ばかり見せてきた南雲さんのこんな表情は初めて見る。やっぱり、彼女の心の隙間はそこなんだ。
「ふふふ、ごめんね。私は本気の南雲さんとお話してみたかったの。いつも何だか一枚壁がある様に感じていたから、ね?」
わかるでしょ? といった意味の笑顔。それと反比例するかのような南雲さんの歪んだ口元。こんな状況になるだなんて誰が想像しただろう。
「お話ししましょう、南雲さん」
私はそっと床にスタンガンを置いた。
私は聞く。南雲さんは答える。最初は何を答えるにも逡巡する様子だった南雲さんも、少し経てば大人しく私の問いに答えるようになっていた。きっとそれが一番早くこの状況を打破できる方法だと悟ったのだろう。懸命なことだ。
私の問いの多くは些細で簡単なもの。誕生日はいつか。好きな食べ物は何だ。得意な教科は何だ。
質問を重ねるたびに怪訝な表情を繰り返す南雲さん。私の質問の意図を探るようにも見える。でも残念。意図なんてないんだから。ただ私が気になったから聞いているだけだよ。
でも本当は、ちょっと違う。多分私は、恐いんだと思う。本当にするべき質問を口にするのが。だからこそ他愛もない質問で時間を稼いでいる。でもそれももう終わりにしなくちゃ。時間は有限だから。
「……おい」
私が少し躊躇いを見せたとき、南雲さんはしびれを切らした様子で私に声をかけてきた。南雲さんにしてもいろいろと聞きたいことがあるはずだ。そう、例えば……。
「何が目的だ。……いや、それもあるが、いつから浦崎と組んでやがった」
勘の良い南雲さんはとっくに気が付いていたみたい。まぁ、自分の今の状況を見ればわかるか。
この状況。つまり南雲さん、浦崎さん、千田さんの三人がスタンガンで気絶させられ、ロープで縛られている状況。そうなった成り行きを説明するには順を追う必要がある。
まず最初。一番最初は南雲さんからの提案だった。
"五十実の家に火がついたのは私たちの責任だ。だから私たちは大人しく自首してその罪を償う必要がある"。南雲さんがそう口にしたのはつい先日のことだ。
南雲さんが言うには舞衣ちゃんの家が火事になったのは南雲さんたちの所為だが、それは事故によるものだった。本当は不登校になった舞衣ちゃんを家から出すために家の中を煙で充満させるという悪戯で終わるはずだったのに、手違いでその時に使っていた火が家に燃え移ってしまったのだという。
私からすればその悪戯だけでも十二分に怒り狂えるほど許せないものだが、南雲さんはあくまでわざとではなかったという体を貫いていた。そうして南雲さんは私にこう提案した。
――私は自分で出頭するつもりだが、浦崎と千田はそうはしないだろう。だから無理やりにでも連れていくんだ。そうして三人で罪を償う。そのためにお前も手伝ってくれ――
その提案に私は笑顔で乗ることにした。南雲さんの反省しているという表情の裏の、どす黒い何かを見据えながら。
南雲さんは二人を捕まえるには正攻法では無理だ、と私に改造スタンガンを手渡した。学校の倉庫に呼び出してこれを使って気絶させる。それが一番手っ取り早いという。私にはその時点で南雲さんの本当の狙いが理解できた。
南雲さんは自首するつもりなんかない。むしろ事件のことを知っている人物を全員消すつもりなんだって。
それを理解した瞬間、私はひどく心が落ち着いていた。有体にいうならば、"安心した"とでもいうべきなのだろうか。南雲さんが私の予想通りの人物で良かった、と。
私は次に浦崎さんに接触した。南雲さんの言うことが本当だとしたら、放火の原因は浦崎さんの不始末にあるらしい。その時私が出した提案はこうだった。
――私は放火の原因が"南雲さんにある"ということを知っている。そして南雲さんはその事実を隠ぺいするために私たちごと証拠を消そうとしている。だからそれを防ぐために一芝居打ってほしい――
浦崎さんは私と顔を合わせたとき酷く怯えた様子を見せていた。その顔を見て私は確信する。きっと自分が放火をしたとバレたのだと思っていたのだろう。だが私の口から出た言葉は全く的外れな答えだった。
放火の原因が南雲さんにあると私が口にしたとき、嬉しそうに歪んだ顔を隠しきれていなかった。浦崎さんにとってそれほどまでに都合のいい勘違いなど無かったから。だから浦崎さんは何の疑いもなく私に協力したのだった。南雲さんが千田さんに襲い掛かると同時に私は浦崎さんを襲う"フリ"をする。浦崎さんはスタンガンを当てられ気絶したフリをして、隙を見て南雲さんを倒してほしい、と。
そうして、仕事を成し遂げ放心気味の浦崎さんに私は南雲さんの手から落ちたスタンガンを突き立てたのだった。
「この暗い中じゃ、南雲さんが渡したスタンガンかどうかなんてわからないもんね」
私の足元には計三つのスタンガンがある。そのうちの二つは南雲さんの改造スタンガン。もう一つは私が買った音が大きいだけの玩具みたいなスタンガンだ。
ネタ晴らしを終えると暗闇に南雲さんの舌打ちの音が響く。私の計画通りに事が進んだことが面白くないようだ。南雲さんも私が裏切ることまでは予想していたようだが、浦崎さんまで裏切るとは思っていなかったのだろう。所詮、金や権力で買った信頼などその程度のものだ。命に代えられない。自分が一番、な考えの人には気付けない事実だった。
数秒の前を置き私は問う。その問いは私が一番聞きたかったものだった。
「ねぇ南雲さん。どうして……私たちだったの?」
「……あ?」
私の声は暗闇に消えてしまうほど小さかった。声は震え、足は竦む。静寂の中に私の鼓動がやけに大きく感じる。まるで前へ進むことを拒んでいるかのようだ。
でも、もう戻れない。私の歩く道はたった一本しか残されていなかった。
「どうして、私たちの仲を裂こうとしたの?」
全てはここから始まったのかもしれない。南雲さんが私の事情を知り、それを利用した。その理由が知りたかった。結局のところ南雲さんは何がしたかったのか。何を目的として私に近付いたのか。それだけが疑問として残っていた。
「……別に。ただ暇だったからだよ」
彼女は憮然とした態度で答える。心の内はまだ見せてくれなかった。それが酷く寂しく感じる。この状況でもまだ彼女は彼女のままだった。
「……ってぇ……。……お、おい!なんだよこれッ!」
私がもう一度南雲さんに問おうとしたとき、南雲さんの左で縛られている浦崎さんが目を覚ましたようだ。状況を把握しきれていない浦崎さんは周囲を一心不乱に見渡して理解しようとしていた。そしてその声に反応してか千田さんも微かなうめき声とともに体を起こそうとしていた。
「……ちょっ、なんスかこれ……。なんでこんなことに……」
「し、白羽! どうなってんだよ! 話が違ぇじゃねぇか! なんで私まで縛られてんだ!?」
戦々恐々とした様子の二人。それもそうだろう。こんな暗闇で気が付いたら身動きが取れないように縛られているだなんて、普通だったらパニックに陥っても不思議じゃない。
それらを見下ろす私の目は、なんて冷たいものだったのだろうか。
「おはよう浦崎さん、千田さん。よく眠れた?」
とても、とても優しい口調で私は語り掛けた。その時の二人の顔は何故だかとっても引きつった恐怖を表していた。
「ふ、ふざけんな! こんなことして許されると思ってんのか!? アタシを裏切りやがって! やるのは南雲と千田だけだって言ってたじゃねぇか!」
そこまで言い切り浦崎さんはハッとした様子で南雲さんと千田さんの様子を窺いだす。その姿ははっきり言ってマヌケ以外の何物でもなかった。
「……浦崎ぃ……ッ!」
「ち、違うんスよ南雲さん! アタシはその……、白羽がそうやって裏切りそうだったから白羽に協力したふりをしようと思って! それで失敗して……」
あたふたして支離滅裂な言い訳をする浦崎さんに千田さんの冷たい言葉が刺さる。
「浦崎……あんたってほんと小物だよね。それにこの状況で白羽に喧嘩売るようなこと言ってどうすんのさ」
「うっ……ぐぅ……」
「ねぇ白羽さん。なんでこんなことしたの? 話があるならまず私に言ってくれればよかったのに。この二人じゃまともに話にならないなら、私が相談に乗ってあげるよ?」
「千田てめぇっ! この期に及んで白羽に媚びてんじゃねぇぞ! 第一、最初に白羽を消して証拠を隠滅しようって言いだしたのはてめぇだろッ!?」
「馬鹿野郎! 浦崎黙ってろッ!!」
醜い。
醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い。
私の目下には二つの喋る何かがあった。もうこの二つが発する言葉が何を意味しているのかもわからない。
ああ、なんて汚いんだろう。汚すぎて吐いてしまいそうだった。
「南雲さん! どうにかしてくださいよ!」
「南雲さんは私の味方ですよね!?」
雑音に耳が耐え兼ね、私が何か言葉を発しようとしたその時、二つの騒音をかき消すかのような大声が倉庫を埋め尽くす。
「うるせぇ! どうしてお前らはいつもこうなんだ! いらねぇときに媚びへつらって近付いてきやがって! そのくせ肝心な時に何の役にも立たねぇ愚図共がッ! 少しは自分でどうにかしたらどうなんだッ! あぁッ!?」
闇夜に南雲さんの怒号が響く。もしかしたらこれが初めての南雲さんの本気の言葉だったのかもしれない。
「私はてめぇらみてぇなやつらが心底嫌いだった! いつもいつもヘラヘラして、顔を見る前から下手に出てきやがって! その癖誰も私を見ていない! 見てるのは私の後ろにある金や権力だけじゃねぇかッ! そんな奴らに毎日囲まれて、頭がおかしくなりそうだったッ!!」
南雲さんは叫ぶように喚き散らし、私の目を見て続ける。その目はひどく哀しい目をしていた。
まるで、助けを乞う子供のように。
「白羽ぁ……。私はお前たちが羨ましかった……。お前らみたいに親友と呼べる奴がいるやつらが羨ましくて、欲しくて欲しくて仕方がなかった! でも私には手に入らなかった! 私が南雲の人間であるというだけで対等に見てくれる奴なんて一人もいなかった! だから! 手に入らないのなら! そんなもの壊してやればいいって思った! それが私だ! それが私の生き方なんだよォッ!」
南雲さんは慟哭にも似た激情をぶつける。
南雲さんはずっと一人だったんだ。いつも誰かとつるんではいたけれど、そんなものは南雲さんにとって人としてすらカウントされないような、塵芥に似た存在だったのだろう。それの汚らしさを今、目の前で見せつけられて、南雲さんの感情が耐え切れなくなったようだ。
私のさっきの問いに対する答えは、嫉妬だった。それも特大にどす黒くなった汚いもの。南雲さん自身、もう既にそれを受け止めきれなくなっていたんだ。
それを聞いて、私は満足した。
「そう、わかった。じゃあ、終わりにしようか」
私は倉庫の奥へを赴き、そこからいくつもの灯油のタンクをずるずると引きずりながら南雲さんたちの目の前へと運んでくる。それを見た三人はこれから私が何をしようとしているのかを完全に把握した様子だった。
「お、おい……冗談じゃねぇぞ……っ」
「ま、待って……嘘でしょ? そういう悪戯なんだよね……?」
「……」
各々恐怖、絶望、そして焦燥の色をその顔に映し出す。ほんとはこんな顔見たくないのに。そんな表情を見るのは誰のであっても苦しいのに。それでも私の手が止まることはなかった。
私が灯油のタンクを倒し灯油が床に撒かれる。その時誰から悲鳴にも似た声が上がった。
「た、助けてくれッ! 誰かッ! おい! 近くに誰かいないのか!」
「誰も来ないよ。だって、ここを選んだのは貴方たちでしょ?」
この学校は古くて、それでいて敷地面積がやたらと大きい。だからこそ警備の行き届かない死角が出来る。ここは南雲さん自身たちが見つけたその死角だった。
でも、もしももっと前から叫んで助けを呼んでいたら、運が良ければ助けが来たかもしれない。だけど、もう手遅れだ。
私は最後の灯油を撒き終える。辺り一面灯油特有の独特なにおいが立ち込めている。倉庫はほとんどが木造なため灯油がしみ込むのも早かった。
ポケットの中を弄ると持ってきていたマッチがコツンと手に当たる。もう準備は出来ている。だけど、私にはそれを取り出すことは出来なかった。
その代わり、南雲さんが持ってきたスタンガンを再び手にしていた。
「せめて、最後は気付かないうちに終わらせてあげる」
私の最期の慈悲だった。意識がある中で焼けるより、意識を失っている間に全てが終わっていた方がいいだろうから。
ふと、自分の目から涙が流れ、頬を伝う。
どうして? 涙なら枯れるほど流したはずなのに。その時に、私はもう自分が自分でなくなっていることに気が付いた。
私はもう私ではない。昔の私はもういない。私は既に殺されていた。
誰に? それは自分自身に。自分のために舞衣ちゃんを裏切ったその時から、私は私じゃなくなった。
みんなが愛してくれた白羽弥恵は、もうどこにもいなかった。
スタンガンで二人を再度気絶させた後、残る南雲さんと対峙する。ずっと、ずっと頭痛がしていた。でも、もう私を止めるものもどこにもなかった。
「じゃあね、南雲さん」
「……――ッ! ふざけるなっ! 私はまだ、まだ誰も見返していない! まだ誰からも認められてない! まだ私は……死にたくないッ!」
「それはね、みんなそうだったんだよ」
南雲さんは何も言わなくなった。カクンと項垂れる姿を見て、もう用済みとなったスタンガンを床に置く。
そして、私はポケットからマッチを取り出した。
私は思いを馳せる。もう会えない人たちに。義理でも本物の家族に。親友に。そして、一度も会うことが出来なかった、顔も知らない双子の兄に。
「もう無理、無理なんだよ。全てが遅いんだ。全てが手遅れなんだ。後悔はいつだって後からやってくる。馬鹿な私達をあざ笑うように。そうやって人はね?」
こわれていく。
わたしが。どうして? わからない。だけど、わたしは、もう、おわりにする。
ああ、みんな。どうかわたしを、ばかなわたしを、ちいさいわたしを、つみぶかいわたしを、どうかゆるさないで。
どうかみとめないで。
どうかあわれまないで。
どうか……。
私を見捨てないで……。
舞衣ちゃん……。お姉ちゃん……。お母さん……。お父さん……。
新……お兄ちゃん……。




