22 声が聞こえる
こちらへ戻ってくる五十実の顔はまだどこか寂しさを覗かせていた。だが、その歩く姿ははっきりと前を向いていた。見るとその手には犬と猫の人形が大切そうに握られていた。
吹く風が身を裂くような、厳しい寒さの日だった。
風間さんは俺達に家に来ないかと提案した。一瞬困惑するが家とは今風間さんが一人で暮らしているマンションのことだった。流石に弥恵が住んでいた方の風間家に行くのは難しい。俺達が行ったらきっと風間さんの両親に弥恵のことを思い出させてしまう。その責は今の俺達には少しばかり重すぎる。まだ自分たちの整理すらついていないのだから。だがいずれは行くべきだろう。妹が世話になった家なのだから。
風間さんに案内された部屋は俺の部屋と同じくらいに質素で、あまり女性らしさを感じられなかった。ある意味風間さんらしいと思う。だが俺の部屋よりは一回り程大きい。
風間さんの"狭くてすまないな"という言葉に対し"うちより広いです"とありきたりな言葉で返す。
三人がギリギリ座れるくらいの真っ白なソファに座るように促され、俺と五十実とマキナは各々座る。そして風間さんは電気ケトルでお湯を沸かし、人数分の湯飲みとカップでお茶を持ってくる。風間さん自身は奥から座布団を取り出しテーブルを挟んで向かい合うように座った。少しばかりアンバランスな印象だった。
「一人暮らしだと湯飲みの数も少なくてな。悪いがそれで我慢してくれるか」
俺も一人暮らしをしているからわかる。突然の来客など想定していないからマキナが来るまで複数の湯飲みはおろか紙コップすら用意していなかった。きっとそれは五十実も同じなんだろうな。お互いに、一人でいる期間が長かったのだ。
「安田先生は良かったんですか?」
五十実は湯飲みをテーブルに起きながら問う。安田先生は学校へ戻っていった。
「安田先生は今回の件では部外者だから……な」
つまりそれはこれから話すことは部外者に話すことが出来ないことであるということを意味する。俺たちはほんの少しだけ身を引き締めた。
安田先生は風間さんの良き理解者でよく相談に乗ってくれていたらしい。けれど話せないことも多々あるという。大人なんてそんなものだ、と俺はカップのお茶を口にする。ほのかな苦みがどことなく優しく思えた。マキナも俺に倣いちびちびとお茶をすすっていた。
風間先生は俺達に弥恵の件の詳細を語る。弥恵の変化に気付くことが出来なかったとか、南雲の行為はある程度学校側で黙認されていただとか、どことなく言い訳じみて聞こえてしまうのは俺の考えがくさっているからなのか。だが責めるべき相手は風間さんではないのはわかっている。
ある程度話し込んだ後、風間さんは本題に踏み切るかのように俺の眼をじっと見る。その迫力に少しばかり圧倒される。それだけ本気であるということだ。
「白羽君……いや、新君と呼ばせてくれるか。君に問いたい。白羽先生は、今でも一人なのか?」
その問いに沈黙する。その静けさを難色とみた風間さんは付け加える。それはある男と少女の物語だった。
「白羽先生は私が中学生の頃の担任だった。だが中学三年生の夏ごろ唐突に勤めていたが学校を辞めた。それまでは私の父から白羽先生の働きぶりはどうだ? なんて度々聞かれていたのだが、ある時からそれがパタリと止んでその後白羽先生は退職した。そして、少しして三歳ほどの女の子を連れて私の家を訪れた」
箇条書きのように語るのは一つ一つ順を追って思い出しているからか。風間さんの古い記憶を呼び戻すようだった。
「恥ずかしながらな、当時の私は白羽先生を好いていたんだよ。年頃の女子が若い異性の担任を想うなんて今考えたら別に可笑しいことじゃない。だが当時の私はそれを良しとはしなかった。結婚していることも知ってたし、告白なんてもってのほかさ。だから白羽先生が辞めたとき私はひどく落ち込んだよ」
そして、繋がりが消えたと思っていた矢先に憧れの先生が子供を連れてやってきた。
その時の風間さんの心境なんて俺達には到底理解し得ない。先生との繋がりが消えていないことを喜ぶか、子供を連れてきて自身はどこかへ去っていくという行為に失望したか。恐らく、両方だったのだろう。
語る風間さんは落ち着いていた。それを見て俺はきっと聞いて欲しかったんだな、と思った。
「新君、今君は白羽先生と一緒に暮らしてはいないのだろう?」
「ええ」
肯定する。やはり、と言った表情の風間さんは少しだけ言葉に詰まっていた。
「二人で会うことはあるのかい?」
「まずありません。すれ違ってもお互い無視するくらいです」
歯に衣着せぬ言い方だった。ここで変に誤魔化しでも意味ないだろう。俺は淡々と答えた。
「じゃあ、白羽先生は一人……なんだね」
「……おそらく」
風間さんの言いたいことは薄々勘付いていた。
「……親父と仲直りしろ……と?」
答えはなかった。
俺は確かに親父と会って話し合うと誓った。だがそれは和解するためではない。全てをはっきりさせたかったからだ。もう見て見ぬふりは出来ない。場合によっては一生縁を切ることになるかもしれない。そういう覚悟だ。すり寄る意思など毛頭ない。
風間さんにも俺の考えは想像ついたようだった。
「君が今までどんな思いで生きてきたかは私にはわからない。ただ、これだけは知っておいてほしい。白羽先生にはもう、君しかいないんだよ」
本当に、大人ってやつは思ったよりもずっと弱いんだ。弱くて、もろくて、壊れやすい。そして、間違っていたら直してあげなきゃいけない。だがそれは子供よりもずっと難しい。だから、君にしかできない。
懇願だった。白羽礼志を救ってほしいという願い。それが俺に向けられていた。
大人はズルい生き物だと思う。子供には責任がどうだとか、真っ直ぐ生きろだとかいう癖に、当の本人はどうしようもなく曲がっている。それが本人の意思でないとしても。世の残酷さに無理やり曲げられてしまったのだとしても、俺には曲がって見える。それだけは変えようがない真実だった。
俺はまだ、大人になりきれてはいなかった。
「……先輩、私からもお願いします」
少しの沈黙の後、五十実が切り出す。俺の手は五十実の両手に包み込まれていた。
「私も行きますから。だから……弥恵ちゃんのお父さんを……救ってほしいんです」
五十実は震えていた。俺にはよくわかる、俺はよくそれ目にする。その震えは怯えから来るものだった。
俺は今、五十実に怯えられている。
思えば俺は未だかつて五十実に怯えられた覚えはなかった。もしかしたら最初に会った時は怯えられていたのかもしれないがその時はまともに相手していなかったので覚えていない。
俺としては初めて五十実にこの表情を向けられたのだ。その理由もなんとなくわかる。五十実は今、俺を試すような真似をしているからだ。
俺の父親をではなく、弥恵の父親を救ってほしい。その二つでは意味が全く変わってくる。
全く、こいつまでズルいことを思いつくようになったもんだ。
俺が手を五十実の方へと向けると一瞬びくりとした反応を見せるが、すぐに恐怖の色は消える。
「あ……」
俺は五十実の頭に手を乗せていた。乗せると撫でるの間くらいの加減で五十実の頭に触れる。
「……約束は、破らねぇよ」
「先輩……」
お前に優しくするって、努力するって言ったもんな。お前にそんな顔されたんじゃ、俺は勝てねぇよ。
「会って……話をする。その後のことは……、その時考える」
それが最大限の譲歩だった。最初から突っかかることなく、相手の話を聞き入れる。その上で判断すると誓った。それが俺にとっても、親父にとっても、弥恵にとっても一番良いと思えたから。無条件で親父の味方をするのは正しいとは思えなかった。
風間さんは空になった皆の湯飲みに新しいお茶を入れる。その表情はどこか柔らかいものになっていたような気がする。
しばらく話をしていた。何の気もない、とりとめのない話。すぐに帰るのは少しだけ寂しかったから。
最初は無理に明るい話題を出そうとしていたようだが、いつしかそれが無理にではなくなっていた。話していたのは主に五十実と風間さんだったが、聞いているこっちも気付けば表情が少しだけ緩くなっているのを感じる。
そして話題はあの二つの人形の話になる。
犬と猫の二つの人形。それは二人の少女を表している。少女たちの大切な思い出だった。
「二人はそれをいつもカバンにつけていたな」
風間さんは懐かしむように目を細めその人形を見つめていた。
「はい。一緒に買ってその時交換して、ずっと一緒でした。思えばこの犬の人形だけは盗られなかったな……」
五十実の持ち物を盗んでいた犯人は弥恵だった。そして弥恵は一番目に付くだろうその人形を盗ることはしなかった。それだけで彼女の心の内が読めるようだった。
「声が……聞こえる」
マキナが唐突に口を開いた。今までずっと喋らずにただそこにいただけだったマキナが猫の人形を指差してそう呟いた。
突然の発言に皆面を食らう。思えば風間さんにはまだマキナについて説明していなかった。風間さんは空気を読んで聞かなかったのだろうが、流石に無視するわけにはいかなくなったようで俺に問うてくる。
「すまない新君、この子は……」
なんて説明すればいいのだろうか。当然妹だなんて嘘は通じない。それに先程マキナが蒼い光で五十実を眠らせたのは風間さんも見ている。普通の説明では納得しないだろうな、と俺は姿勢を正し説明に入る。
「こいつはマキナ。アンドロイド……だそうです」
風間さんは目を丸くしていた。当然の反応だと思う。普通は信じない。だが風間さんは深く聞くことはしなかった。恐らく話されても理解は出来ないと踏んだのだろう。風間さんはただ"そうか"と言ってこの話を切り上げた。気を使ってくれたようで助かる。
「それでマキナ。声が聞こえるって?」
今はマキナの正体よりもマキナの発言の方が気になった。
マキナがさっき指さした先には弥恵が持っていたという猫の人形がある。そこから声が聞こえた……と言っているのか?
マキナは俺の問いに頷く。その瞳はほんのりと蒼さを帯びていた。俺は咄嗟にマキナの目を隠しそうになるが風間さんには今更隠しても意味ないか。
マキナは瞳を蒼くしたまま"その人形、触っても良い?"と言い五十実はそれに応じる。五十実がマキナの差し出した手の上に猫の人形を乗せると、瞬く間にマキナの背から青白い翼のような輪郭が浮かぶ。そして半立体となった翼から光が伸び、まるでホログラムのように一人の少女の姿が浮かび上がった。背丈は低めでどこかの高校の制服を着た少女。ふわふわとしたショートヘアーに優しそうな目は穏やかな印象を与える。
「弥恵……ちゃ……」
五十実と風間さんは目の前の光景に驚愕し立ち上がる。かく言う俺も驚きを隠しきれなかった。
そこにいたのは死んだはずの人間で、かつての教え子で、無二の親友で、俺の見たことのない双子の妹だった。




