21 臆病なネコちゃんと優しいワンちゃん
無二の親友、妹のような存在、元生徒、そして、一度も会ったことのない双子。四人の想う人物は、無理心中の末、その命を落としていた。
重苦しい沈黙を破ったのは一人の声だった。
「……そうだった……んですね」
気が付けば五十実はベッドからゆっくりと体を起こしていた。いつから起きてたんだ。もしかしたらかなり最初の方からだったのかもしれない。五十実は驚くほど冷静な様子だった。
「五十実……」
「心配しないでください先輩。ほとんど聞こえてましたから……」
五十実は自分の手をぼんやりと眺めながら続ける。
「私今、自分でもびっくりするくらい落ち着いてるんです。多分、マキナのおかげなんでしょうね。さっき眠りにつく前一瞬だけ蒼い光が見えました。それってマキナの力なんでしょ?」
穏やかな眼をしていた。そしてその眼を俺の隣に佇んでいたマキナに向ける。マキナはすっと目を閉じ肯定した。
「うん、そう」
マキナのあの光には鎮静作用があったというのか。マキナはそれを意図してやったのか。今まで見たことのない新しいマキナの力だった。だが、今はそれを気にしている余裕はなかった。
「……そうか、弥恵ちゃん……。そんなことがあったんだ……」
消え入るような弱々しい声だった。五十実の今の心情なんて、俺達にわかるはずもない。信じていた親友に裏切られ、家族を亡くし、一人になり、意を決してかつての友人に会いに来たら、その友人はもう既にこの世にいなかった。その友人は人知れず思い悩み、非業の最期を遂げていた。そんなの、あまりにも残酷じゃないか。
反芻するように、噛みしめるように、五十実は親友の名をぽつりぽつりと呼んでいた。幸せになりたいがために選んだ道が、こんな最悪な結果を生むだなんて。白羽弥恵はまさに、"悲劇のヒロイン"だった。
「弥恵ちゃんの家、表札が無かったんですよ。今思えばそういうことだったんですね。あそこって風間先生の実家だったんだ……」
思い返せば不審な点はいくつもあったと思い出のように語る。入学当初から風間先生と知り合いだったような、そんな様子もあったのだという。親友でなければ気付かない程度の違和感。もしかしたら弥恵は気付いて欲しかったのかもしれない。心のどこかで助けを求めていたのかもしれない。でも、怖かったんだろうな。気付いて欲しい反面、気付かれたくない。そんな感情の板挟みになっていたのだ。
再び沈黙が訪れる。誰も声をかけることは出来なかった。
「弥恵ちゃんのお墓、連れていってくれませんか?」
覚悟の表れだった。声色は泣きそうでも、その意思ははっきりしていた。親友の死を、受け止める勇気がそこにはあった。だったら、俺も腹をくくるしかない。元より俺はこいつを支えるためについてきた身だ。それに兄として、妹の死の真相をこの目で見届ける義務がある。それが例え親父と殴り合うことになったとしても、だ。
「先生、俺からもお願いします。一度も会ったことはないとはいえ、妹の弔いくらい……させてください」
風間先生の目をじっと見つめる二組の瞳。風間先生は俺たちの意志の固さを受け取った。
「ああ、本来なら私からお願いしたいくらいだ。白羽の……弥恵の元へ、どうか一緒に来てほしい。」
その目には涙が光っていた。
どうやら俺は少しばかり勘違いをしていたらしい。俺は大人はみんな強いものだと思っていた。だが、実際は違った。たとえ大人でも、抱えきれる悲しみには限度がある。きっと風間先生はずっと大きな悲しみを抱えてきた。多くの人と分かち合うことも出来ず、ずっと自分の責任だ、と思い詰めていたのだろう。だから今、それの共有することのできる人物と出会えて、彼女の抑えていた感情は堪えきれなくなっていた。彼女もまた、今回の悲劇の被害者に過ぎなかったのだ。
どこまでも、どこまでも不幸な事件だった。
独特な殺風景はどこか悲哀の色をにじませる。周りには石の灰色と、ほんの少しばかりの緑だけ。そのモノクロの風景がここを幽世とも認識させる。ここはこの町で一番大きな墓地だった。
「ここだ」
先導する風間先生が足を止める。そこには白羽家と書かれた立派な墓石があった。俺は、それを初めて目にする。そこで目を引いたのは墓誌に書かれた"弥恵"という文字と、その隣にあった"優海"という文字だった。
「……ここに居たんだな……母さんも」
白羽優海。それが俺の唯一知る母親の情報だった。やはり弥恵は俺の本当の妹だったんだな。
母と妹。初めての対面はあまりにも冷たいものだった。
俺たちは墓石を水で洗い途中で買った仏花を添える。定期的に誰かが手入れしているのか、白羽家の墓の周りは綺麗に整備されていた。
線香を上げ、手を合わせる。心の中で、俺はなんて言ったらいいのかわからなかった。母親も妹も、俺には元よりいないに等しいものだ。それが今になって顔を合わせるなど、あってよかったのだろうか。だが、仮に無関係な人間だとしても弔うことは出来る。俺は、ただ一人の人間として死を悼む。
ふと隣を見ると五十実はただ静かに目を瞑り手を合わせていた。何を思っているかなんて俺にはわからない。ただ、穏やかな顔をしていたようにも見えた。まるでただ久しぶりに懐かしい友人に会ったかのように。
少しして顔を上げる。周りを見ると他にも墓参りに来ているらしい人々がちらほら見える。皆、人の死を知っている人たちだ。だが、悲しい顔を見せている人はいなかった。
「弥恵ちゃんって、結構強い子だったんです」
ぽつりと語りだす。俺はそれを邪魔することなく聞き入る。
「大人しい子であまり人の前に出る事とかは得意じゃなかったんですけど、それでも私が失敗したときとか、テストで悪い点取ったときとかいつも元気づけてくれました。本当に、優しい子だったんです」
私はそんな弥恵ちゃんが大好きでした。
本当に良い友達だったんだろうな。正直、羨ましかった。醜い嫉妬かもしれないが、どうしても考えてしまう。もしも俺と弥恵が一緒に居て、一緒に育っていったら、俺はどんな人間になっていたのだろうか。もしも幼き俺にその優しさが少しでも向けられていたら、俺は今とは違う人間になっていたのだろうか。そんなもしもに僅かながら憧れを抱いてしまうのは、我ながら醜いと感じてしまう。
そのまま五十実は少しずつ、俺達に思い出を語る。その姿からは寂しさと楽しさが混在していた。彼女にとっては美しく穢れのない思い出なんだ。記憶の堰は切られ、どんどんあふれ出てきていた。俺はそれをそっと受け止めた。
段々と日が陰りつつあるが俺たちは墓前から動けなかった。
何か言いたいことがあるはずなのに、うまく言葉にできない。目の前に会いたかった人物がいるのに、声をかけることが出来なかった。でも、そこから動くのも嫌だった。
「五十実、これは君が持っていた方が良いだろう」
風間先生は少し汚れた一つの小さな猫のキーホルダーを差し出した。それを見た五十実は一瞬驚きを見せた後、目を細めそれを受け取る。
「これ……弥恵ちゃんの……」
「ああ、弥恵が残していったんだ。いつも大事そうに持っていたよ」
五十実は猫の人形を愛しそうに胸に抱く。そして目を瞑り、小声で"弥恵ちゃん……"と呟いていた。
「これは前に弥恵ちゃんと一緒に買って交換した人形なんです。ほら、こっちのワンちゃんの方が弥恵ちゃんが私にくれたほうです」
舞衣は持っていたカバンから小さな犬のキーホルダーを取り出した。その二つはまるで二人の少女を表しているようだった。
「このワンちゃんを見たとき私思わず"弥恵ちゃんに似てる"って言ったんです。そしたら弥恵ちゃんが隣にあったネコちゃんを手に取って"こっちは舞衣ちゃんに似てるね"って。それでお互いに買って交換したんですよ。これでずっと一緒だねって」
嬉しそうな声の裏に涙の色が混ざりだす。それでも、涙を流すことはなかった。
弥恵はその猫の人形を連れていくことはしなかった。きっと、それを道連れにはしたくなかったのだろう。五十実には、自分のようになってほしくなかったから。
五十実にもその真意は伝わっただろう。五十実は、本当に強くなった。友人の前で涙を流すことを堪えることが出来るくらいに。
やがて日は茜色に染まりだす。いつまでもここにいるわけにはいかない。
「五十実、ここで言い残したことはあるか」
「……いっぱいあります。ですので先輩、ちょっと先に行っててくれますか?」
少しばかり予想外の答えが返ってきた。俺にはその意図が読めなかったが、五十実の顔は別段思いつめたような表情ではなかった。
「先生たちもお願いします。マキナも……お願い」
五十実の意思を尊重したかった。だから深くは聞かず首を縦に振る。だが風間先生は心配の色を隠しきれていなかった。すると五十実は笑顔を作りこう付け加えた。
「ここから先は、学生二人だけのガールズトークの時間ですから」
五十実の姿がギリギリ見えるくらいの位置まで来る。ここならあいつにも文句は言われないだろう。そして、俺も聞きたいことが聞ける。
「風間先生、先生は親父のどこまで知っているんですか」
本当は親父に聞くのが一番早いのだが、あの親父が素直に答えるとも思えない。だからまず親父を知る先生に情報を聞き出すことにした。
そもそも今回の一件は弥恵が無戸籍だったというところが大きな鍵となっている。だがその双子の片割れであるはずの俺には戸籍が存在している。でなければ今の大学にも通うことは出来ない。何故俺達は別れて暮らさなければならなくなったのか。多くは謎に包まれたままだった。
だが先生の答えは俺の期待通りの物ではなかった。
「……すまない。私にも多くはわからないんだ」
「……そうですか」
肩を落とす。だが風間先生を責めても何も始まらない。すべてはあのクソ親父の所為なんだから。
そのやり取りを見かねてか静観していた安田先生が堪らず助け舟を出した。
「か、風間さんも一生懸命調べてたんですよ? でも結局のところ弥恵さんのお父さんが口を開かないことには……」
まるで俺が風間先生を責めているように見えてしまっていたようだ。五十実は慣れているから気にしないが俺は未だに不良っぽさが抜けていないらしい。人がよさそうな安田先生は俺の顔を見るなりあたふたしていた。
「いえ、風間先生を責めているわけではありません。先生には感謝していますし。でも……」
俺は疑問を一つ一つ解消することにした。
「風間先生は俺のこと、知っていたんですね」
まず疑問に思ったことがそれだ。当然初対面のはずだが風間先生は俺のことを知っていた。それは何故だ。まぁ、親父の元教え子らしいから知っていても不思議ではないが。
「私の父から聞いたんだ。私の父は白羽先生……君のお父さんの教師だった。その縁もあって弥恵を引き取ったらしい。ここまではさっき話したね? その後、私の父は何を思ったか弥恵と私に君の存在を明かしたんだ」
普通に考えれば必要のないことだと思う。俺という兄がいると知れば、弥恵はもしかしたら俺を探そうとするかもしれない。そしたら否応なしに親父の元へとたどり着くだろう。そしたら糾弾は避けられない。
「本当は……父は私達に白羽先生を救ってあげて欲しかったのかもしれないな。もっと早く君にたどり着いて、家族としてぶつかるべきだったのかもしれない」
「救う……ですか」
聞き慣れない言葉だった。今までの話を聞き、その上で今までの俺の記憶と照らし合わせると白羽礼志は救いようのないクズという評価に至る。だがそういう話をしているわけではないことはわかっている。
「風間先生のお父さんは俺の親父を"救うべき人間"として見た、ということですか」
風間先生は肯定も否定もしなかった。風間先生も答えを持っていないのか。
「わからない。ただ、父は白羽先生に同情的だったよ。真相は教えてくれなかったがね」
「……」
やはり、直接本人に聞くしかないということなのか。
いつかは親父とケリをつける必要があると思っていた。多くを謎のままにする親父。昔から俺の問いかけに応じることなど殆ど無かった。だが、もうそんな関係も終わりにするべきだ。失ってしまったものはもう元には戻らない。だからと言って、このまま全てを有耶無耶のまま終わらせることは絶対にしたくない。弥恵のために、五十実のために、母さんのために。
「風間先生は……」
「今更だが私に先生は付けなくていい。私はもう教職をやめている。今はただのしがない町の公務員さ。元々弥恵を守るために教師になったんだ。生徒を五人も守れなかった時点で教師失格だよ。たとえ無責任と言われてもね……」
俺の問いを制するように告げる。
風間先生……いや、風間さんにはそれが大きな意味を成すのだろう。もう先生と呼ばれる人間ではない。守るべきものを失って、教師という地位も失って、なおも弥恵のことを気にかけている。それは教師だからではなく、弥恵の家族として、なんだろうな。血の繋がりはなくとも、風間さんは弥恵のお姉さんだった。
「風間さん、俺は親父と会って話そうと思います。会って、全部ぶつけます」
それは決意だった。このまま終わりにしたくはないから。全てに決着をつけるために。
「白羽君、君はお父さんを恨んでいるか?」
風間さんの問いには答えることは出来なかった。だから沈黙する。
恨んでいない訳じゃない。だが、恨んでいるとも言えない。
風間さんは俺の沈黙を一つの答えと受け取る。
「大人は子供が思っているほど正しくないし賢くもないんだ。ただ、いつだって唐突に残酷な決断を余儀なくされる」
だから、あっという間に弱くなってしまうんだよ。
そう言った風間さんの面影は心なしかやつれていた気がした。
白羽家の墓前に一人佇む。いや、一人じゃない。手には弥恵ちゃんがくれた犬の人形と、私が弥恵ちゃんにあげた猫の人形があった。
「弥恵ちゃん、残しておいてくれたんだね、これ」
指先で猫の人形の頭を撫でる。この子は私。犬の方が弥恵ちゃん。どことなく雰囲気が似ていた。
私は墓前で弥恵ちゃんに今までのことを話す。まるで久しぶりに会って近況を報告するだけのように。
弥恵ちゃんと離れてからもう六年余りが過ぎていた。でも、目を閉じればまるで昨日のことのように弥恵ちゃんとの日々を思い出すことが出来る。今まであれだけ思い出すことを拒んでいたのに、たがが外れたようにあふれ出していた。
なんてことはない世間話。休み明けに昨日何があったとか、前にこんなことあったよねとか、そんなような他愛もない友達との会話のようだった。私はそんな普通に飢えていたようで、言葉が止まらなかった。
前に見た映画面白かったよね。テスト勉強見てくれてありがとうね。私料理できるようになったんだよ。
ねぇ弥恵ちゃん、困ったことがあったら言ってほしかったな。辛いことがあったら、頼ってほしかったな。
いつしか過去形になっていた。視界はぼやけ、声は震える。もう立っていることもやっとだった。まばらに雪が積もる地面に大粒の涙が零れ落ちる。私は二つの小さな人形をぎゅっと抱きしめた。
「……弥恵ちゃん……」
振り絞るようにその名前を呼ぶ。もう声を出すこともままならない。折角無理を言って弥恵ちゃんと二人にしてもらったのに、これじゃまた先輩たちに心配かけちゃう。きっとどこか物陰から私たちを見てるんだから。
皆、優しい人たちだから。だから、心配をかけたくないんだよ。
「……弥恵ちゃん、最後に……報告があるんだ」
乱雑に涙を拭き笑顔を作った。大切な報告なんだから、こんな顔じゃ勿体ないよ。
「私ね……、好きな人が出来たんだよ。だから、弥恵ちゃんも応援してくれるかな」
弥恵ちゃんならきっと、ううん、絶対笑顔で背中を押してくれる。
"舞衣ちゃんなら絶対大丈夫だよ"
眼を瞑るとそう言ってはにかむ弥恵ちゃんの顔が浮かぶようだった。
「……ありがとう、弥恵ちゃん」
私は一言だけ親友にお礼を言って皆が待つ方へと足を向けた。
私は臆病な人間だった。小さい頃から人と付き合うのが苦手で、いつもお母さんとか先生の後ろに隠れていた気がする。でも、ある時私に話しかけてくれた女の子がいた。その女の子は私にそっと手を差し伸べてくれた。
――あの……良かったら一緒に遊ぼ?――
恐る恐る手を取ると、より一層柔らかな笑顔を見せてくれた。その姿はどこか優しい子犬のようにも見えた。臆病な子猫のように物陰に隠れていた私を連れ出してくれた。
その日から、私たちは親友になった。




