18 P4U!
「ただいま」
「ただいま~っ」
真冬の日の入りは驚くほど速い。まだ十八時前だというのに辺りはもう暗闇に包まれていた。幸い街明かりは不眠不休で働き続けるため明かりには困らないが。
俺と五十実はマキナの待つアパートへと帰ってきた。ていうか五十実の場合は"ただいま"じゃなくて"お邪魔します"とかじゃないのか。もう既に居座る気満々でいやがる。
「おかえり、アラタ、マイ」
「ただいまマキナ~。外寒かったよー」
マキナまで五十実に対して"いらっしゃい"じゃなくて"おかえり"になってるし。まぁ、ツッコミを入れるのも面倒だからスルーしとくけど。
狭い八畳間の中へと入るや否やよいしょと荷物を降ろし、部屋の中の電気ヒーターで暖を取る五十実。年寄りかよ。そこへすぐさま電気ケトルで温かいお茶を入れるマキナ。こっちは甲斐甲斐しい娘か。
俺が心の中でつまらないツッコミを繰り返していると、マキナは俺の分のお茶を持ってきてくれた。
「アラタ、お茶で良かった?」
「ああ、ありがとう」
マキナのお茶をすすりながら自分の定位置に座り一息つく。今日はいろいろあったな、なんて俺まで年寄り臭いことを考えてしまうのは、ここがそれだけ居心地の良い空間になっているということか。
そんなこんな考えてると五十実が座った体勢のまま近付いてきて肘で俺の腕を突き何かを訴えている。視線を追うと今日買ってきた物が入っている紙袋が置いたままになっていた。なるほど、あれを出せと。
「マキナ」
マキナは俺が呼ぶとトコトコと近付いてくる。俺は紙袋から例の物を取り出すと早速マキナにそれを手渡す。受け取ったマキナはそれが何かわからずきょとんとしていた。
「アラタ、これは?」
「開けて見てくれ」
"わかった"と決まり文句を言い、マキナは包装紙を丁寧に剥がし中の物を目の前に広げた。マキナは見慣れぬそれに少しだけ目を大きくする。
「これは……」
「エプロンだ」
俺と五十実がマキナへのプレゼントに選んだものはエプロンだった。あまり派手過ぎずにマキナに似合うような薄めのピンク色ベースのエプロン。ワンポイントとして真っ白な羽の模様と小さなリボンがあしらわれている。
「クリスマスプレゼントだよ、マキナへの」
クリスマスプレゼントと聞いてピンと来たのかマキナは目を細め微かに破顔する。良い顔だ。幼さを覗かせながら品のある、そんな笑顔だった。
「私も一緒に選んだんだよー、えへへ~っ」
マキナの笑顔に触発されたのか五十実も優しく人懐っこい笑みを見せていた。やはりこの二人は相性がいい、と思う。人とあまり関わってこなかった俺が言うのもなんだが、この二人はまるで姉妹のように見える。
マキナとの出会いによって変わったのは俺だけではない。きっと五十実もマキナとの出会いで良い方向へ変わったのだろう。だからこそ、今日五十実を繋ぎ留めることが出来て良かった。本当にそう思っている。
だけど、この笑顔が本当の意味で本物になるにはもう一つだけ、乗り越えなければならない壁がある。
過去があるから今があり、未来を作っていくことが出来る。ならば過去と向き合うことからは逃げることは出来ない。未来を見て生きていくのならな。
だけど今この時くらいは嫌なことを忘れて笑うの悪くないだろう。彼女にとってそれは大切なひと時なんだから。
「早速着てみて、マキナー」
五十実がマキナにエプロンを着るように促す。少しの間しげしげとエプロンを観察していたマキナはその言葉を聞き、"わかった"と言い突然今着ている服に手をかけ脱ぎ始めた。
「ちょちょちょっと待ってマキナ! 服は脱がなくていいからね!? その上から着るものだから!」
「そうなの?」
マキナの突然の脱衣を慌てて止めに入る五十実。流石に予想外の行動だったのだろう。止めに入るのが少し遅れたのと、今マキナが着ている服がワンピースタイプだったためばっちり下着が見えてしまっていた。
「……先輩、見ました?」
「見てねぇ」
「見ましたよね?」
「……」
不可抗力だよ、不可抗力。
咄嗟に目を逸らしたが、五十実がマキナのためにチョイスしたであろう薄いピンク色の下着がしっかりと目の裏に焼き付いてしまった。奇しくも俺たちが選んだエプロンと同じ色である。なんて残念な結果だ。というかマキナの衣類は五十実に一任しているためこれは偶然というより五十実の趣味か。
「よよ……、私の可愛い可愛いマキナのあられもない姿を先輩に見られてしまうだなんて……。これは先輩に責任を取ってもらうしかないですね」
「なんでだよ」
いつからお前のになったんだ。それに"よよ"って、普通使わねぇよそんな言葉。そして当のマキナ本人はよくわからないと言った様子でぽかんとしている。
どうやらマキナはそもそも"エプロン"というものを知らなかったようだ。それを着ろと言われれば普通の衣服と同じように今着ている服を脱いで着ようとするか。どちらかというと"着る"より"付ける"のほうが適切かもしれない。
「因みに先輩。マキナみたいに儚げな雰囲気の女の子には寒色系よりもいっそ暖かみのある可愛い色が似合うって私さっき言いましたけど、それについて今どう思いますか?」
「……知るかよ」
このエプロンを選ぶときに五十実が言っていた言葉だった。だからって下着までそうする必要あるのかよ。どんな伏線だ。あと今俺に意見を募るな。さっきの光景が忘れられなくなる。
これは服の上から着るものだ、と理解したマキナは気を取り直してエプロンを付ける。普通のエプロンだからサイズが合う合わないはあまり気にしてなかったがぴったりのサイズだったようで何よりだ。五十実の目算も馬鹿にできないな。
「わー、ぴったり! こないだ身長体重スリーサイズ全部測っておいて良かったねー! あ、駄目ですよー先輩。先輩には秘密ですからねー。マキナのスリーサイズ知ってていいのは私だけなんですから。でもどうしてもって言うなら……、私のだったら……教えても良いですよ……?」
やっぱ馬鹿だわこいつ。
心中の呆れを押し留めながらマキナを見る。五十実の意見に乗っかるわけではないが、確かに色白で華奢なマキナに意外にも良く似合っている。幼さを含みながらもどこか達観したい様子のマキナが可愛らしいエプロンを身に着けていると何とも微笑ましい姿が出来上がる。
「萌えますよね!」
一言で表すとそう言うらしい。
興奮冷めやらぬ五十実はスルーするとして、マキナの様子を見るとどこか困惑しているような、呆けた顔をしていた。ああ、そうだ。教えていなかったな。
「マキナ、それは料理とかするときに服が汚れないように付けるものだ」
マキナはそれを聞いて初めて納得したように"なるほど"と頷いた。
そもそもエプロンを知らないのなら用途もわからないか。自分が知ってて当たり前なことが他人にも当てはまるとは限らないってことはこの前のシンデレラの件で学んでいたはずだったなのにな。図らずともマキナを困惑させてしまっていたようだ。
「料理……していいの?」
「ああ、料理だけじゃない。他にもいろいろやれることはあるさ。やれるか? マキナ」
俺がマキナにエプロンを渡すということ、それはマキナに家事を許す、ということでもある。
今まではお茶を入れるなど簡単なことしかやらせてこなかったが、これからはマキナにいろんなことを任せても良いと思う。勿論いきなり全てを任せるわけではない。これからマキナに、いや、マキナと一緒に料理や掃除など家事を学んでいこうと思う。それを皮切りにマキナに出来ることを増やす。そうすれば俺が留守の間マキナは退屈しなくて済むだろう。
別にマキナから退屈だと言われたわけではない。大きくはないがテレビもある。だがそれだけでは少し不憫に思えた。
普段一人の時は外に出してやれないかわりにマキナに自由を増やす。その一歩がこのエプロンだった。
「……してみたい。けど、やり方がわからない」
それはそうだろうな、教えていないのだから。だったら教えてやればいいだけだ。
「俺も一緒に覚えるよ。だからやってみようぜ、マキナ」
俺は精一杯の優しい顔を試みた。仏頂面で凝り固まった表情を変えるのは俺には難しい。だが、今の俺なら、優しさを知った俺なら、そんな表情が出来ても良いじゃないか。不器用でも笑えるのなら、笑っていたいと思えたから。
マキナは俺の表情を見て、これまた珍しい笑顔を見せる。
「アラタ、変な顔」
「言うな。慣れてねえだけだ」
「でも、良い顔してる。優しい顔。私は……好き」
なら、良かった。
口には出さない。野暮だと思ったから。それに、マキナはもう一つだけ言葉を持っていたようだったから。
「ありがとう、アラタ」
その一言だけでも俺は報われるよ、マキナ。
マキナは着ているエプロンごと自分の体をきゅっと大事そうに抱きしめる。自分ではないものを大切にするように、慈愛の心が見えるようだった。
「はいはいはい! 私もいまーす! みんなの舞衣ちゃんはここにいますよー! 無視しないでくださーい!」
別に無視していたわけではないのだが、痺れを切らした様子の五十実によって空気はぶった切られた。
「さっきまであんなに私を愛してくれていたのに、それが終われば放置プレイですかそうですか。いったん上げた好感度は他のルート行ってもそのままだと思わないほうが良いですよ先輩」
愛してくれていたという発言を即座に否定出来なくなったのは弱いな。
珍しくご立腹な様子の五十実に近付いたマキナは五十実の服の袖をちょんちょんと引っ張り、そのまま五十実の手を取る。
「マイもありがとう。嬉しい」
「マキナ……」
マキナの突然の積極的な行動に一瞬たじろぐ五十実。だがしかし緊張感は一瞬しか続かずにすぐデレデレとしただらしない顔になった。
「いやぁ~、どういたしまして~っ。でっへへ~」
キモい。
時折見せる五十実のマキナに対する異質な愛情はなんなんだ。交友関係が狭い分、その狭い範囲にいる人物に過剰な愛情を注ぐようなタイプなのか? 女性同士の友達は大体こんななのか、それとも五十実がそういう趣味なのか。どっちもなんか嫌だな。少し複雑だ。
「あれー? 先輩どうしましたー? 今度は先輩が仲間外れにされちゃってやきもきしちゃってますー?」
「それだけはないから安心しろ」
つい一時間程前までは大分しおらしかったのにもう随分と復活したようで何よりだ。出来ればもう少しぐらい大人しくしてくれても良かったのだが?
一瞬で機嫌を直した五十実は興が乗った様子で"ちょっと待ってて"と自分の持ってた荷物からさっき俺がマキナに渡したエプロンと同じ包装が施されたものを取り出す。そしてガサゴソと音を立てながら中身を目の前に広げた。
「じゃーん! 私も買ってもらってたんだーっ! マキナとおそろだよー!」
マキナのエプロンと同じ模様の色違いのエプロンを両手で掲げる五十実。透き通るような水色の中にこれまた白い羽模様とリボンがワンポイントでちょこんとついている。
実は五十実と一緒にマキナへのプレゼントを買うにあたり、エプロンを提案したのは五十実だった。実用的で形の残る物。それでいてマキナに必要なものとして挙げられたのがエプロンだったのだ。
確かにマキナ用の衣類は数多く揃えていないため汚れることはなるべく避けたい。だからと言ってエプロンなんてプレゼントじゃなくて普通に買ってやればいいんじゃないかと思ったのだが、五十実曰くこういうものは記憶に残る送り方をしたほうが良いとのことだった。その際マキナに合いそうなデザインの物を見つけ、丁度二種類あったからマキナと五十実へのプレゼントとして両方買ったのだった。
……そういえば五十実が水色の方を選んだ理由ってマキナにピンクの方を着せたかったからじゃ……。いや、深く考えるのはよそう。またさっきのあれを思い出してしまう。
思考を振り切ろうと特に意味もなく肩を回しふと二人の方を見ると、既に五十実も買った水色のエプロンを身に着けていた。
意外に似合うな、と思ってしまった。だがそんな歯が浮くような台詞は今日はもう売り切れだ。どうせ明日には今日五十実に向けて言った自分の台詞を思い出して悶えてるんだろうからな。
マキナの抑揚のない"おー、マイかわいい"という彼女なりの感嘆の声や、五十実のデレデレとした"マキナはやっぱりピンクが似合うなぁ"といった声を聞き流しながらどこか遠くを見るような目で眺める。まるで、自分がそこにいないかのような感覚。
どこか、そうどこか、少しばかりの、"寂しさ"を感じていた。この俺がこんなことで寂しいと感じるなんて、いよいよ焼きが回ったか。まぁこの二人なら俺がいなくても仲良くしてるだろう。
今までもマキナと五十実の間には俺はあまり介入しなかった。だったら水を差すのも野暮ってもんだ。俺はさり気なく二人から距離を置くように座る位置をずらす。だが、目聡いやつに見つかってしまったようだ。
「先輩先輩っ、ありがとうございます」
五十実はせっかく俺が開いた距離を何の躊躇いもなく詰める。そしてマキナもそれに倣うように俺に近付いてきた。気付けば左にマキナ、右に五十実と逃げ場なく挟まれてしまっている。
「礼なら買った時に聞いたよ」
「いーんですよ何度言ったって。嬉しかったんですから。ねっ、マキナ」
「うん、ありがとう。アラタ」
こう面と向かって礼を言われるのは慣れていない。そして、照れを隠すのも慣れていない。
「あ、先輩照れてます? やっぱ先輩も可愛いとこありますね」
「別に。照れてねぇよ何言ってんだ」
「マキナー、これが前に教えた"ツンデレ"ってやつだよー」
「そう……、これが"ツンデレ"……。覚えておく」
マキナになに教えてんだこいつ。
俺の目線での抗議も虚しく、屈託のない笑顔で返されてしまった。その代わりに五十実は"そういえば"と話題を変える素振りを見せたため文句を言いたい口を紡ぐ。
「せんぱーい。まだこのエプロンを着た私達を見た感想、聞いてませんよー?」
「うっ……」
こいつ、俺の性格をわかっていやがる。俺が他人を褒めることが苦手だということと、マキナが絡むと弱いということ。その二つが組み合わさった時、俺は白旗を挙げざるを得ないのだ。
「……似合ってるよ、二人とも」
「えへへっ、嬉しいです先輩っ」
「……ありがとう、アラタ」
観念した。だから思ってることをそのまま口にする。たった一言がどうしようもなく気恥ずかしい。だが、不思議と嫌な気持ちにはならない。二人の嬉しそうな顔を見れたと思えばそんな恥なんて安いものだった。
少し間が空く。そして次に口を開いたのは五十実だった。その表情はどこか恥ずかし気で、少しばかり恍惚の色を滲ませている。
「それでですね……先輩……。その、私達から先輩へ……プレゼントがあるん……です」
五十実にしては珍しくはっきりしない物言いで俺を見つめてくる。そして、さらに距離を詰めてきた。もうどちらかが動けば触れてしまうほどに、耳をすませば吐息が聞こえてきそうなほどに、俺たちは近くにいた。
「私達からのプレゼント……それはですね……」
それは……。
「今日の晩御飯は私達が作っちゃいまーす!」
知ってた。
どうせ五十実は俺に良からぬ勘違いをさせてどぎまぎさせようとしてたんだろうが、帰りがけにスーパーで三人分の食材の買い物付き合わされたら大体想像がつく。残念ながら五十実の計画は最初からターゲットに全部バレていた。
「どうしましたー? 先輩。もしかして変なこと想像しちゃってたりしました? やだー先輩ったら~」
「……うっざ」
「ぼそっと言わないでくださいなんかリアルなんで。トーンがリアルなんで」
しょっぱい三文芝居は不発に終わっていた。因みに案の定マキナは何の話をしていたのかわからないらしく小首を傾げていた。こっちのほうがよっぽど目の保養になるな。
「こ、こうなったら必殺の裸エプロンを披露するしか手が残されて……」
「それやったら外に放り出すからな」
攻め手は先に潰すに限る。
ふと左の方を見るとマキナが物憂げな表情で俺の袖をつまんでいた。
「アラタ、私たちに料理、して欲しくないの?」
しまった、こう来るのは予想していなかった。恐らく五十実も予想してなかった展開だろう。再び抗議の目を五十実に向けるとなかなか良い反射神経で目を逸らされた。あいつめ……。
俺は一つ咳ばらいを挟むとマキナに向き合う。
「そうじゃないよ。ただちょっと、二人のプレゼントが嬉しくて声が出なかっただけだ」
さっき心の中で歯が浮く台詞は売り切れだと言ったが、どっかからか無理やり引っ張り出してきてしまったようだ。しかも咄嗟に考えたもんだから単純に台詞がダサい。これは悶えるのは明日だけで済むのか?顔は見えないが五十実が笑いを堪えている気配は感じる。こいつはあとで折檻だな。
でもマキナは俺の言葉に納得したようでほっと表情を和らげていた。
マキナは本当に素直で良い子だな、誰かと違って。
思えば用途もわからないエプロンを受け取って笑顔を見せてくれたのは、きっと俺達からのプレゼントならどんなものでも嬉しかったからだろう。そんな素直で純朴な感性を持つ女の子。それがマキナだった。
一方、もう一人は自分から近付いてくる癖にこちらから近付こうとすると距離を取ろうとするくらいな天邪鬼。この二人は似ているようで対照的なのかもしれない。
ではさっそく、と五十実が空気を読んでかキッチンへ向かい調理の準備に取り掛かる。それを見てマキナがトコトコと付いていった。同じデザインで色違いのエプロンをしているため余計に姉妹のように見える。
「マイ、嬉しそうだね。今日何かあったの?」
「えっへへ~、なーいしょっ」
五十実が一つ一つの料理の所作をマキナに教えている。そんなありきたりな会話の中からも二人の仲の良さがうかがえた。そんな楽し気な会話に耳を傾けて笑みをこぼすことが出来る日が来るなんて、これだけでも十分なプレゼントだよ。




