17 雪の日には
大学への道すがら、俺は五十実と出会った時のことを思い出す。本当はあの時のことなんてほとんど覚えていない。あの時は本当にただ気が立っていて、目の前で嫌そうな顔をしている女子といやらしい笑みを浮かべながら付きまとう野郎がいて思わず八つ当たりしてしまったのだ。それが五十実との出会いだった。その時には気にも留めなかった女と今こうしてもめるなんて、世の中何があるかなんてわからないな。
――あの……ありがとう……ございました……。助けてくれて……――
俺が五十実のことを認識したのはもう少し後だったと思う。さっきの五十実の話を聞くに、俺と五十実が付き合っているという噂が流れた後だろう。そもそもそんな噂が流れていたこと自体知らなかった。二回目に会った時は既に俺の良く知る、いつもの五十実になっていた。
――あーっ、先輩! 白羽先輩じゃないですか! やっと会えたー! この前はありがとうございました! え? 覚えてない? そんなー! まだボケるには若すぎますよー!――
最初はただただ鬱陶しい奴が増えたと適当にあしらっていたが、他の好奇心だけで近付いてくる奴らとは違って五十実は何度も俺の元へと現れてきた。無視を決め込み蔑ろにする日々から、自分でも気付かぬうちに徐々に五十実への態度は変わっていったようだ。
――先輩先輩! ずっと欲しかったマフラーやっと買えたんですよー! ほらほら見てください、可愛いでしょー! え? 安物と一緒にしないでくださいよー! 高かったんだからちゃんと褒めて―!――
些細なことに一喜一憂する五十実の姿は俺には遠く眩しく映っていた。そんな普通にしか見えない女子が何故俺に付きまとうのか聞いたこともあった。その度に変な理屈立てられて誤魔化されてたっけか。
――先輩はいつも独りぼっちですからねー。私が見てないといつの間にか居なくなってそうで心配なんですよー。ちゃんと見てますからね、先輩っ――
そして、いつの間にかそれが嫌じゃなくなっていた。いつの間にか、あいつがいるのが普通になっていた。
――先輩! 私もう成人してるんですよ! なので飲みましょう! 記念すべき初アルコールです!――
勝手に酒持って俺の家に押しかけてきて、その癖少し飲んだだけで酔っ払って面倒なことになったこともあったな。
――せんぱい……、せんぱいはいかないでください……。わたし……ひとりぼっちはもういやなんです……――
酔ってダウンした五十実が微かに囁いた言葉。思えばその時初めて五十実の本当の気持ちを聞いたのかもしれない。酔っぱらいの戯言だと思って聞かなかったことにしたが、あれは五十実からの助けて欲しいというサインだったのかもしれない。それに、もっと早く気付けていれば……。
――先輩、実は結構優しいですよね――
……そうか、わかった。
俺はさっきのおっさんの言葉を思い出す。人の優しさを本気で嫌う人間なんていない。それはやはり正しいのだろう。
五十実は俺が優しくなったから避けたんじゃない。もしそうなのだとしたらもっと前から俺を避けているはずだ。それに、マキナは五十実に対していつも優しく接していたように見えた。
優しさを嫌うならマキナとはそもそも相容れないはずだ。となると原因はそこではない。五十実の心の傷を癒すには、やはりあれしかないのだろうか。
もしかしたら、五十実をより深く傷つけることになるかもしれない。だが、このまま五十実をずっと一人にしておくのは、いつか取り返しのつかないことになるような気がして、どうしても放っておくことが出来なかった。
ああ、本当に厄介な後輩だよお前は。
十二月も末、真冬の風は身を切るような厳しさを示す。けれど、俺よりもっと寒い思いをしているやつがいるだろう。俺はそいつを暖めに行ってやらなければならない。一人は嫌だって言うやつがいるのだから。
多くの講義室が収容されている棟の外、学生たちの訝しむような遠巻きの視線を無視しながら俺は待つ。
寒空の下、壁を背にする。吐く息は白い。当然煙草の白さなんかじゃない。
道行く他の学生など眼中にない。今はただ、一人の後輩の姿を待ちわびていた。
だからだろうか、その姿が見えたとき俺の胸の鼓動が少なからず早まるのを感じる。ああ、なんてわかりやすい。こんなときに自分の単純さを自覚するなんてな。
「待て」
出口から出てきたところを声をかける。声は上擦っていないだろうか。そんなこと気にすることも初めてだ。幸い俺の声はいつも通り、彼女の耳に届いていた。
「……さよならって言ったはずですよ?」
「言ってねぇだろ、そんなこと一言も。お前はただ"もう会えない"って言っただけだ。会いたくないとももう近付くなとも言われてねぇな」
不意を突かれた様子の五十実はこちらへ振り替えることもなく少しだけ困惑したような声を出す。珍しい、少なくとも五十実にしては。
「女の子の言葉に隠された意味を汲み取れないとモテませんよ? 先輩。女の子は大抵素直じゃないんですから」
「いいよモテなくて。ただ俺は……」
一瞬だけ間を空ける。五十実が俺の方へと向くその時間を稼ぐ分だけの間を。
「助けて欲しいっていうサインの意味さえ読めればいいさ」
ゆっくりと振り向いた五十実の顔はほんのりと赤みがさしていた。その表情も今まで見たことないな。今日は貴重な経験をよくする日だ、などと悠長なことを考えていられるのは、五十実が俺が声をかけてすぐに逃げ出すような行動を取らなくて安心したからか。まぁ、その場合地の果てまでも追いかけるつもりだったが。
「……本当に先輩は、いつからそんなかっこいいセリフ言えるようになったんですか」
「クサイならクサイって言っていいぞ。それに、お前も人のこと言えないからな」
「……もう」
五十実は首にかけていたマフラーで口元を隠すように覆う。それがどんな感情故かなんて、俺は察しが悪いようなのでちっともわからんが、少なくとも悪い感情ではないのだろうな。
口元だけ隠しても赤く染まった頬は隠しきれていない。顔は少しばかり下の方を向いているが、目線だけはこちらへ向いていた。そんな風に上目遣いを向けられたら二の句が継げない。本当にこの後輩は俺を困らせるのがうまいな。
「行くぞ五十実。話がある」
「……私にはありません」
「お前に無かろうが知ったことか。俺にはあるっつってんだよ」
「……酷いですよ先輩……。そんなこと言われたら逃げられないじゃないですか……」
逃がさない。優しさを見せると逃げられる。だからきつく突き放して、繋ぎ留める。
「せっかくこのクソ寒い中お前を待ってたんだ。話くらい付き合え」
「先輩……ストーカーみたいですね」
「お前に言われたくねぇよ」
とりとめのない些細な会話を挟み俺達は人目の付かない場所まで移動を始める。マフラーで口元を覆ったままの五十実は始終こちらを見ることはなかった。ただ、その横顔は何か葛藤するような複雑なものだった。
移動の最中、ふと見覚えのある景色に目を奪われる。ここは確か……。
「……先輩覚えてますか? ここ」
その一言で確信へと変わる。そうだここは……。
「お前と初めて会った場所……か」
五十実と初めて会った場所。正確には俺がむしゃくしゃしてて目障りなサークル勧誘に八つ当たりした場所だ。
大きなホールの近くの舗装された石畳の道。左右は多少手入れされているであろう芝生が覆う。いくつもある大学の棟を結ぶ中心部だ。
人目のないところへ行こうとしていたのにこんなところで立ち止まってしまうとは。しかし既に時は夕刻ということもあり人影はまばらだった。
「第一印象は……最悪でしたね、先輩」
「……うるせぇ。あんときはただ普通にイラついていただけだ」
「普通にイラつくってなんですか。それで他人を恫喝って、それこそ普通ないですよ」
心なしか五十実の声色に笑いの気が混じっていた気がする。そして、その声を待ちわびている俺がいるところも俺の苦笑を誘う。
「先輩」
一言。五十実は俺の歩みを止める。その意味がわからない俺ではない。
振り向くと五十実は俺のすぐ側まで来ていた。もう一歩踏み出せばぶつかってしまうほどに。そして俯いたままの顔は俺に表情を読ませなかった。だから俺は五十実を見ず、薄く遠くを見つめる。
「先輩は……私のことが嫌いになったでしょ?」
「いや?」
「先輩を利用してたって聞いて、私にムカついたでしょ?」
「別に」
「私の過去を知って……重い女だって思ったでしょ?」
「どうでもいい」
端的に、ただ端的に答える。ただそれだけで、五十実の語気に掠れが混じりだす。
「先輩は……私に冷たくしてればいいのに……どうして……」
「優しくしたつもりはねぇよ。ただ……」
すぐ近くにある五十実の頭の上に手をそっと乗せる。俺の言葉に躊躇いはなかった。
「お前が勝手に居なくなると俺が落ち着かねぇってだけだ。俺が嫌なんだよ。お前の為なんかじゃねぇ、調子乗んな」
そうだ、俺は今、五十実の為なんかじゃなく、俺の為にこうしているんだ。俺がそうしたかったから。俺がそれを望んだから。身勝手を振るっているだけだ。
五十実は答えない。俺は待つ。その時間は一瞬にも永遠にも感じられる。そして、五十実は俺に顔を見せず背を向けた。その背中は、あまりにもちっぽけだった。
「……私はもう、一人で生きていけますから」
告げる。
「私はもう先輩のことが恐くなりました。だからもう私に近づかないでください。もう……私に構わないで……ください……」
でも、俺は納得しない。
「そうかよ。だったら……なんで泣いてんだよ」
五十実のその声を聞いて、納得なんて出来るわけないだろ。そんな、今にも泣き崩れそうな嗚咽交じりの決別の言葉、誰が信じられるっていうんだ。
「ひとりぼっちは嫌だって言ってただろ。それがお前の本心だよ」
逃げ出すには十分な時間が経った。だが、五十実はそこにいた。逃げ出さなかった。それだけでも、俺には十分強い奴だと思える。マフラーで涙を拭う仕草は後ろからでもわかる。今、五十実は戦っているんだ。自分の中の過去と、今を味方にして。
五十実舞衣は優しさに恐怖を抱いているわけではない。優しさの裏に狂気を見出してしまっているだけ。だったら、教えてやればいい。仮想の恐怖に振り回せるなって。居もしない敵に慄くなって。
世界は、思っている以上に優しく出来ているんだって。
やがて、すすり泣く声も聞こえてこなくなる。どれくらい時間が経っただろう。時間を気にする余裕が出ていたのは、五十実がたった今葛藤を終えたことを確信したからだろう。
「……先輩。そこにいますか?」
「いるよ」
俺に背を向いたままぐしぐしと手のひらで目を擦る仕草が見える。そんなに擦ると目が赤くなるだろうに、と思ったが恐らくもう手遅れだな。
振り返った五十実の顔は、目も顔も頬も真っ赤にしながら、それでも何か決意を抱いたかのような強い表情をしていた。もう逃げない、そんな強さだった。
「先輩、先輩に飛びついてもいいですか?」
「駄目だ」
「ぎゅっと抱きしめていいですか?」
「よくねぇ」
「抱き返して頭撫でてもらってもいいですか?」
「断る」
五十実は俺の言葉を無視し、俺の胸へと飛び込んできた。五十実の体重なんて軽いもんだ。簡単に受け止められる。受け止めた衝撃を軽く流し、バランスと立て直すと同時に五十実は俺の背中に手を回す。真冬用のコート越しでも五十実の柔らかな感触を感じる。
身長差から五十実が俺をきつく抱きしめると自然と俺の胸のあたりに五十実の顔が来る。この分だと聞こえてしまうか。俺の鼓動が人生で最も早まっているのを。
胸元に顔を埋める五十実を見て、コートのボタンを閉じていなくて良かっただなんてつまらないことを考えてしまうのはどうしてだろうか。どうして、こんなにもこいつを大切にしたいと思ってしまうのだろうか。
俺は五十実の背中に片手を回し、もう片方の手で丁度良い位置にある頭を撫でる。人の頭を撫でるなんて生まれて初めての経験だ。こんなにも近い位置に人がいるなんてことも、初めてだった。
「ひぐっ……先輩……、私……怖かったんです……。先輩が優しくなったら、いつか弥恵ちゃんみたいに先輩のことがわからなくなるんじゃないかって……。だから今まで通りの適当な関係が良いって思ってたのに……、裏切られるくらいなら……最初から無ければいいって思ってました……。でも、今日先輩に別れを告げた後、これから先輩にもマキナにも会わないって誓ったんです。そしたら……、涙が止まらなくなりました……。講義なんて受けてられなくて、ずっとトイレで隠れて泣いてました……。だけど、さっき先輩が声をかけてきたとき、枯らしたはずの涙がまた出てきそうになったんです……」
感情の高ぶりに耐え切れず咳き込む音が聞こえる。なら、俺は背中を擦ってやればいい。
「先輩……。私……もう一人は嫌なんです……。もう……戻りたくないよぉ……」
五十実舞衣を強いと言ったのは幾許か間違いだったのかもしれない。俺の胸の中にいる一人の少女は、こんなにもか細く、こんなにも儚い女の子だったのに。一度止めた涙も再び呆気なく流れ出してしまうほど、俺の胸の中で子供のようにむせび泣いてしまうほどに、か弱い女の子だったのに。
この子が背負ったものは余りにも大きすぎた。それこそ、自分を殺さないと耐えられないほどに。だったらその重荷、俺が少しでも軽くしてやる。俺が、支えてやる。
俺は優しくなんかない。ただ、俺がそうしたかったからそうしただけだよ。舞衣。
五分、いや十分? もっとかもしれない。それくらいの間俺たちは抱き合っていた。人の往来も少なくないが、そんなのどうだっていいか。今はただ、冷え切ったこの少女を温めてやれればそれで良い。
少しして漸く泣き止む様子を見せる五十実。だがその手の力は緩むことはなかった。
「落ち着いたか」
俺が声をかけると五十実は顔を埋めたままふるふると首を振り、抱きしめる腕にさらに力が入るのを感じる。こいつもしや……。
「……先輩」
「なんだ」
さっきまでのか細い声とは違った憮然とした声色を覗かせる。様子がおかしい。
「頭撫でる手が止まってますよ? もっと撫でてください、私が良いって言うまで」
「調子に乗んな」
途中から五十実の頭に乗せるだけになっていた手で軽く頭を小突く。すると五十実は"あいたーっ"とオーバーリアクションで応じた。こいつまさかとは思うが途中から楽しんでやがったのか?
「酷い! 酷いです先輩! こんなか弱い乙女が泣いているのにそこにチョップかますなんて! 鬼! 人でなし! ドS!」
「うるせぇぞ、もうとっくに泣き止んでるじゃねぇか」
五十実はいつもの五十実に戻っていた。そう、時にうざく時にうるさく時に鬱陶しいいつもの五十実に。
「だ、だって……、ふと我に返ったら先輩に抱きしめられてなでなでされてるんですよ? そんなの限界まで味合わないと損じゃないですか。なので先輩、もう一回お願いします」
「ざけんな」
もう一回あれをやれだなんて、そんなの素面で出来るわけねぇだろ。
不承不承と言った顔で俺から離れる五十実。その表情に安堵の色を隠しきれない俺がいる。もう、五十実のさっきみたいな感情のない顔は見たくないからな。
そして、そのまま少しの間沈黙が訪れる。今まで随分と突っ走ってきたもんだ。定食屋のおっさんに焚きつけられてから気付けば体が動いていたような、そんな感覚。俺らしくない、とも思う。だがさっきまで五十実も五十実らしくなかったんだ。お互い様だろう。
「先輩、私ね? 今までも何度か先輩から離れようって思ったことがあるんですよ」
ぽつりと呟くように告げる五十実。俺はそれを邪魔することなく聞き入る。
「先輩って、なんだかんだ言ってやっぱり優しいんですよ。少なくとも私にとっては。だから、私は先輩の側にいちゃ駄目なんだって思いました。でも、駄目でした。気が付けば先輩のことを見てました。先輩を見かけるたびに追いかけて話しかけてました。変ですよね、こんなの」
続ける。
「私、やっぱり壊れちゃってたのかな。誰かに優しくされるのが嫌になって、先輩に適当にあしらわれるのが癖になってたんです」
五十実は自嘲気味に語る。また、らしくない。
だから、らしくないことを言ってやる。
「そんなの、お前が"寂しがりや"だってことだろ。一人になりたいなんて思ったことないくせに。無理して自分に言い聞かせてるだけだ。我慢するなよ、五十実」
俺の言葉はどう届いただろうか。人は他人の心までは読めない。だから、俺は待つことにした。五十実の言葉を。
「先輩、私は先輩の側にいてもいいんですか?」
「好きにしろ」
「私は、マキナと仲良くしてもいいんですか?」
「マキナは喜ぶだろうな、お前がいれば」
一呼吸、間が空く。その間は彼女なりの決意の時間か。
「私は……弥恵ちゃんともう一度会っても……いいんですか?」
即答は出来ない。だが、答えは決まっているのだろう。
「……前に進みたければ、な」
五十実舞衣という人物がこれから先、前に進むには過去と向き合う必要がある。弥恵という女の子とのことはいつまでも有耶無耶にしていていいものではないだろう。だから、もう一度会う必要がある。五十実にもそれがよくわかっているのだ。
そして、この話は俺にも無関係ではないかもしれない。
「……じゃあ先輩、私に勇気をください」
俺の返事を待つこともせずに五十実は俺に再び抱き着いてきた。だが、今度は泣いてはいない。表情は見えないが、抱き着く腕の力はさっきよりも随分と優しくなっていた。だから、俺も優しく頭を撫でる。
またしばらくこの時間が訪れる。もう既に日は沈みかけていた。空気の冷たさがよりお互いの体温をはっきりと感じさせる。この子はもう、寒い思いをしなくていい。
ふと頬に風とは違う冷たさを感じ上を見上げる。するとそこに微かながら綺麗な白が舞っていた。
「雪……ですか?」
「そう……みたいだな」
五十実も気付いたのか、俺から顔を離し同じように空を見上げていた。
今日は確かに特別寒かったがまさか雪まで降るなんてな。目線を降ろした時、五十実と目が合う。その瞬間、五十実は見慣れた人懐っこい笑顔で返してきた。
「先輩先輩、ホワイトクリスマスですよこれ。何年振りですかホワイトクリスマスなんて」
そう言われて初めて気が付く。そうか、今日はクリスマスイヴか。
五十実は俺が今やっと気が付いたことを察したのか、少し呆れたような煽り顔を見せる。そうかもうそんな顔が出来るようになったか腹立つな。
「先輩、まさか本当に今気が付いたんですか? だから私今日先輩に呼び出された時、愛の告白かと思って期待してたんですから。それなのにあんなことになって……、さっきの授業中ずっと涙堪えてたんですからね……?」
急に声のトーンが落ちる。五十実からしたら裏切られた形になっていたのか。図らずも寂しい思いをさせてしまっていたらしい。
「……悪かった」
「じゃあ……」
代わりを要求するような口調で五十実は言う。
「これから……もっと私に優しくしてください」
「努力するよ」
優しくしてください。その一言を聞けて俺は一気に力が抜けるようにほっとしていた。
そして、余程気に入ったのかまた五十実は抱き着いてくる。もぞもぞと猫のように顔を摺り寄せてきたのでまた頭を撫でる。たった今優しくするっていったばかりだから無下には出来ない。
「でも、私は嬉しいです。ホワイトクリスマスに先輩とこんな風に抱き合えるなんて。すごいロマンティックじゃないですか?」
「雪が積もらねぇとホワイトクリスマスじゃねえだろ確か。この降り方じゃ駄目だな」
「いいんですよホワイトクリスマスの定義なんて。私達がどう感じるかの方が大切ですって」
定義に拘らず感じるままに、か。まぁ、そうだな。どこの誰だかわからない奴が決めた定義より、今俺たちがどう思うかの方が大切か。
僅かに降る雪が時折頬をかすめる。それが火照った俺たちを丁度良い塩梅で冷やしてくれていた。静かに降り続ける雪が、俺たちの喧騒を洗い流すようだった。
「……そういえば先輩、話があるって言ってましたけど」
いつまでも同じ場所にいるわけにもいかず、どちらからともなくとりあえず俺の家に行こうという話になった。その道中、五十実は沈黙を破り問うてきた。
「話ってさっきのでいいんですか? その……帰ってからも私を抱きしめてなでなでするっていう話」
「そんな話してねぇ」
何勝手に話しすり替えてんだ。というかもう一度冷静になって改めて考えるともうあんなこと二度と出来る気がしないぞ。幸いそのネタで揶揄ってくるような知り合いは大学にはいないから大丈夫だろうが。
「話はほぼ終わったよ」
そう、ほぼ、な。
残る一つの疑問。五十実から聞いた過去の話、その中で気になる点があった。恐らく五十実本人も気になっているだろう。そう、それは。
"白羽"弥恵という名前の少女の存在。
奇しくも俺と同じ苗字だ。苗字が同じだけで過剰な反応かもしれないが、白羽という苗字はこの国ではそこそこに珍しい。少なくとも俺と親父以外には聞いたことが無い。そして五十実がこの大学を選んだのは五十実の祖母のすすめだったという。一人暮らしに反対だったはずの祖母が急に都会の大学を進めてくるというのはどうにも気になる。
いずれも多少の違和感、無視しても構わないのだが、どうにも俺には気になって仕方がなかった。
「あーっ」
突然の気の抜ける五十実の声に思考がふっとぶ。見ると五十実は空を見上げながらポカンと口を開けていた。
「雪止んじゃいましたよー……。せっかくホワイトクリスマスになると思ったのにー」
心底どうでもいい。というか雪が積もると面倒だから止んでくれたほうが助かるんだが。だが五十実は随分と残念そうにしている。女子ってのはそういうとこに拘る生き物なのか。
そういえば、クリスマスと言えば……。
「先輩先輩。マキナにプレゼント買いました?」
そう、プレゼントだ。
マキナにはクリスマスというものを教えていないため当然プレゼントをもらえるとは思っていないだろうが、それでも何も買っていかないのは今も留守番をしているマキナに申し訳が立たない。
「マキナにこないだクリスマスのこと教えたら"アラタからのプレゼント……? 楽しみ……。"って言ってましたよ」
こいつ余計なことを……。あとちょっとモノマネが似てたのが余計腹立つ。
「……今から買いに行く」
「まぁクリスマスを忘れてたくらいだからプレゼントなんて当然買ってないですよねぇ」
悔しいが図星だった。
マキナへのプレゼントか。ふとこの間のオルゴールを思い出す。マキナなら何をあげても喜びそうだが、何か綺麗なものがいいか。だがアクセサリーとかより何か実用性のあるもの方がいいのだろうか。
俺が眉間にしわを寄せ悩んでいるとやけに明るい声が届く。
「しょうがないですねぇ先輩は。そんなしょうがない先輩には私が一緒に付いていってあげますよー。一緒に選びましょ? マキナへのプレゼント」
五十実はもうとっくに暗い顔をやめていつも通りに、いや、いつも以上に晴れやかな笑顔で微笑む。
ああ、俺はこの顔が見たかったのかな。俺は、こいつの笑顔を取り戻せたのか。
っと、そうか。マキナだけにあげるというわけにもいかないな。本当は黙って買って渡すのがスマートなんだろうが、そんな気恥ずかしいこと今の冷静になった俺に出来るわけない。
「五十実、お前は何か欲しいものあるのか?」
最初はきょとんとしていたが俺の質問の意図を理解したのか、五十実は俺の手を取り嬉しそうな笑みを見せた。
「プレゼントはもう貰いましたよ、新先輩」
そして再び俺に抱き着く五十実。もう何度目だろうか。流石にもうきつく抱きしめてきたりはしないが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。でも……。
「えへへ~、あったか~」
この笑顔を見たらそんなこと言えなくなってしまう。




