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マキナのマホウ -machina magia-  作者: 今泉
Dearest Heart
17/34

16 大好きでした


 五十実舞衣、彼女の口から語られた一つの物語は余りにも悲劇的で、到底一人のちっぽけな少女には受け止めきれないだろう代物だった。そしてその非情な人生を語る五十実は至極冷静で淀みないものだった。


 掛ける言葉も見つからない。俺は五十実になんて言ってやればいいのだろう。どんな言葉を贈れば五十実は救われるのだろう。俺には皆目見当もつかなかった。

 俺は人に優しくされてこなかったし、してこなかった。だからこんなとき、何を言えばいいのかなんて俺の人生の辞書には記されていない。そもそも俺の言葉なんて五十実に届くのかすら怪しいものだった。


「あーあ、先輩にバレちゃったなー。せっかく先輩の隣は心地良かったのに。また振り出しですね」


 過去を語り終えた五十実の表情は不思議と何かを悟るような柔らかなものだった。それが、その表情が、俺には少し恐ろしく映る。まるでこのままどこかへ消えてしまいそうな、そんな儚さが隠れていた。


「どこへ行く気だ、五十実」


 やっと出た言葉はそんな愛想のない言葉だった。それを聞いた五十実はいつもと違う様子ではにかむ。


「やっぱり鋭いですね、先輩。別にどこにも行きませんよ。ちゃんと大学には来ますって。ただ、もう先輩たちの前には現れないと思いますけど」


 淡々と語られる決別の言葉。俺にはそれが許せなかった。

 

 五十実が俺に過去を語ったのはこれで俺たちの関係を最後にするつもりだったからだろう。

 最後だから、真実を打ち明ける。もう自分に興味が行かないように。だがそれは俺に対しては逆効果だ。

 "じゃあ、お元気で"と席を立ち去ろうとする五十実の腕を咄嗟に強く掴む。この手を絶対に離したくなくて、余計に力がこもってしまった。


「い、痛いですよ先輩。女の子はか弱いんですから」

「逃げるなよ、まだ話は終わってねぇ」


 じっ、と真剣な目つきで五十実をの目を見つめる。その意味が伝わったのか、五十実は観念した様子で姿勢を元に戻した。だが、席には着こうとしない。まだ"元には戻らない"とでも言いたげのようだ。


「お前が俺を利用したとか、そんなことはどうでもいいんだよ。今はあれこれを有耶無耶にしたまま逃げられるのが癪なだけだ。だから、逃げるなよ、五十実」


 目を離さない。五十実の目から一瞬たりとも目を離さなかった。目を離したら消えてしまいそうなほど、今の五十実は希薄なものに感じた。吹けば飛んでしまいそうなほど、五十実は儚く見えた。


 五十実は笑顔のままだった。だがその笑顔はいつもの物とは違う。その笑顔の裏にはどんな表情を隠しているんだ。その笑顔の下は、俺に見せてはくれないのか。


 永遠にも感じられるほど間は実際には数秒ほどしか経っていない。そして、その間を終わらせるように五十実は沈黙を破る。


「……先輩は女の子の扱いがほんとに下手ですね。もっと優しくしないと普通の女の子には逃げられちゃいますよ。でも私にはわかります。それが先輩なりの優しさなんだって。だからこそ、私はもう先輩には会えません。先輩が"優しくなってしまったから"」


 もう会えない。五十実はそう繰り返した。

 

 もう会えない。どうして。このままでは五十実が去ってしまう。どうすれば五十実を引き留められる。どうすれば五十実を守ってやれる。どうすれば五十実に優しくしてやれる。俺は必死に思考を働かせる。


 いや、違う。そういうことじゃない。そうじゃないんだ。五十実が求めていることは。

 

「先輩は本当に優しくなっちゃったんですね、私について考えるだなんて。もしかしてマキナに出会ったからかな。昔の先輩は私のことなんかただの邪魔者としか見てなかったのに。私にはそれが心地良かったのに」


 五十実は、"優しさ"にトラウマを持っているのか。過去に優しい友人に裏切られて、その後も優しさを見せつけられて、優しさに対して恐怖心を抱くようになってしまっていたのか。優しさの裏に狂気を見出してしまうのか。

 

 だから、今の俺じゃ駄目なのか。マキナと出会い、優しさを知ってしまった俺じゃ。


 茫然とする。もはや言葉なんか出てきやしない。もう俺には昔のように五十実に接することは出来ない。昔のように振る舞ってもそれは所詮演技に過ぎない。今の俺には、五十実の側にいてやることは、出来ない。 

 

 五十実は笑顔のまま俺に近付き、耳元でこう囁く。


「先輩、今までありがとうございました。先輩のこと、大好きでしたよ」


 それはあまりにも儚く、あまりにも悲しい告白だった。


 どうすればいい。どうすれば目の前の少女を絶望から救ってやれる。どうすれば目の前の少女を本当の笑顔にしてやれる。そう考えてから気付く。それが五十実が恐怖する"優しさ"なのだと。


 踵を返す五十実。このままでは五十実が行ってしまう。だが、俺には掛ける言葉が無かった。何を言っても、優しい言葉にしかならないとわかってしまったから。


「ああ、そうそう。マキナに伝えておいてくださいね。"マキナと先輩と一緒に居たとき、本当に楽しかったよ"って」


 追いかけることは出来なかった。言葉を掛けてやることも出来なかった。ただ俺は茫然と、その場に立ち尽くすだけだった。





 

「なんでぇなんでぇ、辛気臭ぇ面(ツラ)しやがって。店にまで辛気臭さがうつっちまうぜ」


 一人になった後、俺は半ば放心状態でいつもの定食屋へと来ていた。

 定食屋のおっさんの言葉を無視しながら注文した飯を口に運ぼうとするが、思うように口が開かない。苦し紛れに無理やり口に飯を突っ込むが味なんかほとんどしやしねぇ。別におっさんが味付け間違えたとか調味料ケチったとかそんなんじゃないんだろうなこれは。

 

 情けない。本当に情けねぇ男だ俺は。傷付いた女一人救えねぇなんて。自分が追及したにも関わらずそれを解決出来なかったなんて、事態をかき乱しただけだなんて、本当に自分の浅はかさに嫌気がさす。


 もし俺が五十実の真実を聞かなければ、俺が五十実の冷たい表情を見て見ぬふりをしていれば、これからも変わらない日常を過ごせたかもしれないのになんて、随分と女々しいことを考えるようになったもんだな。それだけいつの間にか五十実の存在が俺の中で大きくなっていたのか。


「なぁ兄ちゃん、なんかあったんだろ? 話してみろって。話せば楽になるぜ?」


 おっさんは俺の向かいの席に座り肘をついて俺を見る。今は昼時ではないにしろ仕事はあるだろ。サボってていいのかよ。

 もしかしたらおっさんにとって仕事よりも俺の表情の理由を聞くほうが重要なのかもしれない。

 それほどまでに俺は今酷い顔をしているのだろう。自覚がなかったわけではない。少なくとも今のままマキナと顔を合わせることは出来なかった。だから五十実を追えないと気付いた後逃げるかのようにここに来たのだが、自分が思っている以上に悲惨な顔をしていたようだ。


「別に、なんでもねぇよ」


 そっけなく答える。大体いつもこんな対応だから気にも留めない。


「なんでもねぇってこたぁねぇだろ、そんな面(ツラ)見せてなぁ」

「俺は元々こういう顔だ」


 前にもこんなやり取りをしたような気がする、とふと思い出す。前はマキナについて悩んでいた時だったか。あれからもう随分と経つ。マキナの問題も未だに解決していないし、いよいよもって自分の無能さに反吐が出る。

 

「いーや違うね、前の兄ちゃんはもっとこう……、やる気なさそうで目つきはいっちょ前に悪いんだがそれでも目は死んでなかったな。言ってしまえばヤンキーのなり損ないみてぇな面してたぜ」


 なんだよその評価。だがそんなしょうもないおっさんの評価を気にすることすら今の俺には煩わしかった。


「でも今は駄目だな。完全に目が死んでる。大方女に振られたとか、そんなんだろ」


 不意に核心を突かれ危うく咽(むせ)そうになる。なんでこのおっさんこんなに感が良いんだよ。

 俺のリアクションを見て確信したのかおっさんが余計ににやついた顔になった。くっそ腹立つ。


「だーっはっは! 図星かおめぇー! やっぱそうじゃねぇか! やっぱ兄ちゃんもまだまだガキだな! はっはっはっは!」


 誰かこのおっさんを黙らせてくれ頼むから。あと少ないとはいえ他にも客がいるんだぞ。勝手に俺の恥をねつ造して広めるんじゃねぇ。

 ヒーヒ―言いながら笑い声を必死に沈めるおっさん。何がそんなに可笑しいんだ。人がこんなにも悩んでいるというのに。付き合いの長いおっさんじゃなかったら何してたかわからねぇな。


 やがて息を整え笑い止んだおっさんは客用の湯飲みを持ち出しセルフサービスの水を汲んで再度席に座りなおす。


「やー、わりぃわりぃ。兄ちゃんがあまりに普通な理由で悩んでたからつい嬉しくてなー」


 普通だと? 何も知らないくせに。それに嬉しい?

 俺は元々気が長い方ではない。だからこのおっさんの発言には流石に激情を抑えきれなかった。


「何が可笑しいんだ! 何も知らねぇくせによぉ! おっさんにあいつの何がわかるってんだ! ああ!?」

  

 自らの激昂を定食屋のおっさんにぶつける。机に叩きつけた手のひらからじわりと痛みがしみ込んでくる。熱を帯び始める手とは裏腹に自分の頭は意外にも早く冷めていった。

 

 俺は何をしてるんだ。それこそ何も知らないおっさんに怒りをぶつけて何になるんだ。全部自分が蒔いた種じゃないか。冷えていく頭と反比例をして虚しさが増していく。俺はどこまでも小さい男だった。


「……悪い、おっさん」


 小声でそう呟く。周りの客は遠巻きに俺を見ており、俺がそちらへ向くと急に目を逸らしだす。そりゃそうだ、急にあんな大声を出して怒鳴るやつなんか関わりたくないに決まってる。だがおっさんはいつもの燦々とした笑顔を俺に向けた。


「ああ、良いってことよ。俺も調子に乗って笑いすぎたさ。悪かったな兄ちゃん。だけどな、俺は本当に嬉しいんだぜ?」


 嬉しい……か。別に俺の気を逆撫でるために行っているわけではないのはわかってる。おっさんは客に対してやたら絡んでくるし礼儀なんてしったこっちゃないような素振りを見せるが、それでも他人を悪戯に馬鹿にするようなことはしない奴だ。それは俺もよくわかってる。だから俺はここによく来るんだから。

 

「……なんでだよ」

「あん?」

「なんで嬉しいんだよ」


 今度は怒りからではなく単純な疑問から聞いた。おっさんはポリポリと頬を掻き少し照れ臭そうに言った。


「俺はな、今までいろんな人間を見てきた。意外かもしれねぇけど昔は相当やんちゃしてたからな。悪い奴にも良い奴にもいろいろ会ったさ。そん中でな? 悩むやつってのは大抵良い奴なんだよ。だから俺は悩んでるやつ見るとほっとけねぇんだ。良い奴には良いことがあってほしいからな。だから嬉しいんだよ。兄ちゃんが良い奴でな」


 おっさんの言葉は優しかった。それこそ今の荒み切った俺にはもったいない程に。

 俺は……良い人間なのか? 自分に聞いても答えは返ってこなかった。そりゃそうだ、他人とほとんど関わってこなかったんだから、他人からの評価なんてわかるわけがない。


 人の良し悪しなんて結局のところ人の尺度によって決まるものだ。良い奴がいれば悪い奴もいる。逆に悪い奴がいなければ良い奴もいない。全ての人間が良い奴ならそれは全員普通なだけになる。つまり"良い奴だ"と言われれば、俺より悪い奴がいるということになる。


「おっさん、俺は良い奴でいいのか?」

「あたりめぇだろ。俺が保障するさ」


 おっさんは一呼吸置くと笑顔でこう言った。


「兄ちゃんさっき"あいつの何がわかる"って言っただろ? 誰のことだか知んねぇが他人のために悩める人間に悪い奴なんかいねぇよ。つまり兄ちゃんは優しくて良い奴だってことだな」


 他人のために悩む、か。思えば俺は今までそんなことしたこともなかったのかもな。それが変わったのはマキナに出会ってからか。それと同時に、五十実とより多く会話するようになってからでもある。そこから、俺は変わっていたのか。


 俺は、二人に"良い奴"にしてもらったのか。

 だったら次は、その恩を返さなきゃな。


「おっさん、もしもの話なんだが、優しくされるのが恐いって言われたらどうしたらいいと思う?」


 もしもの話をした。そのもしもの話におっさんは優しい口調で答えてくれた。


「んなもん簡単よ。優しさは恐いもんじゃないって教えてやりゃいい。他人の優しさを本気で嫌う人間なんて居やしねぇさ。そういうやつは大抵そう思い込んでるだけだ。優しさの裏を見ちまってるんだ。だったらおめーの手で裏なんてない、優しさは恐くないって教えてやるんだ。間違っても辛く当たるんじゃねぇぞ? 辛く当たってうまくいってもそんなのは長続きしねぇ。それは兄ちゃんがよくわかってるな?」


 もしも五十実に優しくしないことで五十実との仲を元に戻すことが出来ても、それはマキナと出会う前の関係に戻るだけだ。俺はそこまで戻りたいなんて思っていない。俺はもう既に昨日までの、五十実がいて、マキナがいて、俺がいる。そんな俺の居場所の心地良さを知ってしまったから。そしてそれが五十実にとっても良いものだったのだと信じているから。あの笑顔は本物だったって信じてるから。

 だから、俺は決心する。


「おっさん、ありがとうな」

 

 俺の口から出た礼の言葉におっさんは一瞬目を丸くし、その後唐突に噴出(ふきだ)した。


「だぁーっはっはっはっは! おめーから礼を言われる日が来るなんてなぁ! 今日は猛吹雪が来るにちげぇねぇ! だっはっはっはっは!」


 やっぱりおっさんはおっさんだった。いつも通りのうざさにイラつきを覚えるも、それもおっさんなりの優しさなのだと思う。だから俺もいつも通りに対応をした。


「笑うんじゃねぇよおっさん。あと唾飛ばすんじゃねぇ汚ぇな。それに、もしもの話だって言っただろ」


 そしてお互い笑い合う。思えば俺が笑ったのなんて何時(いつ)ぶりだろうか。この笑いは愛想笑いなんかじゃなく、仮面の笑いでもない。


 少しして俺は急に二人の笑顔が見たくなった。普段は無表情だが時折見せる柔らかな笑顔と、いつもにやにやしてるような、若干腹立つけど見てると安心するような笑顔を。

 俺は少しばかり冷めた定食を掻き込む。確かに感じる味におっさんが調味料をケチったわけじゃないと認識しながら俺は米の一粒までも全て平らげた。


「じゃあおっさん。行ってくるよ」


 俺は今良い顔が出来ているだろうか。恐らく大丈夫だろう。それはおっさんの曇りない笑顔を見ればわかる。もう、あいつの前で悲しい顔なんてしたくないし、あいつの悲しい顔なんて見たくない。自分勝手と思われてもいい。俺の我儘でもいい。今のあいつが正しいあいつだなんて思いたくないから。


「おっさん、勘定置いていくぞ」

「いらねぇよ勘定なんて。そんなこと気にするよりさっさとおめーの女(スケ)んとこ行ってこいや!」

「スケなんてだせぇ呼び方すんじゃねぇよ張っ倒すぞ」

「だっはっはっはっはっ! わりぃわりぃ! 兄ちゃんにとって大事な女だもんなぁ! はっはっはっは!」


 大事な女。もうそれを否定することはしなかった。そして取り戻しに行こうと思う。あいつの本当の笑顔を。


「それともう一つ」


 俺は言いそびれたことをおっさんに告げた。


「おっさんがやんちゃしてたって話、全然意外じゃねぇからな」


 その場でおっさんだけでなく常連客を巻き込んだ爆笑を背に、俺は再び大学へと歩き出した。


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