14 Fatal error 4
事実と真実、それは似て非なるものである。少なくとも今の私にはそう思うしかなかった。そう、公にとっての事実は必ずしも私にとっての真実ではない。だから私はその事実を真実として認めたくなかったのだ。
しかし、"真実を認めたくない"ということは裏を返せば"事実として認識している"ということでもある。
思い返せばその真実へと至る要素は少なからずあった。そうだ、として考えれば納得がいく。辻褄が合う。合ってしまう。だからこそ私は避けていたのに。考えることを放棄していたのに。
「五十実、お前の持ち物を盗んでいた犯人。それは……」
「私だよ、舞衣ちゃん」
「……弥恵ちゃん……?」
いつだって真実は、私の元へ唐突に残酷に訪れる。
平和だった数日間は仮初であったかのように崩れ去る。いつも通り、本当にいつも通りの放課後だったはずだ。私はいつもの様に弥恵ちゃんと一緒に下校し、いつもの分かれ道で弥恵ちゃんと別れ、自室でのんびりとしていた。
いつも通りじゃなくなったのはその後だ。突如居間の電話が鳴り響き、私が出ると風間先生が私を学校に来るようにと告げた。今までこんなことはなかった。つまり、なにか徒ならぬことが起きたということだろう。
正直な話、私は行きたくなかった。行けばまず間違いなく私の平穏は変わるだろう。少なくとも良い知らせであるならば電話口で伝えるだけでも良かったはずだ。それが呼び出しともなるとどうにも嫌な予感がしてならない。そして嫌な予感程得てして当たってしまうのが常であった。
私の足は行きたくないと思う心とは裏腹に駆け出していた。時間が経てば経つほどに私の小さな心は肥大化した不安に押し潰されてしまいそうだった。だが、それは私が私自身に止めを刺すだけに過ぎない結果となってしまった。
「弥恵……ちゃん?」
呼び出された生徒指導室前で息を整え意を決して扉をノックしてから開くと、そこにはどこか物憂げな顔の風間先生と弥恵ちゃんが机を挟み向かい合う形で座っていた。弥恵ちゃんは……振り返りいつも通りの笑顔で私を出迎えてくれた。
「五十実、お前の持ち物を盗んでいた犯人。それは……」
「私だよ、舞衣ちゃん」
私にはその言葉の意味がわからなかった。耳にフィルターがかかったように理解を拒む。二人は何を言っているのだろう。わからない。わからないや。
「な、なにを……言って……」
私は頭の中で今の言葉を反芻するように繰り返す。すると段々と頭の中に浸透してい浮くような感覚を感じる。
弥恵ちゃんが、私の持ち物を盗んでいた。いや、私の持ち物を盗んでいたのは弥恵ちゃんだった? どっち? ううん、どっちも同じ意味だよ私。大丈夫、しっかりして。私は一人じゃないから。私には弥恵ちゃんが味方して……。
あれ? 今は弥恵ちゃんが敵? なの? 敵ってどういう意味? 味方じゃない? じゃあ、友達じゃない? え? でも、弥恵ちゃんは私の友達だよ? 私のとてもとても大切な、たった一人の親友……。
だよね? 弥恵ちゃん。
「五十実、しっかりしろ」
風間先生の声にはっと我に返る。わ、私今何を考えていたんだろう。自分でもわからない。
わからない、わからない。今何が起きているのか、わからない。
「先程新しい悪戯が見つかったんだ。そしてその場には白羽弥恵。彼女がいた。ご丁寧に五十実の生徒証を持って、な」
わからない。
「だから私が聞いたんだ。今まで悪戯の場所に五十実の持ち物を置いていたのはお前か? とな。そしたら白羽は素直に首を縦に振ったよ」
わからない。先生の言っていることがわからない。
「考えてみれば、白羽くらいなものなんだよ。五十実に気付かれることなく五十実の持ち物を盗むことの出来る人間は。いつも一緒に居るもんな」
わからない。先生の悲しそうな表情が。
「安田先生の財布を盗んだのも白羽だそうだ。五十実を保健室に迎えに行った際に盗み、何食わぬ顔をして君を回収して君の机に入れた。考えてみれば単純なことだったよ。……信じたくはないがな」
わからない。弥恵ちゃんの、いつもと変わらない優しげな微笑みが。
「わからないです! 先生の言ってることが!」
私は堪えきれずに声を荒げた。
理解できるものか。今まで私を苦しめてきた悪戯の犯人が弥恵ちゃんだったなんて。そんな戯言、どう信じろというのだ。
「弥恵ちゃん! 弥恵ちゃんも何か言ってよ! ちゃんと否定してよ! このままじゃ、弥恵ちゃんが犯人にされちゃうんだよ!? そんなの……」
「舞衣ちゃん」
弥恵ちゃんはその先を言うことを許してはくれなかった。
そして弥恵ちゃんは私の言葉を制するようにやんわりと微笑み口を開く。その所作がその場ではあまりに異質に映る。
「舞衣ちゃん。先生の言ってることは全部本当だよ。だからそんな怖い顔しないで」
どうして? その一言が出てこなかった。
どうしてそんなこと言うの? 弥恵ちゃん。弥恵ちゃんがそんなことするわけないじゃん。何かの間違いだよ。だからさ、弥恵ちゃん。
そんな優しい顔しないでよ。お願いだから。
そんな私の思いとは裏腹に弥恵ちゃんはぽつぽつと語り出した。その一言一言が私の心をえぐり取るように突き刺さる。認めたくない、認めたくないよ弥恵ちゃん。
やがて弥恵ちゃんは語り終えたようだ。だけど私には全然理解出来なかった。だって、その内容があまりにも身勝手で、とても弥恵ちゃんの口から出たような言葉だとは思えなかったから。
私にはまるで、弥恵ちゃんがただのストレス発散の為の悪戯で私の持ちものを盗んで、悪戯の犯人に間違われるように仕向けた、そう言ったようにしか聞こえなかった。
「ごめんね、弥恵ちゃん」
全てを言い終えた様子の弥恵ちゃんは依然変わらず優し気な笑みを向け私に謝罪を入れる。しかしその表情には申し訳ない、という感情は含まれていなかった。ただただ淡々と必要だから謝った、そうとしか思えなかった。
風間先生は静観している。いや、声をかけられずにいるのか。たった今、親友に裏切られたということが発覚した私に同情しているのだろうか。その同情は、優しさではない。その同情は、事実を真実へと変えるだけだ。
「……止めて……」
私はやっとの思いで口を開く。一度開かれた口からは洪水のように言葉が溢れ出てきた。
「止めて……止めてよ……。そんなの、信じられるわけないよ……! 弥恵ちゃんが……弥恵ちゃんが自分のために私を嵌めるだなんて、あるわけない! 何かのっ、何かの間違いだよ! そうでしょ弥恵ちゃん!そうだって言ってよ!」
激情を抑えることは私には難しかった。今はただ、この場のすべてを否定して、私の理想を肯定してほしい。そんな思いでいっぱいだった。
昨日まであれだけ仲が良かったのに、いつも一緒にお弁当を食べていたのに、先日将来の夢について語らい合ったのに、私が悪戯で困っていたら親身になって一緒に考えてくれたのに、今まで、今まで何度も私を助けてくれたのに。
これじゃまるで……。
"狼"
仲の良いおばあさんのふりをして赤ずきんを騙した狼のようだ、とふと脳裏をよぎる。何故そんな表現が思いついたのか。それは勿論、最近狼という単語を意識したことがあるからだ。そしてその発端は……。
あんたも気を付けなよ? 狼は何時いつ姿を現すかわかんないんだから
そうか、そういうことか。南雲さんはこのことを知ってたんだ。だから私にこう言った。だったら……。
「南雲さん……。南雲さんでしょ。弥恵ちゃんにこんなことさせたの。私……許せない」
きっと南雲さんが弥恵ちゃんを脅してこんなことをさせたんだ。そうに違いない。弥恵ちゃんはそれに逆らえずに仕方なく悪戯を手伝ったんだ。そうだよね?弥恵ちゃん。
「舞衣ちゃん。確かに南雲さんが関与しているということは否定しないけど、それとこれとは別だよ。舞衣ちゃんは信じてくれないかもしれないけど、私と南雲さんは仲良しなんだよ? それこそ……私のお願いを聞いてくれるくらいにね」
「お、お願い? お願いって……?」
「それは舞衣ちゃんにも言えないよ。私達だけの秘密だもん」
私達だけの秘密。そう言うと弥恵ちゃんはより一層笑顔を強くした。
私には言えない? 秘密? 弥恵ちゃんと南雲さんだけの? 私には……教えてくれない……の?
どうして? 悩みがあるならまず私に言ってよ。それが私達でしょ?
ねぇ弥恵ちゃん。私じゃ……駄目だったのかな。
「ごめんね、舞衣ちゃん」
その言葉は二度目だった。優しげな微笑み、そしてその言葉の真意は私には読むことが出来なかった。
その後、風間先生に呼ばれたらしい南雲さんとその取り巻き二人がやってきて今回の件についての細かい説明を聞いた。簡単な話、ストレス発散のために悪戯をし、それを私に擦り付けようとした、それだけだった。
たったそれだけのために、私は悩み苦しんだのか。私には怒りすら湧かなかった。それよりも虚脱感の方がはるかに大きい。馬鹿馬鹿しい、怒る気にもならない。
4人にはその場で謝られた。出来心だったとか、反省しているとか、そんな上っ面だけの謝罪は耳に入ってこない。本当に申し訳ないだなんて思っていないくせに。その表情の裏ではほくそ笑んでいるくせに。特に南雲さんと弥恵ちゃんは何を考えているのか全くわからないままだった。
かといって、それ以上の謝罪を望んでいるわけでもない。南雲さんたち3人にはもう私に関わらないでほしい。それだけを願った。それ以外の罰は望まなかった。そんなことよりも私にはもっと重要な問題が生まれていた。
「舞衣ちゃん」
はっと顔を上げる。私は朝の通学中、いつもの通学路をとぼとぼと歩いていた。そしてそんなときに私に話しかけてくる人物は一人しかいない。
「おはよう、舞衣ちゃん」
「おはよう……弥恵ちゃん」
弥恵ちゃんがいつもの様に変わらず朝の挨拶を交わしてくる。そう、本当にいつもと変わらず。まるで私のいじめに加担していたことなど記憶から消したかのように、弥恵ちゃんはいつも通りに私に接してくるのだ。
毎日繰り返される私たちの生活。それは先週も一年前ももっと前も変わらない。そして今この瞬間も変わることはなかった。だからこそ私にはわからない。何故変わらないんだ。何故いつも通りなんだ。何故弥恵ちゃんは"私といつもどおりに接することが出来るんだ"。
私にあんなことをしたのに、どうして変わらずにいられるんだ。
私だって弥恵ちゃんがいじめに加担していたことを知ったときは今までの関係が変わることを恐れた。弥恵ちゃんと仲違いして一人になることを恐れた。出来れば今まで通りの生活を望んだ。そして、実際そうなった。
だが私の中の違和感は消えない。結局弥恵ちゃんは何故こんなことをしたのかを教えてはくれなかった。
風間先生は無理やりにでも聞き出そうとしたしもっと厳罰を下そうともしていたがそれは私が拒んだ。私の親友に罰を与えて欲しくはない。そして一人だけ罰を逃れることは出来ない。だから私はその場で全員を許した。
風間先生は最後まで厳しい処分を望んでいたが私の言葉に折れてくれた。やっぱり私と弥恵ちゃんの普段を見ているからこそだろう。出来る事なら先生も私たちの関係を変えたくなかったんだと思う。
だが、結果はどうだ。結果は、本当に、何も変わらなかった。
あの日の翌日。朝の登校中に弥恵ちゃんは普段と変わらぬ様子で私に話しかけてきた。その時私は嬉しかった。
ああ、よかった、普段の弥恵ちゃんだ。私に近づいてこなかったら、私を避けるようになってたらどうしようかと。その時はそう思った。
でも、変わらな過ぎたんだ。
弥恵ちゃんのこれまで幾度となく見てきた笑顔は、私の目にはもう既に偽りの仮面のように見えていた。弥恵ちゃんは今まで私に嘘なんて吐いたことはなかった。それがこの前、あんな形で裏切られた。そしてその理由は未だ明かされない。その事実が私が弥恵ちゃんを見る眼を濁らせる。もう、前みたいな綺麗な眼で弥恵ちゃんを見ることは出来なくなっていた。
「舞衣ちゃん、今日の英語の授業って舞衣ちゃんからだったよね。当てられるの」
「えっ……? あ、ああそうだったっけ……。忘れてたや……」
「もー、仕方ないなぁ舞衣ちゃんは。教室着いたら教えてあげるよ」
「あ、うん……ありがと」
「良いよ、舞衣ちゃん。だって私達」
友達でしょ。
私だけ変わったような感覚。私だけ取り残されたような違和感。その奇妙なズレは私達の……いや、私の中だけで大きくなっていた。
そして、私は学校に行くことをやめた。




