13 Fatal error 3
スマホを片手に自室のベッドに寝転ぶ。お風呂から上がったばかりでまだ髪が少し濡れているため枕に頭を沈めたりはしない。
まだ寝る時間には早いし、とうつ伏せ気味な体勢で左腕に顎を乗せもう片方の手でスマホを持ち画面を見つめる。だが特に何かを見ているというわけではない。今日あった出来事を弥恵ちゃんに報告すべきか、そう頭の中で葛藤していたのだ。
南雲さんは"狼"はいずれ現れるようなことを言っていた。
狼とは何か、何を指すのか。風間先生は私を必ず守ると言ってくれた。
では私は? 何をすればいい? このまま何もせずに顛末をただ眺めていればいいのだろうか。
私にできる事、かぁ……。いったい何ができるんだろ。やっぱり弥恵ちゃんに相談するべきなのかな。でも弥恵ちゃんに余計な心配をかけたくないし、もし弥恵ちゃんまで巻き込まれちゃったら大変だ。
私は何をするでもなくスマホカバーをパタンと閉じ、そのままベッドの上に放る。そしてうつ伏せの体勢のまま目を瞑った。
少しだけ苦しい体勢だけどまだ髪が乾ききっていないし我慢しよう。このまま寝ちゃったら朝寝ぐせで大変なことになるしね。
とにかく今日は疲れたな。明日、私はいつも通りの学校生活を送れるのだろうか。南雲さんたちが何かしてくるのか、それとも何もしてこないのか。わからないけど学校に行かない、というわけにはいかない。それだと弥恵ちゃんが一人になっちゃうし、私も一人になってしまうから。
ひとりぼっちは、とても嫌だから。
ならば先生を信じるしかないか。私は本当にちっぽけな存在で、一人じゃ何もできない人間なんだなぁ。
「舞衣ー? 入るよー」
コンコンというノックの音がする前に声が聞こえる。
普通逆じゃないのかと苦笑しながら声の主に返事を返した。すると扉が開きお母さんがひょこっと顔を覗かせる。
私は少し遅れて体を起こす。さっきまで無理な体勢をしていたためか首のあたりがちょっと痛い。少し首を回しながらお母さんの方へと顔を向ける。
「なにー? どうしたの?」
私の声に何故かお母さんは安心したような表情を見せた。私はその訳がいまいちわからず首をかしげてしまう。
「いやね、今日舞衣帰ってくるのちょっと遅かったじゃない? それに帰ってきたときなんだか浮かない顔してたようだから何かあったのかなって」
そうか、と納得する。私は部活に入っていないし特に放課後出歩く趣味もない。だからいつも家にはすぐに帰っていた。
それが"普通"だったから、"普通"じゃなかった今日に違和感を覚えたんだ。
「んーと、ちょっとねー。先生に呼び出されっちゃって。ちょっと疲れちゃってたんだ」
「あらら、やっぱり何かあったの? あ、もしかしてテストで悪い点取ったとかかー?」
「もー、そんなんじゃないってば」
お母さんはおどけたような口調で言う。確かに成績は良い方じゃないけどテストの点数で呼び出されるほどじゃないよ。多分。
お母さんは立ち話をしていることに気付いたのか部屋に入りふわりと軽やかな身のこなしで椅子に腰かけセミロングの髪を揺らす。
もうそんなに若くないはずなんだけど、時としてお母さんは私と同じくらいの年頃の女の子なんじゃないかと錯覚するくらい若く見える。
私はショートヘアーだから私も少し髪を伸ばせばお母さんみたいになれるのかな。
毎日楽しそうにしているお母さんを見ていると少しだけ羨ましく感じるときもある。少しだけだけど。
「テストの話じゃないなら何の用だったのー? あ、待って。当てて進ぜよう」
するとお母さんは大げさにうーんと唸りこめかみに指をあてる。少しリアクションが古臭いのはご愛敬だろうか。
程なくしてお母さんはパッと指をこめかみから離し口を開く。
「あー、わかった。単純に成績が悪くて呼び出されたんでしょ」
「テストで呼び出されたのとあんま変わんないじゃん」
お母さんはちょっと天然が混じってた。その天然は私に遺伝していないことを強く願う。
私はお母さんに本当のことを打ち明けようかと悩む。しかしやはり弥恵ちゃんに言えないのと同じで、お母さんに心配かけたくないし私は咄嗟に言い訳を考え誤魔化すことにした。
「友達と一緒に部活でも見学しようって話になったの。ほら、私と弥恵ちゃんは部活入ってないでしょ? 他にも何人か一緒にいくつか見て回ったんだ。だから遅くなったの」
言い終わった後に矛盾が無いか考える。まあ多分大丈夫だろう。お母さんが弥恵ちゃんに確認でもしたらまずいけど。
ほー、とお母さんは呆けた顔で相槌を打つとすぐさま嬉しそうな顔になった。
「良いじゃない部活。舞衣はそういうのあんましやってこなかったからねぇ。何か良い部活見つかった?」
「んー、まぁ、ぼちぼち」
「舞衣は運動得意だったでしょ。ソフトボール部とかどう?」
そう言うとお母さんは椅子から立ち上がりソフトボールの投球フォームのまねをする。
あんまり部屋広くないんだからどこかに腕をぶつけないか心配だったが流石に杞憂に終わった。
「弥恵ちゃんが運動苦手だからそれは無理かな。それよりもっとお淑やかなのが良いなぁ。茶道部とか」
「あっはは、舞衣には似合わないねぇ」
「うっさい」
私に似合わないというのは私にもわかってるから。
にやにやと意地悪な笑みを浮かべるお母さんとその後も現実になりもしないifの部活トークに花を咲かせる。
そもそも私には部活なんて多くの人と関わること出来やしない。お母さんとしてはもっとコミュニケーションの輪を広げて欲しいのだろうけど私には無理だ。それは自分が一番よくわかってる。
しばらくしてお母さんは満足したのか"じゃーおやすみ"と気の抜けそうな言葉を残し部屋を出ていった。きっと私がいつも通りだと感じ安心したのだろう。
私もお母さんとゆっくり話が出来てさっきまで不安の色があった心が落ち着きを取り戻していることに気が付く。
なんだかんだ言って私はお母さんが好きだ。私の良き理解者で憧れの存在。私もお母さんみたいに誰にでも明るく接することが出来ればいいのに。
そうすれば、こんなことで悩む必要もなくなるのかな。
「ふわ……」
不意に出た欠伸を噛み殺す。気付けばもう夜もいい時間だった。
髪も乾いたことだしこれなら朝寝ぐせに苦戦を強いられることもないだろう。私は部屋の明かりを消し、ベッドに今度は仰向けに寝転ぶ。そして薄暗い闇の中ぼんやりと天井を見つめる。
これからどうするべきか、どうなるのか。今の私にはまだ何が最適解なのかがわからなかった。
その後は奇妙なほどに穏やかな数日が続いた。
今まで起きていた悪戯が嘘のように起こらなくなり、私と風間先生は南雲さんたちが諦めた、もしくは悪戯に飽きたのだろうと推測を立てた。
元々そうなるように誘導したのだからそうなって一安心なのだが、私はまだどこか胸の中に微かな違和感を感じ拭うことが出来ずにいた。
南雲さんの言っていた"狼"。ただ単に南雲さんなりのジョークだったのか? 私を不安にさせるためだけの言葉だったのかそれは未だにわからない。
そして私達にはそれを確認する術はない。下手に藪をつついて蛇が出ても困るからだ。いや、この場合は狼かな?
「舞衣ちゃん? どうしたの?」
空気中に消え入るかのような繊細な声にハッと視線を正面に戻す。すると目の前にはどこか心配そうな表情をした弥恵ちゃんがいた。そういえば今はお昼の時間だったっけ。
いつもの様に弥恵ちゃんと机を突き合わせお弁当を広げた。そこまでは覚えているがその先が若干あやふやだった。
お弁当のおかずが減っているところを見ると私は事件について考えながら無意識のうちにお弁当を食べていたようだ。我ながらなんて器用な。
「ああ、ごめんごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「大丈夫? 熱でもあるの?」
「ううん、そんなんじゃないよ。大丈夫大丈夫。それでなんの話してたんだっけ」
私は話を無理やり戻す。今回の件については結局弥恵ちゃんには教えていない。
やはり心配事を増やすだけだから黙っているのだ。だから弥恵ちゃんには悪いけどこのことだけは教えられない。もし万が一にでも私の所為で弥恵ちゃんまでターゲットにされたら私は私が許せなくなりそうだ。
弥恵ちゃんは少し私の様子を窺うようにしていたが、いつも通りであると解釈したのかいつものはにかみ顔に戻り話の内容を伝える。
「進路のことだよ。今朝のホームルームで渡された紙。あれどうしようかなって」
そこまで言われてやっと思い出す。そういえばそんな話をしていたんだった。
弥恵ちゃんの言う通り今朝ホームルームにて先生から生徒に進路についてのプリントが配られた。
まだ高校一年生の秋だし進路を考えるのは早いような気もするのだが、先生は今のうちに考えて置かないと後々後悔するぞ、と半ば脅しのようなありがたい言葉を皆にくれた。
こういうところから風間先生の恐いイメージってくるのかなぁと他人事のように感じる。
進路かぁ、とぼやきながら私は渡された用紙を見る。そこにはいくつかの項目に別れ、希望する進路を書く場所があった。正直あまりこういうのは得意ではない。
「まだこういうのはイメージ湧かないなぁ」
「ねー」
弥恵ちゃんも同意見だったようで同じようにうーんと小首を傾げていた。
まぁ、何もここで全ての進路を決めろ、という訳ではないのはわかっている。
しかしこれから二年生、三年生となれば否応なしに受験という巨大な敵が我々の前に立ちはだかるだろう。その時になってから進路……というか将来やりたいことを考えだすのは遅いのかもしれない。
だが今はまだ漠然と将来と言われても現実味が湧かないのも事実だった。
「舞衣ちゃんは……何かなりたいものとかあるの?」
弥恵ちゃんが少しためを作り聞いてくる。私は知っている。弥恵ちゃんがこういう風に質問をしてくるときは私の様子を窺っているときだ。だとすると弥恵ちゃんが本当に言いたいことは、私に聞いて欲しい話があるということだろう。
「うーん、まだ特に決めてないかなぁ。弥恵ちゃんは?」
「えっ……と、ね? 私は……その……」
弥恵ちゃんは途端に恥ずかしそうにもじもじとしながら私と目を合わせたり逸らしたりを繰り返している。その仕草はあまりにも可愛らしく、私が男の子だったら今頃どうなっていたのだろうと思うほどだ。
やがて弥恵ちゃんは決心がついたのか私にしっかりと目線を合わせ、告げた。
「わ、私ね? その……、役者さんに……なりたいなぁって……思ってて」
弥恵ちゃんの言葉は尻すぼみではあるがしっかりと私の元へと届いていた。そして余程恥ずかしかったのか、言い終わった後弥恵ちゃんは自分の進路の紙に目を落としていた。
弥恵ちゃんが役者になりたい。そんな……、そんなこと……。
「知ってるよー弥恵ちゃん」
「へっ?」
あっけらかんと答える私に対し心底驚いたような顔を見せる弥恵ちゃん。弥恵ちゃんがここまで驚いた表情を見せるのはいつぶりだろうか。そして弥恵ちゃんの顔は今まで以上に赤く染まっていった。
「な、なななんで? どうして知って……わ、私言ったっけ?」
慌てふためく弥恵ちゃん。手をわたわたと振る姿はまるで漫画のキャラのようだった。
あー、癒されるなー、と思ったのは我ながらちょっとおじさんくさかったかも。
でもあまり弥恵ちゃんが慌てる様子を観賞し続けるのも可哀想なのでネタ晴らしをしてあげよう。
「やー、知ってた、というか勘付いていたというか。弥恵ちゃん前に一緒に映画見に行った時、ちょうど一年位前だったかな? その時にさ、"すごく感動しちゃった! 私もああいう風になれたらなぁ"って言ってたでしょ。その時から私を映画に誘う頻度が上がった気がしてね。これはもしや本当に……って思ってたんだ」
「あ、あうぅ……」
図星だったらしい。
弥恵ちゃんは恥ずかしさのあまり腕を机の上においてそこに顔を埋めてしまった。
ちょっと言いすぎちゃったかな? でも恥ずかしがってる弥恵ちゃん可愛いんだもの。仕方ない仕方ない。
少しして弥恵ちゃんが立ち直ったのか顔を上げて少し不機嫌そうな顔をして私に抗議した。しかしまだ顔の赤みは治っていない。
「うー、舞衣ちゃんの意地悪ー。わかってたなら早く言ってよー。私すっごく勇気出して言ったんだからねー?」
「ごめんごめん」
ここが教室でなければ恐らくぽかぽかと痛くない程度に叩かれていそうだ。
弥恵ちゃんは怒るということに慣れていないので無理して怒っている様子さえ可愛らしいものだった。
「私、応援するよ」
「えっ?」
私は未だご立腹な様子の弥恵ちゃんに真剣な目で答える。その様子を見て弥恵ちゃんは冗談ではなく本気で言っているということに気付いたようだ。空気が今までのようなふざけ半分ではなく真剣なものに変わった。
「私、弥恵ちゃんが決めたことなら応援するから。だからがんばろ? 弥恵ちゃんが冗談で役者になりたいって言ったんじゃないってわかるから、ね?」
「舞衣ちゃん……」
そう、弥恵ちゃんは冗談でこういうことを言う子ではない。弥恵ちゃんは冗談が苦手でいつだって何にだって本気な子だった。だからこそ、私は応援する。
少しの間二人の間に沈黙が訪れる。そして先に音を上げたのは私の方だった。
「あーあ、弥恵ちゃんいいなぁ。私もなんかいい夢見つけたいなぁ」
今度はちょっとふざけ半分で、空気をいつものものに戻す。弥恵ちゃんは安心したようないつもの笑みを向けてくれた。
「舞衣ちゃんにも見つかるよ、素敵な夢。自分の好きなことを仕事に目指すのも良いし、進学してから考えるのも良いとおもう。あとは……」
「あとは?」
うーんと考える弥恵ちゃんはさっきの仕返しとばかりに思い付いた策を私に提示した。
「お嫁さんとか?」
「お、お嫁さん……」
今まで考えた中で一番遠いような、そんな答えだった。
果たして私にそんな相手が見つかるのだろうか。今まで恋愛なんて経験したこともなかった。ま、まぁそれこそいずれいい相手が見つかるって。今考える事じゃないよ。
そんなこんなでお昼の時間はチャイムとともに終わりを告げる。
自分の将来かぁ、10年後私は何をしているんだろうか。皆目見当もつかない。バリバリ仕事をしているか、それとも結婚して主婦にでもなっているかそれとも……ニートになってるのは想像したくないな、うん。
そしてその後私は理解する。本当に考えるべきことは何年も先の"将来"のことなんかじゃなく、たった数日先に訪れる"狼"のことだったということを。




