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放課後の閑散とした教室に佇む。窓から教室の外を覗くと、夕焼け空の下に部活動に励む生徒や下校途中の生徒、清掃活動中の生徒などあらゆる私と同じ学生たちが齷齪と動いているのが見える。
そんなに急いでどうするのやら。すぐ側にあるのにまるで遠い景色を眺めるように私は目を細める。
今の私は一人だった。教室にはまだぽつぽつとクラスメイトが数人残っていたがそんなものは関係ない。
弥恵ちゃんがいない、それだけで私はとても孤独を感じていた。まあ私が"今日は用事があるから先に帰ってて"と伝えたのだから当然だけど。
それでも寂しいと感じてしまうのはどうしてだろう。少し怖いと感じるのはどうしてだろう。私にはわからない。でもその答えはこの後嫌でもわかる、私は自分の机の上に置かれたペンを撫でながらそんな予感を感じていた。
すっかり人気のなくなった教室。私は頃合いを見計らって教室の明かりを消し廊下に出て、隣のクラスの前を横切り階段を下りる。
そろそろ部活も終わりいよいよ生徒たちの姿が学校から消えるころだ。
その中で動く人物は限られる。教師や用務員さんといった大人達。そういった人たちは下校時刻など関係なく校内にいるだろう。
だが生徒たちは? 授業は当然無く部活も終わった。居残りにしてももう帰らせる時間だ。それなのに校内をうろつく生徒。それは何かしらの理由が存在するはずだった。そう、何か、理由があって。
「そこで何をしている」
凛々しく透き通った声が響くと同時に教室の明かりが点灯する。すると教室の奥の方の席ががたりと音を立てて揺れた。
そこは丁度私の席だった。だがそこにいたのは当然私ではない。私は今風間先生の後ろで隠れるように教室の中の様子を窺っている。
教室の中に居たのは3人。皆見覚えはあった。そしてその中の一人は素行不良で有名な彼女だった。
「五十実の机で何をしているんだ? 南雲」
私の机を囲むように佇んでいたのは最初に私の手帳が見つかったときに教室で私と目が合った3人だった。そして私は納得する。そして見えてくる。今回の一件の全貌が。
「別に、なにもしてねぇっすけど」
南雲と呼ばれた長身の女の子は仏頂面を浮かべこちらを睨みつけてくる。その視線に私は思わず目を逸らしてしまう。
まるで敵意むき出しの眼差しだ。臆病な私が目を合わせられるはずもない。
だが風間先生は全く怯むことなく、私を一瞥すると小声で"隠れてていいぞ"と囁く。そして私の返事を聞くまでもなく教室の南雲さんたちに近づいた。
私は思わず教室の入り口の扉の陰に隠れて様子を窺う。決して私が入っていけるような雰囲気ではなかった。
「こんな遅くに、教室の電気も付けず、他クラスの生徒の机の前に居て何もしてないか。さすがに無理があるんじゃないか?」
風間先生の声には少なからず怒気が含まれていた。
そっと3人の表情を見て見ると南雲さんは風間先生に冷たい目線を向けながらも対峙していたが、他の二人はまるで悪事がバレた小悪党のように縮こまっていた。これだけで3人のパワーバランスが見て取れる。
南雲さんはうっすらと茶色に染めたような長い髪をかき分けガリガリと頭をかく。その様子は相当苛立っているようにも見える。そしてその反応を見てあとの二人が少しばかり震えたようにも見えた。それだけ恐ろしいのだろうか、彼女のことが。
「なんすか、疑ってんすか先生。うちらがなんかやったとでも?」
鋭い眼差しはそのままに南雲さんは口だけ笑みを浮かべる。それがまた恐怖心を煽ってくる。南雲さんの言い分はつまり、"うちらが何かやったというのなら証拠を見せろ"ということか。
風間先生も理解したらしく少しの間沈黙する。そこに南雲さんは一歩前に踏み出し先生に近づき言う。
「うちらはただ星を見ようとしてただけっすよ。帰ろうとして廊下歩いてるときに思い立ったんで、近くにあったこの教室に入って窓際に来たんです。この席の近くに来たのは偶然っすよ、ぐーぜん」
何を馬鹿なことを、と言ってやりたかった。だがそう言われてしまっては何も言い返せない。何故なら特に矛盾が無いからだ。
不自然であってもありえなくはない。ならばそれを否定することは出来ない。否定する材料を持ち合わせていないから。
私の席は窓側の近くにある。偶然南雲さんたちが星を見ることを思いついて偶然その近くにこの教室が合って、偶然私の席の近くに居た。だから"偶然だ"。出来過ぎているとはいえ矛盾はしていない。
私たちは南雲さんたちが普段星を見たがるような人物かどうか知らないからだ。
「ああ、そうそう。これ、あんたのだろ? 机の上に転がってたぜ」
南雲さんは私の机の上に置いてあったペンを指先で持ちフリフリと振る。私の置いておいた罠は不発に終わっていた。
本来の私と先生の計画はこうだ。
私の持ち物を盗む犯人を見つけるべく、私はわざと私物を机の上に置いて帰る。そしてそれを盗りに来た犯人を先生とともに突き止めるというもの。
もし犯人が持ち物を盗むのだとしたらそれは恐らく人気のなくなった放課後だろう。だから私は教室に誰もいなくなるのを待っていた。
数度物が無くなったときから私はなるべく物を持ち帰るようにしていたが、それでも持ち物は無くなった。その中には無くなっても気が付かないような小物もある。悪戯の犯人が残した証拠として挙げられたものは殆ど私の見覚えがあるものだった。
つまり犯人は私の物を何らかの方法で盗んでいる。その方法はわからないが、それなら犯人を見つけて直接聞けばいい。そのために私は"餌"を撒いたのだった。
南雲さんは私が撒いた餌をコトリと机に置く。私が近づいてこないことを察したのだろう。そして改めて風間先生と向き合う。
「さて先生、先生もどうです? まだ多くは見えないっすけど、星結構綺麗ですよ?」
白々しい挑発するような口調。南雲さんの狙いは明白だった。証拠が無い状態で自分たちを悪戯の犯人として扱うことを誘発させようとしているのだ。
もし教師が生徒をそのように扱ったら他教師や保護者が黙っていないだろう。証拠もないのに悪戯の犯人扱いした教師として処分が下される。それがわかっているからこそ風間先生は今のところ南雲さんたちに手を出せない。手出ししないのなら好都合、手出しするのならば出るとこ出るといったところか。
だが、これで良い。ここまでで良いのだ。
風間先生は軽く破顔し、南雲さんたちに語り掛ける。
「そうか、せっかくだから一緒に見ようか。たまにはそういうのもいいだろう」
風間先生の反応に面を食らったのか、少しばかりきょとんとした表情になる南雲さん。だがその表情もすぐに嘲笑に上書きされる。
勝った、という表情なのだろうか。お供の二人は未だ不安そうな表情を浮かべている。
「いや、すまなかったな疑ったりして。最近五十実の私物が無くなることが多いようだから少し見張っていたんだ。そしたら南雲たちが来て五十実の机の近くに寄ったみたいだったからてっきり、な。本当に悪かったと思う」
「先生が疑う気持ちもわかるっすよ。私だったら絶対犯人だと思いますもん。だから気にしないでください」
二人の笑顔が奇妙に映る。本当に奇妙な会話だった。お互い真実を知っているのにもかかわらず口裏を合わせるかのようなちぐはぐさ。
事情を知らない人間が見たら眉を顰めるような会話もここにいる私達にはすべて理解できる。"そういうことにしてこの場をおさめる"ということだ。
私の心に黒い靄のようなものがかかる。犯人はそこにいるのに、先生もわかっているのに、それでも窘める事すらできないなんて。
悔しい。今すぐにでも証拠をつかんで二度とこんなことできないように叱りつけて欲しい。
でも、出来ない。
「ほら、五十実さんもどう? 隠れてないで出てきたら?」
にやにやとした表情を浮かべ私を見る南雲さん。私はその表情に怒りでも悔しさでもなく恐怖を覚えた。
まるで親しい友人に話しかけるかのように言う様を見て、その顔の奥に淀み切った何かが見えた気がして。
私は一刻も早くこの場から離れたかったのだが、まだ終わってはいない。まだやるべきことがある。
「星を見るなら明かりは消そうか」
風間先生が教室の電気を消し南雲さんたちがいる窓際に近づく。南雲さんたちはすっかり油断しきったような顔でそれを眺めていた。
そして教室の窓に手をかけた先生は空を見上げ、そして振り向き言う。
「そうそう、どうして君たちがこんな遅くまで残っていたのかは知らないが、放課後の学校は危険だよ? 最近泥棒がよく入っているようなんだ。五十実もその被害にあっている。だから泥棒と鉢合わせてしまうかもしれないから君たちも早く帰ったほうが良い。さもないと……」
風間先生は怪しい笑みを浮かべて南雲さんの目を見る。
「悪い人に襲われてしまうかもしれないからね」
時はもう既に夜に片足を突っ込んでいた。カーテンが開けられた窓から指す月明りがスポットライトのように風間先生を照らす。
その光景はまるで先生が襲う側の人間であるかのような迫力があった。少し背筋に冷たいものを感じる。この先生は敵に回したくない、そう本能が叫ぶようだった。
今回の目的はそう、犯人を見つけるのではなくこの件をここで終わらせること。ただの悪戯なら教師に目を付けられた、というだけで悪戯を止めるはずだからだ。だからここで犯人を追い詰める必要はないのだ。
南雲さん以外の二人も先生の表情に困惑の色を浮かべている。だが南雲さんはそれも歯牙にもかけず未だに余裕そうな笑顔だった。
「あー、それは恐い恐い。じゃあうちらはここでお暇しましょうかね。ほらっ、いくよあんたたち」
二人は南雲さんの声にびくりと反応し、そそくさと南雲さんの後を追う。そして私の方まで来ると南雲さんはこう囁く。
「あんたも気を付けなよ? 狼は何時姿を現すかわかんないんだから」
ぞくり。
私は目を見開く。狼とは誰だ。そんなのわかってる。それは私の目の前にいる……。
「大丈夫だ」
私が恐怖に押しつぶされそうになった時、風間先生の声が教室に響いた。いつの間にか私たちの近くまで来ていた先生は私にさっきまでとは違った暖かい笑みを向けていた。
「大丈夫だ五十実。泥棒は必ず私が突き止める。そして、二度とこんなことをしないと誓わせよう。だから安心してくれ」
その一言。たった一言で私の心に安堵という風が吹いた。ああ、なんて頼りになるのだろう。
私は初めて風間先生が本当に頼れる先生なのだと認識する。決して恐い先生などではない。いや、ちょっと怖いけれども、それ以上に優しく頼れる教師なんだ。
「あ、ありが……」
「そうですよ先生」
南雲さんが私の言葉をかき消すように口を挿む。私はまたびくりと反応してしまう。
「泥棒なんて先生たちでさっさと捕まえてくださいね? そしてきっついお仕置きをしてやってくださいな。その時は是非被害者であるこいつの前でお願いしますよ」
そう言うと南雲さんは私の頭をわしわしと少し乱暴に撫でる。奇妙な優しさを感じ、それがまた歪で気味が悪かった。
南雲さんたちは"それじゃ、また"と言い残し去っていく。そして姿が見えなくなったころ、私は床にへたり込んだ。
極度の緊張から解放されたからか今になって汗が噴き出してくる。
呼吸を整えていると風間先生が手を差し伸べてくれた。
「立てるか?」
「は、はい……」
私は気力を振り絞り先生の手を取ってなんとか立つ。だがまだ少し眩暈がしたため壁に手を突く形になった。
「椅子を持ってくるから座るといい。少し待っててくれ」
先生は一番近くにあった席の椅子を手早く持ってきてくれた。私はその椅子に座り一息つく。そして少し落ち着いた時、先生が話を始める。
「すまなかったな五十実。私の考えが少し甘かったようだ」
何故謝るのか、私にはよくわからなかった。
犯人として特定できなかったからだろうか。南雲さんたちに反省を促すことが出来なかったからだろうか。
「私は教師だ。そして教師は一生徒の味方だけをすることは出来ない。何故なら教師は生徒全員の味方だからだ」
そこまで聞いてようやく理解する。先生は私だけではなく南雲さんたちの味方でもなければならないのだ。だから一方的に悪と決めつけて行動することは出来ない。
先生は私のたどり着いた答えに丸を出すように柔らかな、そして少し哀しそうな笑みを私に向ける。
「南雲たちがこれでやめてくれるのが一番良いのだがな……」
確かに。これでこの事件が終わるのならばそれに越したことはない。私だってこれ以上糾弾して自体がややこしくなるくらいならこれで終わったほうがよっぽどましだ。私が望んでいるのは犯人への罰ではなく真相の解明と改善なのだから。
でも、恐らくこれで終わりにはならない。
"狼は何時姿を現すか"
狼はまだ姿を現していない。つまり、いずれ姿を現すということ。
南雲さんがそのつもりならこの事件はまだ続くのだろう。私はそれを、狼が姿を現すのを待つしかないのか。
私の泣き出しそうな表情を察したのか、先生は私の頭に手をかざし、そして撫でる。その手つきはさっきの南雲さん物とはまるで違う、とても優しいものだった。
「……先生……?」
「安心してくれ。君は私が必ず守る。だから……」
先生は私を撫でることをやめ、代わりに私の目をしっかりとした眼差しで見つめ、言う。
「だから、決して諦めないでくれ。五十実」
先生の力強くも優しい言葉は私の心の黒い部分を大きく払拭してくれた。




