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「ふわぁ……」
大きな欠伸を人目を憚ることなくする。見慣れた通学路を歩くというのもまた随分と退屈なものだ、と涙を目に貯めながら思う。学校へと続く道も中学のころからほとんど変わらないのだから新鮮味もない。
見慣れた商店街を通り少し急な坂を道なりに進む。私はこの坂がどうにも好きになれない。まぁ朝の眠たい時間からこんな足に負担を強いる坂を好きになるなんて物好き、そうそういないか。
周りを歩く同じ制服の学生たちを見ても同じような苦悶の表情を浮かべている。まったく、こんな坂の上に学校を構えた人たちは何を考えてたんだか。
同じ道を行く人々の中にただ一人、はっきりと私の目に映る人物がいた。
上下制服を着崩すことなくしっかりと姿勢良く歩く後ろ姿。学校指定のリュックをまるでランドセルを背負った小学生のように両手で支えトコトコ歩く。そしてあのふわふわで触り心地がよさそうなショートヘアーは間違いない。
「やーえちゃんっ」
「わわっ」
私が後ろから駆け寄り話しかけると彼女は驚いたように歩幅を崩し体勢を立て直した。そして私の顔を見ると安心した表情を見せほっと息を吐く。
「おはよー弥恵ちゃん」
「おはよう舞衣ちゃん。いきなりだったからびっくりしちゃったよ」
はにかみながら挨拶を返してくれた少女の名前は弥恵ちゃん。
私のたった一人の親友。小学校のころからの仲良しでいつも一緒だった。お互いちょっとばかし人見知りで内向的な性格だから友達は多くなかったけど私には弥恵ちゃんがいたから寂しくなかったんだ。
お昼の時や帰りも一緒。私は勉強が苦手だったからよく弥恵ちゃんに勉強を教えてもらったりもした。
新しい映画が公開されれば二人で見に行って、弥恵ちゃんはよく感動したって言って涙ぐんでたりもしたっけ。
特に珍しいこともない、二人の女の子の日常。それはいつまでも変わらずに続くと思ってた。
「……えっ?」
ある日の朝のホームルームの後、私は職員室に呼び出されていた。
理由もわからぬまま何かやっちゃったかな、と冗談半分で思っていたのだが、事態は予想よりもずっと深刻なものだったようだ。
「これは君の物だな? 五十実」
恐いと評判の担任の風間先生の睨むような視線に少したじろぐ。女性でありながら勝気な男子生徒も逆らえないくらいの迫力がある。
なんで? なんで私はそんな目で見られているの?
風間先生の手には生徒手帳があった。先生がそれを開くと私の名前が書いてあるページを指さす。確かに私の生徒手帳だ。でもなんでそれが先生の手元に?
先生は視線を私から逸らすと職員室の窓に目を向ける。そこには痛々しくも仮に補強された割れた窓があった。破片は片付けられているがまるで何か大きなものが投げ込まれたかのような様子だ。
「あの窓、昨日の夜警備の方がガラスが割れる音を聞いて駆けつけたときに石が投げ込まれて割られているのが見つかったんだ。その時窓の外にこれが落ちていたそうで」
先生は生徒手帳を私に返すでもなく机の上にそっと置いた。生徒手帳なんていつもカバンに入れっぱなしだから無くなったなんて全く気が付かなかった。
先生は再び私に視線を戻す。その目はどこか同情するような悲し気な目に変わっていた。
「五十実、これに心当たりは?」
「い、いえ……。全くありません……」
弱々しく答える。それもそうだ。本当に心当たりがないとはいえ割れたガラスとその近くに落ちていた私物を突きつけられれば私が犯人だと疑われているのだと一目瞭然だ。私はそんな状況に恐怖心を抱き返事をするのが精いっぱいだったのだ。
先生は微かにため息を吐く。その意味がわからず怯えから私はそっと自分の腕を抱き机の上に置かれた生徒手帳に目をやる。
「……まぁ、窓を割った犯人は君ではないのだろうな」
「は、はひっ」
先生の一言は私にとって予想外の物だった。その言葉に私は反射的に変に上擦った声を出してしまう。その様子を見た先生は一瞬驚いたような表情をした後、苦笑を返す。
「なにも私は五十実が犯人だなんて言ってないさ。個人的にも五十実がこんなことをするような人だとは思っていない。ただ、この生徒手帳が現場近くで発見されたということは事実なので確認したかったんだ」
急に肩の力が抜ける。良かった、このまま私が犯人だという前提で話を進められたらきっと私は負けていた。
内弁慶で人と口論なんて出来ないのは私自身自覚している。気が付けば私の心拍数はかなり上がっていたらしい。自分の心音が聞こえてくるくらい緊張していたみたいだ。
「念のためもう一度聞くけど、五十実は割れた窓ガラスのことやこの手帳が何故その場に落ちていたかの心当たりは無いんだな?」
「な、無いです」
今度ははっきりと答える。先生は"そうか、わかった"と答え自分のメモ帳に何かを書き出した。
ひとまず私は疑われていないということで良いのかな。急な出来事に頭が回らず少しばかり頭痛すら覚えるようだ。
その後も先生は何度か質問をし、私はそれに真摯に答える。そして何度目かの問答が終わった後私は少しぎこちない笑顔の先生に見送られて教室へと戻っていった。
結局私の生徒手帳が落ちていたのは偶然だということで片が付いたが私にはどうにも腑に落ちないままだった。返された手帳を見つめながら少し考える。私は最近職員室の近くに寄った記憶なんてない。なのに私の生徒手帳はそこに落ちていた。となると考えられることは……。
「そう……、それは災難だったね……」
昼休み、いつもの様に教室で弥恵ちゃんと机を突き合わせお弁当を広げる。弥恵ちゃんに朝のことを話すと心配そうに首を傾げていた。
ただの偶然だと良いんだけど、と弥恵ちゃんは付け足す。私もそう思う。これがただの偶然だったらどんなに楽だっただろうか。
でも恐らく違う。生徒手帳なんてそもそもいつもカバンの奥につっこんでいたものだ。それが自然に落ちるなんて考えにくい。
だとすると誰かに"盗まれていた"と考えるのが妥当だろう。つまり私は誰かにガラスを割った犯人に仕立て上げられそうになったということか。
「他に無くなったものとかは無いの?」
弥恵ちゃんに指摘されハッとする。そうだ、手帳が無くなってたのならそれ以外の物も無くなってる可能性がある。
私は急いでカバンの中身をガサゴソと無造作に確認する。こんなことならもっとちゃんと中身を整理しておけばよかった。
カバンの奥から出てきたテストの答案を見なかったことにしながらも一通り確認し終えるとほうっと安堵の息をつく。特に無くなったものはないようだ。財布やケータイ、ノートなどの道具もちゃんとある。
「大丈夫みたい。良かったぁ」
私の言葉に弥恵ちゃんもほっとしたような表情を浮かべていた。ついでに机の中とかも確認したがそちらも異常無し。
私の考え過ぎなのだろうか、と私は窓の外をぼんやりと眺めながらお弁当の中の肉じゃがを端でつまみ口に入れる。うん、今日も美味しい。昨日の残り物だけどお母さんの料理は何時食べても美味しかった。
そんなお袋の味にほっこりとしながらも考える。もしこれが誰かの悪戯だとしたら一体誰の?
そう思った時、ふと廊下側の方から何か視線を感じたような気がして思わずそっちの方を見る。するとそこには3人ほどの女の子が立っていた。
私と目があった瞬間に一斉にその視線を逸らした女の子たちはそのまま何も言わずに立ち去って行く。私は声をかけることなくのその姿を見送った。
あの子たちがもしかして……? いや、まだ決めつけるには早い。単なる偶然かもしれないし。
それにしても今の子たち、あまり見ない顔だったな。多分別のクラスの子だと思う。私はあまり他人のことを知ろうとしないから、かろうじて同じクラスのメンバーだけ顔と名前が一致する程度だった。普段関わらない他のクラスの子なんて知る由もない。でも一人だけ、一番身長が高かった子だけ見たことある気がする。あの子は確か……。
「舞衣ちゃん? どうしたの?」
「へっ?」
私が考えこんでいるとふと弥恵ちゃんが心配そうにこちらを見ていることに気が付く。そういえば話の途中だったっけ。
「ごめんごめん、何でもない」
「そう? なんだか難しい顔してたけど」
「いやーちょっとねー、次の時間小テストだったなーって思いだして」
「そうだね、英単語のテスト。ちゃんと覚えてきた?」
「うん? えーっとそう……だねぇ……。2割くらい?」
「もー、舞衣ちゃんまたテスト点数とれないよ?」
「えっへへ、面目ない」
苦笑を交えながら弥恵ちゃんは食べ終えた弁当箱を片付け、テスト範囲の単語が書かれたプリントを私に差し出す。
「そのページから十個分出るって。私も教えてあげるから頑張ろ?」
「ありがとー弥恵ちゃん! 恩に着るよーっ!」
私は弥恵ちゃんの手を取りぶんぶんと振る。弥恵ちゃんは少し困ったような顔もしたがすぐにいつものはにかみ顔に戻り"舞衣ちゃんいつもそれだよー"と付け加えた。本当にそうだ。いつも私は弥恵ちゃんに頼ってばかりだった。
私はあまり勉強が得意ではなかった。だからよく弥恵ちゃんに勉強を見てもらっている。それと引き換えに、というわけではないが弥恵ちゃんは運動が苦手で、体育祭とかの時期になると私が弥恵ちゃんの特訓を見たりもしていた。そんなこんなで私たちは持ちつ持たれつの関係を築いていたのだった。
ある日事件は起きた。その時私は"ああ、本当に事件ってのは突然起こるものなんだな"とあまりにも他人事のような思考をしていた。そのくらい、私の頭は混乱していたのだ。
いや、違う。存外突然というわけではないのかもしれない。それならばここ最近の奇妙な出来事の辻褄が合う、と思う。つまりそれは……。
「五十実、君の机の中から安田先生の財布が出てきたことについて、いろいろ聞かせてもらうぞ」
私は嵌められていた、ということだろう。
事の顛末はこうだ。
ある麗らかな陽気の午後、その陽気とは正反対に私は体調を少し崩していた。
だがそこまで容態が酷いというわけでもなく、保健室のベッドで少し休むと気分は無事に快方へと向かっていった。
そして授業を一時間丸ごと休んだ後、様子を見に来てくれた弥恵ちゃんと共に教室へと戻る。
次の授業が別教室で行われるということもあり教室にいる生徒の数はまばらだった。私達は少し急いで次の授業の準備をし教室を出る。
それが今日最後の授業だったため教室に戻ると自動的にホームルームになり、その場で私は残って職員室に来るように告げられた。
私が職員室に連れてこられた理由、それは保険の安田先生の財布が無くなっていたことに関して話が聞きたかったのだと言う。おそらく最後に保健室を利用したのが私だからだろう。
私が教室へ戻るとき安田先生は席を外しており私達以外の生徒もいなかった。だが当然私には先生の財布なんて心当たりあるはずもなく、正直に知らないですと答えた。
普段なら、いや数週間前ならこれで話は済んだのだろうが、今は残念ながらそうもいかないようだ。"念のために"と担任の風間先生の少し鋭い視線を受けながら私の荷物や机の中を確認するとそこからは出てきてはいけない代物が発見されたのだった。
「五十実、どうしてこれが五十実の机に?」
「わ、わからない……です」
わからない。本当だ。私は本当にその財布について全く知らない。だが私の口からははっきりとその意思を示すことは出来なかった。
恐怖や緊張から言い淀んでしまう。それが余計に風間先生に怪しまれる要因となっていたようだ。
当の本人である安田先生は何も言わず少しうつむいている。なんて言っていいのかわからない、そんな表情だった。
そうか、と少し残念そうに答える風間先生。その意味は私にはよくわからなかった。ただ一つ何か確信めいたものをその瞳から感じていた。
風間先生は少し間を置き私の目を見た。そして重い口を開く。
「最近学校で小さな悪戯が頻発しているのは知っているな?」
「……はい」
知らない訳がない。私は小さく肯定する。
「窓ガラスが割られるところから始まり、備品が無くなる、日直日誌に落書きなど。これらの悪戯は一つの共通点があった。それは全て君が少なからず関係している」
その言葉に私は肯定も否定も出来なかった。肯定すればまるで罪を認めるようで、否定すればまるで罪をひた隠しにするようで、私はどちらの行動もとることが出来なかったのだ。
風間先生の言う悪戯、それはここ数週間で数度確認されているものだった。そしてそれら全てに私は関係している。
割られた窓ガラスの側には私の手帳が落ちていた。備品がなくなった場所は全て私達の班が掃除を担当していた場所だ。私が日直当番だったときは私が先生に日誌を返したとき、私のページじゃないページにいくつか落書きが増えていたという。実はまだ少しだけ悪戯のようなものは確認されている。
それら一つ一つは小さいながらも確かな違和感として存在している。そしてそれらは発見者だったり近くに居たりで私が何かしらの形で関わっていた。
たとえ小さな悪戯でも数が多ければ異変となる。そしてそのすべてに私が関係しているとなれば簡単な話、"五十実舞衣が犯人である"とすれば納得がいくのだ。
だが私には当然犯行に心当たりなど無い。心の中では私は無実だ、とはっきりと言うことが出来る。しかしそのれっきとした証拠がない限り容疑者である私の証言など意味をなさないのだ。
だからこそ、私は嵌められた。
「と、とにかく!財布は見つかったのだからひとまず安心ですね!」
空気を察したのか安田先生が人を安心させるような笑みを浮かべ口をはさむ。しかしそれではこの場を終わらせることは出来ない。謎には真実を、罪には罰を与えなければならないからだ。
「本当に五十実は関係ないんだな?」
風間先生は値踏みをするように私を見る。この前最初に私の手帳が見つかったときにはもう少し優しい眼をしていたような気がする。今の私は前ほど信用が無いということなのだろうか。そう思うと私はより一層気が滅入ってくる。
少しずつ積み重なった"不信"が今ここに見てくるようだ。
「私は関係ありません……! 今までの悪戯も全部……。全部私じゃないです……!」
私は精一杯の力で意思を伝える。だが緊張からか声はかすれ、瞳を伏せてしまう。これでは伝わるものも伝わらない。
だが風間先生はほんの少し、微かにわかる程度にため息をつき、私に語り掛けてきた。
「わかった。君のことを信じよう。そうなると君に罪を着せようとしている人物がいる、という可能性が出てくるな」
「それは……」
即座にそうだとはいえなかった。
もしそうなら心当たりがあるとしたら手帳が見つかった日に教室で私を見ていた女の子3人。別のクラスの子だから名前もわからないけど、その中の一人は普段から素行が悪いと噂されている少女だった。
もしかしてあの子たちが? でも証拠がない。ただ私を見ていただけで疑うのは早計すぎる。だが他に心当たりもなかった。
ふともう一人、可能性がある人物が脳裏をよぎる。が、私は一瞬でもその姿を想像したことを猛省する。そんなことあるはずないのに、わたしなんてことを。
ごめんね弥恵ちゃん。
少しだけ、一瞬だけだけど、私弥恵ちゃんのこと疑っちゃった。




