10 ウソ
大学の喫煙スペースは大学生よりもむしろいい年した教授たちの憩いの場になっている。だからあまり近付きたくはなかったのだが、そうも言ってられないほどに俺は気が立っていた。
まだ日も高いこともあってか周りにはあまり人はいなかった。
だがそこに偶然居合わせてしまった数少ない愛煙者たちは俺の顔を見るや否やそそくさと煙草の火を消して立ち去ってしまう。まったく失礼な奴らだ。ここまで露骨に避けられると逆に笑えてくる。
一匹狼なんて言えば聞こえはいいが、蓋を開けて見れば他人と深い関係を築くことを恐れた臆病者に過ぎない。その臆病者の名前は白羽新という。
そしてこの大学にはもう一人、白羽と言う苗字の男がいる。その男は俺がこの世で最も嫌う人間だった。
時は数十分前に遡る。その男とすれ違ってしまったのは何の因果か。よりにもよってこんな日に、とも思えるタイミングだった。
そして気まぐれは重なるもので、普段のあいつならにべもなく素通りするところだったのだが今日に限ってあいつはすれ違いざまに俺に話しかけてきた。
「おい」
「ああ?」
お互い振り返ることなく、顔を見ることすら煩わしいかのように一言言葉を交わす。これが久しぶりの親子の会話とは情けなくなってくる。
俺は苛立ちを隠すように眉間を指で揉んだ。後ろで面倒臭そうなため息を吐く親父も同様に冷たい目をして腕を組んでいるだろう。見なくてもわかる。こいつはそういう男だった。
夏も冬も変わらないスーツ姿で全く季節感を感じさせない。そして目つきの悪さを隠すようにかけたメガネはより一層人をまともに見ることをやめたような、そんな印象を与える鉄面皮だった。
「お前の女、あれは成績が悪い。別のにしておけ」
「は?」
一瞬この男が何を言っているのかがわからなかった。
だがその数秒後、俺の中でどうしようもなく怒りがふつふつと湧きたつのがわかる。俺は吹きこぼれそうな鍋を抑えるように平静を繕った。
「何寝言ほざいてんだ。耄碌したかクソ親父」
「馬鹿がうつる前に捨てろと言ったんだ愚息が」
売り言葉に買い言葉。まるで子供の喧嘩のようだった。
普段だったらここまで逆上することもないのだが、こいつは平気で地雷原を突き進む。こんな男と血が繋がっていると思うと反吐が出るな。
親父は普段無口なくせにこういう時に限って余計な言葉を付け足していった。
「五十実舞衣。よくお前と共に居るところを目撃されているようだ。成績は下の中。はっきり言って凡人以下だな。どうしてこの大学に入れたのか不思議なくらいだ。俺はそんな女を義理の娘にするのは拒否する」
一言一言が俺の神経を逆撫でる。こいつは俺を苛立たせることに関しては天才的だな、と怒りを通り越して逆に冷静に考えてしまう。
俺が五十実と結婚するつもりで? それを親父は反対している? まったく馬鹿馬鹿しくて頭痛がしてくる。俺は頭をがしがしと掻きむしった。
俺はこいつの声が嫌いだった。
感情も無くただ言葉だけを伝えるような声。それでいて俺の心の奥深くにどろどろとした黒いものを流し込んでくる。
聞くだけで気分が悪くなる。まるで昔に引き戻されるかのようだ。
「つまんねぇ妄想してる暇があったら他の学生にでも媚び売ったらどうだ白羽教授。体のいい若いのが研究でも何でも手伝ってくれるだろうよ」
「馬鹿は好まんと言ったはずだが?」
駄目だ、こんな会話マキナや五十実には聞かせられない。
最近自分は丸くなってきたと思ってきたのに、親父と少し会話をしただけで昔の自分に戻ってしまう。
こいつとは長い時間同じ空間に居たくない。そう思った俺はさっさと話を切り上げこの場を去ることにした。
だが最後に一つだけ聞いておく必要がある。俺は半分だけ振り返り親父の背中を睨むように問いかけた。
「なぁ、"ゆめ"っていう子供知ってるか?」
「知らん」
「……そうか」
俺は素直に親父の言うことを信じた。
親父は嘘が吐けない。それは昔からそうだった。
何故なのかは知らない。元々無口なので都合が悪い時は地蔵のように押し黙っていた。
親父はそのことを周りにバレないようにしているようだが俺はこいつの実の息子だ。そんなことわからない訳がない。
ではなぜ俺が親父にゆめについて聞いたか。その答えは単純だ。親父がゆめについて知っていればマキナを造ったのは恐らく親父だからだ。
俺はずっと考えていた。マキナは誰が造った?
その答えは未だにわからず終いだ。その中で思いつく一番可能性が高いのは親父だった。
親父は建前上は物理の講師だが裏ではロボット工学や量子力学などあらゆる分野に手を出しているらしい。
もし本当にマキナを造ったのが親父なら確実にその動向を監視しているはずだ。音声でも映像でも、とにかくマキナに監視機能を付けているだろう。
つまりゆめについても知っているはずだった。
だが親父はゆめについて知らないと答えた。俺たちがゆめと出会ったのはつい先日だ、覚えていないはずがない。ということは親父はゆめについて本当に知らない。ついでに言えばマキナについても知らないのではないだろうか。
本当はマキナについても聞きたかった。お前は何を知っているんだと。だがそれは出来ない。もし親父がマキナの件について本当に無関係だとしたらとんだ藪蛇だからだ。
親父はゆめを知らない。それだけで十分な証拠になる。親父はマキナとは無関係だろう。
「五十実舞衣を捨ててその子供にするのか? 法は犯すなよ面倒くさい」
「ふざけろ下衆が」
忌々しげな親父の声に吐き捨てるように返答しその場を離れる。
五十実はそういう相手じゃないとか、ゆめがどこの誰だとかそんなこと親父に説明しても無駄だ。どうせ一切の興味も持たないのだから。あいつの興味の失せた目は嫌というほど見てきたのだから……。
今日は煙草の減りが速いな、と少し冷静になった頭で考える。気付けばもう既に5本は減っていた。
最近煙草の量を減らしていた分余計に吸ってしまったようだ。
最初に煙草を吸ったのはいつだったか、そんなこともう覚えていない。半年前か一年前か、もっと昔だったか。
そんな数ヶ月前のことよりもここ最近の数週間のほうがよほど濃い日々を過ごしている。そう思うと俺は相当虚無な日々を過ごしてきたのだろうな。そしてその虚無の時間こそやたら時間の流れが遅く感じ、濃密な時間であればあるほど時は速足で駆けていく。
マキナと出会ってから今まであっという間だった。それだけ濃い時間を過ごした原因はマキナだけではない。そして俺は今からその原因のもう一人と話し合いの場を設けていた。
「私……覚悟を決めました」
五十実は何かを悟ったかのような表情で目を瞑っていた。
俺は弛緩した空気の中さっきまでとは違った意味で冷ややかな目を五十実へ向ける。
「……何にだよ」
「ええ、わかってます先輩。先輩がこんな人気のないところに私を呼び出した理由。この名探偵五十実舞衣の推理力をもってすれば容易く想像できます」
「全く合ってないからな迷探偵」
こいつが何を考えているのか容易く想像がついてしまうところが本気で虚しい。
むしろ俺の方が名探偵なのでは? とか思ってしまったあたりこいつに毒されている気がしてならない。
「いいんですよ先輩、恥ずかしがらなくても。先輩の気持ち、よくわかりましたから。さぁ先輩! 今こそ私に思いのたけをぶつけてくださいっ!」
両手を広げこちらへ詰め寄る五十実に対し俺は無言で思いのたけではなく拳を振り下ろした。
「ひどい! 純情な乙女の心を弄んで!」
「俺は何も言ってねぇよ」
さっきまでの張り詰めた空気が嘘のようだった。
下らない茶番劇を武力で幕を下ろした俺達は校内にある休憩スペースの席に向かい合う形で座る。
普段は弁当を持参した学生が昼食をとるときに使うスペースだが、今の時間は多くの学生が授業中だ。周りを見てもほとんど学生がいないのは好都合だった。
何故か真向いの相手は自分の頭を押さえながら"おーいてて"とかぶつぶつ言ってるが別に力を込めたわけじゃないぞ。こいつが大げさなだけだ。
俺は元々授業など必要以上に取っていないため暇な時間が多いが五十実はそうではない。
親父の言葉を肯定するようで癪に障るが五十実は本当に単位が怪しいらしい。だから週の多くの講義を履修している。
今日は五十実の受けている講義の時間が一コマ分空くらしいのでその時間に呼び出したのだった。そしたらこれだ、こっちのほうが頭が痛くなってくる。
「だってだって、普段仲の良い異性の先輩から急に"時間空いてるんだろ……? なら少し……話があるんだ……"って言われたら誰だって勘違いしますよ」
「俺はメールで"今日時間があるなら東棟の休憩スペースに来い"って連絡しただけだが?」
妄想力が逞しすぎる。あと普段仲が良いってなんだ。お前の中ではそういうことになってたのか。
否定してやりたかったがこれ以上話が脱線するとこの後の話に差し支えるのでスルーしておくことにする。五十実は不貞腐れたように紙パックのジュースを飲んでいた。
「愛の告白じゃないならなんで呼んだんですか?」
「少し話があったからだ」
「やっぱり愛の告白じゃないですか」
「違ぇよ」
五十実の言葉を半ば無視し強引に話を進める。
「お前、この大学に"友人"はいるのか?」
「え……?」
はぐらかされないように単刀直入に言う。それだけ俺がこの話に真剣だということだ。
五十実は俺の言葉に硬直する。なんて答えていいのかわからない、そんな表情だった。俺自身こんな質問をするなんてどうかしていると思う。だがこれは"これから"のためにどうしても必要なことだった。
「どうしたんですか先輩、急にそんなこと言いだすなんて。何か悪いものでも食べたんですか?」
「はぐらかすなよ」
俺は少し詰め寄り五十実の目を見て言う。五十実は何か言いたげだったがやがて目を逸らした。
「……本当にどうしたんですか。いつもの先輩らしくないですよ? 他人に関心を示すだなんて」
俺らしくない、か。五十実の目から見てもそう感じるらしいな。
俺は少し前のめりな体勢になっていたことに気付きそっと姿勢を元に戻す。余程威圧感があったのか五十実は少しほっとしたような表情をしていた。
一旦落ち着きを取り戻すために自分の水筒を取り出し中身の麦茶を飲む。
これは出かける前にマキナが入れてくれたものだ。ただペットボトルの麦茶を水筒に入れただけのものだが、それでもマキナの気遣いに嬉しく思う。それと同時にマキナが成長を見せる以上を俺達も変わらなくては、マキナに示しがつかない。
「お前、一人なんだろ」
五十実はすぐには答えなかった。だがそれは肯定と捉えられる。どこかばつが悪そうに紙パックを弄る五十実。普段あまり見ない仕草だった。
「友達くらいいますよ。前に100人くらいいるって言いませんでしたっけ?」
「お前は嘘を吐くとき少し黙るからな。わかりやすいんだよ」
恐る恐る答える五十実をバッサリと切り捨てる。取り付く島もない。やがて観念したかのようにぽつりと呟く。
「……先輩には関係ないじゃないですか」
「関係ないわけじゃない」
俺の返答に五十実は驚きの表情を見せた。
俺が五十実の交友関係に固執する理由。それは俺とマキナが五十実の心の拠り所になっている、そう感じたからだ。
自意識過剰だと言われればそれまでかもしれないが、そう判断する材料はいくらでもある。
俺は五十実が他の誰かとともにいる場面を見たことが無かった。いや、厳密にいえば俺達以外に親しそうな人物とともにいるところを見たことが無い。俺と出会うときはいつも一人だった。
前からよく会っていたわけではないがここ最近はマキナの関係で共にいる時間が長かった。だからこそその違和感に気が付いた。
極めつきはこの前校内で見かけたときだろう。五十実が普段からあんな表情をしているのなら、人も寄り付かないのは納得がいく。あまりに冷たい表情。いつも見る顔からは想像がつかないほどだ。
そしてその時五十実は自信満々に"いつもどおり"だと言っていた。その言葉は嘘偽りないものだったのだろう。
「お前の暗い顔を見ると調子が狂うんだよ」
らしくない。先ほどの言葉を反芻する。俺は何に感化されたんだろうな。
五十実の冷たい表情を見てからというもの、俺は俺たちの前で見せる五十実の表情が偽物なのではと勘繰ってしまうくらいにそれが気になっていた。
五十実にはいつもの様に人懐っこい笑顔でいて欲しい。へらへらにやにやと腹立つ顔でもいいから笑っていてほしかった。
全く自分勝手な話だと思う。それでも"あの"表情が正しいものだとは思えなくて、俺は一歩踏み込んだのだった。
静かだな。俺は淡白にそう思った。
今いる場所は建物のエントランスの近くなので外で風が吹くと少しばかりその影響を受ける。冬の風が髪を撫でると自然と身震いをしてしまう。
五十実と二人でいてこれほどまでに静かだったのは初めてか。普段は鬱陶しくて敵わないが、今の俺は五十実の言葉を待っていた。
「……先輩は、そういうの気にしないと思ってたんだけどなぁ……」
五十実の目は少し悲しそうだった。そして少し間を置き五十実は少しずつ語り出す。五十実舞衣という一人の少女の物語を。




