第5話 このままでいい、はずだった
それから数日は、驚くほど何事もなく過ぎていった。
トマスさんはすっかり元気になり、畑仕事に復帰していた。私は相変わらず、朝から冷えピタを求める子どもたちに追い回され、「まいねーちゃん、ずるいー、おれのだけ小さいー」という不毛な争いを仲裁し、合間に薬草を摘み、脳内BLシリーズの続きを考える――という、いつも通りの日々を送っていた。
平和だ。平穏だ。何も、変わらない。
――それでいいんだよ、うん。
夜、ベッドに横になりながら、私は自分にそう言い聞かせるのが癖になっていた。
低位祝福持ちとして、この村でひっそり生きていく。目立たず、騒がず、大きな期待もされず、大きな失望もされず。トマスさんの一件で、自分の無力さを思い知らされはしたけれど、あれはあれで一つの経験として飲み込んで、また明日からも同じような毎日を積み重ねていけばいい。
前世でもそうだった。特別すごい人間になろうとせず、平凡なりに、自分の持ち場でできることをやる。それが、私という人間の、性に合った生き方だ。
――特別になんて、なりたくない。
この気持ちに、嘘はなかった。目立てば目立つほど、面倒なことに巻き込まれる。中位、高位の祝福持ちになれば、支部だ王都だと引っ張り出され、責任も重くなる。聖務院の事務官たちのあの、常に何かに追われているような疲れた顔を、支部から来たレナードさんの外套の下にちらりと見た気がした。
あんな生き方は、私には向いていない。隅っこで、地味に、静かに。それでいい。それがいい。
――なのに。
トマスさんの一件のあの夜、悔しくてなかなか眠れなかった感覚を、私はまだ、体のどこかに引きずっていた。……いや、寝たけどさ。「もっと、誰かの力になれる自分でいたかった」という、あの一瞬の想い。あれは、いったい何だったんだろう。
特別になんてなりたくない、はずなのに。誰かを本当の意味で救えないことが、悔しかった。矛盾している。自分でも、よくわからない。
――ま、いっか。考えたって仕方ないし。
いつもの調子で、思考に蓋をする。深く考え込むのは、性に合わない。それもまた、私という人間の、変わらない部分だった。
窓の外、夜の空気は、相変わらず生ぬるい。この時期にしては、明らかに暑すぎる夜だった。虫の声も、心なしか元気がない気がする。乾いた土と、乾いた草の匂いが、風に乗って部屋の中まで漂ってくる。
行商人が最近運んでくる話は、どれもあまりいいものじゃなかった。隣の領地では小さな川が涸れかけているとか、もっと遠くの街では、熱を発する魔物の被害が急増しているとか。王都では、王国騎士団があちこちの討伐や視察に駆り出されて、ここ最近やけに忙しそうにしているらしい、とも。
――騎士団、か。
物語の中の存在みたいだ、と私は思う。前世の記憶にある、ファンタジー小説やアニメに出てくる、鎧を着た凛々しい人たち。この世界にも実在するとわかってはいても、こんな辺鄙な田舎の村には縁のない、遠い世界の存在という感覚が抜けなかった。
まさか自分がその「騎士団」に関わることになるなんて、この時の私は、当然、これっぽっちも想像していなかった。想像する理由すら、なかった。
――もし、いつかこの村にも大変なことが起きたら。
ふと、そんな考えが頭をよぎる。私に何ができるんだろう。冷たい草を配って、紹介状を書いて、それだけ。今までと同じことしか、たぶんできない。
それでも、いいんだと思う。それでいいはずだと、自分に言い聞かせる。
――カス祝福でも、ないよりはマシでしょ。多分。
いつもの軽口を、口の中で転がしながら、私は目を閉じた。
この村の、この暮らしが、これからもずっと続いていく。そう信じて疑わなかった、最後の穏やかな夜。
翌朝、村の外れの雑木林の方角から、けたたましい悲鳴が上がるまでは――私はまだ、何も知らない、ただの「カス祝福持ちの田舎娘」のままだった。




