第4話 脳内BLと、干からびていく畑
トマスさんが床上げしたと聞いたのは、それから4日ほど経った頃だった。
「マイちゃん、ほら、これ持っていって」
トマスさんの娘さんが、山盛りの野菜を抱えて我が家までやってきた。お礼のつもりらしい。私が「紹介状を書いただけなので」と何度も遠慮しても、「いいから、いいから」と押し切られてしまう。結局、両手いっぱいの野菜を抱えて見送ることになった。
――こういうところ、この村の人たちは、優しい。
地味な祝福しか持たない小娘に対しても、ちゃんと感謝を向けてくれる。それだけで、少し救われる気持ちになる。
もらった野菜を抱えて家に戻りながら、私はふと、いつもの脳内BL妄想シリーズのことを思い出した。ここのところ、トマスさんの件でバタバタしていて、続きを考える余裕がまるでなかったのだ。
――そういえば、あの二人、どこまで話が進んでたっけ。
脳内で展開している「若手衛兵ダンと、その教育係である無口な先輩衛兵ヴォルフ」のシリーズは、私の中ではすでに120話を超える超大作になっている。誰にも読まれない、誰にも披露されない、完全に自己満足のためだけの物語。
最新話では、任務中に大怪我を負ったダンを、ヴォルフが人目も憚らずに抱きかかえて走る、というシーンで止まっていたはずだ。あそこからどう転がすか。ヴォルフの不器用な優しさをもっと掘り下げるべきか、それともダンの側からの想いをもう少し匂わせておくべきか。
――いや、待って。ここは王道で行くべきでは。「なんで俺なんかのために」「お前じゃなきゃ、意味がないんだ」の流れ。ベタだけどベタが尊い。ベタこそ至高。
一人でにやにやしながら歩いていたせいで、すれ違った村人に「マイちゃん、機嫌よさそうだね」と声をかけられ、慌てて真顔を作った。誤解のないように言っておくと、この村には同性愛という愛の形も二次創作という概念も、それを楽しむ文化もない。だから私のこの趣味は、誰にも打ち明けられない、完全に孤独な営みだった。
――寂しいような、気楽なような。
複雑な気持ちを抱えつつ、家に戻る途中、村の広場を通りかかると、数人の大人たちが眉間に皺を寄せて話し込んでいるのが目に入った。
「今年の小麦、去年よりさらに実りが悪いらしいな」 「井戸も、水位が下がってきてる。あと数年でどうなることか」 「隣村じゃ、家畜が暑さでばたばた倒れてるって話だぞ」
声のトーンは低く、深刻だった。私は聞こえないふりをして通り過ぎようとしたけれど、内心では、ずしりと重いものを飲み込んだ気分になっていた。
――やっぱり、気のせいじゃないんだ。
ここ2~3年、いや、もっと前から、じわじわと世界が「おかしく」なっている。気候が乱れている。作物が育たない。井戸が涸れかけている。この村だけの話じゃない、王国全体で起きていることらしい、というのは、行商人から聞きかじった噂話でも耳にしていた。
原因は、はっきりとはわからない。ただ、年寄りたちの間では「熱竜の呪い」なんて言葉が、まことしやかに囁かれているらしい。地の底に眠る巨大な竜が、何らかの理由で目を覚まそうとしている、と。
――さすがにそれは、迷信でしょ、と思いたいけど。
この世界には実際に魔物もいるし、祝福なんていう不思議な力も存在する。竜がいたって、驚くようなことじゃないのかもしれない。ただ、そんな話が本当だとしたら、この暑さは、まだまだ序の口なんじゃないだろうか。
考えれば考えるほど、気が滅入ってくる。
私はもらった野菜を家の中に運び込みながら、意識してその不安を頭の隅に追いやった。
――今の私にできることは、目の前の暮らしを守ることだけ。世界のことは、もっと偉い人たちが何とかしてくれるでしょ。多分。
夕方、いつものように畑に出て、薬草を摘む。手のひらに乗せると、いつも通りにひんやりと冷たくなっていく葉っぱたち。この単純作業だけが、なぜか今日はやけに心を落ち着かせてくれた。
冷たい草の感触を確かめながら、私はまた、脳内BLシリーズの続きを考え始める。
――そうだ。あそこはやっぱり、ヴォルフの回想シーンを挟もう。彼が今まで誰にも心を開かなかった理由を、少しずつ明かしていく感じで。
畑の上に広がる夕焼け空は、今日もまた、燃えるような赤に染まっていた。地平線の向こうが、心なしか、いつもより赤黒く滲んで見える気がしたけれど――たぶん、気のせいだろう。そう思うことにした。
この時の私は、まだ知らない。
その「気のせい」が、決して気のせいなどではなかったことを。「麗しの騎士団長殿」がやってきて、この平穏な畑仕事の日々が、大きく揺さぶられることになるのだということを。




