第3話 助けたのは、私じゃない
支部から派遣された聖人が村に到着したのは、紹介状を送ってから、ちょうど丸一日が過ぎた頃だった。
名前はレナードさんといったと思う。中位の癒しの祝福持ちらしく、白を基調にした聖務院の外套を纏った、線の細い青年だった。歳は私と同じくらいだろうか。馬から降り立ったその人を見た瞬間、村中の空気がふわっと軽くなったのを、私は肌で感じた。
「これは……糖尿病をお持ちだったんじゃないですかね。間に合ってよかった」
トマスさんの枕元に膝をつき、両手をかざしたレナードさんが、静かにそう呟いた。その手のひらから、淡く優しい光がこぼれる。写真でしか見たことのない、絵本の中の奇跡みたいな光景だった。
――光る、んだ。ちゃんと、目に見える形で。
私の祝福には、光なんてものはない。ただ草がひんやりするだけ。地味も地味、見た目にすら華がない。
光がゆっくりとトマスさんの体に染み込んでいくと、あれほど荒かった呼吸が、みるみるうちに落ち着いていった。上気していた顔色が、少しずつ、少しずつ、人間らしい色を取り戻していく。まるで早送りの回復映像を見ているみたいだった。
「峠は越えました。数日は安静にしてください。しっかり水分を摂って、快復したら適度な運動を心掛けてもらってください」
レナードさんがそう告げた瞬間、部屋の中に詰めかけていた家族たちから、堰を切ったような歓声と嗚咽が上がった。娘さんは床にへたり込み、手放しで泣いていた。孫らしき小さな子は、意味もわからないまま、みんなの空気につられて泣いていた。
よかった。本当に、よかった。
私も、心の底からそう思った。思ったのだけれど。
――同じくらいの強さで、何かがすとん、と胸の奥に落ちていくのを感じてもいた。
この村中の歓喜の輪の中に、私の名前は、もう出てこない。当然だ。トマスさんを実際に治したのは、あの光る手のひらを持つレナードさんであって、冷たい草を額に乗せ続けていただけの私じゃない。
「マイちゃんが紹介状を書いてくれたおかげだよ、本当に、ありがとう」
帰り際、娘さんが涙を拭いながらそう言って、私の手を握ってくれた。優しい言葉だった。心からのお礼だということも、よくわかった。
でも、その言葉の中の「紹介状を書いてくれた」という部分が、やけに耳に残った。
そう。私がしたのは、紹介状を書いたことだけ。
――結局、そういうことなんだよね。
トマスさんの家を出て、自分の家に向かって歩きながら、私は誰に言うでもなく胸の中で呟いた。夕暮れの空は、今日もやけに赤く、やけに大きく見える。この村に来てからずっと、夕焼けが年々鮮やかになっている気がするのは、気のせいだろうか。
私の祝福は、誰かを本当の意味で救うことはできない。できるのは、応急処置と、正式な助けを呼ぶことだけ。冷えピタを配り、紹介状を書き、あとは祈るように待つ。それが、私にできる精一杯。
「看護師とか、医者とかなら…」
前世が、看護師とか医者なら、もっと、チートもできたのに。
でも、今感じている感情は、悔しい、というのともまた少し違う気がした。悔しさというのは、もっと熱を持った感情だと思う。今、胸の奥にわだかまっているのは、もっと静かで、もっと重たいもの。もっと、諦めに近い、何か。
――こんなものだよね、うん。カス祝福だもん。
いつもの軽口を、いつものように口の中で転がしてみる。でも、今日ばかりは、その言葉が空々しく響いた。笑って誤魔化す元気すら、あまり湧いてこない。
家に帰り着いて、玄関の戸を開けると、むわっとした室内の熱気が体にまとわりついてきた。それすらも、今日は妙に体に堪える。
夕食もそこそこに、私はベッドに横になって、天井をぼんやり見つめた。
――前世でも、こういうことは、あったな。
ふと思い出す。会社員時代、私は特別優秀な人間ではなかった。目立った実績もない、いわゆる「そこそこ」の社員だった。誰かがすごい成果を上げるたびに、心から拍手を送りながら、その少し後ろで「自分には何ができるんだろう」と思っていた、あの感覚。
それを、まさかこの世界に来てまで味わうことになるとは思わなかった。転生したら人生変わる、みたいな話は、私には縁がなかったらしい。
――まあ、でも。
ふと、天井の木目を見つめながら、思い直す。
紹介状を書かなかったら、レナードさんは来てくれなかった。あの光る手も、トマスさんの回復も、なかったかもしれない。地味だけど、私がやったことに、意味はあったはずだ。
冷やすことしかできない。それでも、冷やすことは、誰かの命を繋ぐ時間を作ることでもある。
……そう思うことにする。今日のところは、それで十分だ。
窓の外、日が完全に落ちても、まだ空気は生温かった。虫の声すらどこか気だるげに聞こえる、そんな夜だった。
私は目を閉じて、いつもの脳内BLシリーズの続きを思い浮かべようとした。でもそれはうまくいかなかった。疲れていたのだろう、寝つきは良くなかったけど、今日はいつもより早く、眠りに落ちてしまった。




