第10話 力及ばず
「聖女様! こっちです、早く!!」
怒鳴るような声に呼ばれて振り返ると、担架に乗せられた騎士が運び込まれてくるところだった。焼け焦げた鎧の隙間から覗く肌は、これまで見たどの火傷よりも深く、広範囲に爛れていた。
「――っ」
息を呑む暇もなかった。私はとっさに薬草籠に手を伸ばし、冷やした草を取り出す。
でも、次の瞬間、私は気づいてしまった。
――足りない。全然、足りない。
運び込まれてくる負傷者は、一人や二人ではなかった。次から次へと、火傷を負った騎士たちが、後方の陣に横たえられていく。誰もが苦悶の表情を浮かべ、うめき声を上げている。さっきまで草一枚を巡って笑い合っていた顔ぶれが、今は苦痛に歪んでいる。その落差が、余計に私の心をえぐった。
私の薬草籠は、あっという間に空になった。
「聖女様、こっちも……! お願いします……!」
悲鳴のような声が、あちこちから飛んでくる。私は震える手で、残り少ない草をかき集め、少しでも重症の人から優先して当てていく。でも、摘んだ草には限りがある。効果も、あの規模の火傷を前にしては、あまりにも心もとない。
「もっと草を……! すみません、まだ足りないんです、ちょっと待って……!」
林の際まで駆けていって、手当たり次第に新しい雑草を摘み取る。摘んで、冷やして、戻る。摘んで、冷やして、戻る。息が上がる。手が震える。頭の中が真っ白になりかけている。爪の間に土が入り込むのも構っていられなかった。
――前世の記憶が、また警鐘を鳴らしてくる。これは、私の手に負える規模じゃない。
トマスさんのときとも、村の火傷の男性のときとも、まったく違う。あのときは、せいぜい一人だった。今は、次々と運び込まれてくる、何十人分もの重傷者を前にして、私一人の両手では、どうしようもなかった。前世で見た、災害報道の映像が脳裏をよぎる。あのときはただ画面の向こうの出来事だった。今は、目の前で、それが起きている。
「し、しっかりして……! お願い、目を開けて……!」
意識を失いかけている若い騎士に必死に呼びかけながら、冷やした草を額と首筋に当てる。よく見ると、さっき「聖女様、俺の分も」とはしゃいでいた、あの若い騎士だった。でも、それだけじゃ、この人を救えないことは、火傷の深さを見ればわかる。表面を冷やすだけでは、追いつかない。
「聖女様。落ち着いて。今、伝令が支部に向かった。じきに応援が来る」
アダムさんが、努めて冷静な声をかけてくれる。でも、その声にも、隠しきれない焦りが滲んでいた。眼鏡の奥の目は、これまでの落ち着いた軍師の顔から、明らかに変わっていた。
――応援が来るまで、この人たちは持つの?
答えの出ない問いが、頭の中でぐるぐると回り続ける。
「アダムさん! ヒース団長は……!?」
気づけば、私はそう叫んでいた。理由は、自分でもよくわからない。ただ、あの碧い瞳の彼の無事を、無性に確かめたかった。
「団長は……殿を務められた」
アダムさんの声が、そこで一度、詰まった。
「魔物の攻撃は、一撃一撃で見れば、大したものではなかった。だが、団長は、退却する部下たちの盾になり続けた。飛び散る熱の粒を、剣で払い、時には自らの体で受けて」
瞼の裏に、光景が浮かぶような気がした。炎に炙られながらも一歩も引かず、味方を先に逃がし続ける、あの人の背中。
「一つ一つは、軽い火傷で済むはずだった。だが、それを何十回と繰り返せば、話は違う。同じ場所に、熱が重なって、重なって……気づいたときには、もう」
アダムさんは、言葉を選ぶように、そこで一度目を伏せた。
「部下は、誰一人として、大きな怪我を負っていない。全員、無事に生きて戻ってきた。それは、団長が己を犠牲にしてでも、最後まで殿を務め続けたからだ」
――そんな。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。誰かを守るために、自分の体をぼろぼろにするまで盾になり続けるなんて、そんな馬鹿げた真似を、あの人はやってのけたというのか。
「団長らしい、と言えば団長らしいがな……」
アダムさんが、疲れたように、そう呟いた。その声には、呆れと、それを上回るほどの敬意が滲んでいた。
「団長は、殿を務めて、最後に撤退された。だが……」
その先の言葉に、心臓が跳ねた。
運ばれてきた担架の一つに、視線が吸い寄せられる。
――ヒース団長だった。
鎧の右半身が焼け焦げ、露出した腕は、これまで見たどの火傷よりも深く、痛々しく爛れている。目を閉じたまま、荒い呼吸を繰り返す彼の顔からは、あの爽やかな笑顔の欠片も見当たらなかった。
「団長……! 団長、しっかりしてください……!」
私は駆け寄って、震える手で最後の一枚となった冷えた草を、彼の腕に押し当てた。冷たさに反応してか、彼の眉間に微かな皺が寄る。生きている。まだ、生きている。それだけが、唯一の救いだった。
でも――それ以上、私にできることは、もう何もなかった。
薬草籠は空。畑にはまだ雑草があるけれど、今から摘みに走って、冷やして、戻ってくるまでの時間すら、惜しい。彼の呼吸は浅く、速く、明らかに悪化の一途をたどっている。
「誰か……! 誰か、癒しの祝福持ちは……!」
叫んでみても、この場にいるのは、私と、応急手当ての心得がある程度の兵站要員だけだった。癒しの聖人・聖女は、この討伐隊には同行していなかった。まさかここまでの重傷者が出るとは、誰も想定していなかったのだろう。
――なんで。なんで、こんなときに限って。
悔しさと恐怖がないまぜになって、視界が滲む。トマスさんのときに感じた無力感が、何倍にも膨れ上がって襲いかかってくる。あのときは、まだ紹介状を書くという、できることがあった。でも今は、その紹介状すら、間に合うかどうかわからない。伝令の馬が支部に着くのに、あと何時間かかるだろう。その間に、この人たちの体は、どこまで悪くなってしまうだろう。
「団長……お願い、死なないで……!」
声にならない声で呟きながら、私はヒース団長の手をきつく握りしめた。彼の手は、驚くほど熱かった。まるで、あの魔物の熱をそのまま吸い込んでしまったかのように。
周囲では、他の負傷者たちの呻き声が、途切れることなく響いている。誰も彼もが、苦しんでいる。私一人の、たかがマイナス二度の力では、この光景の何一つとして、覆すことができない。
――カス祝福め。
いつもの軽口が、今日はもう、自嘲にすらならなかった。冗談で誤魔化せる領域を、とうに超えていた。
ただ、ヒース団長の熱い手を握りしめたまま、私は祈ることしかできなかった。誰に向けての祈りかもわからない、ただひたすらな、無力な祈りだった。




