カトレアの誘惑
「テニスしない?」
夏休みも1クオーターは終わりそうなころに汐にそう言われた。
「テニスって硬式?」
ダイニングで朝ごはんを食べている。納豆を混ぜながら夏樹は聞き返した。
「チャウ。チャウ。軟式。」
「ってことは多分ダブルスだよな?」
テニスには軟式と硬式がある。硬式ってのは黄色い球を使ってやる奴。シングルスが基本で「テニス」といったら真っ先にほとんどの人が有名な選手とかを思い浮かべるだろう。一方軟式は白い球を使う。ダブルスが基本で誰かと二人一組となって試合をする。中学生の部活なんかでしか見る機会がないものだ。
「そ。で、私のペアとして大会に出てくれない?」
「はい?」
なぜ汐と大会に出なきゃならんのだ。一応夏樹も夏休み真っ最中であり別に大した予定もないがわざわざ暑い中運動をしたいとは思わない。
「なんかね。市内で大会を開くらしい。それに出たいんだよね。それにほら私高校じゃ軟式テニス部だし。」
「それなら部活の正規ペアで出ればいいだろ。」
「それがーー、ペアの子家族で出るとか言っていたから私ペアいないんだよね。だから暇そうな夏に頼んでるんだけど。」
「俺にはいくメリットがないからな。丁重にお断りさせてもらう。」
当たり前だ。行く必要はないのだ。それに硬式はやったことがあるが軟式の経験は皆無である。なにより汐のペアは荷が重すぎる。こいつは東海大会に行くくらいのプロ猛者プレイヤーなのだから。
「ああそう。参加料-1500円なのに」
ん。今こいつはなんと言った?-1500円?What do you say?脳の処理が追い付かない。さながら切れかけている蛍光灯のように目をちかちかさせている。
「つまり試合に出れば1500円もらえるの。」
汐は両手をダイニングの机につけて立ち上がりそう夏樹に告げた。一本の三つ編みに束ねられた後ろ髪がぴょこっと跳ねる。出るだけで1500円。ちょうどソシャゲで水着ガチャがきたから課金をしたい。だがお金がなくて課金を渋っていたのだ。(さすがに母さんからもらった30万をこんなことに使うわけにはいかない…)1500円あればワンちゃんがあるかもしれない。それに聞いた感じ参加すればいいのだ。最悪1回戦で負けても1500円もらえる。かなり夏樹にとって利のあるものだ。
「やるわ。その大会。」
即決だ。1500円のために時間を差し出すことを決めた。やはり水着は偉大である。
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「ってことがありまして、悪いのですが7月29日はバイオリンの演奏をキャンセルしていただけませんでしょうか?」
イラつくくらいさんさんな太陽が照っている中夏樹は鈴華にそう告げた。「厨房安藤」に行くまでの道中である。
「大丈夫。大丈夫。私だけとの付き合いだけじゃないもんね。いいよ。」
鈴華は快諾してくれた。あの日から何日かたってわかったことは彼女がショパン好きなことと毎日長そでの服なこと、そして「厨房安藤」にバイオリンを置いているくらいだ。特に今日合わせて5連続ショパンだ。曲は幻想即興曲だった。曲の難易度自体が高いが鈴華は難なくパフォーマンスを成功させた。毎日30分しか練習していないそうだが絶対嘘ついてるだろ。そう彼女に言ってみたが、彼女はブラウンのアメスリタンクの上の白い長シャツに手首が包まれている右手を横に振った。上の白シャツのボタンを真ん中の一つしか止めていないせいでアメスリタンク越しに胸のふくらみが見える。変な気を起こさないようにできるだけ心を落ち着かせた。店につき、中に入る。
「お疲れ。お嬢と夏君。」
瑠偉さんはすぐに二人分の定食をカウンターに置いた。
「ありがと。おっちゃん。」
鈴華は獲物を見るような目で定食を見つめている。鶏肉のレモン風味にそうめんだ。暑いことを見越してかさっぱりしたものを出してくれる。感謝しかないね。
「私もそのテニスの大会?出ようかな。」
「え?」
Why?
「だって、夏君いないなら私暇だし。それなら私もやったほうがいいかなって。あと1500円欲しいし。」
やっぱり金ですか。さようでございます。夏樹は金の恐ろしさを知ったのであった。
「お嬢、テニスの大会出るんですかい?」
「ええ。出ようと考えてるわ」
「俺も出るんですよね。それなら俺、お嬢や夏君とライバルですね。」
あんたも出るのかい。瑠偉さんもお金目当てかな?
「いやー夏君とお嬢のペアはなかなかに強そうだな。」
「え?」
今度は鈴華が絶句した。頭に「ぺあ?」みたいな吹き出しがついているような気がする。
「もしかして二人一組だったりします?」
夏樹のほうを向いてそういってきた。
「そうですけど…って俺の話聞いてました?」
「来れないって話以外、あんまり聞いてませんでした。」
彼女はペロッと舌を出した。かわいらしい仕草だな。怒る気が完全に失せてしまった。
「もう一度言うけど、俺と汐で出ることになったので俺は使えませんよ鈴華さん。」
「なんと。お嬢と夏君がペアじゃなんか。それじゃもしかしたら夏君対お嬢みたいな試合があるかもしれないな。」
瑠偉さんはガハハと笑っている。鈴華は何食わぬ顔で誰かとメッセージでやり取りしている。
「オッケー。私のペア決まった。」
「え?」「は?」
俺と瑠偉さんどちらも唖然としている。
「だから、ペアがもう決まった。明日から練習するからバイオリンの約束大会終わるまでなしってことでよろしくお願いします。」
陽気にそう夏樹に言いながら、ダークブラウンのパンツに包まれた足をぶらぶらさせた。
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「夏。早く練習するよ。」
翌日。汐にせかされ自転車からクーラーボックスとラケットバックをもって降りる。昨日の今日で練習を入れられて少しけだるい感じはある。一応一回戦で負けるつもりでいたが、汐は優勝を目指しているため練習することになった。大会まであと3日。汐がやる気なのださすがにまじめにやるとするか。汐は走ってテニスコートへ行ってしまった。夏樹は追いかけるように石段を上がっていく。昨日まで毎日神社の石段を登り、そのあと店まで歩いていたからかつらさはない。そもそも10段くらいしかないからこんなのでつらいとか言っていたら論外である。階段を上ると汐が誰かと話している。部活の誰かとしゃべっているのだろう。少し気まずいが汐のところに歩みを進める。しかし汐と話しているのは夏樹も見たことのある、いやよく知っている顔だった。
「あ、夏樹君。おはようございます。」
白い髪。青い瞳。長い服。もちのろんで水谷鈴華こと鈴華である。汐がいるためかいつもとは違う猫かぶりモードだ。
「夏。誰だか分るよな。」
「鈴華さんでしょ。さすがに俺を舐めるな。」
毎日会っているのだ忘れるわけないだろ。そう思った。そんな会話をしている時だった。
「姉さん?」
後ろから女性の声が聞こえた。
振り返って夏樹は言葉を失った。薄黒い髪。茶色い瞳。短い服。しかし顔は鈴華にほとんど類似している少女が立っていたのだから。




