Tale a4 闇夜に潜む者(1)
屯所を出てからしばらくして、グランは思ったことをふと口にする。
「愚直な考えですが、ナイトメアという名前から察するに、出没の時間は夜から早朝にかけてだと思うのですが……このような昼時に行って何か得られるのでしょうか?」
「その推察通りです。少し見切り発車でしたね」
「でしたら実地に向かう前に、そのナイトメアの被害者に会いに行ってみませんか? エルケル殿は少なくとも、ナイトメアの存在を疑っているようですし」
グランの機転の利いた提案に、エルケルは頷いた。
「ならば医療区に行きましょう」
「案内をお願いします」
グランとエルケル。鎧姿の二人の取り合わせは、やはり人目を惹くらしい。剣術大会が近いから、それ絡みの仕事中とでも思われているのだろうか。
「……やはりグラン殿と一緒にいると心強いです」
「エルケル殿も充分な強さをお持ちではないですか」
「私は決して……。先ほどは騎士団が出せる最高戦力と啖呵を切ってしまいましたが、実際団員の中にも私を凌ぐ者はいるでしょう。それなのに、ファルクスは私を副団長に指名しました。私はその期待に応えられるよう、彼の背中を追いかけながら務めを果たしてきただけです」
「充分じゃないですか。団長殿がエルケル殿を指名したということは、少なくともお眼鏡にかなっていたということ。それからさらに努力を重ねたのであれば、誰もあなたを責めることはありません」
「そうですかね。確かに団員たちはファルクス亡き今、私に文句を言わずついて来てくれています」
グランは安堵から笑った。
「今の言葉が答えですよ。エルケル殿は立派です。下に多くの人間を従えるくらいにね」
エルケルは自信に満ち始めた。
騎士団長の他界以降、彼は自分が副団長に相応しいか否か、ずっと気に病んでいた。励ましの声を貰っていただろうが、身内から掛けられる言葉に対しては、気を遣わせているのではと当てにはしていなかったのだ。
「私は今回の剣術大会を最後に騎士団を辞めようと思っていたのですが、もう少し頑張ってみようと思います」
「ええ。辞めるなんて勿体ない」
思いがけない胸中の吐露に驚きながらも、グランはエルケルを支持した。
「……さあ、着きました。ここが医療区です」
気が付けば、雰囲気の静まり返った区画に着いた。白塗りの高層の建物群がグランたちを見下ろしている。
ストラティアの医療技術の発展は治癒魔術の発展に等しい。
ただの掠り傷程度ならば、駐屯所や自宅の仮眠用のベッドに臥し、手当てをする程度で間に合う。ここは治癒魔術を必要とする重篤な患者などのためにある施設群なのだ。
エルケルの後ろを歩き、一つの病棟に入ると、簡素なベッドにチューブの繋がれた患者が眠っているのがうかがえた。
その隣には時間交代で見守る同僚の団員がいる。入り口に立つ鎧姿の二人を目にすると、鞭を打たれたように直立し胸に手を当てた。
「副団長殿、お疲れ様です!」
まさかエルケルが来訪するとは思っていなかったのだろう。病室内に驚嘆の声が響く。
「ああ、ご苦労。……忠誠は嬉しいが、ここは病室だ。少し抑えてくれ」
「はい。申し訳ありません」
エルケルは視線を病床に臥している団員に移し、容体を確認する。
「ここに来たということは……分かってるな?」
「はい」
「ナイトメアを見たというのは事実か?」
「間違いありません」
団員は悔し気に言った。
「今朝、中立領の泥地でのことです。個々で巡回を始めた少し後に悲鳴が聞こえ駆けつけてみると、あの怪しい炎を纏う馬の形をした化け物が走り去って行くのが見えました」
「ふむ……」
エルケルは目を瞑って唸る。その後ろから、
「ナイトメアの特徴に合致していますか?」
とグランが尋ねた。
「ええ……その通りです。そして今、彼が繋がれているケーブル。あれは精神強化系の魔術を流し込んでいるな?」
「はい」
団員は頷いた。
ナイトメアはその名に違わず、見境なく人を襲っては昏睡させ悪夢を見せる。
悪夢から覚めるには、術か解けるまでその内容に耐えなくてはならない。だからこその精神強化魔術なのだ。
「……間違いない。ナイトメアの仕業だ」
そう言い残して、エルケルは独り病室を先に出てしまった。
グランは話をしてくれた団員にお礼を言い、患者の回復を祈ると、慌てて彼を追いかけた。
「エルケル殿……!」
「……申し訳ない。少しの間、一人にさせて欲しい」
グランには、今だけエルケルの背中が小さく見えた。
グランは了承しながらも、エルケルを目の届く範囲で監視した。勝手に街の外に繰り出してしまわないか、心配になったからだ。
エルケルは見晴らしの良い鉄塔に上り、ずっと下町を眺めたり空を眺めたりしていた。
別れて一時間以上が経ち、そろそろ頃合いかとグランも塔に上ると、エルケルは微笑みを見せた。
「……かつてナイトメアの討伐を試みたことがあるのです。結果は討伐には成功したものの、多数の団員の命が犠牲になりました。だから奴が生きていたと知って、動揺してしまいました」
「それならば、これ以上の被害が出ないよう、私たちで終止符を打ちましょう」
「そうですね。行きましょう、グラン殿!」
到着が日没後になるように時間調整をして、泥地へと辿り着いた。
そこまでの道のりは問題なかった二人だが、出発当初の勢いは消えていた。
「グラン殿、足元には気を付けて下さい」
「分かっています」
一歩一歩が慎重になっていた。周囲は底無しの沼のようで、露出している細い道状の地面だけが安全圏だった。
たとえどれだけの強者であろうとも、足を取られた際の不快感を避けることはできない。
「しかし、このじめっとした空気……あまり長いしたくはないですね」
グランは時折鼻に入って来る異臭に顔をしかめる。
「この環境を好むモンスターがいるというのがまた厄介な所。無論、ナイトメアもです」
「思念体の癖に好みがあるとは」
「腐っても魔王軍幹部の作り出した生物ですからね。思念体の中でも上位的な存在なのでしょう」
鼻で笑いながら、エルケルは遠目で発見したモンスターに対して剣を構える。グランへの返答に、周辺の警戒に、色々と忙しそうだ。
薄暗い中で目を凝らし、グランも遅れながらその存在に気付いた。
「あれは……スライムですか?」
「ええ。ここを好んで進化を遂げたヘドロスライムです」
ヘドロスライムは原種のスライムの進化の過程の中で、廃棄物や泥を主食とするようになったモンスター。元より有していたスライムの溶解能力と合わさり、ヘドロスライムの触れた周囲には自然と汚らしい沼地が形成される。
この泥地帯を危険たらしめている要因の一つだ。
「なんとも生臭い見た目だ……。刺激しないように行きましょうか」
スライム種はテリトリーに踏み込みさえしなければ戦闘になることはない。警戒を怠らないことで泥地の奥へと入り込んで行く。
行き止まりという岩壁が立ちはだかる場所まで到達した時、二人は来た道を振り返った。
「何もいませんね」
団員の証言の場所なのだが、ナイトメアはおろかモンスターの一匹すら見当たらない。
「やはり嘘だったのか? いやしかし、早朝に見間違えるだろうか……」
少なくとも朝日の昇る早朝は、夜間と比べればずっと明るい。エルケルは生まれた疑心に悩まされる。
「別の場所を探しましょうか。見た所、泥地帯は広いよう――!」
グランがそう言いかけた時だ。背後の茂みが不自然に揺れ、全身に何かが重くのしかかった。




