残り【10〜7日】〜修復〜
出先から帰る頃には雨が降り始めていた。朝から天気が悪かったので、洗濯物の件リータに頼んでおいて良かったと安心して帰ってきたのだけれど、まさか洗濯物が干しっぱなしになっているとは思わなかった。
リータは言いつけを破る子ではないのに、一体どうしたのだろうか。事情を聞くためにリータを探したが、家の何処にもいない。仕方なく旦那様の執務室へ行ったのだけど、そこにはバツの悪そうな顔をした旦那様がいた。
「リータはどうしたのですか?」
「えぇーと、ちょっと事情があって部屋に閉じこもっちゃった」
リータが閉じこもってしまう程のこと、私に心当たりは一つしかない。ここ最近の彼女の態度はどこかおかしかった。夢の世界に生きているような、現実を見ていない。そんな態度だった。
恐らく旦那様との会話をキッカケに現実を思い知らされたのだろう。旦那様が亡くなるという残酷な現実を。
「それで、どうなさるおつもりですか? 禍根を残したまま逝くなんて、残酷ですよ」
旦那様は少し沈黙した。いつも飄々としているのに、今回だけは真剣な顔だった。そして、口を開いた。
「エリナ、これをリギルに届けてくれ」
旦那様は一通の書類を取り出した。突然のことに私は少しうろたえた。
「お前にも数日暇を出す。恐らくお前の本家から召集もかかるだろうしな」
「まさか……。この書類、奴隷解放についての約条ですか?」
旦那様は頷いた。
「本来なら俺が届けるべきだが、今はリータのために時間を割きたい。こっちは上手くやるから、頼めるか?」
このような大切な書類を使用人風情に預けるなど前代未聞だ。もちろん、私も旦那様との信頼関係を疑ったことはないが、今はそれ以上にリータのことが心配なのだろうと感じた。
「今度こそ愛する人を不幸にする、なんてことはしないで下さいね」
「あぁ、もちろん」
覚悟が決まっているのか、ご主人様の顔からは迷いなど微塵も感じなかった。こういう時の顔を普段から見せて欲しいものだ。いつもの頼りなさそうな顔よりかは数倍はカッコよく見えるのに。
こうして、数日の間私は旦那様の元から離れ、王都へ行くことになった。リギル様に約条を届け、そしてそれが公になってからは旦那様の予想通り、使用人の家系である私の実家から召集がかかったりもした。
しかし、そんな慌ただしい中でも、私はただただリータと旦那様のことだけで気が気でなかった。
**
「リータ、開けてくれないか」
昨日からご主人様が何度も扉の前に訪ねてくる。泣いて疲れて、どん底にいる私には返事もできなかった。
「リータ。せめてご飯は食べるんだよ。扉の前に置いておくから」
ここに来てから、ずっとご飯は抜いてこなかったけど、昨日からは何も口にしていない。返事をする余裕もないのは、そのせいかもしれない。
ただ、ご飯を無駄にするのは勿体ないと奴隷根性が働いたのか。ご主人様がいなくなったのを見計らって、扉の外を見た。
サラダとスクランブルエッグとパン。ご主人様と出会って初めて食べた食事だった。
**
部屋がジメジメしている。外を見てみると、あの日からずっと雨が降り続いているようだ。私の気分だけの問題ではなかったらしい。
あの時から3日経ったが、私はこれからどうすれば良いか全くわからないでいた。ご主人様からも定期的に声をかけられるが、私は一向に無視してしまっていた。
馬鹿なことをしているのは分かっている。でも、これ以上ご主人様といたら、私の心がもたない。ご主人様の死を目の前に出来るほど、私の心は強くないから。
永久に答えの出ない私の悩みはずっと頭の中をぐるぐると回っていた。
「花壇の植物、どうなってるだろ」
ふと頭に浮かんだことを私は呟いていた。ここ最近、エリナさんがいる様子もないので、植物の手入れは誰もしていない。
私はただやらなきゃって思いだけで、部屋を飛び出していた。
雨の中、私は花壇の前にいた。
思った以上に雨風が強く、たぶん、何もしていなければ風で茎が折られたりしている植物もあったかもしれない。
でも、そこには必死で支柱を立て補強するご主人様の姿があった。
「あ、リータ。申し訳ないけど、ちょっと手伝ってくれる? やったことないから、勝手が分からなくて」
ハハハと笑う飄々としたいつものご主人様だった。それを見たら、私は溢れ出る気持ちが止まらなかった。閉じこもっていた時に深く溜めた反動かもしれない。
「何故、ご命令にならないのですか? 閉じこもっていた時だって、扉を開けろとご命令なされば、私は抗えなかったのに。それなのに、何故……」
自分でも言いたいことが何なのかまとまりがつかず、思ったことをそのまま吐露していた。その話を聞いたご主人様は優しく微笑んでいた。
「知ってるんだよ。その奴隷の腕輪、もう外れているんでしょ」
確信をつかれた私はドキリ後退った。
自分さえ騙して隠していたことなのに、ご主人様はあっさりと見破っていた。
「後でしっかり話し合おう。リータが感じてることも、俺が考えていることも全部さ。だから、一先ず今は手を貸して。ね?」
「……わかりました」
こうして、二人とも雨でずぶ濡れになりながら、作業をした。あっちをやって、こっちにきて、等と交わされる会話は前のように自然だった。
雨でずぶ濡れになった私たちは家に入ってまずお風呂に入った。というより、入らされた。風邪をひいてはダメだとご主人様が必死に言いくるめるので、その勢いには負けてしまった。なんだか、初めてご主人様と過ごした日が思い出された。
着替えた私はリビングに向かった。ご主人様は新たな装いで私を待っていた。
ご主人様の対面の椅子に座った。少し前まではご主人様の前にいる状況なんて想像も出来なかったけど、今は不思議とその勇気が湧いていた。
「リータは俺がいなくなるのが怖い? それとも、奴隷でなくなって俺との関係が崩れてしまうのが怖い?」
ご主人様の口からはそう紡がれた。この時はとても真剣な表情だった。
それなら、私も本当の心でぶつかろうと思った。これ以上心の中に膿みを溜め続ける方が今の私には苦しかった。楽になりたかった。
「昔は後者の方が怖かったです。私が奴隷でなくなったら、ご主人様と赤の他人になってしまう気がして。でも、今はどちらも怖いです。あの時から今まで、積み重ねてきた時間が今の私の全てです。ご主人様は私の生きる意味全てになったから」
「そんな風に思ってくれるのは嬉しい。でも、俺は後7日で死ぬんだ」
「だから、私はどうすれば良いかわからないのです……! ご主人様の言いつけ通り、私は腕輪を壊しました。だから、もう奴隷ではない。でも、私には奴隷としての生き方以外知らない。ご主人様に尽くせる未来がないなら、私が生きる道なんてない! だから、籠もってる間、ずっと死ぬことばかり考えていたんです……」
苦しみを吐き出すたび、楽になる感覚を感じた。でも、同時にその言葉は私自身でさえ答えが出なかった問題だった。きっとご主人様が聞いても、どうしようのないことだ。でも、ご主人様は真剣に聞いてくれていた。そして、改まってご主人様が口を開いた。
「リータ。残酷だけど、俺が亡くなっても、君には生き続けてもらいたい。これは親愛とか情を抜きに、俺自身の目的のために」
「ご主人様の目的……?」
「あぁ。申し訳ないけど、俺はリータを利用しようとしていた。初めて会った時、君の心根が強いと感じた時に、俺は計画を思いついた。君が奴隷から初めて解放された先導者に仕立て上げる計画を」
私を利用……? 先導者……? 何のことかさっぱり分からなかった。そこから、私にも分かるようにご主人様は噛み砕いて説明してくれた。
数日前に、奴隷解放のお触れが出されたそうだ。だが、長年奴隷を用いた体制を築いていた王国がすぐに変われる筈もない。一部条件に合致した奴隷は解放される予定だが、その闇はまだ根付き続けるだろう。
「そして、解放された奴隷も今のリータ以上にどう生きれば良いか、きっと分からない。だから、リータ。君にはその成功例になって欲しかった。奴隷上がりでも、一人の足で立って生きられる事を知らしめれば、世間の見方も少しは変わる。そして、元奴隷の人も君を参考にして、またその成功例が増えていけば、奴隷に対する偏見も解消していくかもしれない」
それがご主人様の計画らしい。ご主人様は奴隷解放の計画を立てていた勇者様の一人だったのだ。ただ、魔王を倒すだけでなく、苦しい人々にも目を向けて、救うための手を差し出す勇者。
「リータ。君を利用した俺を恨んでくれても良い。でも、命を粗末にするのだけはやめて欲しい。これだけ無責任な事を言った後だけど、今の俺は君を一番に考えてる。命を無駄にする生き方以外なら、俺はそれを尊重したい……」
この発言も無責任かなと、ご主人様は力なく笑った。
きっと苦しいのは私だけではなく、ご主人様もだ。ご主人様は最後まで私に責任を持てないことに苦しんでいる。ご主人様にまだ命があれば、こんな苦しみ味わうこともなかっただろうに。
そして、私に対するご主人様の気持ちも分かった。その言葉に嘘は一つも感じられなかった。だとすれば、私の選択肢も一つだ。
「ご主人様が私の生きる全てです。ご主人様が生きろというのなら、私は生を全うします。先導者になれというのなら、私はそうなります。恨むなんてとんでもないです。この先も生きる理由を頂けたことに私は感謝します」
苦しみながら、歩き続けること。これが“ヒト”として生きるってことなのだ。先の見えない不安、突然の別れ。生きている限り、衝突し続ける悩みに葛藤することから逃げてはダメなのだ。
ご主人様が私を“ヒト”にしてくれた。なら、私もヒトとして生きていこう。これは、ご主人様から与えられたものだから。
「リータ。俺は死ぬんだぞ?」
「はい。とっても辛いです」
「逃げ出したくはないか?」
「逃げ出したい程苦しいです。でも、ご主人様がヒトにしてくれました。どうやっても、乗り越えてみせます」
「リータ。愛してるよ」
「私もです。ご主人様」
私とご主人様はそのまま抱き合った。やっぱりご主人様の身体は強い男の人って分かる体つきだった。大きく包まれる感覚、こんな優しい温もりをこんな近くで感じたのは何年ぶりだろう。
その時、リビングに一筋の光が差し込んだ。雨は上がっていた。




