第501話 16歳のイングリス・和平交渉8
「和平だって! 良かったわね、メルティナ!」
「はい。もし本当にそうなれば、これ以上カーラリアの皆さんにご迷惑をおかけする心配もありません……! 暮らしは厳しいかも知れませんが、手を取り合ってこの地上で生きて行ければ――」
引率のミリエラ校長に続いて、微笑み合いながら王城の門をくぐるラフィニアとメルティナの更に後ろに付いて、イングリスはうーんと唸って腕組みをする。
もし本当にカーラリアとヴェネフィクとの関係が和平へと向かうなら、強敵との手合わせの機会が失われてしまいかねないではないか。
マクウェル将軍に、天恵武姫のティファニエにシャルロッテに、教主連側の大戦将イーベルの存在も期待出来たかも知れない。
「和平かあ。うーん……」
「どうしたんですか、イングリス?」
メルティナが渋い表情のイングリスを振り向く。
皇宮を追われた身とは言え、メルティナはれっきとしたヴェネフィクの皇女だ。
イングリス達よりも招集される理由があるだろう。
逆にイングリス達が呼ばれている事のほうがやや疑問ではある。
一応非常勤の名誉職としての近衛騎士団長という肩書きはあるが、あくまで緊急的に物理的な戦力が必要な時に声をかけて貰うためのものだ。
今がそういう状況のようには思えないのだが――むしろメルティナの護衛役、相談役として呼ばれたのだろうか。
「いや、勿体ないなあって……」
「勿体ない?」
「ちょっとくらい攻めて来てくれてもいいのに――そしたらこう、わたしが国境で迎え撃てば、向こうの強い人達といっぺんに戦えるのになあ……」
「こらこら。それって戦争でしょ、そんな物騒な事を望まないっ」
ラフィニアがイングリスの耳をぎゅうっと抓る。
「いたたた……いや違うんだよ? 全面戦争になる一歩手前で止めようって事だよ? それなら被害も少ないし、わたしも一番戦えるし……」
もし本当に和平になれば、また強敵と手合わせするあてが失われてしまう。
武公ジルドグリーヴァとの戦いが肩透かしになってしまった今、ヴェネフィクの面々にはとても期待していたのだ。
「ははは。イングリスは本当に勇ましいですね」
「メルティナも怒っていいわよ、ほんとにいっつもこうなんだから……!」
「いえ、ヴェネフィクがこれ以上道を誤ってしまった時、止めてくれる方がいて下さるのは心強いです。勿論、そうならないのが一番なのですが……」
「……まだその可能性があるって事?」
「ええ、現皇帝陛下……私の異母兄ですが、あの方は恐ろしい方ですから」
メルティナが少し不安そうな顔をする。
「じゃあ、まだ希望があるって事だね!」
「こらっ!」
「み、皆さんあまり騒ぎすぎないようにして下さいね。怒られてしまいますから……」
振り向いたミリエラ校長が苦笑している。
と、近衛騎士団長のレダスがその場に姿を見せた。
「おおイングリス殿! お待ちしておりましたぞ! ご足労頂きありがとうございます!」
「レダスさん、お早うございます」
「ささ、こちらへ。国王陛下をはじめ、皆様お待ちです!」
レダスに案内されて向かった会議用の部屋では、既にウェイン王子やカーリアス国王に加えリグリフ宰相が長卓に着き、その近くにはラファエルやリップルも立って控えている。
そして彼らが向き合うヴェネフィクの使者は――見知った顔だった。
長い金髪に気品のある顔立ちは、いつも見ているリーゼロッテの顔によく似ている。
「シャルロッテさん……!」
教主連側の大戦将でもある天恵武姫、シャルロッテだった。
ただの天恵武姫ではなく大戦将でもある分、その戦闘能力は明確に他の天恵武姫より一歩抜きん出ており、上級の天恵武姫とでも言うべき存在だ。
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
イングリスはたおやかな笑顔を浮かべながら、ぺこりと一礼する。
是非もう一度手合わせしたいと思っていた相手だ。また出会えて嬉しい。
「……? 誰です、おまえは」
シャルロッテは眉をひそめてそう応じる。
そう言えばシャルロッテにも今の年齢の姿で会うのは初めてだ。
「イルミナスでお世話になったイングリス・ユークスです。訳あってあの時は子供の姿でしたが、こちらが本来の姿です」
「相変わらずわけの分からない――ですがまあ、いいでしょう。おまえにも用があります」
「わたしにも?」
「イングリスよ。そなたらも座るが良い」
カーリアス国王に勧められ席に着き、シャルロッテの話に耳を傾けた。
話の主旨としては、以前ウェイン王子からヴェネフィクから提案した和平案を受け入れたいとの事だった。
相互不可侵は勿論、ウェイン王子が提唱する封魔騎士団による国の垣根を越えた広域の対魔石獣防衛活動を受け入れ、ヴェネフィクとしても協力したい、と。
満額回答であり、全面的な提案の受け入れである。
ただし国としては大きな方針転換であるため、家臣団や帝国の民衆にも反発が大きいかも知れない。
故に提唱者であるウェイン王子には封魔騎士団と共にヴェネフィクを訪れて貰い、正式な条約の締結と共に臣民への説得に手を貸して欲しい、との事だった。
そしてそのウェイン王子には、イングリス・ユークスも必ず同行して欲しいと。
「……これを。皇帝陛下より、此度の要請に際しての誠意の証だそうですわ」
シャルロッテが卓上に取り出して見せたのは、如何にも豪奢な、緻密な装飾が施された冠だった。
「これは……! 皇帝の証の冠……! ヴェネフィクの国宝です!」
メルティナがそう声を上げる。
思わず椅子から腰を浮かせてしまう程で、余程驚いた様子だ。
それも無理はないだろう。
皇帝とは国そのもの。その証を差し出すという事は、国を差し出すという事。
つまりヴェネフィクはその領地を放棄し、カーラリアの属国になってもいいと言う意思表示と見て取れるのだ。
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