第500話 16歳のイングリス・和平交渉7
ギギギギギギギギ……
ぎしぎしぎしぎし……
騎士アカデミー宿舎のイングリスとラフィニアの部屋の朝は、そんな音に包まれていた。
「ん……ぅ。ふああぁぁ……」
先に寝惚け眼を擦りはじめたのはラフィニアだ。
それによって二種類の音の片方は止まったが――
ぎしぎしぎしぎし……
まだ片方の音は鳴り続けたままだ。
「もー……うるさいわね~」
自分の事はひとまず棚に上げ、ラフィニアは隣に眠っているイングリスの様子を見る。
規則正しい静かな寝息に、穏やかな寝顔はこの世のものでは無いくらいに美しい。
身につけた薄手の夜着から覗く豊かな胸元や、太股の肌が艶めかしい。
ラフィニアは幼い頃から何度も見ているが、それでも見とれてしまうくらいだ。
この姿自体が、一種の完成された芸術品のようにも思える。
そんな中でもしかし、部屋に響く異音の原因は間違いなくこのイングリスだ。
もっと詳しく言うとイングリスの身につけている夜着だ。
薄桃の格子柄のそれは、武公ジルドグリーヴァが持って来てくれた超重量の子供服を仕立て直したものだ。
元々の布地が少ないので、肌の露出が多めの夜着という形になった。
寝ている時も修行が出来ると喜んだイングリスはそれをそのまま身につけて寝て――
そのあまりの重さに、部屋のベッドのほうが悲鳴を上げているのだ。
この異音の正体はそれである。
ベキイィィッ!
とうとう耐えかねたベッドが、真っ二つにへし折れて割れた。
「きゃああぁぁっ!?」
「わ……!? な、何?」
床に落とされてラフィニアは悲鳴を上げ、イングリスは目を覚ます。
「何じゃ無いわよ、クリス! そんなの着て寝てるからベッドが壊れちゃったじゃない!」
「へ? あ……ほんとだね。なるほど、せっかく寝てる間も修行できると思ったのに」
いつも行っている重力負荷の魔術も、眠っている間は発動できない。
重い夜着で眠っている間も鍛錬するというのはその穴を埋める名案のはずだった。
「寮の備品壊しちゃってどうするのよ……!? 怒られちゃうわよ?」
「ま、まあ暫く隠して……もっと壊れにくいベッドを調達して来ようよ? ジル様に言えば何とかしてくれるかも知れないし」
数日前にやって来た武公ジルドグリーヴァとその本拠地リュストゥングは、まだ王都カイラル上空に滞在中だ。
「自分の事好きな人に貢がせようって言うのね? 悪い娘ね~」
ラフィニアが囃し立てるように言い、二の腕あたりをつんつんと突っついてくる。
「そ、そんなつもりは全然無いよ」
「まあいいけどね? クリスにも浮いた話の一つや二つあった方が自然だし。最終的な相手はラファ兄様にして欲しいけど――」
「いやそんな事無いよ、絶対無いから……!」
少々怖気がして、イングリスはぶんぶんと首を振る。
精神は男性の自分にそんな浮いた話があっては、逆に不自然だし問題だ。
「いいのよ、せっかくいいものがあるんだから、活かして行きなさい!」
言ってイングリスの胸の膨らみに手を伸ばし、むにむにと触り始める。
「ひゃあっ!? だ、ダメだって、結局いつもとやる事が変わらないんだから……!」
「んーしかしこの下着とんでもなく重いのに、手触りはいつもと変わらないわ。ほんと不思議よね~」
「それは分かったから離して……!」
などとじゃれ合っている間に、部屋の扉が激しくノックされる。
「イングリスさん! ラフィニアさん! 起きていますかあ!?」
ミリエラ校長の声だった。
「この声……校長先生!?」
「ま、まずいわよクリス! ベッド壊したのが見つかっちゃう!」
「そ、そうだね急いで隠さないと……!」
「どうやって隠すのよこんなの……!」
あたふたしているうちに、焦れたミリエラ校長が部屋に踏み込んできてしまう。
「イングリスさん! ラフィニアさん! あぁ起きていたんですか?」
「こ、校長先生おはようございます……!」
「こ、これは何でもありませんから気にしないで下さい、あははは……」
かろうじてシーツを被せて隠したベッドの残骸を背に、イングリスとラフィニアは愛想笑いを浮かべる。
「とにかく、急いで王城のほうに来て下さい!」
しかしイングリス達の背後に一瞥もくれず、ミリエラ校長はそう言うのだった。
「え? 王城に?」
「何かあったんですか?」
「ええ実は今、王城にヴェネフィクからの使者が来ているそうなんです。どうやら和平の話のようなんですが、それでイングリスさん達にも来て欲しいと……!」
東の隣国ヴェネフィクはカーラリアとは伝統的な敵対関係。
現在も様々な紛争の経緯から、いつ本格的な開戦状態になるかも分からない緊張状態が続いているのだ。
「「ええっ!?」」
イングリスは少し顔を曇らせ、ラフィニアは嬉しそうに顔を輝かせた。
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