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第37話 白峰の英霊と、地上に満ちる光

 冬至祭の冷気を切り裂くように大聖堂前の石造り壇上へ進み出たベルンハルトと長女エレノアは、王室裁判所の最高法官と国王軍元帥が背後に控える中、教皇が突き出していた教令の前に紫紺の親書を広げて掲げた。

 その羊皮紙の縁には歴代の国王が佩用してきた国章が鮮やかに刻まれ、大陸全土に広がる聖教の総本山と諸国が結び合ってきた「古き誓約」の条文が厳かに記されていた。


 法学者ベルンハルトは乱れた無精髭を誇らしげに撫で上げ、壇上から広場の数千の市民たちを見渡しながら、大理石の壁を震わせる通る声で告発を開始した。


「教皇猊下、貴殿が振りかざす教令は神の教えでも信仰の奇跡でもなく、私利私欲のために国家の主権を侵奪する不当な横暴である!この大陸において神への信仰は国境を越えて人々の心を支える貴き道標であるが、同時に諸国の王権と聖教の間に交わされた古き誓約大典において『信仰を口実に世間の法を曲げ、不当に私財を奪い取る行為』は厳格に禁じられている!大聖堂が告解の秘匿を隠れ蓑にして門外不出としてきた財務の控えと、十年前の白峰で兵たちを見殺しにするために下された教令原本の筆跡および条文の型は寸分の狂いもなく同一であった!」


 ベルンハルトの手から放たれた二枚の羊皮紙の写しが風に乗って広場へと舞い落ち、前列に立つ市民たちや叩き上げの将校たちの手へと渡っていった。

 教皇の顔から血の気が引き、豪奢な法衣の袖口が屈辱と狼狽によって激しく震え始めた。


「貴殿らは白峰の金山を抱える大修道院の利権を独占するため、魔獣の群れを前に陣を敷いた王国軍の部隊に退却も補給も許さず見殺しにし、今また東方の交易路を手中に収めるため負債を抱えたハロルド伯爵家を傀儡としてクラウセル家の婚姻を乗っ取ろうとした!王室裁判所は国王陛下の親署のもと、教皇庁が布告した『祈りの静謐令』および『聖なる武装解除令』を国家主権への明白な反逆として即時無効を宣告する!さらに大修道院が不当に囲い込んできた金山鉱山および広大な領地に対する不輸不入の特権を剥奪し、本日をもって王立の保護下へ接収、得られた富は十年間放置されてきた外郭の民と前線で傷ついた兵たちへ全額補填されるものとする!」


 国家の最高法規が寸分の隙もなく教皇の肥え太った利権を断ち切った瞬間、広場を包んでいた重苦しい沈黙が耳を劈くようなどよめきへと変わった。

 追いつめられた教皇は壇上の縁へすがりつき、見苦しく顔を歪めながら広場の群衆へ向けて呪詛のような叫びを放った。


「戯言を……!神の奇跡を否定する者に天罰が下るぞ!教会の祈りなくして誰がこの厳しい冬を越せるというのだ!不浄の民どもめ、飢えと寒さに凍えながら地獄の底で自らの罪を悔いるが良い!」


 冷酷な言葉が冬風に乗って広場の市民たちを打ちのめそうとした。

 その時、広場の雪を踏みしめて立ち尽くしていたケイは、自分が決してこの大舞台の主人公ではなく、誰かの人生に割り込んで采配を振るう立場でもないことを弁えていた。

 ただ自らの役目のように手帳を開き、目の前で起きた事実と人々の生き様を余すところなく書き留めるため、静かにペン先を白紙の上へと滑らせた。

 その足元からチリンと澄み切った銀鈴の音が空へと吸い込まれていく。


 広場の中央で右足を踏み込み、腰の銀鈴を親指で弾いたルナは、壇上の教皇を見据えて凛とした美声を解き放った。


「神の奇跡にすがるのではないぞよ!わらわたちが生き抜いてこられたのは、冷たい雪山で命を賭して民の明日を守り抜いてくれた、あやつらの生身の温もりがあったからなのじゃ!」


 ルナの喉から解き放たれた白峰の英雄たちの調べは、トマが街道へ蒔き、ミリーが編み棒で繋いできた命の歩調に乗って冬の空を突き抜けていった。

 教会の気取った賛美歌とは異なる、泥の匂いと心臓の鼓動を宿したその歌声に呼応するように、広場を取り囲んでいた外郭警備隊の兵士たちが、そして数千の市民たちが、一斉に右足の靴底で石畳をトントンと踏み鳴らし始めた。


 一人、また一人と重なり合っていった足踏みの音は、やがて大聖堂の巨大な石柱を根底から揺るがすような地鳴りの拍子となり、教皇の呪詛の声を完全に掻き消していった。

 その拍子が最高潮に達した瞬間、ルナの小柄な身体から黄金と白銀の混じり合った淡く温かな光の粒子が噴水のように立ち昇り、広場を埋め尽くす群衆の頭上へと春の木漏れ日のように降り注ぎ始めた。


 少女自身も無自覚な純粋なる回復の光が雪の降る広場全体を柔らかく覆い尽くすと、寒さに青黒く変色していた老人の指先に熱い血潮が巡り、寒風にひび割れていた子供たちの頬に健やかな生気の赤みが差していった。

 ミリーの指抜き手甲を嵌めていた警備兵たちの凍傷痕が消え去り、過酷な冬の労働で擦り切れていた民衆の身体の奥底から信じられないほどの活力と温もりが湧き上がっていった。

 奇跡を独占し、祈りを人質に取っていた大聖堂の頭上を飛び越え、目の前の少女が解き放った生身の光を浴びた市民たちの中から、誰からともなく感涙の叫びが上がり始めた。


「……温かい、指が身体が春のように温かいぞ!」

「神殿の説教なんかじゃない、本物の奇跡だ……!」

「聖女様だ!あのお方が俺たちを救いに来てくださった本物の聖女様だ……!」


 熱狂した群衆が次々と膝を折り少女へ向けて祈りを捧げようと手を伸ばす中、ルナは腰に手を当ててぷくりと頬を膨らませ、鈴を鳴らしながら快活な笑い声を響かせた。


「何を申しておるのじゃ、わらわは聖女などという堅苦しいものには絶対にならぬぞよ!わらわはただ、走ったり歌ったりするのが大好きなクラウセル家の娘じゃ!この温もりはわらわの奇跡ではなく、そなたたちの隣で持ち場を守り抜いた兵士たちや、寒さに負けずに糸を紡ぎ、パンを焼いて今日まで息を繋いできた、ここにいる全員の命の熱そのものなのじゃ!」


 天上の偶像であることを真っ向から拒絶し、市井の泥のついた足元に立ち続ける少女の言葉に、広場の市民たちは呆気にとられた後、かつてないほどの歓喜の笑顔を咲かせて拍手を送り始めた。

 その熱狂の壇上において、国王軍元帥が高らかに羊皮紙を掲げ、全軍へ向けて国王親書を布告した。


「全人民に告ぐ!十年前の白峰において都市の盾となり散った柱の将兵を、本日をもって『王都を守護せし英霊』として最高位の国家顕彰へ叙す!大聖堂の冷たい地下ではなく、風の通る王都の城壁の上に彼らの名を刻む新たな記念碑を建立する!さらに元隊長ローランド殿の十年間にわたる献身を王国の誇りある防衛戦として公式に認定し、外郭警備隊の全隊員への防寒装備の支給と、特務兵ソナ殿の身分の恒久保障を王権の名において約定する!」


 老門番ゲオルグ伍長が、そして広場に並ぶ退役兵たちが涙を流しながらローランドの肩を抱き合い、十年の痛みを乗り越えた男たちの魂が真の解放を迎えていた。

 教皇は近衛憲兵部隊によって静かに壇上から連行され、長きにわたって王都を縛り続けてきた『祈りの静謐令』は完全に地上から消滅した。

 大聖堂の高塔から冬至祭の訪れを告げる晴れやかな鐘の音が乱れ打ち鳴らされ、街角という街角から封じられていた音楽と人々の笑い声が一気に解き放たれていった。


 熱狂に包まれる広場の片隅で壇上から駆け下りてきたルナは、人混みの後ろで手帳を抱えて穏やかな会釈を浮かべるケイの元へと飛び込んできた。


「ケイ、見たか!わらわたちの歌が、拍子が、教会の分厚い壁を本当に突き破ったのじゃ!」

「見ていましたよ。ルナさんの歌が、皆さんの足元を確かに照らし出していました」


 ケイが手帳を開くと、ルナは卓のインク壺の代わりにボールペンを使い、白紙の余白へ向けて滑らかな線を走らせた。

 描かれたのは大聖堂の高塔を飛び越えるようにして描かれた愛らしい音符の波と、解き放たれた三十枚の認識票、そして大地を踏みしめる民衆の足元を温かく照らし出す、誇り高き「九つ目の銀鈴」の絵だった。


 冬の青空の下、墓守小屋の土間から始まった小さな相談の歩みは、冷え切っていた王都の心臓へ誰にも消せぬ本物の熱を灯し、輝かしい勝利の刻を地上へと刻みつけていた。


次話が最終回です。10分後に自動投稿されます。

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