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第36話 白峰の拍子と、十年の号令

 冬至祭の正午を告げる大聖堂の銀鐘が重苦しく鳴り響く中、大聖堂前の巨大な石造り広場には教令によって集められた数千の王都市民が、吐く息の白さだけを頼りに身を寄せ合っていた。

 教皇庁が布告した『祈りの静謐令』の締め付けにより、広場を埋め尽くす群衆の足元からは私語はおろか衣擦れの音すら奪われ、凍てつく冬風が石畳を舐める乾いた音だけが異様な圧迫感を醸し出している。


 豪奢な金糸の法衣を纏った教皇が高台の大理石の壇上へ姿を現し、神の代理人としての威光を誇示するように両手を広げ、反抗的な者たちへの破門と国王軍の武装解除を宣言しようと唇を開きかけた。

 その振る舞いを遮るように広場の外縁を囲む四方の大通りから、青と銀の王室旗を高く掲げた国王軍近衛騎士団の精鋭部隊が寸分の乱れもない隊列を組んで進軍し、大聖堂直属の修道兵たちを外側から整然と包囲した。


 国王軍総司令部と王室裁判所が密かに張り巡らせていた警備網は、教会の私兵による市民への不当な武力行使を未然に防ぐため、隙のない陣形をもって広場全体の治安権を確保していた。


 緊迫した沈黙が広場を支配する中、中央の大通りの雪を踏みしめて近づく、規則正しい乾いた音が響き渡り始めた。

 トントン、トントンと、靴底で石畳を力強く踏み鳴らす一定の歩調と、木製の編み棒が打ち鳴らす小気味よい音、そしてチリンと澄み切った銀色の音色が、冷え切った空気を鮮やかに切り裂いていく。

 先頭を進むのはフードを脱ぎ払ったルナであり、その小柄な身体を包む藍色のワンピースの腰元で、愛らしい小さな銀鈴が歩みに合わせて誇らしげに鳴り響いていた。


 少女の両脇を黒鉄の大盾を構えたバルトと、大地と平行を保つ深藍色の尾を静かにしならせた特務兵ソナが固め、背後にはミリーの編み上げた指抜き手甲を誇らしげに嵌めた外郭警備隊の兵士たちが、長槍を真っ直ぐに立てて続いている。

 隊列の中央には旧式の隊長甲冑を纏ったローランドが静かに歩を進め、その傍らでケイが胸ポケットのペンと手帳を携え、前世のデスクワークで培った揺るぎない眼差しで壇上の教皇を見据えていた。


 教皇が壇上から不快感を露わにして修道兵へ制止の合図を送ろうとした瞬間、近衛騎士団の長柄槍が交差して修道兵の前進を完璧な軍律のもとで阻んだ。

 その隙間に生まれた広大な沈黙の中央へ進み出たルナは、右足でトンと石畳を踏み込み、腰の銀鈴を親指で弾いて「命の拍子」を広場全体へと響かせた。

 形式張った神殿の賛美歌を脱ぎ捨てた少女の喉から、飾りのない力強い歌声が冬の空へと解き放たれていく。


 岩肌を削る北風の匂い、吹雪の中で仲間を支えるために石の目を読んだ槍兵の無口な背中、道具の手入れを誰よりも愛し自らを犠牲にして隊長を雪の外へ突き落とした副隊長の祈り。

 教皇の偽りの奇跡などではなく、寒さに凍えながら誰かを守るために命を使い果たした名もなき兵士たちの生きた温もりが、大地を歩む足踏みの拍子に乗って群衆の耳へと真っ直ぐに突き刺さっていった。

 歌声が広場を震わせるにつれ、沈黙を強いられていた市民たちの間に、さざ波のような微かなざわめきが急速に広がり始めていた。


「……あの歌だ。西の村からやってきた行商人が酒場で口ずさんでいた旋律じゃないか」

「俺のところの親戚も手紙に書いていたぞ。街道の宿場町で腕の立つ老音楽師が五弦の楽器を掻き鳴らして広めていたという英雄の歌だ……」

「大聖堂の祈りじゃなかったのか……?十年前、あの峠で俺たちを守ってくれたのは本当にあの兵士たちだったのか……!」


 トマが命を取り戻した五弦を携えて街道へ蒔いてきた真実の種が、市井の人々の記憶の底で芽吹き、広場の中央で歌う少女の旋律と一つに結びついていく。

 教令という見えない鎖によって縛られていた人々の心に、大地を踏みしめて生き抜いてきた者たちへの確かな誇りと血潮が甦り始めていた。


 市民たちの動揺に顔色を変えた教皇が「その不浄な俗謡を止めよ、神への冒涜である」と壇上から怒号を浴びせかけた時、隊列から一人の大男が静かに壇下へと歩み出た。

 十年間の墓守生活で刻まれた無数の傷跡と無精髭を隠すことなく、胸元に掲げられた真鍮の隊長徽章を雪明かりに晒したローランドの姿に、広場の各所に配置されていた叩き上げの将校や群衆の中に身を潜めていた多くの退役兵たちの目が大きく見開かれた。


 ローランドは腰の道具箱から煤けた樫の小箱を取り出し、十年間肌身離さず温め続けてきた真鍮の認識票を大理石の壇上へと響く音を立てて広げた。

 元騎士隊長は深く息を吸い込み、その胸の奥底へ固く封じ込めてきた号令を王都の冬空を突き抜けるような轟きとともに解き放った。


「十年前、白峰の峠に取り残された殿軍部隊の生き残りに告ぐ!これより最終任務の確認を行う!」


 突如として響き渡った元隊長の号令に裏門を守り続けてきた老門番ゲオルグ伍長が、そして群衆の中にいた初老の元兵士たちが、無意識のうちに背筋を硬直させて直立の姿勢を取った。

 ローランドは壇上の認識票を見つめ、濡れた瞳を拭うこともなく己の魂を削り出すような叫びを続けた。


「俺は十年間、あいつらの屍の上に立って生き延びた自分を許せなかった!穴を掘り続け、冷たい土の下へ逃げ込むことだけを願っていた!だが副隊長が俺を雪崩の外へ突き落としたのは、生き恥を晒して腐るためじゃねえ!あいつらが犬死にじゃなかったと、誰かを守るために命を使い果たしたのだと、生き証人としてこの王都の民へ伝えるためだったんだ!」


 生き残ってしまったこと自体を罪と断じ、自らを終わりのない牢獄へ閉じ込め続けてきた元騎士の苦悶が、白日の下で大粒の熱い涙となって零れ落ちていく。


「俺たちの任務はあの雪山で果てることでは終わっちゃいねえ!民の命を守り抜き、その誇りをこの地上へ手渡すことこそが、あいつらが命懸けで俺に託した殿軍の最後の任務だったんだ!」


 ローランドの絶叫が広場の隅々まで木霊した瞬間、ゲオルグ伍長が胸元に拳を叩きつけ、乱れのない直立礼を捧げた。

 それに呼応するように広場を取り囲んでいた外郭警備隊の兵士たち、近衛騎士団の中隊長たち、そして群衆の中から進み出た幾人もの退役兵たちが次々と右拳を胸へと掲げ、十年の時を越えて帰還した隊長への揺るぎない敬礼の列を成していった。

 死者への罪悪感という重い鎖は断ち切られ、生き抜いて持ち場を守り抜いた男たちの誇り高き証明へと昇華されていた。


 その傍らには王室裁判所の上奏文を携えたベルンハルトとエレノアが立ち、真実のすべてを公に裁くための確かな歩みを壇上へと向けていた。

 広場を埋め尽くす民衆の拍子と、生き残った兵士たちの誇りが一つに束ねられ、十年間にわたって王都を覆い続けてきた巨大な虚飾の霧を今まさに吹き払い去ろうとしていた。


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