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第21話 凍原の無名杭と、老兵の直立礼

 舞い散る粉雪が夜の暗闇を白く霞ませる平民墓地の最奥において、墓石の代わりに打ち込まれた十数本の朽ちかけた木の杭が、凍てつく北風に吹かれて軋んだ音を立てていた。

 雪を踏みしめる重い足音を響かせてその場に立ち尽くしていたローランドは、手入れ用の厚手の防寒着を夜風に翻しながら認識票の巻き付いた古い素焼きの酒瓶を掲げ、白銀に覆われゆく盛り土の列へと静かに傾けた。

 瓶の口から零れ落ちた琥珀色の強い酒が新雪の表面を丸く穿ち、土の奥深くへと吸い込まれていく光景を男は感情の抜け落ちた瞳で見つめ続けていた。


 数歩ほど離れ、ランタンの黄色い灯りを雪面に落としながら、静かに佇むケイの姿があった。

 小屋から抜け出した背中を追ってきたものの、不用意に声をかけて連れ戻すような無遠慮な振る舞いはせず、ただ凍える夜気の中で男が命を落とさぬよう確かな存在の証として灯火を掲げ続けていた。


「……あいつらは、この冷たい土の下で一歩も動けねえんだよ」


 背後を振り返ることなく、ローランドは擦れ切れた低い声を雪の夜空へと投げ捨てた。


「腹を温めるスープも、笑い合える仲間も持てねえまま、十年前のあの猛吹雪の夜からずっと泥と氷の中で凍え続けてやがる。……俺だけが生き延びて、ぬくぬくと温かい飯を胃袋に収めていいはずがねえのさ」


 残りの酒を自らの喉へと乱暴に流し込んだ元騎士は、酒瓶を握り締めたまま膝を折り、凍てついた雪の上へと両手を突いた。

 降り積もる白い結晶が逞しい背中を容赦なく覆い尽くしていく中、男は自らに科した過酷な責め苦に耐えかねるように、ただ重い吐息を白く漏らし続けていた。二人の間に交わされる言葉はそれ以上存在しなかった。


 翌朝、夜の間に降り積もった雪が王都の外壁を眩しい銀世界へと変え、墓守小屋の軒先からは澄んだ水滴が規則正しく滴り落ちていた。

 土間のかまどで沸かした白湯をすすり、冷え切った身体に熱を取り戻そうとしていたケイの耳に、雪を力強く踏みしめて近づいてくる規則正しい靴の足音が届いた。

 板戸が静かに押し開かれ、朝の冷気とともに姿を現したのは、王都の裏門で幾度となく顔を合わせてきた老門番だった。


 普段の詰め所で見せる気だるげな様子は微塵もなく、使い古された制服の胸元には王国騎士団の徽章が銀色に磨き上げられ、手には包み紙に覆われた上等な蒸留酒の瓶と白く可憐な野菊の束が握り締められていた。

 土間の隅で無精髭を撫でながら座り込んでいたローランドの姿を認めた瞬間、老兵の背筋は定規を当てたように美しく伸び、右手を左胸の急所へと鋭く当てて寸分の乱れもない直立礼を捧げた。


「――元北方第三別動隊伍長、ゲオルグ。今年も初雪の墓参りに参上いたしました、ローランド隊長」


 老兵の引き締まった声音には、退役した墓守に対する同情や気安さなど欠片も混ざっておらず、かつて苛烈な戦線を統率した指揮官へ捧げられるべき絶対的な敬意だけが宿っていた。

 ローランドは手にした素焼きの器を卓の上に置き、痛ましげに眉根を寄せながら低く息を吐き出した。


「よせと言ったはずだぜ、ゲオルグ。今の俺はただの穴掘り人足だ。王都の通用門を預かる兵が、忌み嫌われる墓守に敬礼などするものじゃねえ」

「いいえ、十年前の初冬、北からの大攻勢を食い止めるため民の盾となって白峰の峠へ真っ先に出撃された閣下の背中を我らは片時たりとも忘れたことはありません」


 老兵ゲオルグの眼差しには、決して揺らぐことのない忠誠と、拭い去れぬ悔恨が静かに燃え盛っていた。

 二人の間に流れる張り詰めた空気を肌で受け止めながら、ケイは卓の向こうで居住まいを正し、二人の言葉の端々に現れる記憶の輪郭を慎重に拾い集めていた。


「あの時、我ら救援部隊は門前で出撃の号令を待っていました。しかし、教会から下された一枚の教令によって、すべての部隊がその場に縫い止められたのです。国王陛下の上書すら退けられ、神の御名のもとに峠への道は閉ざされました。教皇の裁定に逆らえば国ごと破門に処されるという脅迫の前に、我らはただ……雪山に取り残された閣下の部隊が見殺しにされるのを城壁の上から見つめることしかできなかった……!」


 老兵の拳が激しい怒りによって白く震え、包み紙の隙間から蒸留酒の芳醇な香りが微かに漏れ出していた。

 世俗の王権をもしのぐ教皇の絶対的な権威と、その神聖なる教令の裏に潜む暗い思惑が、かつて防壁となった忠義の兵たちを雪原の孤立へと追い落としたのだという事実が、老兵の絞り出すような声から生々しく伝わってきた。


「戦が終わった後、あいつらを不浄の罪人として打ち捨てた大聖堂に対し、閣下が何をされたか全軍の兵が知っています。地位も名誉もかなぐり捨てて骨を拾い集め、この城壁の外で見守り続けておられる閣下を……現場で生き延びた我らが忘れられるはずがありません」


 老兵の深い敬礼と悔恨に満ちた瞳は、これまで裏門において彼が無言で扉を開け放ち、王都へと招き入れてくれていた理由をこれ以上ないほど雄弁に物語っていた。

 通用門を守る兵たちにとってローランドは過去の亡霊などではなく、教皇の理不尽な威光に屈せず仲間の尊厳を拾い上げた唯一無二の誇り高き隊長であり続けていた。


「……もうよせ、ゲオルグ」


 ローランドの声は深く沈み、土間の隅の暗がりへと吸い込まれていった。


「お前さんの義理立ても、あいつらへの思いも解っちゃいるさ。だがな……どれほど無念を叫ぼうが、あいつらは冷たい土の中で骨になり、俺だけがこうして息をしているという結果は覆らねえんだよ」


 男の大きな手のひらが、卓の上の素焼きの器を割らんばかりに強く握り締められていた。


「あいつらの骨を拾い集めた時、俺は腹を括ったのさ。教皇の理不尽に抗うこともできず、部下を全員死なせてのめのめと生き残った無力な俺には、この冷たい盛り土を見張り続ける役目がお似合いだってな。俺にとってこの墓場は誇りの場所じゃねえ。……生き残ってしまった罪を償うための、終わりのない牢獄なんだよ」


 自らに下した冷酷な終身刑の告白に老兵ゲオルグは言葉を失い、ただ悲痛な面持ちで頭を垂れるしかなかった。

 雪の光が白く差し込む粗末な土間の中で、かつて英雄と呼ばれた男が抱え込んできた深淵が、逃れようのない現実の重みとなって剥き出しになっていた。


 ゲオルグが捧げた花と酒を土間に残し、雪の街道へと無言で去っていった後、部屋には再び重苦しい静寂が降りていた。

 ローランドはかまどの炭火を虚ろな瞳で見つめたまま微動だにせず、その背中は昨夜の雪景色よりも冷たく凍てついているように見えた。


 胸ポケットから静かに取り出した黒いボールペンの軸を指先で回しながら、ケイは机の上に置かれた白紙の手帳へと静かに視線を落とした。

 他人の弱音や迷いを幾度となく受け止め、その足元を支えてきたその紙束の余白は、自分を救ってくれた最初の恩人が背負い続ける途方もない生存の罪を受け止めるための時間を静かに待ち望んでいた。

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