第20話 初雪のシチューと、夜の足音
灰色の雲から零れ落ちてきた小さな白い結晶が、名もなき盛り土の輪郭をうっすらと白銀色に縁取り始めていた。
晩秋の冷たい雨がやみ、王都の外縁を包み込んだ今年最初の粉雪は、枯れ草の葉先をかすかに震わせながら音もなく大地へと降り積もっていく。
外の凍てつく寒気とは対照的に手入れを終えたばかりの墓守小屋の土間には、かまどの火が放つ力強い熱気と芳醇な湯気が満ち渡っていた。
軒下高く積み上げられた分厚い薪の防壁と隙間なく塗り込められた粘り強い泥壁が北風の侵入をことごとく遮り、使い古された鉄鍋の中では干し肉と根菜がじっくりと煮崩れて心地よい泡を立てている。
「ほら小娘ども、冷めないうちに腹へ流し込みな。上等な岩塩と、干し肉の脂がこれでもかと溶け出した特製の煮込みだ」
ローランドが無骨な手つきで木べらを操り、卓の上に並べられた四つの素焼きの器へと、惜しげもなく熱々のシチューを注ぎ分けていく。
縁の欠けた大椀の隣には、ケイの素朴な器、ルナの掌に馴染む丸みを帯びた小ぶりの器、そしてソナのために用意された深みのあるどっしりとした大器が、湯気を立ち昇らせながら湯呑の定位置に鎮座していた。
「わあ……!お肉がほろほろに崩れておるぞよ!いただきますなのじゃ!」
藍色のワンピースの袖をまくったルナが、歓声を上げながら小ぶりの器を両手で包み込み、木のスプーンで熱い汁を慎重に口へと運んだ。
舌の上に広がる濃厚な塩気と野菜の甘みに、少女の幼い顔立ちがとろけるような笑みで綻んでいく。
その隣に腰掛けたソナもまた、大振りの器を白い指先で持ち上げ、ふうふうと息を吹きかけながら一口すすり、瞳を丸く見開いた。
「……本当に、信じられないほど滋味に溢れています。このような深みのある味付け、屋敷の厨房で出される洗練された料理にも引けを取りません」
「へっ、貴族様の上等な舌に合うなら光栄なこった。もっとも泥だらけになって壁を塗り、丸太を運んだ労働の経験があってこそ、身体の芯まで染み渡るってもんさ」
元騎士がからかい交じりに鼻を鳴らし、自分の大椀を抱えて豪快に喉を鳴らす中、ソナの腰の仙骨から伸びる艶やかな深藍色の極太水平尾が、嬉しそうに微かな弧を描いた。
床板からわずかな高さを保ったまま滑らかにしなったその重厚な尾の先端が、卓の向こうに座るケイの腰のあたりを、トントンとリズミカルに叩いて親愛の振動を伝えてくる。
仲間として同じ鍋を囲む気安さに満ちたそのスキンシップを受け止めながらケイは自らの器に注がれたスープを味わい、穏やかな会釈を返した。
「今朝、教会の配給所を遠目に見届けてきましたが、エルノさんは大鍋の前で逃げ出すことなく、自らの足で最後まで柄杓を握り続けておられました。配り終えた後、群衆に向かって深々と頭を下げて明日の再開を約束する彼の背中には、自暴自棄の影はありませんでしたよ」
「うむ、見習い坊主も立派に自分の持ち場を守り抜いたのじゃな!あの奇妙な黒い棒で書かれたお守りが、あやつの心をしっかりと支えてくれたのじゃ!」
自慢げに胸を張るルナは卓の端に置かれていた手帳へと身を乗り出し、これまでに重ねられてきた記録のページを指先で愛おしそうに繰っていった。
最初の白紙に灯った頼りない単独の鈴から始まり、大盾と焚き火に寄り添う三つ目の鈴、薪の山と四つの器を祝福した四つ目の鈴、そして今朝エルノのために添えられた大鍋と柄杓に寄り添う誇らしげな鈴の絵。
インク壺の黒い線と流麗な羽ペンの跡が織りなすその手帳の余白は、この墓場小屋を通過していった名もなき人々の生きた温もりによって色鮮やかに満たされつつあった。
「ケイの手帳は、本当に不思議な紙束じゃのう。最初は冷たい書類のように見えておったのに、こうして鈴を一つずつ描き足していくたび、この場所が誰かの大切な止まり木になっていく実感が湧いてくるのじゃ」
「ルナさんが描いてくださる絵のおかげで無機質だった記録に、確かな体温が宿っていますよ」
ケイが穏やかに応じると、ルナはくすくすと嬉しそうに喉を鳴らし、残りのシチューを綺麗にすくい取って空になった器を満足げに机の上へと置いた。
四つの素焼きの器がそれぞれの役割を果たし、温かな湯気を燻らせるその光景は、身分も種族も異なる者たちが肩を寄せ合う揺るぎない生活共同体の完成を静かに告げていた。
やがて外の粉雪が勢いを増し、薄暗い夕闇が墓地の盛り土を覆い始めた頃、ソナが壁の隙間から差し込む冷気を気遣うように立ち上がった。
「お嬢様、そろそろ屋敷へ戻る刻限です。初雪のせいで足跡が残りやすくなっていますから、生垣の抜け道を慎重に選ばねばなりません」
「もうそんな刻限かの……。この小屋のかまどの前におると、時の流れがあっという間ぞよ。……ケイ、ローランド、今日も美味しい煮込みをご馳走様じゃった!雪が積もっても必ず顔を出すからのう!」
名残惜しそうにツインテールを揺らしながら足元まで隠れる厚手の防寒着をしっかりと羽織り込んだルナは、腰の銀鈴を澄んだ音で一度だけ鳴らし、ソナとともに木製扉の隙間から滑り出すようにして雪の中へと消えていった。
扉が閉じられ、二人の軽やかな足音が雪を踏みしめて遠ざかっていくと、土間には急激な潮の満ち引きのような深い静寂が戻ってきた。
かまどの中で赤熱した炭火がパチリと爆ぜる乾いた音と板戸を揺らす夜風の唸り声だけが、男二人の空間を静かに満たしていく。
ケイが卓の上の器を片付けようと腰を浮かせた瞬間、かまどの火かき棒を握っていたローランドの手が、不意にその動きを止めた。
いつもなら少女たちを見送った後に「やれやれ、嵐のような小娘どもが去ってせいせいした」と軽口を叩き、安酒の瓶を煽るはずの男の横顔に、これまでに見たこともない深く昏い影が刻み込まれていた。
元騎士は無言のまま立ち上がると、土間の片隅のさらに奥底へと無骨な手を差し入れた。
引き出されてきたのは、埃と蜘蛛の巣にまみれた、古びた素焼きの酒瓶だった。
封蝋の施されたその瓶の首には使い古された革紐によって、認識票らしきものが擦り切れた状態で結び付けられていた。
無言のまま棚から手入れ用の厚手の防寒着を引き抜き、乱暴に肩へと引っ掛けたローランドは、手にした酒瓶の冷たさを確かめるように指先で強く握り締めた。
「……ローランドさん?こんな雪の夜に、外へ出られるのですか」
ケイの静かな問いかけに対し、男は振り返ることなく木製扉の掛け金へと手を伸ばした。
扉の隙間から吹き込んできた凍てつくような夜風が男の無精髭を白く染め、かまどの温もりを一瞬にして掻き消していく。
「初雪の夜はな……毎年、古傷の骨の芯まで疼いて眠れねえんだよ」
擦れ、低く濁ったその声には、日頃の軽妙な皮肉は微塵も含まれておらず、底知れぬ痛切な響きだけが重たく沈殿していた。
「泥水の下で……あいつらの冷え切った骨が寒さで震えてやがるからな。……先に寝てろ、ケイ」
ローランドはそれ以上言葉を重ねることなく、木製扉を押し開けて夜の暗闇へと足を踏み出した。
風雪が吹き荒れる平民墓地の最も外れ、墓石すら建てられることなく、朽ちかけた木の杭だけが頼りなく打ち込まれた暗い盛り土の列。
白い雪を浴びながら一人その死者の領域へと歩み去っていく元騎士の逞しい背中を、ケイは胸ポケットの手帳に手を当てたまま静かに見つめ続けていた。
お読みいただきありがとうございます。
当初の予定だとこれくらいの話数で終わると予想していたのですが、癖を絡ませた結果もう少しだけ続きそうです。
おかげさまで自分なりの連載ペースが掴みかけてきました。暗めの話にも関わらずお付き合いしていただき感謝です。
よろしければブックマークなどを利用して追い続けていただけると幸いです。




