第14話 深藍の水平尾と、護衛兵の自責
小屋の薄暗い土間に漂っていた素朴な温もりは、板戸の隙間から滑り込んできた冷たい一陣の風によって一瞬にして凍りついた。
ローランドが手にしたスコップの刃先をわずかに持ち上げ、全身の重心を静かに沈み込ませたその刹那、立て付けの悪い扉が凄まじい衝撃とともに内側へ蹴り開けられた。
吹き荒れる突風とともに土間へと躍り込んできたのは息を呑むほど鮮烈な存在感を放つ、一人の武装した少女だった。
「そこまでです、お嬢様!そして怪しげな墓守ども、我が主の娘を誑かして夜の荒野を連れ回した罪、即座に申し開きをしていただきましょうか!」
凛と澄み渡りながらも激しい怒りと焦燥を帯びた声が、狭い土間の天井をびりびりと震わせた。
身構えた少女の肌は、深海の底から掬い上げて磨き抜いた陶器のように白く滑らかで、光の加減によって毛先が青白く透き通る艶やかな深藍色のショートボブが荒い息遣いに合わせて小さく揺れていた。
上質な白シャツの上にレザーハーネスで締め上げられたノースリーブベスト、そしてダブルボタンのショートジャケットという侍女の気品と要人警護の機能美を兼ね備えた独特の装いをまとっている。
細く引き締まったウエストの上では布地が豊かな胸元を主張し、スリットの入った重厚な黒のプリーツスカートからは驚くべき肉感と弾力を誇る太ももが惜しげもなく伸びていた。
何よりも室内の空気を圧倒していたのは、腰の仙骨あたりから真っ直ぐに伸びる艶やかな深藍色の極太な尾だった。
鍛え抜かれた下半身がその驚くべき重量の尾を微動だにせず支え上げ、彼女が抜刀した剣先は、揺るぎない殺気を宿してケイの喉元へと一直線に向けられていた。
「ソ、ソナ……!?なぜお主がここに……!」
机の陰から飛び出したルナが腰の銀鈴を激しく鳴らしながら、両手を大きく広げてケイの正面へと割って入った。
突然の闖入者に対して身を挺して庇い立てする主の姿に、ソナと呼ばれた護衛兵の琥珀色の瞳が驚愕と不審によって鋭く細められる。
「どいてください、ルナ様!今朝の点呼であなたが自室へ滑り込んだ際、靴の裏に王都周辺にはない赤土がこびりついていたのを私が見逃すとでも思いましたか!夜間閉鎖された門を越えて外へ出ていたことすら重罪であるのに、このような不浄の掃き溜めで死人の世話をする素性の知れぬ男たちを庇うなど、正気の沙汰ではありません!」
「違うのじゃ、ソナ!ケイとローランドはわらわを拐かしたわけではない!街道で狼の群れに囲まれた時も、ケイが命懸けで守り抜いてくれた恩人なのじゃぞ!」
「……魔獣の群れに囲まれたですって?」
ルナの口から飛び出した言葉にソナの表情が凍りつき、瞳の奥に激しい動揺の色が走った。
しかし、その動揺は安堵へ向かうどころか、護衛兵としての過剰なまでの警戒心と敵意へと急速に転化していった。
「なおのこと見過ごせません!お嬢様をそのような死地へ引きずり込み、あまつさえ恩を売りつけて手元に留め置こうなど悪質な誘拐の手口そのものです!お嬢様、問答無用でお屋敷へ連れ戻します!」
ソナが左手を伸ばし、強引にルナの手首を掴み取ろうと踏み込んだ瞬間、その進路を遮るようにして分厚い刃が静かに滑り込んできた。
ローランドが手にしていた使い古しのスコップの先が、わずかな隙間を残してソナの足元を正確に制圧していた。
「そこまでにしな、お嬢ちゃん。いくら伯爵家の看板を背負っていようが、俺の小屋で勝手に暴れ回られてちゃ土の下の連中にも示しがつかん。その立派な尾っぽを振り回して小屋をぶっ壊す気なら、骨董品が相手をしてやるぞ」
ローランドの擦れた低い声には、戦場を幾度となく潜り抜けてきた者特有の冷徹な重みが宿っていた。
ソナの水平尾が床板の上で微かに緊張を帯び、空気の振動とともに低いうなりを上げる。
常人であれば一撃で吹き飛ばされるほどの質量を前にしてもローランドの構えには微塵の揺らぎもなく、無駄のない身体の重心が相手の攻撃の初動を完全に封じ込めていた。
「……元騎士ですって?落ちぶれて墓守に身をやつした者が、私を止められるとでも思っているのですか」
「口の減らない小娘だ。だが、お前さんのその見事な体幹と尾の使い方は、相当な修練を積んできた証拠だな。腕力に任せて突っ込んでくればこちらも相応の対処をせざるを得なくなるが、本当に血を見たいのか?」
鋭い視線が交錯し、狭い土間に張り詰めた殺気が満ちていく。
互いに一歩も引かない武力による対立のただ中にあって、ケイは感情のさざ波を立てることなく静かに板敷きの上で居住まいを正した。
感情の激流に呑まれた相手にどれほど正しい理屈を説いたところで、刃を向け合っている状態では言葉は届かない。
いま必要なのは勝敗を決めることではなく、双方が安全に言葉を交わすための客観的な枠組みを強制的に整えることだった。
乾いた金属音が静寂を切り裂き、手帳の白紙を掌でしっかりと押さえながら低く通る静かな声音を張り詰めた空気の中へ滑り込ませる。
「ソナさん。まず一つ、お互いに確認すべき決定的な事実があります」
「な……何をふざけた真似を……!文字などを書いて誤魔化す気ですか!」
「現在、ルナさんはかすり傷もなく、毒を盛られた形跡もなく、あなたの目の前で健やかに息をしておられます。これは疑いようのない事実です」
感情を交えずに、ただ目の前にある現実の輪郭だけを鏡のように映し出すケイの平板な語り口に、ソナの切っ先がわずかに揺らいだ。
「あなたがルナさんの身を案じ、最悪の事態を想定して剣を抜かれた警戒心そのものは、警護兵として極めて真っ当で優秀な職能の表れです。しかし、事実としてルナさんが無事である以上、いまこの場で刃を交えて流血の事態を招くことは、あなたの本来の目的から最も遠ざかる選択肢ではありませんか」
淡々とした調子で相手の行動の矛盾を突きつけられ、ソナは息を詰まらせた。
敵意を煽ることもなく、侮ることもなく、ただ彼女の職能への敬意を払った上で合理的な選択を求めるその眼差しは、激昂していた護衛兵の頭を冷やすための冷水のような効果をもたらしていた。
「……何を言いたいのです」
「武器を収め、その椅子へお掛けになってください。あなたがルナさんの異変に気づいてからここまでこられた事実と私たちが街道でどのような経緯を辿ったのか、感情を排して突き合わせましょう。お互いの事実を確認した上で、それでも私たちが罪に問われるべき悪人であるとあなたが判断されるなら、その時は王都の正式な衛兵を呼んで私を引き渡してくださって構いません」
ケイは手帳の白紙を示しながら、斜め向かいにある粗末な木の丸椅子を静かに掌で差し示した。
ローランドもまた相手が間合いを詰める意志を引いたことを見届けると、構えていたスコップの刃先を音もなく床へと下ろした。
「小僧の言う通りだぜ、お嬢ちゃん。頭から湯気を立てて剣を振り回したところで腹の足しにもなりゃしない。話を聞くくらいの器量はあるんだろ?」
主であるルナの必死な懇願の眼差しと隙のない元騎士の構え、そして一切の動揺を見せないケイの澄んだ瞳に囲まれ、ソナは奥歯を強く噛み締めながら持っていた剣を鞘へと静かに滑り込ませた。
カチリと金具が噛み合う音が土間に響き、彼女の腰から伸びる深藍色の極太水平尾が、依然として床板から水平を保ったまま緊張を帯びた質量でわずかに揺れる。
「……分かりました。申し開きを聞きましょう。ただし、少しでも怪しい虚偽があれば即座に全員を拘束します」
警戒を露わにしたままソナは促された丸椅子へと浅く腰を下ろした。
筋肉を宿した太ももがスカートを内側から押し広げ、椅子がその重量に小さく軋んだ音を立てる。
ケイは手帳を開き、ボールペンの先を紙面へ向けて静かに顔を上げた。
「ご協力に感謝いたします。ではソナさん、あなたが点呼の場で何に気づき、何を懸念してここまで足を運ばれたのか、あなたの口から出た言葉のままにお話しいただけますでしょうか」
静かな問いかけに対し、ソナの琥珀色の瞳の奥に頑なに張り詰めていた警戒の仮面を突き破るようにして、押し殺していた焦燥と何かを恐れるような微かな陰りが深く揺らめいていた。




