第12話 大盾の男バルトの視線と、正当なる銀の評価(バルト視点)
墓守小屋の土間に差し込む朝の光は、過酷な夜を乗り越えた者たちの肌へ柔らかく染み渡るような温もりを注ぎ込んでいた。
素焼きの平皿に分けられた温かい白湯を飲み干したバルトは、壁に預けていた巨大な大盾の縁に視線を落とし、無意識のうちに己の無骨な掌を握り締めていた。
昨夜、冷え切った岩陰で焚き火の爆ぜる音を聞きながら隣で丸くなっていた小娘の寝息を見守っていた時の静寂が、今も胸の奥底に静かに残り続けている。
「バルトさん、今回の街道往復における護衛ありがとうございました。こちらを約束の報酬としてお受け取りください」
板敷きの上で居住まいを正したケイが、土間の隅にある木箱から取り出した布包みを両手で丁寧に差し出してきた。
包みが解かれると、村で交換してきたばかりの貴重な岩塩の塊が二つと、ローランドが切り分けた良質な干し肉、そして木箱の底に集まっていた真鍮の硬貨が数枚、慎ましやかに並べられていた。
大男は太い眉をわずかに寄せ、差し出された品々を押し戻すように大きな手を横に振った。
「おい小僧、金なんぞ受け取れるか。元々、昨日の朝に出された美味いパンと温かいスープだけで十分だと言ったはずだ。しかも結果として門限を破らせ、あの小娘に恐ろしい夜を過ごさせる羽目になったんだぞ。護衛としての役目を完璧に果たしたとは言えん」
無骨な喉から漏れ出た言葉には、長年ギルドで腰抜けと蔑まれ続けてきた男特有の過剰なまでの自責と引け目が色濃く滲んでいた。
己の失敗を責め立てるように視線を伏せる大男に対し、ケイは表情筋を微塵も揺らさず極めて平板でありながら確信に満ちた声音で応じた。
「門限を破ったことは状況の変化による結果論であり、あなたの判断の誤りではありません。あなたの徹底した警戒と大盾による陣地構築がなければ、私たちは間違いなく暗闇の中で狼の群れに襲われ命を落としていました。生きて朝を迎え、こうして目的の物資を無傷で持ち帰ることができたという客観的な成果に対して正当な対価をお支払いするのは当然の義務です。これを拒否されることは、私たちがあなたの命懸けの職能を無償で搾取することと同義になってしまいます」
感情に訴えかけるのではなく契約と成果の因果関係を淡々と解きほぐすケイの論理に、バルトは息を詰まらせた。
金銭を惜しむどころか、誇りを正しく守るために頭を下げる青年の姿を眺めながら、かまどの火種を整えていたローランドが肩をすくめて低く笑い声を立てた。
「受け取っておけよ、バルト。こいつのその理屈っぽさは死人の頑固さよりも厄介だからな。せっかく命を預け合って生き延びたんだ。相手が差し出してきた誠意を突っぱねる方がよっぽど無作法ってもんだぜ」
元騎士のぶっきらぼうな後押しを受け、バルトは小さく息を吐き出すと、恐縮するように布包みをその逞しい掌へと収めた。
岩塩の重みと干し肉の乾いた感触が、今までどの依頼主からも受け取ったことのない奇妙なほど温かい手応えとなって皮膚の奥へじんわりと染み渡っていく。
「……分かった。ありがたく頂戴しておく。ローランド、小僧……また腕が必要になったらいつでも呼べ。この盾でよければ何度でも貸し出してやる」
大男は立ち上がり、壁に立て掛けてあった人間ほどの大盾を背負い直すと、朝霧の残る墓地を後にして王都の市街地へと歩みを進めた。
王都の中心部にそびえ立つ冒険者ギルドは、朝の討伐依頼を求める者たちの熱気と、夜通しの酒盛りを終えた荒くれ者たちの喧騒が入り混じり、重苦しい活気に満ちていた。
扉を押し開けて足を踏み入れたバルトの巨躯を認めるや否や、掲示板の前に群がっていた若い冒険者たちの間から、あからさまな嘲笑の混ざった囁き声が漏れ聞こえてくる。
「見ろよ、あの臆病者のバルトだぜ」
「昨日は一日中姿を見せなかったと思ったら、どこぞの墓守の使い走りをしていたらしいぞ」
「銀等級の看板が泣いてるぜ。安全な仕事ばかり選んですっかり牙の抜けた老いぼれだな」
軽薄な戦士たちの口から吐き捨てられる侮りの言葉を、バルトは意に介する様子もなく黙々と受付の木製カウンターへと向かって歩調を運んだ。
以前の自分であれば周囲の冷たい視線に耐えかねて奥歯を噛み締め、自己嫌悪から逃れるように安酒場へと足を向けていたはずだった。
しかし今の男の胸の内には墓場小屋で手帳を開いていた青年の澄んだ眼差しと、あの暗闇の岩陰で自分を信じてくれた小娘の小さな温もりが揺るぎない錨のように深く根を下ろしていた。
「バルトさん、お帰りなさいませ。無事のお戻りを心よりお待ちしておりました」
カウンターの奥から立ち上がり、柔らかな会釈を向けてきたのは、長い年月にわたってこのギルドの依頼を取り仕切ってきた受付職員だった。
現場の実態を知らぬ若い登録者たちが外見の手柄ばかりをもてはやす一方で、ギルドの事務方においてバルトに対する評価は昔から極めて高い水準を維持し続けていた。
「昨日の街道筋、西の開拓村付近で狼の群れが活発化していたとの報告が入っておりました。討伐隊の編成が遅れる中、民間人の護衛を引き受けておられたあなたが、被害を出さずに全員を生還させたと聞いて胸を撫で下ろしたところです」
女性職員は書類の束を素早くめくり、バルトの提出した完了報告の控えに淀みのない手つきで確認の印を押し当てていく。
その丁寧な所作には、数々の無謀な突撃によって命を落としていった冒険者たちの後始末を引き受け続けてきた者特有の本物の敬意が宿っていた。
「周囲の若い方々は派手な獲物の数ばかりを誇りたがりますが、私たち受付の立場で最も評価すべきは、何よりも『誰も死なせずに確実に帰還する』という生存の確実さです。バルトさんがこれまで一度たりとも仲間を見捨てず、防衛の要として無事故を貫いてこられた実績は、ギルドの記録にしっかりと刻まれておりますよ」
淡々と紡ぎ出された職員の言葉は、かつて酒場の片隅でケイが語った分析と驚くほど正確に一致していた。
世間の浮ついた評判に惑わされず、己の役割を正しく理解してくれている者がここにも存在していたという事実に、バルトの頑固な胸板の奥が小さく熱を帯びる。
その時、ギルドの重い正面扉が乱暴に蹴り開けられ、血生臭い空気とともに数名の男たちが雪崩れ込んできた。
先日の討伐でバルトの慎重な静止を振り切り、功名心に任せて先陣を切っていったあの若手パーティーの生き残りたちだった。
「おい、衛生兵を呼んでくれ!早くしろ!」
叫び声を上げる彼らの衣服は無残に引き裂かれ、ある者は腕から流血し、ある者は仲間の肩を借りて足を引きずり、見るも無残な姿で床へと崩れ落ちていた。
軽率な夜間強行によって獲物の巣穴へ突っ込み、待ち伏せしていた魔獣の逆襲を受けて逃げ延びてきたのは明白だった。
包帯を巻いた先頭の軽装戦士がカウンターの前に立つバルトの無傷の背中を認めた瞬間、羞恥と屈辱に歪んだ表情で激昂の声を張り上げた。
「……何を見てやがる、バルト!獲物から逃げ回るお前みたいな腰抜けに俺たちの苦労が笑えるってのかよ!」
痛々しい負け惜しみをぶつけてくる若者に対し、かつてのバルトであれば居心地の悪さに視線を逸らして立ち去っていただろう。
しかし大男は、ゆっくりと巨躯を旋回させると、背負っていた黒鉄の大盾を床の上へと静かに降ろした。
重厚な金属が石畳を叩く鈍い重低音がギルドの喧騒を圧し、周囲の冒険者たちの私語をぴたりと静まり返らせる。
「笑ってなどいない。だが、お前たちが生き残ったのは、腕が立ったからでも判断が正しかったからでもない。ただ運が良かっただけだ」
擦れた低い声には怒りも嘲笑も含まれておらず、冷徹なまでの事実の重みだけが張り詰めていた。
「風上の匂いを確認せず、退路の安全を確保もせずに突っ込めば、どれほど鋭い剣を持っていようと闇の中で首を断たれる。……生き残ってこそ次の獲物を追うことができるんだ。死人に手柄は拾えん。その傷が癒えたら功名を焦る前に、まずは自分の足元と仲間の背中を守るための盾の重さを学ぶんだ」
淡々と言い渡された大男の言葉には幾多の修羅場を潜り抜け、己の臆病さを誇りへと変えた者だけが放つ抗いがたい説得力が宿っていた。
若手の戦士は反論の言葉を見つけられないまま顔を真っ赤にして唇を噛み締め、周囲を取り囲んでいた古参の冒険者たちは感服したように深く頷き合っていた。
役目を終えたバルトは受付職員に短く一礼を返すと、再び大盾を軽々と背負い直してギルドの出口へと向かった。
差し出される侮りを受け流し、己の信じる道を静かに歩むその背中には、かつて酒場の片隅で埃を被っていた気鬱な影はどこにも残されていなかった。
ギルドの門を出たバルトは澄み渡った青空を見上げ、懐に収められた布包みの感触を掌で確かめた。
あの静かな墓場の片隅で自分の言葉をありのままに書き留め、失いかけていた誇りを拾い上げてくれた奇妙な青年の顔が脳裏を静かにかすめていく。
大男は無精髭に覆われた口端をわずかに緩めると、街の喧騒を背に力強い足取りで王都の大通りを踏みしめていった。




