慰謝料の話し合いーマルツェラとミリアム
「俺も払わなきゃならんのか?」
やり取りを見守っていたクロウに問われて、マルツェラは肩を竦めた。
「お前の場合、本来なら三家に対して発生するな。私と婚約を結び替えた帝国の二つの家、兄上が婿入りする予定だった、フォーレルゲン公爵家と、レイン殿が娶る予定だったバルキア侯爵家だ。だが、此処に居られる皆様の尽力で他の縁が用意された。が……お前は事態をかき乱しただけで、収拾はしていないからな。家の意向に従えばいいだろう。少なくとも私への慰謝料は、そうだな……」
マルツェラは暫く考え込み、固唾を呑んで見守っていたユイカに視線を向ける。
「ああ、そうだ。この事件の発端はアロッホ嬢だ。愛する女性をお前が護ってやると良い。私への慰謝料は半額にしてやるから、好きなだけ愛する女性に尽くすといいぞ。どうせ平民になるのだしな」
平民になる、とクロウは小さく呟いた。
今更ながらに、自分のした事の結果が圧し掛かってきて、嫌な汗が背を伝う。
元々、次男なのだから当然後継とはなれない。
婿入り先があれば別だが……クロウが婿入りする予定だったハンズリーク辺境伯家は地位も高く、他国との情勢も落ち着いている今は、辺境騎士団を率いて訓練や近隣の警備にあたるくらいだ。
隣国との境にある為、交易も盛んで収入も大きい。
辺境伯の婿として手にする収入は、公爵家に並ぶとまで言われていて、羨ましがられたものだった。
だから、相手がマルツェラでも我慢してやろう、と傲慢にも思っていたのに。
今日まで、蔑ろにしてきた自覚はあるし最後に砂をかけたとしても、自分の運命が変わる事なんて無いと思い込んでいた。
だから、王都の騎士団の入団試験も受けていない。
勿論、文官の試験も受けていないから、その資格もない。
婚約が解消された事で、父親は激怒している事だろう、というのは予想がつく。
だとしたら王都の屋敷に住み続けるのも難しそうだと。
「…………」
迷ったように黙り込むクロウを見て、ユイカは意を決したようにリューリエに訊ねた。
「あの……ルビーの住む処はあるんですよね?」
「ええ。男爵とはいえ、王族に連なる尊い御身でしたもの。町の外れですけれど、広いお庭もございますし、お屋敷もお部屋が沢山ございましてよ。ただ、使用人の用意はございませんので、殿下のお世話はアロッホ嬢に一任されますわ」
穏やかに微笑みながら答えるリューリエに、ユイカはうんうんと頷いた。
今までずっと当たり前のように世話をされてきたルボルの世話が使用人無しでどの位出来るのかは分からない。
リューリエはそこまで考えていたが、ユイカの頭の中には全く無かった。
「じゃあ、住むお部屋は沢山あるし、クロウも一緒に住めるね」
「いいのか!?」
「勿論だよ」
「ああ、やっぱり君は愛らしいだけじゃなく、慈悲深いな!」
ユイカを褒め称えた後で、当てつける様な視線を注がれて、マルツェラはふっと笑った。
「うむ。愛らしくて慈悲深い彼女と共に過ごせるなら、辺境伯家の婿の座を捨てた甲斐があるな」
「………っ!」
マルツェラの言葉に、クロウの笑顔が固まる。
全ての元凶が何なのか、今の短い時間で忘れていたようだ。
マルツェラはそれを思い出させたのだ。
愛らしくて慈悲深い彼女が、安寧と名誉に溢れた将来を全て捨てさせたのだと。
「契約書が用意出来ておりますので、こちらに署名を」
「……う、うむ、分かった」
ヘイディの差し出した契約書を読みもせず、クロウはさっさと署名した。
その契約書を回収して、ヘイディはにっこりとマルツェラに視線を向ける。
何故、すぐに契約書を出されたのか、クロウは詮索すらしない。
マルツェラもにっこりとヘイディに微笑み返す。
貴族になり損ねたオットーも呆然と成り行きを見守っていた。
ユイカの家に婿入り出来ればいいと思っていたが、ユイカは強制的に臣籍降下したルボルとの婚姻が決まったのだ。
格は違うとはいえ、貴族の婿になるなら親の怒りも治められるだろう、と高をくくっていたのに。
「あ……僕の慰謝料は、父と話し合わないと……」
急に立場を失くしたオットーは弱弱しく伺いを立てた。
言われたミリアムも困った様にルボルとユイカと、その場にいる者達に視線を向ける。
「そうでございますわね。オットー様はアロッホ嬢と結婚するとばかり思っておりましたもの」
「でも、ミリー。皆アロッホ嬢の傍に居たいのだから、居させてあげれば良いのよ。住む処はあるのだし」
励ますように、ヘイディはミリアムの背を優しく撫で、ミリアムもうんうん、とそれに頷いた。
「そうですわね。一緒に居られればお幸せかもしれないですし、わたくしもどうしても金銭をと考えている訳ではございませんから、アロッホ嬢に誠実でいらっしゃるようでしたら、慰謝料の減額に応じますわ」
「そうか!ありがとう、ミリアム!」
のんびりと流される優しいミリアムの言葉に、オットーは食いついた。
少なくとも商会ではある程度高い役職に就いているから給料もそれなりに貰っている。
色々な物を失くしたが、慰謝料さえ減額されればすぐに返せるだろう。
金銭的な枷がなくなれば、また自由になれるのだ。
幸い実家は裕福な商家である。
「では、こちらの書類に署名を」
「分かった………この、支払いを終えるまで子供を作ってはならない、とは?」
暫く読み進めていたオットーが、契約書の一文を指さし、ヘイディに問いかける。
ヘイディは、ああ、と頷き説明を始めた。
「皆様の借財は、半額になったとはいえ平民からすれば高額ですの。子供が生まれたら、養育にお金がかかるなど、理由をつけて払わなくなる事が目に見えているので。……うーん、そうですねぇ生活する資金も考えると、三十年は返済にかかるでしょうか」
「さ、三十年。しかし、僕は商会があるから、もっと早く返せるはずだ」
「え?何を仰ってるんです?貴方の商会では無いですよね?貴方の父上の商会ですよ」
そう釘を刺されてオットーは鼻白んだ。
いずれは兄が引き継ぐが、弟の自分にだって相応の取り分がある筈なのに。
「お父様とお話ししましたけれど、貴方を商会員として雇ってくれるかどうか、確認した方が良いですよぉ?」
最後はにっこりと悪意のある笑みをヘイディに向けられて、オットーは言葉を失くした。
今まで普通に、商会を手伝ってきている。
確かに、学園生活が始まって疎かになっていた部分もあるし、資金を使い過ぎていた部分はあるけれど。
「今までに貴方が散財した分、確かアロッホ嬢に流れてましたけど、元々はミリーの婚約者としての体裁を保つのと、ミリーへの贈り物をする為でしたよねぇ?その分のお金も補填しないといけないんじゃないかと、私なら考えますね」
指摘されてオットーはさっと顔色を変える。
個人資産などは貯めていない。
好きなように散財していた。
どうせ伯爵家に婿入りすれば、伯爵家の金も商会からの軍資金もたっぷりと貰えるのだから、と。
全て失った上に、残されたのは慰謝料と、もしかしたら補填の金まで要求されれば、一生かかっても返し切れる額ではない。
「あと、子供を作った時点で、契約違反という事になるので、全額返済になりますね。王子殿下と同じく断種した方が安全だと思いますよぉ?どうせ絶望的な将来なので皆さん」
ヘイディがにこにこと辛辣な顔で言う。
子供を持てるかどうかは分からなくとも、その権利を最初から捨てるか覚悟が決まらない。
男達は互いに顔を見交わした。
「後は皆様でご自由に話し合いをなさいませ。後程、王宮の者が案内に参りますので。何かあればその者にお申し付けを」
リューリエが立ち上がって、恭しく淑女の礼を執る。
他の、元婚約者達も立ち上がって、同様に礼をして部屋を立ち去った。
屑は屑籠に……という蟲毒




