スティグマ
キリスト教の聖人は、キリスト教会が認めた人に限られる。
では、認められなかった人達はすべて偽物なのだろうか?
十三世紀から聖痕が現れる人達が出現したけれど、偽物も多く自傷行為のケースもあったとか。
ジャンヌダルクですらも列聖されるまでに何百年もかかった。
私は聖痕の信憑性をあまり信じていない。でも否定もしない。
過去世の私は、シスターとなるべく修道院に身をおいていた。同じ時期に入信した人が自身に聖痕が現れたと騒ぎ出した。
私はそれが嘘っぱちだと思っていたので、極めて冷静にとらえていた。
彼女は思い込みが激しく、虚言も多い人だったからだ。
もしかしたら、念の強い人ならば自分で聖痕を産み出すこともできるかもしれない。
だから私は聖痕にそれほど神聖なものを感じない。
私はイエス様の再臨はもう既に起きていて、人はそれを見過ごしているように思える。
私はある日、聖フランチェスコの伝記を自室で読んでいたら、幻視を見た。見たというよりも見せられたのかもしれない。
聖フランチェスコに聖痕が現れたのは、彼がイエス様の生まれ変わりだからだったのだ。
彼は聖痕によって自分の過去生を思い出した。
聖フランチェスコはマグダラのマリアの地位を娼婦から初めて回復させた人でもある。
そしてフランチェスコと同時期に生きた聖キアラはユダの生まれ変わりだという。
そして私は聖母マリアの従姉妹の生まれ変わりらしい。
彼らは誤解され歪められてしまった過去生の人物像を正しに生まれ変わった。
もちろん組織として腐敗した教会に警告するためもあるだろう。
イエス様とユダ、マグダラのマリアらしき人達が浮かび上がり、口元に指を立ててウインクをした。
「内緒だよ」
「内密に」
「フフッ」
三人は眩い光を放って消えた。
私は夢から覚めたように、しばらく呆然とした。
その事は誰にも話していないし、告白するつもりも無い。
その後聖痕が現れたというシスター見習いは、本物だと認定された。
恐らく修道院に祭り上げられたのだろう。
私はシスターを目指すのを止めた。ここはあまりにも虚偽が多い世界だからだ。
それに私自身に聖痕が現れてしまったからだ。
「その傷、どうしたの?」
「片付けの際に怪我をしてしまって」
「全く、紛らわしいわね!」
「申し訳ありません」
痛みで顔を歪めながら、必死で誤魔化した。
本物は聖痕をひた隠す。私は直感でそう理解した。
自分で名乗るのは、多分違うのでしょうね。
修道院を去った私は田舎に移り住んだ。
聖痕があるからといって、奇跡を起こせるわけでも無いし、誰かの役に立つわけでも無い。
だから私は身を潜める。
『それで良い』
どこからかそんな声が聞こえた。
すっかり聖人と祭り上げられたあの修道女見習いは、世間を賑わせている。
偽物とバレないように修道院が全力で守るのだろう。
彼女の実家と家族にも注目と称賛が集まり、破格の富を得て行った。
本当にどうかしているわよね。
***
それから私は何度目かの転生をして、今世は極東の国に生まれ、毬谷糸子という名前をつけられた。
クリスチャンでもなく、特に何かの宗教を信仰しているわけでもない。
でも、十字架にかけられて処刑されたのはイエス様ではなくてイエス様の弟だとか言う世迷い言を拡散する人達には怒りを覚える。
イエス様がそんなことは耐えられるわけがないではないか。
信仰心が無くても、それぐらい想像すればわからないものなのかと呆れる。
この頃では、イエス様は本当は十字架にはかけられてはいないなんて説もあるみたいだ。
イエス様本人が十字架にかけられたからこそ、聖痕というものがあるわけで。
自分の命と引き換えに、世の人の罪を背負おうとした人、人間の罪を浄めようとした者をどうか無闇に貶めないで欲しい。
それがどんなに無謀なものだったとしても。
きっと今の人間達は、イエス様の再臨を見逃す。いても気がつけないのだ。
そして偽物を本物だと言うのだろう。
それでもメアリーマグダレンもユダも昔よりは悪印象ではなくなっているのは良いことだ。
現代人の私は、イエス様の犠牲は辛いし重い。
そんな犠牲などいらないのにって思えてしまう。
犠牲、代償って、生け贄みたいで嫌なの。
人間を救うのが神ではなくて神の子なのはどうして?
なぜ神自身でなくて息子を犠牲にするの?
私は以前に信仰していた時もそれが疑問で仕方なかったのよ。
そして、自分の息子を贄の役目をさせる、そんな神にゾッとする。
イエス様に関することで反応する時、私は今でも聖痕が疼く。
既に消えた筈の傷が、そこにまだあるかのように痛むのだ。
(了)




