ナタリーちゃんは無双
市バスに乗るために停留所へダッシュした。時刻表通りならばもうすぐ来てしまうと焦ったからだ。
軽く息を切らせてたどり着くと、 まだバスは来ていないようで安堵した。
私の後からブラジル人とおぼしき母娘がやって来た。私の暮らしている市ではブラジル人が多いのだ。
ベビーカーを押していた幼い女の子が、パッと手を離すと私に近寄って来た。
「わたしナタリー、あなたのお名前は?」
3歳ぐらいの、褐色の緩い癖毛と彫りの深い大きな瞳が可愛い女の子だった。
突然名前を聞かれてたじろいでいると、バス待ちの人達が一斉に私を見たので、視線に耐えられずに慌てて「莉那」と答えた。
ナタリーちゃんは満足して、私の前にいる中年男性に臆すること無く声をかけた。
「あなたのお名前は?」
「······」
おじさんはすぐには答えなかった。
「わたしはナタリーよ」
「······杉田だ」
おじさんはかったるそうにぼそり告げた。
その後も、ベンチに座っていた老夫婦に「あなたのお名前は?」と名前を聞き出していた。
老夫婦は曾孫を見るような優しい笑みを浮かべていた。
最後にヘッドホンをしていた中学生の男子の方へナタリーちゃんは突撃した。
舌打ちした少年は彼女から体ごとそむけた。
ナタリーちゃんはそれでもめげずに、背けた方に近寄って少年の顔を下から覗き込んだところで、遅れていたバスが到着した。
少年はサッと立ち上がって返事をせずにバスに乗ってしまった。
ナタリーちゃんはバスに乗ると、先程の少年の座った席の通路を挟んだ隣にちょこんと座って、彼からのお返事を待ちながら熱視線を送っていた。
こんなじろじろ見てはいけないと思いつつも、私は気になってしまい、成り行きを目で追った。
「お·な·ま·え」
待ちの姿勢を崩さぬナタリーちゃん。
人生で、見らぬ子どもにこんなに見つめられることもまずないだろう。
無邪気な子どものお願いに、誰もが必ず応えてくれるわけではないけれど、ここまでは百発百中で来ているから、子どもながらも引くに引けないのかもしれない。
次停まりますボタンを押した少年は、最後まで自分の名前を告げることはなかった。
けれど、ナタリーちゃんに顔を向けること無く手を振って彼は降りていった。
キョトンとした幼女の表情もまた可愛いらしかった。
そしてナタリーちゃんはまた新しく乗車してきた女子高生にすかさず名前を聞いていた。
子どもの可愛さは無敵だ。無視なんてできないのよね。
私もバスを降りながらナタリーちゃんに手を振った。
ナタリーちゃんのマイブームが過ぎるまで、誰にでも名前を聞いてゆくのだろう。
それから翌週、また同じバス停で彼女を見かけた。
「わたしナタリー、あなたのお名前は?」
今日もナタリーちゃんは無双なのだった。
(了)




