恋文
毎週末になると私は街の図書館で恋文を書いている。
誰宛の恋文なのかというと、これは私に宛てたものだ。
は?何それ?とドン引きされてしまうだろうけれど、これは偽装工作のためのものだ。
間違っても自分自身に恋をする程ナルシストではないし、そこまで私はアタオカでもない。
意識して筆跡と筆圧を変えて書いた手紙を投函し、隣街に住む私へ届くようにするためだ。
私は今、頻繁に恋文が送られてくる女性を装っている。
そして、葛藤しながら恋文の返事を書こうとするものの、なかなか書き終えることができずに、読みかけの本に挟んで隠しているという設定を作っているところなのだ。
私は諜報部員や工作員ではなくて、普通の一般人に過ぎない。
ただ他の人と違うのは数年先の未来から戻って来たという点だ。
未来を見て来た以上、これから起こるであろう危険をなるべく回避するように振る舞うことにしている。
もうじき私はこの街を出て行く予定だ。私に想いを寄せる相手の元へ旅立ったということにするための仕込みの最中だ。
家族を幼い頃に亡くし孤児院育ちで天涯孤独な私に行く宛はなかったけれど、気の向くまま、風が吹くままの人生もそれなりに悪くない。
社員寮完備、従業員も三食食堂を利用できる最新鋭の紡績工場で働くこと三年目、私はこの工場のオーナーの御曹司にどうやら気に入られているようだ。
御曹司には街の名士の令嬢でもある、親が決めた婚約者がいる。人当たりの良いとびきりの美女だ。
私はこの御曹司と恋に落ちて駆け落ちしてしまった過去の記憶を持っている。まだ起きていない未来を既に体験済みなのだ。
駆け落ち後、名士の家とオーナーは敵対するようになり、経営の妨害を受けるようになった。必死に抵抗するも倒産、破産したオーナーは首を吊り、従業員達は路頭に迷うという悲惨極まりない未来を、私専用の天界のゲートキーパーと共に見たのだ。
私は自分のしでかした恋の犠牲の大きさに恐れをなした。
私だって幸せにはなりたい。でも、自分の幸せがこんなに多くの人達の犠牲の上に成り立つなんて絶対に嫌なの。
オーナーも従業員もとても良い人達だから、みんなの不幸、オーナーの破滅を回避したいのよ。
まだ私は御曹司から告白は受けていない。私が告白されるのは一月後、その前に偽装を終えてここから去るのだ。
恋に溺れて駆け落ちするような人は、私が一人で去っても諦め切れずに追って来る可能性もゼロではない。だから私は男の元へ行ったと彼に思い込ませる必要があるのだ。
この日の仕事を終えて寮の自室に戻ると、書きかけの手紙を挟んだ本の位置が動かされて変わっていた。
(よし、引っかかったな!)
他人の周辺を嗅ぎ回り、社内のあらゆる噂の発生源である某女性の仕業だろう。不法侵入までするなんて、いっそ他の仕事に転職した方が良いのではないかと思う。
翌日、彼女は猫なで声で私に近寄って来た。
「ねえねえ、あなたもしかして恋人でもできたの?」
「えっ?」
私は顔を赤らめ、わざとらしい演技で驚いて見せた。
このような人はオーバーな反応をする方がより喜ぶのだ。
実際、彼女は獲物を得たかのように目が爛々と輝いている。
普段は灰色の死んだ魚の目のような瞳が、見たこともないぐらいに、怖いほど生気で満ちていた。
「ええ、そうなんですけど、でもまだ内緒にしてくださいね」
「もちろんよ」
彼女は意気揚々と去って行った。これからこの噂を嬉々としてばらまく筈だ。
『ジェイン·リデルに恋人ができた。毎週手紙をやりとりしているらしい』
翌朝の食堂で、同僚数人から噂の真相を聞かれる羽目になった。
あの人、紡績工場の仕事はちんたらやって怠けるのに、こういう仕事はやたら早いのね。
この噂は、あの人が私宛の手紙を部屋で見た(押し入ってまで)と自分から白状しているようなものよね。
私は手紙をもらっているなんて一言も彼女に言っていないのに。
これでは貴重品を自室にも置けないわ。日記なんかをつけていなくて本当に良かった。
噂がだいぶ職場に広まったようなので、私は自分で書いた手紙を全て焼却した。
噂は御曹司の耳にも届いたようで、その後も告白はされなかった。
お陰で退職願を出しても引き留められることなく受理された。
これできっと悪夢のような未来は回避できた筈だ。
御曹司が私に惹かれたのは、幼い頃に亡くした彼の母親に私の顔が似ていたからだそうだ。
マザコンの彼は駆け落ち後の経済力はまるでなく、私が働いて養うというヒモ男になった。
彼はこんな筈ではなかったのにという後悔で酒浸りの日々。
それでも愛さえあればなんて自分に言い聞かせて、私は必死に耐え続けた。
もし未来を見させられなければ、多くの犠牲を払ったのも知らずに、お互い愛とか恋をすり減らしながら欺瞞に満ちた人生を歩んでいたかもしれない。
それを避けられたならば、お互いに違う未来が待っている筈だ。
御曹司への恋心は、未来を体験してほぼ完全に冷めてしまった。後ろ髪すら引かれはしない。
お互い不幸になるのを知ったなら、その道は選んだりはしない。
退職の日、正門に迎えが来ていると知らされて驚いた。
そんな人、いるわけないのに。
恋人と暮らすために遠くへ旅立つという設定の私は、一張羅のドレスとボンネットを纏って足早に門へ向かった。
シルクハットとステッキ、礼服に身を包んだ長身の紳士が馬車と共にそこにいた。
彼は私にあの惨憺たる未来を体験させたゲートキーパーのエフだった。
以前会った時にはダークブラウンのローブを纏った修道士のようななりをしていて、彫り深い顔立ちにびっしりと髭が生えていた。
今日は髭を剃ってこざっぱりしている。
「ジェイン、大変よくできました」
「あのう、わたしって死ぬんですか?」
天界のゲートキーパーのお迎えとは、それしか考えられなかったからだ。
「君の仕上げを手伝いに来たんだよ」
架空の恋人の元へ一人で向かうよりも、男が実際に迎えに来た方がよりリアルだからという。
エフは悪のりして、私を抱きしめながら額にキスまで浴びせた。
それを遠巻きに見ていた女性達の奇声が上がった。
「これで完璧だろう?」
エフはシルクハットを脱いで女性陣にまるで貴族のような挨拶を振り撒いた。
荷物を積んで乗り込むと、走り出した馬車の窓から私は乗り出して手を振った。
「皆さんお元気で、どうかお幸せに!」
馬車の中でエフはシルクハットを弄びながら、手品師のように野の花や小鳥を中から出して見せた。
「なぜ恋文を燃やしたのですか?あんなに良く書けていたのに」
「自分で書いた自分宛の恋文なんて、気持ち悪いだけですから」
いくらこれしか有効な手段がなかったとはいえ、自作自演の、それも初めての恋文だったのよ。これも私の黒歴史の一つだ。
「あれは誰を思い浮かべて書いたのですか?」
「理想の男性を想像して書きました。返事は投函していません」
「······ふむ、あの御曹司を思い浮かべたものではないのですね?」
「まさか!違いますよ」
「そうですか」
エフはひっくり返したシルクハットの中から
私が燃やした筈の手紙をいくつか取り出した。
「なっ···! 読まないで下さい」
「これは、私にくださいませんか」
「どうしてですか?」
「懐かしいのでね、誰かの書いた手紙というものが」
エフはどこか遠い目をしながら微笑んだ。
「インクの匂い、封蝋に、紙の手触り···、いいですね、人間だった頃を思い出します」
「どなたかと手紙をやり取りしていたのですか?」
「キアラという女性と」
「貴族の女性ですか?」
「修道女ですよ」
そうだ、彼の軽いノリですっかり忘れていたけど、エフは列聖された修道士だったのだ。エフというのはきっと仮名だ。
「ではジェイン、ご苦労様でした」
「ありがとうございました、聖フランシス様」
「バレてしまいましたか」
「もし今度お会いする時があれば、モスタッチョーリを作っておきますね」
「それはとても楽しみです」
アーモンド風味のビスコッティ、それは生前の彼の好物だったと伝わっている。
心なしか子どものような笑顔が返ってきた。
馬車は最寄りの駅に到着すると、私を降ろすと静かに走り出した。
窓越しに見える彼の姿はシルクハットの紳士ではなくて、フードを目深に被った修道士に早変わりしていた。
さようなら、私のゲートキーパー様。
ブラザー·サン、シスター·ムーン······
私、アッシジに行ってみようかな。
エフ、これからはあなたに恋文を書くように、日記をつけることにしますね。
(了)




