愛するに足りない
デビュタント用のドレスを祖父に用意してもらったお礼を、会場の隅で恭しく伝えた。
祖父は終始仏頂面だった。
「私がしてやれるのはここまでだ」
母は名家ミジェリアン伯爵の一人娘だったけれど、父と恋に落ちた母は家出同然で父と婚姻した。
以来ミジェリアン伯爵家とは絶縁状態で、母が亡くなった時も、祖父母は葬儀にも参列しなかった。
それでも母の乳母だったカリス男爵夫人だけが辛うじて私とミジェリアン伯爵家を繋いでいてくれた。
母亡き後、後妻を娶った父シュペルベル子爵は後妻とその子どもにだけ愛情を注ぎ、私は父から愛情を向けてもらえることなく育った。
父と後妻は母と結婚する前からの仲で、子どもは父との間にできた実子だった。
私は異母妹とは違いアカデミーには通わせてもらえず、淑女教育も中途半端だ。
父は私に跡を継がせる気も、余所へ嫁がせる気もない飼い殺しの状態にした。
ミジェリアン伯爵家の後ろ楯があれば私もここまで立場が悪くはならなかったのかもしれない。
それでも祖母の遺言でデビュタント用のドレスだけは用意してもらえることになったのだ。
私の同じ年の異母妹のマリスよりも控え目なデザインだっだけれど、とても上質なものだったから体裁は整えることはできた。
次々にデビューする者達の紹介がはじまり、マリスの紹介が終わったので、私の番になって前へ一歩進もうとすると「以上です」という進行役の声に遮られた。
マリスが意地の悪い笑みを浮かべていた。
義母と父は何事もなかったかのように平然としている。
デビューさせるつもりも無いのに、わざわざ舞踏会に連れて来るなんてと呆れた私は、大袈裟に肩をすくめてわざとらしく溜め息をついた。
進行役の男性と目が合ったので、腕を組んで不満げなそぶりをしてみた。
この国ではデビューする令嬢はみなティアラを着ける。デビュタントの用のドレスを纏い、ティアラを着けた令嬢が取る態度のその意味を、汲み取ることができなかった彼は、一瞬だけ首をかしげた後に目を反らしてそそくさと次の進行に移った。
元から名簿に私の名前は載っていなかったのだろうけれど、まだ紹介が済んでいない令嬢がそこに立っていることに、何の疑問を抱くこともなく、確認もしようとしないのはいかがなものなのか。
紹介を済ませた令嬢達の方が、どうしたのかしらという怪訝な表情でいるというのに。
私は祖父の姿を必死に探したが見つからなかった。既に会場を去ってしまったのかもしれない。エイメ·ミジェリアンではなくエイメ·シュペルベルと私が紹介されるのを彼は快くは思わないから。
もしもこの今の状況を祖父が目にしたら抗議した筈だ。ミジェリアンの孫を蔑ろにしたと、きっと彼は激怒しただろう。
私は静かに人混みから離れて会場を出た。
デビューの舞台で紹介されもしない見知らぬ令嬢にダンスを申し込む令息はいないだろうし、ここにはもう用がなかったからだ。
建物から出ると、門までの道のりを早足で歩きながらティアラとネックレスとイヤリングを外してバッグにしまった。これは換金用に今後必要になる。
このドレスも即換金ね。せっかくあつらえてもらったのに、おばあ様、ごめんなさい。
「エイメお嬢様」
馬車の中でカリス夫人が私を待っていてくれた。
逃走用の馬車に変装のための衣服も念のため用意してあった。
無事にデビュタントができていたとしても、近々家を出るつもりでいたからだ。
まさか今夜出奔することになるとは思っていなかったのだけれど。
身持ちの悪い不誠実な父など父とは思わない。こんな父を夫に選んだ母のことも私は嫌っていた。
結婚後父の裏切りを知って、生涯被害者根性ばかりで現実的な行動を何もしなかった母も、私にとっては加害者なのだ。
離婚して再婚するとか、祖父に許しを得て伯爵家へ戻るとか、父に執着して自立しようともせずに、ただ父を恨み人生を悲嘆して病死した母を私は許せなかった。
娘の私のことなど眼中になく、私の将来なんて一片も考えたこともなかったのだから。
余命いくばくもなくなっても、母は遺言も謝罪の言葉すら残さなかった。
一人娘で伯爵家を継がねばならないのに、男を見る目も自立心の全くない甘ったれな娘に育てた祖父母、母が死んでも私を引き取ろうともしない祖父母も、私は不信感しかない。
自分のことしか頭に無い親のツケを理不尽に払わされる子どもは堪らない。
私は自分の親達のようには絶対になりたくない。
私は父も母も自分の親とは思わない。
彼らは私を余計な苦労をさせただけなのだから。
シュペルベルの家族にとって私は愛するに足りない存在なのだろう。
でも、私にとっても、彼らは全く愛するに足らない人達なのだ。
私は愛するに足りない人達へ愛は請わない。そんな人達の愛なんて全く必要無いからだ。
これから私は愛するに足る人を見つけてゆくわ。
必死に、無駄に愛を請わなくても、自然に私を愛してくれる人と暮らすのよ。
「ここで降ろして下さい」
馬車の中で着替えを済まし、荷物を降ろした。
「カリス夫人、色々手配して下さりありがとうございました」
カリス夫人の紹介で住み込みで雇ってもらえる仕事を見つけた。看護師見習いだ。
1日でも早く来て欲しいということで、 事情を伝えると前倒しで雇ってもらえた。
今日から私はエイメ·カリス。カリス夫人の親戚の娘ということになっている。
短く切り揃えた白い髪と赤い瞳の私は、「うさぎ」という愛称で呼ばれるようになった。
淑女になりぞこなった私には、気取らない、少し粗っぽい世界は丁度良かった。私が貴族出身だなんて誰も思っていない。
その後看護師資格を必死で取得し、戦地へ従軍看護師として志願した。エイメ·ラパンが私の通り名だ。
「君があの時のうさぎか」
陣頭指揮を取っていた若き将軍は破顔した。
あのデビュタントの日、紹介されなかった私の不満げな態度がまるで怒りに震えるウサギのようだったと言った。
不満げなウサギは、足をダンダンと鳴らすそうで、あれに近いものがあって目が離せなかったと。
彼はミジェリアン伯爵の親戚、リヴェリ侯爵令息だった。
「見た目は伯母上そっくりなのに、中身は全然違うようだな」
私は母の若い頃にそっくりだそうなのだが、それは全く嬉しくなかった。父に似ていると言われるよりはまだマシだったけれど、嫌悪していた母に自分が似ているのは嫌だった。
それでムッとした私は、まさに不機嫌なウサギそのものだった。
リヴェリ閣下は、笑いをこらえていた。
日焼けした肌の精悍な顔立ちが、笑うと両方の頬にエクボができるのを、ちょっとだけ愛らしいと私は感じた。
その後彼が私の愛するに足る人になるのは、まだまだ先のことなのだった。
(了)




