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【本編完結】ワケあり皇帝のワケあり後宮  作者: 桜江


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EX STAGE 嵐を呼ぶ女(10

※軽いGL表現あり〼

「脱げ」

「……は?」

 

 私に後宮(ハレム)の嵐はとんでもない早さで訪れた。まだ日も高い(ひる)だというのに。

「どんな奴かと来てみれば、大して面白くもなさそうだな。だがその顔つきは嫌いではない――寝台(ベッド)に上がり脚を広げよ。情けをかけてやろう」

 

 宦官から部屋に案内されて、侍女と持ち込んだ荷物を片付けようとしていた時だった。

 今ほど出ていったはずの宦官が誰かを押し留めようとする声が聞こえて、開け放たれていた扉を見れば。

 

 この後宮(ハレム)の主、イゴール・ファン・メイエット。帝国の太陽と謳われる皇帝陛下その人が現れての開口一番「脱げ」。気が狂っていらっしゃるのか。

 

「――その命には従わぬよう言われております」

 声が震えないようにするのが精一杯。

 怖い。まず、身体が大きい。この人今何歳だっけ? 思ったより若い。

 褐色のぬめぬめ肌に皇族の証である黒髪は癖が強く、巻いていて長く下ろしている。

 上半身は何も身に付けず、下半身はシーツのような布を巻き付けているだけ。

 

 えらい破廉恥な格好で目のやり場に困るが、ここできゃあ、なんて可愛い被食者(獲物)に成り下がるわけにはいかない。そのために来たわけではない。

 なけなしの勇気を奮い立たせる。不敬だとこの場で打ち捨てられても可笑しかないが死にに来たわけでもない。

 私はアルコット女侯爵の義妹であり、帝国皇后ソシエル・ファン・ドロッセル様のお墨付きを頂いた娘、マルタ・アルコットだ! と大きく叫ぶ。口に出さずにね! 

 万が一私に何かあれば、皇后陛下――ご正室様がこの国の手綱を皇帝(クズ)から奪い取り、私を聖女として未来永劫祀るとまで仰って下さった。

 だからって死にたくも祀られたくもないのは本音だ仕方ない。

 

 男の恐ろしいところをおしなべて体現したような皇帝だけど、その視線は粘るように絡むものではなかった。薄笑いもこちらを見下したものではない。触れもしない。だからか震えを極力抑えられた。

「命が惜しくないと見えるな! マルタよ」

「正直惜しいです! 私は守るべき者のために来たまでです。陛下の宝珠をひと目見るまでは死ぬつもりもありません!」

「――は。小娘の癖に小賢しい。あれを守りに来たのだったか? ならば精々励んでもらおうか、着いて来い」

 皇帝は扉の前でおろおろする宦官を突飛ばし、小さな悲鳴を上げさせた。振り返りもせず、ずんずんと効果音が似合うほどの大股で歩いていってしまう。

 

 宦官にごめんなさい、と声を掛け、駆け足で皇帝の後を追った。

 

 

       * * * * *

 

 

 その部屋はそもそも表の作りが他と全く違っていた。


 後宮(ハレム)の側室方は与えられる部屋の内は好みで変えることが出来るが外は駄目。これは外敵が皇帝の寵深い側室が誰なのか分からないようにするためとも、女同士の諍いの元にならないようにするためとも言われている。 

 当然私の賜った部屋も他の側室方と同じ。獅子宮とも呼ばれるこの後宮(ハレム)は極彩色豊かな彫刻で壁が飾られている。どこまでも同じ、色とりどりの花と緑の蔓が延々続くような意匠で。

 もちろん一流の職人が手掛けたものだから素晴らしい作品だろう。だが遊び心のようなものはなく、作り物の花と蔓で出来た檻に絡め取られた気がするくらい、げんなり胃もたれしそう。

 

 ――でもだからってこれはダメだろうよ。

 

 ところがここの壁の彫刻は皇帝印とされる紅き獅子と色とりどりの揚羽蝶が舞う雅やかなもの。扉も皇帝色の橙。いかにもここに寵姫がいますよ~、特別扱いですよ~、皆さんこちらですよ~とあからさますぎて魂抜けする。

 

 え? 何この人(皇帝)って、ジュリエット様を殺したいの?

 

 思わずジトリとした目で睨んでしまう。

 だが皇帝は小娘のそんな視線をものともせず、派手な橙に塗られた扉をノックもなしに開けて進んで行くので、おずおずお邪魔します、と後ろに付いて中に入る。

 

 そこは何とも皇帝のイメージにそぐわない場だった。

 

 入ってすぐの客間は薄紅、薄桃色の洪水が目を襲う。その正体は紅色や桃色に塗られた木の枝のようなもので、ところ狭しと沢山飾られている。中には金の土台に白い玉や色の変わる玉をその枝に付けているものもあった。

 後に聞けばそれは珊瑚の木、海という向こう側の見えない広大な塩湖の底深くに生えていてかなり貴重なものだとか。削って加工された飾りの値段は天井知らず。

 

 その部屋の中央、置かれた薹編み椅子の上に彼女はちょこんと座っていた。

 

 健康的に輝く黄褐色の肌、艶めく甘茶色の髪。永遠の少女のように幼い顔つき、ふんわりと淡く微笑んでいる。

 触れただけで溶けて消えてしまいそうなその姿は、いつかジョエルがフランソワーズを箱入りの砂糖菓子のようと称したそれより、そのものに感じた。誰かが手を掛けて作ったようにしか思えず、ただ見惚れた。

 

 フランソワーズからは生きた人の熱量を感じたが、彼女からはそれを感じない、まさかもうこの人は間に合わなかったために人形(ドール)にされたのかもと考えて、ぐぅと喉が鳴る。

 皇帝は当たり前のように彼女を抱き抱えそのまま椅子に座り直す。彼女も人前だというのに動揺ひとつしないために、やはり生きていないかも、と緊張した。

「ユリエ、ソレ(・・)はミザリーの義妹のマルタ、お前の物だ」

 皇帝の声で初めて彼女は首を傾げる。生きてた! と内心喜んでいると、彼女の瞳がぱちぱち、と何度か瞬いて目が合う。琥珀色の瞳だろうか、甘そうに潤んでいた。

 

 ――?

 

 甘そう? いや、ちょっと待って? 私、今何を考えた?

 

 彼女を食べたら(・・・・)甘そう、だなんて。

 内心で狼狽える私に、彼女の桃色に塗られたぽてりとした唇から、やはり甘そうな音が室内に響いた。

「ではあなたもわたくしのねえさまなの?」

 

 思えばこれが一目惚れというものだったのだろう。

 この日、私は生涯かけてこの方の傍にいるのだと決めた。

 

 皇帝はすぐに政務のために呼ばれ不承不承、渋々、嫌々出て行かれた。ジュリエット様に久々会えたらしい。私の部屋に押し掛け連れ出し紹介する名目で。

 だがもし私があのまま身体を差し出していても構わなかったらしい。あの下衆野郎(皇帝)め。

 

 壁と同化していた侍女に茶を頂いて、その空気と化す職人技に戦慄(おのの)く。

 簡単に自己紹介すれば、彼女はころころと笑った。

「わたくしよりとしが下なのね、じゃあマルタはわたくしのいもうとね」

 やや舌足らずな幼い話し方は彼女の持つ姿形、雰囲気どれにも違和感なく。その微笑みに、とくとく、と胸が高鳴る。

 

「ジュリエット様、妹でも友人でもお好きにお呼び下さい。私はあなたのお心を傍でお守りするために参りました」

 私は思わず彼女に傅いて、まるで物語の騎士の誓いのように恭しく手を取り、その甲に口付けた。

 途端、ジュリエット様は息を呑み身体を固くした。それで頭がマトモに戻る。

 

 何をやってるの私は! 馬鹿じゃないの!?

 これじゃあ私が今まで気持ち悪がっていた男たちと何も変わらない!

 

 大変な失態にサーッと血の気が下がる。同性とはいえ初対面の人間に何の許可も与えていないのに触れられるのはさぞや気持ち悪かったろうと思い当たり、慌てて床に額付いた。

 控えている侍女たちが息を呑む音が聞こえる。

 

 同じ側室という立場で、傅いたかと思えば赦しを請うように額付いている様は驚きだったろう。

 慌てすぎの考えなしに自分が何をやっているのか、周りから見てどう思われるかなんて抜いて動いた結果に、舌を噛んで死にたい気持ちになる。恥ずかしい!

 

 する、と耳に滑かな衣擦れの音がする。

 ふわ、と香る何か甘い香り。彼女が椅子から降りられた、動かせてしまった、となぜか後悔した。

「マルタ、おかおをみせて?」

 心中の動揺は押し殺し、速やかに言われた通り顔を上げれば満面の微笑みが視界一杯に広がった。そして続けざまにふわりと甘茶の糸が頬を撫で通り抜け、柔らかな腕が私の首に絡む感触で思考が止まる。

 

「――な」

「じゃあマルタはわたくしだけ(・・)の騎士さまなのね? わたくしだけ(・・)のおともだちなのね? うれしい」

 琥珀の瞳は吸い込まれるように深く、じんわりと色を濃くしたように見え引き込まれていく。

 甘い香りは彼女の肌に塗り込められた花の香油か、とぼんやりした頭で納得した。

 

 

       * * * * *

 

 

 直近まで長く王宮であった建物は、現在フィリア太守の邸としても使われている。

 ファン帝国を離れてもう一年は経ったろうか。

 

 私たちが居住している宮のてっぺんには物見台が作られていて、フィリアの街と広がる領土が広く一望できる。

 

 小さな木のテーブルに持ち込んだ果実酒のボトルを置いた。グラスは1つ。それになみなみと酒を注ぐ。

 帝国と違ってここフィリアでは、カップではなく華奢なグラスに入れて飲む。

 香りがどうだとか、なんだとか私には関係ない。

 美味ければどうでも良い。なみなみと入れて、ごくごくと飲み干す。この飲み方は先帝陛下から直々に教わった飲み方だ。

 

 万が一これを注意するものがあれば『イゴールからこう飲めと言われたと言え』というくだらない命が私には下っている。

 

 風が出てきた。

 少しひんやりと感じる爽やかな風。

 天気は良いが、雲は多く山が近く見えるから夜か明日辺り雨が降るかもしれない。

 

 年中汗ばむ暑さのファン帝国帝都周辺では雨の降る日は少ない。

 だがあの日、雨は降った。

 きっと天も悲しんでいるのだと、腑抜けて弛んだ頭でそうポエムを綴ったあの日。

 

 ジュリエット様――ジュリーと共にいられた時間は2年もなかった。

 それは短く甘い蜜月だった、私にとって。

 

 実際危惧されるほど彼女は心を病んではいなかった。だが彼女はある意味『普通』ではない。

 そのために私が呼ばれたと知ったのは亡くなられてからかなり後。


 例えば毒を入れられたと知っても、少しも動揺しない。なぜそうなったかの過程に興味すらない。

『このまえはくるしかったわ』だけ。

 食事に虫が入っていても『虫はたべてもよくて?』。

 

 これを純粋に愛らしいと感じるか、純粋に異常だと怯えるか。

 庇護欲を掻き立てられるか、嗜虐心を煽られるか。


 だからこそ彼女を愛する周囲は過保護になりすぎる。実際私もその中に即座に入ったわけだけれど。 

※ユリエ=ジュリエットのイゴール専用愛称。


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