EX STAGE the ”GHOST” answer (9
ノルジールとネイは直立不動で室内扉の左右に立つ。
室内の王国の者は誰ひとりとしてこちらが皇帝を迎える用意をしていることに気付いていない。
廊下からこちらまで空気がぴりり、とするのを感じ、ノルジールは『来た』と身を強張らせた。
足音も立てずに皇帝は室内に足を踏み入れる。彼の方が通り過ぎる一瞬、すうっと清涼な香りが鼻を抜けた。
「――楽にしたまえ、諸君」
サリーと同い年の娘とは思えない威厳と自信に溢れ、涼やかだが低音の声――愉快そうだが恐らく怒りの込められた――が室内に高らかに響いた。
ノルジールからは皇帝の背面しか見えないが、皇帝の上背は自分よりやや低いものの女性としてはかなり高いほうだ。
女性らしい丸みは見せないようにしているのだろうが、その身体は鍛え上げられているのは軍服の上からでも分かる。さすが軍兵を自ら率いて国を落とすだけのことはある、と感服した。
ノルジールには剣の腕も武術もそこそこしか経験がない。王子であった頃は必要がなかった分野で、せいぜいが身を守るための護身術程度のみ。
長きに亘る逃亡生活で足腰だけは鍛えられた。追手とやりあうことも時にはあったが、それよりも逃げ足の早さと隠れる事の方が重要だった。
だがそのおかげか、強い人間の身体のつくりは素人目だが判断できるようになった。
生存本能が己より強い生き物を見る目を養ったと言えよう。
皇帝をじっと眺めていると寝椅子が持ち込まれ、皇帝とロシュタリア公爵の娘ソフィアが並んで座る。
いよいよ今宵メインイベントである舞台の幕は開け、役者が揃った。いや、彼らは役者ではない、舞台装置だ。
ノルジールは観客のつもりだったことに気付く。
違う、自分こそが舞台の主役なのだというそこに思い至ると、ひとつの失敗も許されないことへの緊張が一気に来た。
ドッドッドッと馬が力強く駆けるような動悸、キンと高く聞こえ痛いくらいに響く耳鳴りが彼を襲う。息をするのも忘れていたかもしれない。
――だから何が起きたか分からなかった。
目の前に飛沫く赤。
動けずただ見ていた。
人が叫びのたうち回る様を。
絨毯を染め上げる紅を。
足をガン、と蹴られる感覚がした。
まるで寝入りがけに意識を引き戻された時のように、ノルジールの身体が大きく痙攣した。
ハッとして隣を見れば、ネイの剣呑な瞳が見えた。ネイは視線で方向を示していて、追えばそこに腕が1本落ちている。
――なんという僥倖。
ノルジールはネイに向かって軽く頷いて見せた。ネイは安心したように大きく息を吐いたようだった。
――なんとかあの腕を貰い受けたい。
この先あの腕がどうなるのか、どこに運ばれるかを知りたい。そのためにはどうすれば。
ノルジールは室内を見渡す。
室内は騒然とする王国側、全く動じていない帝国側とはっきり別れている。
王国騎士団団長のデグスが呼ばれた。彼のことは知っている。優しく強い男だ。
帝国を軽んじる風潮があった王宮内で、正しく帝国と王国の関係を把握し公平な目を持ち、正義感の強い清廉な男だったと記憶している。
彼は腕を斬られた青年を抱え上げ出て行く。ネイが落とされた腕を拾い後に続いた。
皇帝が王国側の男を呼ぶが、彼は放心していて反応が悪い。ノルジールはすぐさま彼の側に寄った。
呆けてはいるが、サリーを庇うように抱き締めている彼は皇帝が言うには医師だと言う。
サリーをちらりと見れば、彼女は頬を染め皇帝から視線を外さずぼうっとしている。恋に落ちたのか何なのか、とにかく夢中になっているような様子に戦慄く。
――この惨状で?
ノルジールはとにかく一刻を争うこの状況、運良くサリーに近付くことも出来た。
全てが自分に都合良く動いている内に出来ることは終えてしまわなければならない。
彼女の胸元に飾られている『碧空』を確認すると、袖に仕込み隠し持っていた金切り挟みで素早く切り外した。
周囲からは、医師の男がサリーを抱き締めて離そうとしないのを何とか引き離しているように見えるよう身体で隠しながら。
サリーもこの医師も心ここに在らずが功を奏して『碧空』は無事ノルジールに戻った。
何とか男を立たせて、騎士団長を追うべく彼を引き摺りながら部屋を後にする。
――皇帝を見てはいけない、見られていても視線を気にしてはいけない、自分は帝国兵。今は皇帝の命に従いこの王国の医師を連れて部屋から出るのが使命。
己が王国民と気取られないよう、心の内で無心に己は帝国兵と繰り返す。
皇帝アレクサンドルがノルジールを訝しげに見ていたのは視界に入っていたが、視線をちらとも動かさないのが良かったのか、声を掛けられることもなく無事に扉の外へと出ることができた。
ノルジールは廊下に立っていた帝国兵に持ち場を離れる事を伝えたところで、床にぼたぼたと落ちている赤いソレを見つける。
先に行った騎士団団長が入った部屋は聞かずとも血の跡が転々と惨劇を物語る模様を作っていることで分かる。
ノルジールに半ば抱えるように引き摺られていた医師は、ようやく現実に帰ってきたのか、ガタガタと震え歯の根が合っていない。
医師とは言え外科は診た事がないのだろう。
ネイも嘆く王宮医師の腐りっぷりと医学の停滞ぶりだ。彼もそれを引き継いで、騎士団の怪我すら部下に任せて、現場を知らないのかもしれない。
そんなことを思いながら室内に入れば、デグス団長は床に寝かされた青年の側に膝を付いていた。その背後にはネイ。
デグス団長の肩は小刻みに震えている。微かに聞こえる嗚咽。
青年は血を流しすぎたのだろう、顔色が青い。
「……やはり、腕は、戻らないのか」
デグス団長は、振り絞るように問うてきた。
――ああ、この青年は団長の息子だったか。
それを思い出し、ノルジールは沈痛な面持ちで彼を見る。そんな資格も権利もないのに、と自身を嘲る気持ちも心に重く圧を掛けた。
「どうだ」
デグス団長はノルジールを見て言った。
――違う、私ではなく、私が支えている男に。
ノルジールが部屋に押し入れた男は、彼の支えがなければ今にもその場にへたり込みそうになっていて、小刻みに首をぶるぶる左右に震わせていた。
「ヘリング殿」
強い意志を持った声が男を呼んだ。
「……は、わわ、私には……。かっ彼には痛み止めと血止めくらいしか処方できま――できません!!」
「――そうか、まあそうだろうな」
デグスはヘリングの首根っこをひっ掴み、医務室へと連れていった。
残されたノルジールとネイにはヘリングの小さく囁くような『私には無理です』という言葉は聞こえていた。
彼らの足音が去り、室内に2人だけとなったのを素早く確認してネイはノルジールに抱えていた包みを渡す。じわりと片方に染みだした赤色が見える。
「さっきそこの布で包んでおいた」
「助かる」
「……早く公爵サマの指定した部屋に行こう」
ロシュタリア公爵は本日のパーティーでノルジールと皇帝を会わせると約束していた。
パーティーの後の余興を一等席で見せてあげましょう、と公爵は微笑て彼らに帝国兵の装備を渡してきたのだ。
2人で廊下に出てみれば、当たり前だがあの騒ぎのあった一角以外では王国騎士団や衛兵の姿しかない。
帝国側におかしな様子はなさそうなので、今回の騒ぎは呪いに抵触しなかったのだなとノルジールは考え、そら恐ろしい気分になる。
自分が逆の立場であれば、『碧空』の呪いによって忽ちにして命が尽きるかもしれないのだ。
それをものともせず、身内を守るついでに帝国に従順たれと力を見せつけに来たのか、分かりかねるがとにかく命賭けだ。それをそうと悟らせず悠々と余裕を持ち、王国への見せしめに無礼者を斬り捨てて見せた。
小娘と呼ばれてもおかしくない年齢の皇帝が。
これが先の皇帝なり、ノルジール程の年齢になれば納得もいくのだが。
彼女には皇帝や帝国や民の前に、未来がある。
それが喪われることへの恐れがないことが彼には恐ろしかった。
帝国は王国に攻め入るために来たわけではなく、あくまでも『皇帝の従叔母の成人祝い』に駆け付けただけ。
護衛として連れてこられた帝国兵は20人に満たない。
呪いの理屈から上手く外れたな、とノルジールは嘆息した。
長い廊下を黙々とネイと2人連れ立って早足で歩く。
指定された部屋は、急遽やって来た皇帝のために特別に開けられた客間の隣室だ。
扉は開け放たれていて、ノックも何もなしに堂々と彼らは入室する。
物語の裏側。
亡霊の答えまであと少し。
たくさんある中から見つけて読んで頂きありがとうございます。
誤字脱字報告等ありがとうございます。
©️2022-桜江




