EX STAGE the ”GHOST” answer (7
川で溺れ流されていた運命の子――サリーはノルジールの献身的な看病と、ネイの熱冷ましのお陰で無事に熱が下がった。
だが、サリーは薄荷から聞いていた以上にぶっ壊れた少女だった。
まだ幼いのにノルジールの寝台に潜り込み、男を勃たせる手管を見せる。
慌てて引き剥がし、ノルジールにそうすることを禁止した。
本人は命を助けてくれた感謝の気持ちからのお礼だと言うが、そんなお礼をする子供なぞいくら難民の多い貧困街であっても聞いたことがない。
貧しい育ち故か、冷めて大人びた色目を使う少女の名をサリーという。
サリーの体調の完全な回復を待ち、ネイに手伝って貰いながら親を探した。
サリーと母親を引き離した後に後腐れのないようにする為だ。
サリーは王宮へ差し向ける毒だ。それも本人は自らを毒とは思わないままに。
その役目を果たすためには母親とサリーの縁を切らせることが大切だ。
王宮で王族の姫として迎えられたならば、目先の金に惑わされ、自分こそサリーの母だと名乗りを上げる可能性がある。そこでノルジールの生死を問い質すために拷問にでもかけられてしまえば面倒だ。
サリーが母親は娼婦だと言った。
だから仕事の様子をうっかり見て覚えた可能性もある。
この幼さにして男をあしらう手管を持つサリーの母親だ。男を悦ばせるような躾をして変態嗜好な客を取らせているのかもしれないし、いずれ取らせるつもりなのかもしれない。
生きていくための仕事だ、内容にどうこう言える立場ではない。この仕事を選ばなければ生きていけない。
市井の娼婦は貴族専用の高級娼婦とは違う。
高級娼婦にはパトロンがいて、教養もあり芸術や流行の最先端を担うこともある。彼女たちの邸で開かれるパーティーに招かれることは男女共に洒落者には一種のステイタスでもあり、高位貴族に娶られることもあるくらいだ。
ノルジールはこの少女をいわば高級娼婦のように、王宮へ送り込む。
そんな彼にサリーの母親を責める権利はない。
……彼女はあなたの『運命の子』だよ、ノル。
ノルジールには薄荷の声が聞こえる。迷えば聞こえる彼女の声は今もまだ甘く思い出せる。
いずれ声から失われる。記憶に形があれば擦り切れてしまっているかもしれないくらい何度も何度も薄荷の声を思い出す。
幾つかの分岐があるから気は抜けない。
サリーが王宮で思った動きをしない可能性。
サリーに持たせた『碧空』が取り上げられ呪いを解除されてしまった場合。
薄荷が帝国でやろうとしていることが失敗したら。
碧空はノルジールが生きていればこそ。うっかり命を落としたら。
――ノルジールの良心が痛んで、何もかも捨ててしまいたくなったら。
そうなったらそれでいいんだよ、やめたいならやめていい。ノルが弟をやっつけてフィリア王になるのが嫌ならやめていいんだよ。
薄荷がノルジールを後ろから抱き締めて言う。
――ノルがフィリアの王様になれば呪いの品は王家に受け継がれていくし、帝国もフィリアには手を出さない。
仮に手を出してきても、大きな国はいつか滅びる。それが早いかどうかだけ。
ノルが王様にならないなら、この先フィリアに碧空の色を持つ王族は生まれない。
ノルの生命が尽きてしまえば、その呪いの品は宙ぶらりんになる。力を発揮するのは碧空の色を持つ王族が存在するから――
優しいノルが好きだよ、と薄荷はノルジールの背に唇を当てて小さく言った。
そしてノルジールの脳裏には薄荷の言葉を思い出すと同時にネイの何とも言い難い顔も過る。
――きちんと幸せに生きられるようにしてやれよ。
分かってる、ノルジールはそう呟いて顔を両手で覆った。
彼の肩は小刻みに揺れて、覆われた口元からは震える嗚咽が静かに漏れていた。
* * * * *
サリー母子と暮らすようになって7年が過ぎ、もうすぐ8年になる。
ノルジールにとって運の良いことに、サリーの母親はつい先日、娼婦の仕事中に酔った客から酷い暴行を受け呆気なくこの世を去った。
サリーは客から暴行されたことを聞いた時には顔を強張らせたが、母親を亡くしたことにはあまり悲しんでいなかった。これもノルジールを安堵させた。
サリーの母親と暮らす前、幼い娘を商売道具にするような女か、とノルジールはやや構えて会ってみたが、そうではなかった。
だが、暗く黴た地下室に小さな娘を閉じ込め、そこから消えたと分かっても探さなかった割には、金を積んでこちらの身分を明かしても娘を手放すのは嫌だとごねてみたり、サリーへの愛情があるのかないのか最後まで分からない女だった。
結局、渡した金は手元に戻ってきたし、いずれの口封じもしないで良くなりホッとしていた。
ましてこのところ彼の命を狙う追手はない。
ゴシュタルはもう王として立って長い。後継も代替もいる子沢山でもある。
王家として行方不明の兄王子が今更のこのこ出て来ても、ゴシュタルの立場は揺るがないという自信が付いたのだろう。
そして帝国といえば。
皇帝は退くほどの年齢でも大病をした訳でもないのに、その座をまだ少女である娘に譲っていた。
新しく皇帝となった皇女の名はアレクサンドラ。
今は男名のアレクサンドルを名乗っている。
一度も会ったことはないが、現在グラスペイル公爵領を帝国に明け渡しているロシュタリア公爵からは話をよく聞く。
グラスペイルはロシュタリア公爵が過去に今は無い公爵家から譲り受けた領地だ。公式の場ではグラスペイル公爵家と呼ばれるが、家名で呼ぶ時はロシュタリア公爵が正しい。フィリア王国の高位貴族にはままあることだ。
ロシュタリア公爵は帝国皇族縁者の娘を妻に持つ。
フィリアには帝国との友好のためと言っているが、彼は完全なる帝国側の手の者である。
ノルジールを激しく追い詰め、実の両親であろうと追い落としてきたゴシュタルも今では見世物の牙を抜かれた獣のように暢気なもので、帝国の間諜がどんどん王宮に送られ官僚たちが腐敗の道を歩ませられていることに気付いていないようだった。
ロシュタリア公爵がその気になればノルジールを弑すことは簡単だっただろうが、彼も呪いを知っているためにそれは出来ないのだろう。
恐らくあちらも代替わりの度、呪いに抵触せずに侵略する方法を少しずつ探っているのでは? その為の人柱としてロシュタリア公爵が選ばれているのでは? とノルジールは予想した。
表向きの理由として、妻が帝国人であることを盾に。これを公爵が了承しているのか、呪いについて聞かされているのかまでノルジールには分からないし、知っていても教えて貰えるなどと思っていない。
とにもかくにも帝国は王国を『侵略』し『碧空を持つ者を害する』ことが出来ないのだ。
不思議なことにロシュタリア公爵はサリーの存在を帝国に洩らしていないようだった。いや帝国はとっくに知っているのかもしれないが。
そして彼は絶対的な味方にはなり得ない。
ノルジール本人が薄荷とネイ以外を信用しないせいもある。だが公爵もまた帝国にも王国にも真意を隠し持つ者だ。
そしてこの可哀想な少女すらも信用しないとノルジールは決めている。
心を少しでも預ければ、彼女は復讐の道具ではなくなる。ただの娼婦の娘でしかない。
サリーがいるからこそゴシュタルに反撃でき、両親の悲願を、乳母と乳兄弟の無念を、国民を救うことができるのだから。
そのサリーが庇護者からの愛情に餓えていることをよく理解しているノルジールは、サリーに己を父と呼ばせた。彼女は嫌がらず受け入れた。
それに時たまサリーは面白いことを呟く。
先を知っているかのように、自分が王宮に上がる話をすることがあった。薄荷と同じく先見の力があるのかもしれないとノルジールは思う。
ゴシュタルの3番目の息子、ノルジールにとっては甥である王子について。
ロシュタリア公爵の愛娘であり、クリスタの婚約者となったソフィアのこと。
他にも彼女が到底知らないはずの王宮にいる者の名を呟くことがある。
だが内容はかなり限定的だ。ノルジールのこともネイの先は分からず、特定の人物の大まかな行動のみ。
サリーはまるで幼子向けの寝物語のように、何度も何度もそれを繰り返し呟く。
その姿はまるでノルジールが薄荷を忘れないように思い出すのに似ていた。
ノルジールは口に出すことはなかったが、サリーのように何度も何度も思い出し、心に刻み付ける。
――声はまだ思い出せる。顔もまだ思い浮かぶ。温もりそのものは消えてしまったけれど、お互いに求め与えあったことは憶えている。
記憶の波に呑まれたくはない。埋もれさせたくはない。少しずつ色褪せることが恐ろしい。
ノルジールにとって薄荷と過ごしたあの日々だけが縁になっていた。
親や友人では埋められない隙間が心と身体にあることをノルジールは知ってしまった。そこを埋めるのは薄荷だけだ。
彼女が消え失せてしまえば、ノルジールはもう立っていられないだろう。
ノルジールの色を持つサリーに己を重ねてぼんやりと見ていた彼は、サリーの頭を優しく撫でてやりながら、人前で言っては駄目だよと諭す。
そんな風に日々過ごし、ようやくサリーを王宮に放す時がやってきた。




