EX STAGE the ”GHOST” answer (3
ノルジールは床下の2人を見て驚きの声を控えめにあげた。
「ここは隠し通路のない部屋だと思ってた……」
王妃はやつれた顔に悲しげな微笑みを乗せて言う。
「本来ならば全て王位継承後に教える事だったのです。この者たちはわたくしとあなたに忠誠を誓う者、万が一の時にはこのように先回りできるように彼らに教えてあるのです。さあ行きなさい。ゴシュタルは短気ですから。あれも『碧空』は単に帝国から王位を認めさせる物程度の認識しかないでしょう」
ノルジールが床下に降りたことを確認すると、乳母のシスリーが床板を戻す。彼の母の声は最後に小さく聞こえた。
――愛しているわ、生きて。
乳兄弟であるセシルが小さなランタンの持ち手を口に咥え道を照らす。
3人はよつん這いで狭く暗い道を進んだ。
息が出来るよう細工してあるようで、道は狭くやや息苦しいが、鼻や喉が詰まって進めなくなるということはない。
何度か休憩を挟みながらどのくらいそうして進んだだろう、ノルジールの耳に水の流れる音が聞こえ、狭い中を這ってきた汗だくの身体にひんやりした空気を感じた。
ガコン、と先頭を行くセシルが何か蓋を外したようだ。後に続いて降りたノルジールは横穴から地下水路に出たのだと理解した。
「ノルジール様、ここは王都の幾つかの川と王宮を結んでいる場所になります」
セシルがそう説明した。シスリーが来た道にまた蓋をしながら周囲をきょろきょろと見回して小声で話す。
「私たちが潜伏している場所にご案内いたします」
ノルジールは同じ姿勢で長くいたため、身体は節々が悲鳴を上げていたし、膝や背中は擦って血が滲んでいた。
このまま倒れこみたいと心が訴えていたが、セシルもその母のシスリーもそうであろうに、ノルジールのために休まず隠れ家へと向かうのだから弱音は吐けない。
今度はシスリーが先頭を行く。
万が一追手があった場合、セシルが囮になるためだ。
「おそらくあの部屋の床板が外れることはすぐにバレてしまうでしょう」
セシルがそれに頷いた。
「あの床下、ノルジール様は一本道のように感じられたでしょう。でも実は迷路のようになっているんですよ。ですからすぐに追手がこの地下水路に出てくることはないとは思います。この地下水路もまた迷路となっておりますので、そう簡単には追わせません」
彼らは響く足音や、自分たちが水溜まりをびちゃりと踏み叩く音を気にしながら右へ左へ水路を進み、ようやく上へと続く梯子のひとつに登った。
ノルジールはこのようにして王宮から逃げてきたのだ。
そして乳母たちの潜伏先で王宮医師のネイや、他にもゴシュタルと敵対している者たちと引き会わされた。
ノルジールは自分の暢気さに苦笑するしかない。
聞けば、弟の歪みや傲慢さにもっと早くから気付き危ぶんでいた者たちがいたのだから。
ネイはノルジールの背中をバシバシ叩くと豪快に笑った。
「アイツがお前の婚約者を寝取った時からこうなるんじゃないかと思ってたよ」
ネイは王宮医師を辞めてきたのだと言う。
「偉そうなオッサンが古臭い医療しか認めないからな」
フィリア王国の医療水準は他国に比べ低い。
ネイは帝国で医療を学んできたのだが、帝国と言うだけで目に見えないトゲを感じていた。
王宮専属医師である上司は反帝国思想を持っていて、ネイに対して随分陰湿な嫌がらせをしてきたらしい。
ネイはフィリア王国が帝国だけでなく他国からも遅れていることを指摘し、最近増えた難民が薬学研究で名高い国の民であることから、研究者も難民に混じっている可能性と保護を訴えたが上司についぞ認めてはもらえなかったと嘆いていた。
「あのオッサンは自分さえよけりゃいいんだよ。あんな奴は医師じゃない」
ノルジールはネイに怪我を診てもらったことが縁で、兄のように慕い親交を持つようになった。
彼より8つ歳上のネイは驚くほど明け透けに物を言い、またそれが彼には小気味好い。
そんなネイだからこそノルジールが心配なのは彼の行く末だ。ノルジールに付くと言うことは命を狙われる可能性がある。
それを指摘するが、彼は首を横に振った。
「いいか、そんなことは心配するな。俺はお前が王になろうが難民になろうが立ち位置なんかどうでもいい。お前は俺の友であるってことだけだ。友が大変な時に助けてやるのが俺の遣りたいことだ」
と、ネイは頭を掻きながら言う。
その後、数人の貴族と挨拶する。彼らは帝国側の人間だった。
私の助けは帝国にしかいないのか皮肉なものだ、とノルジールが内心自嘲していると、一人の少女がじっとこちらを凝視していた。
背も低く、こちらでは見ない雰囲気の顔付きだ。凹凸が少なく、目元がキツい。肌は病的に白い。
フード付きのローブを羽織っていて、表情からは何の感情も読めない。
――魔女っぽい。
それが彼女へのノルジールが抱いた第一印象だった。
彼の視線に気付いたネイが、彼女を連れてノルジールの前に立たせる。
「こいつな、帝国で占いやってるハッケ……ハッカだっけ?」
少女はこくんと頷く。
「ハッカ、こいつはノルジール。皆が話してた王子さんだ」
「ハッカです。お会いできて良かった」
そう言ってフードを外し、ぺこりと頭を下げて微笑む少女にノルジールの目は釘付けになる。
先ほどまでの窺い知れない表情のなさとは打って変わった人間らしさに目が離せない。
言葉を発するのを忘れたように惚けているノルジールの背をバシンとネイが叩く。
「……お前も17歳だもんなあ、うんうん。正常で良かった良かった」
「――なっ!」
「あっ、私より年下なんですね、ノルジール様は」
「え゛っ!?」
ハッカの言葉にノルジールとネイは目を見開いた。
「僕より年上?」
「はい。私、今二十歳かな、多分」
「はたち?」
聞き慣れない言葉をおうむ返しにすれば、ハッカは照れたように笑う。
「ええと、20歳です」
「ええっ? もっと子供かと……」
ネイが驚いているノルジールに言う。
「遠い島国から海を渡って来たんだってさ」
「それは……大変だな」
この大陸を一周するだけでも一度の人生では足りないと言われている。
フィリアは海は物語でしか知らない国だが、海を擁した国であれば近隣の島や、海を隔てた国から民が渡ることがあるとは知っている。
だがノルジールは知識として知っているだけで、実際の海は見たことがない。海を渡る船にも乗ったことはない。まして海を渡る遠く危険な旅もしたことがない。
「たまたま帝国の皇帝陛下に気に入って頂けて、今回ノルジール様に直接お会いしたくてやって来ました」
ハッカはそう言って、ノルジールの顔を真顔でじっと見る。
先ほどと同じく、感情がない。思わず見返し、黒目が大きいなどとノルジールは思った。
「ノルジール様、もし差し支えなければ占って差し上げましょうか?」
ハッカは表情を全く変えずに言う。
「俺も立ち会っていい? 皇帝陛下お抱えの占い師って興味あるわ」
「ネイさんはお医者さんですからこういうものに否定的なんですよね?」
ハッカは眉を下げこまったように笑う。
「いんや、全然。どんなことすんのかなーと思ってね」
ネイがハハッと笑って言うと、ハッカは彼をじっと見る。彼女の表情から感情というものが全てごっそり抜け落ちたような感覚に陥り、ネイがひくりと口の端を引き攣らせた。
「あっ、えっと、ハッカちゃん?」
「ネイ、前に占ってもらったわけじゃないのか」
ノルジールが動揺するネイにこっそり耳打ちすると、彼は小さく小刻みに頷いた。
「俺ほら信じちゃうだろ、すぐ。だからお前が来てからこう客観的な意見をもらわないとさ」
ネイはパッと見、大柄の無精髭、ガサツで大雑把な雰囲気から医師には見えない。
むしろ傭兵崩れとか、飲んだくれ――ネイは下戸だが――のように見えることの方が多い。
なので王宮のような王族、高位貴族などが多い場では割りと壁を作られていた。
鼻つまみ者、と言った方がいいかもしれない。彼自体はれっきとした男爵家の出なのだが、医療研究だなんだと幼い頃に親類を頼って帝国に出て行ってしまったので、王国出身の貴族だと知っている者は身内とノルジールとその周囲以外ではいないのではないだろうか。
ハッカは目を閉じた。うん、と小さく声を出し、室内のテーブルの上にローブの下でしっかり掛けていたであろう肩掛け鞄をどすんと置いた。
ノルジールはその鞄をしげしげと見る。
こちらでは見たことのない形の四角い鞄だった。艶々とした素材で、ジーという音と共に形に沿って開けられる。
それはネイもセシルもシスリーも、室内にいる者はそれに興味津々で目が離せない。
ハッカは中から、箱に入ったカードのような物を取り出した。
「これ、占いの道具なんです。タロットカードって言うんですけど、こっちの大アルカナを使いますね。小アルカナはいわばトランプなんですけど……フィリア王国にもタロットやトランプってないんですか?」
「いや、聞いたことないな」
ネイがそう言ってノイジールの顔を見る。彼も聞いたことがないので首を横に振ると、ハッカはどこか寂しそうに微笑んだ。
「ファン帝国にもないので」
彼女の零す言葉の真意は彼らには汲み取れない。
ハッカは、優美な絵の描いてある方を下にして、カードを両手で混ぜたあと、ゆっくりと集めてそれをやはり絵は伏せたまま円状に並べる。
その中から、す、す、すっと3枚のカードを場に出した。
「本来は色々やり方があるんですけど、私のやり方はこうなので」
そう言って左手でカードをひっくり返す。
ネイがごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んだ音がノルジールにも聞こえた。ネイにしては珍しく緊張しているようだった。
「ずいぶん苦労されたみたいですね、貴族のお家で……ご家族とは仲は、いい。ああ、でもなるほど、継母さんに遠慮されたんですね?」
ネイの肩が大きく動いた。




