そしてどこかで聞いた物語
終章3/4
ベラはこまったように微笑った。
「あらあら陛下ったらあ、やんちゃですねえー」
「おばあ様の思い通りになるのは腹が立つのでな、ちょっとした反抗心よ。もうそのカップは見たくない」
「思い通りになるかどうかあ、分からないのではないですかあ?」
「命を懸けて私に抱かれた男が前例でおるのだ。玉が同じことを願ってもおかしくはなかろう? そうなればある意味思い通りだ。だが玉は抱いてもそのまま死なせてはやれぬ、あれは私の大事な愛玩物であり便利な手足だからな」
サーシャは嫋やかに笑んでみせた。
対してベラは大仰に溜息を吐いてみせる。
「言ってる内容とぉ、表情がぁ、正反対です陛下ぁ」
「私が心を捧げ愛するのはリュイただひとり。玉は私の手であり足だ、捥がれれば痛い。だから死なせてはやれぬ。何かおかしいか?」
ベラは『それはそれで愛なんですけどね』と思いながら新しく茶を淹れる。濃く淹れた茶に蜂蜜をたくさん溶かしたもので、サーシャの好きな飲み方だ。
せっかく機嫌良くお休みを満喫しているのに余計なことは言うまい、とベラは口を閉ざす。
この麗しき皇帝陛下のお休みの裏にはリュイとタウシャにもかなりの負担がかかっているのだが、それにもベラは触れずにこやかにサーシャを見守るのみである。
* * * * *
明くる日、サーシャは正室の寝室で熟睡中。その部屋の主であるリュイが起こしに来た。
「陛下、陛下……へいか?」
揺らしても起きない。すやすやと幸せそうに眠っているのを起こすのはしのびないが、後宮の入り口には彼女からの言葉を待つ臣下がいる。
「……さ、さーしゃ。サーシャ、起きてサーシャ」
いまだ平時に呼び慣れぬ愛称――夜の有事の際にはすらすらと呼ぶ――を彼女の耳元でそおっと小声で呼ぶ。
「……ん? どうしたリュイ? ……おねだりか?」
「ちっ、ちちちっ、違います! あのっ、起きて下さい陛下」
サーシャは寝台の中でぐうっと伸びると気怠そうに起き上がる。
寝起きでこの色気は何なんだ、とリュイは目に毒とばかりに顔を手で覆う。
「まだ眠いのだ、寝かせよ」
「至急確かめていただきたい封書があるとかで」
「……戦か?」
「いえ……あの、サリーのことです」
「さりー? ……ああ、あの小娘か。あれがどうした?」
「私も詳しくは……封書をご覧になってほしいとのことで」
はああ、と大きく息を吐く。リュイが呼び掛け、水と盥などを持って宦官が寝室に入りサーシャの前で跪く。
サーシャが濡れた布で顔を拭い、口を漱ぎ終わると待ってましたと言わんばかりの早さでリュイは一通の封書を手渡した。
サーシャがナイフを使わず、びりびりと封書を破るのをリュイは見て見ぬ振りをする。
「……なるほどな」
にやにやと笑うサーシャが気になってどうしたのかとリュイが問うと、一言。
「逃げたぞ」
膝から崩れ落ちそうになるのを堪えたリュイだった。
サーシャが寝室から出ると、控えていた宦官からガウンを渡される。羽織って客間に入れば、白兎と封書を預かってきた宦官が跪いていた。
「良い、楽に」
サーシャの一言で皆立ち上がってソファに座る。
サーシャは彼女のための寝椅子にリュイを座らせ、その隣に両足を組んで座る。
タウシャが不安な顔つきで問う。
「……それで何と?」
「逃げた」
宦官に髪を梳かしてもらいながら、サーシャは欠伸を噛み殺して答える。
「……にげた」
「肉体労働が嫌になったらしい。タイミングが良いのか悪いのか」
「タイミング、ですか?」
タウシャが聞き返すと、サーシャは頷く。
「現在、フィリアでの騒動の元凶であるサリーには、罰として金鉱での肉体労働を無期無給無休でやらせていたのだ。アメティ第三配の話により面白いことを聞いてな、聞き取りさせようと思っていたところだったのだよ」
アメティ第三配と言うのは先日亡くなったクリスタのことだ。
ファン帝国では紫水晶をアメティスと呼ぶ。彼の紫紺色の瞳を紫水晶に例えてアメティと改名し、遺体は霊廟に送られた。
本来霊廟はサーシャが亡くなってから建てるのだが、本人がいつそうなっても良いように彼女の気に入っている場所に既に建ててある。但し、リュイにも場所は知らされていない。どうせ死んだら行くのだから慌てて行かなくて良いという理由で。
そしてクリスタだけでなくタウシャも第二配としてそこに入ることになる。2人とも――タウシャが亡くなってからになるが――側室扱いではなく正式な皇配という扱いになる。クリスタに対しての異例とも言える寛大な処置と、タウシャも含め皇配とすることに驚くしかなかったが、陛下の情けは黙ってありがたく受け取らねばならない。
「サリーには先読みの力と人の秘密を知る力があるのだと言う。お前らは知っておったか?」
リュイとタウシャは首を横に振る。振りながらも2人とも身に覚えはあった。
「微妙な表情をしているところを見ると心当たりがありそうだな? 聞かせろ……っと、その前にお前らは待たせておる者に『生捕り』と伝えよ」
宦官たちは一礼すると速やかに主の言う通りに行動するために部屋を出て行った。
「……さあ、遠慮なく言え」
どこか面白がっている風のサーシャに、リュイが遠い目をして話し始める。
「……2年ほど前になりますが、私の女嫌いを言い当て『1回ヤれば好きになるから』と」
「それで?」
「あの手のタイプが一番苦手なので逃げ回っておりました……そこお調べになってますよね」
サーシャは下を向いているが、肩が小刻みに揺れている。声を出さず笑っている。
自分の何がサーシャに受けたかわからないまま憮然とした表情でリュイはそこに鎮座していた。
「……うむ、ではタウシャはどうだ」
「確かに、悩みを少し軽くしてもらえましたが」
「が?」
「今思うと不思議なのです。今でこそ白兎の名に恥じぬ白い髪と紅の瞳ですが、あの当時はまだそこまでではなかったはずなのです」
タウシャは首を傾げる。あの当時は確かに同僚から脅され嫌なことはあった。
ただ、サリーに『うさぎさん』と呼ばれるほど色素は薄くなってはいなかった。追い込まれて疲れて病んでいて、鏡に映った自分が兄と同じ色に見えただけだと後々気付いた。
それを聞いたサーシャはふむ、と顎に手をやり考え込む。
「ますます気になるな」
リュイがそう言えば、と口に出す
「あの日もおかしなことを言っていました」
リュイはあの日――婚約破棄の茶番劇の日、ずっとクリスタにもサリーとマッドにも『やめよう、ダメだ』と止めていたのだ。クリスタはどうしても初恋を諦められず、王家に見限られればこれ幸いと旅に出るつもりな上、帝国は王国の下よと甘くも見ており危機感なし。マッドはサリーの言い分を信じきっていてお手上げ。サリーは心ここにあらずといった状態で、何やらぶつぶつ言っていた。
リュイはサリーとは会話したくなかったが、彼女の顔色の悪さが気になり、やはり嘘をつくことに後悔しているのかと思い説得してみようかと近付いてみた。
『スパダリ皇帝、会えなかったらどうしよう。やり直しできないから全員攻略にしてみたけど、やっぱやり直したい』
「――と呟いていました。概ねそんな内容だったと思います」
もう3ヶ月は前の話になるので曖昧だとリュイは付け加えた。
「……すぱだり皇帝とは私の事か?」
「恐らく。皇帝と言えば陛下しかこの大陸にはいらっしゃいません」
タウシャも正体のわからない変なものを食べさせられた時のような顔で言う。
「すぱだり、やり直し。やり直しなあ……」
「ご正室様、攻略というのも何やら不思議な」
「全員攻略ですから『全員に勝った』ということですよね?誰に何をして勝ったのか」
「頭がおかしいのか全く意味がわからんな」
「サリーについての聞き取りはどのようなものだったのでしょうか」
「『私は悪くない、死にたくない』ばかりだな」
3人で首を傾げていると玉が珍しく慌てた様子でなだれ込むように部屋に入ってきた。
「……も、申し訳ありまセン、失礼を承知デ、陛下、コレを」
ずいぶん走ったのだろう、息が切れていた。
彼の握られた手が開かれ、サーシャの目の前のテーブルに中の物が置かれる。じゃらり、ごとんと重い音がした。
「これは?」
リュイとタウシャが置かれた物に目を見張る。
サーシャはそれを見て盛大に舌打ちをした。
「――ええい忌々しい亡霊めが! 小娘はもう2度とこちらの手には戻らぬ! 玉! 捜索を止めさせるように伝えよ!」
サーシャが苛立ち、叫ぶように玉に命令する。
リュイとタウシャは彼女の珍しい激昂に顔を見合わせ、テーブルに置かれた金の鎖、その土台に嵌め込まれた見事な碧の石のペンダントを不思議そうに見つめる。
碧の石はきらきらと煌めいていた。




