過不足の愛(2
その夜後宮の扉が開かれた。
「陛下がお休みである」
入り口を守る兵が中に向かって声を掛けると、側室筆頭である白兎――ロイス――が現れ跪く。
「今宵は私めがご案内と世話を致します」
サーシャはそれに返事をしない。
彼を覗き込むよう屈んだことで、薄く長いガウン仕立ての寝衣がサーシャの苛立ちを表すようにぶわりとはためいた。
タウシャは内心震える。サーシャの瞳は、王国でマッドの腕を侍従に斬らせた時のように冷たく凍りついているのだと見なくても分かる。
外の兵が扉を閉めると、サーシャが口を開いた。
「タウシャ、お前分かっておるよな?」
まるで地を這うような、腹に響く声に怯える身体を叱咤してじっと頭を下げる。
「リュイとの婚儀が終わってから1年はお前と寝ないと言ったな」
「……はい」
「リュイとの婚儀もお前との伽もまだだ。なぜこのような無理を通すのだお前たちは。死にたい者は勝手に死なせてやれ。お前たちの友誼なぞ私の知ったことか」
サーシャの怒りは至極最もで、タウシャは頭を下げ続けるしかできない。
なぜなら、今サーシャは正室であるリュイでも、側室筆頭であるタウシャでもない者に伽をさせるために後宮に来た。
言い方を変えれば、本来選ぶ立場の皇帝を呼び付け、皇帝の心を考えずに勝手に人を宛がったのだ。立派な不敬罪で反逆心あると見なされてもおかしくない。
「……確かに私はリュイが望むならどのような男とも寝ると言った。言ったが、それは婚儀が終わって数年後の話だ」
頭を上げないタウシャに諦めたのか、屈んでいたサーシャは小さく舌打ちすると立ち上がる。
「もう良い。準備はしてきたゆえ案内せよ」
「はい」
タウシャも立ち上がり、今宵の伽の場となる男の部屋へと皇帝を誘った。
* * * * *
「へいか……」
部屋に入った途端に男の泣きそうな震える声がサーシャを迎えた。
溜息を吐きたいのを堪えて、男を見る。
頬を染めてそこに立ち竦むのは、元フィリア王国第3王子こと、フィリア・クリスタだった。現在は奴隷の立場であり廃嫡された、ただのクリスタである。
サーシャはじっと寝衣姿のクリスタを見る。
「クリスタ、私から3つ聞く。それぞれに正直に答えよ」
サーシャは寝台ではなく、小さな丸椅子を引っ張り出すと、そこに座る。
クリスタは大人しく寝台に座った。
タウシャが果実酒の入ったデキャンタをテーブルに置き、カップを2つ置いて隣室に下がった。
帝国では酒は深いカップに入れて飲む。金箔が施された豪華なカップだ。今夜はクリスタとサーシャのいわば初夜のため、縁起物とされるフクロウの細工がされたカップが使われている。
タウシャが下がってすぐにサーシャがクリスタに問う。
「お前がサリーに会いたがったのは何故だ」
彼は少し迷うように視線をさまよわせ、すう、と大きく息を吸い意を決したように話す。
「信じて頂けるか分かりませんが、サリーは人の秘密を言い当てることがあります。稀にですが先読みすることもあります」
サーシャが薄く笑む。それにクリスタは見惚れる。
「……続けよ」
「……それで、この後どうなるのか、こうなることを知っていたのか聞きたかったのです」
「ふうん?」
「私はサリーに心を捧げてはおりません、陛下」
クリスタは跪いた。
「ソフィア様との婚約を無くしたかっただけです。そのためにあの者を利用していました」
クリスタの胸は高鳴っている。ドキドキと心臓は鳴り響く。身体は熱い。
例えここで斬り殺されたとしても本望だった。
「私は――陛下をお慕いしております。この6年ずっと。グラスペイルで一目見たあの日からずっと……」
「そうか」
サーシャは無表情だ。熱い視線を送られても、心のこもった告白を受けても、サーシャの心には何も灯らず響かず内心苦笑する。
――なるほど、好意のない者から何を言われても心とは動かぬのだな。これならばリュイの望みは叶えてやれるかもしれぬ。
「クリスタ、そこに横になれ」
サーシャはガウンを脱ぎながら寝台へと歩む。クリスタは歓喜を隠さず顔に出し、言われた通り横になる。
サーシャが身体に触れようとするとクリスタから震える声で1つ願い事をされ、彼女はそれに是と答えた。
* * * * *
寝台で幸せそうに横になっているクリスタに、サーシャは話し掛けた。
「2つ目だ。なぜお前らはこのようなことをした?」
「私は、陛下ただお一人しか想えません」
「ほう、それはそれは」
「冗談ではありません。私の気持ちはリュイ……ご正室様方も御存知です」
「だろうな」
そうでなければリュイが、タウシャが玉までもがこの馬鹿のためにこのように馬鹿な作戦を考えるとは思えない、とサーシャは呆れた。
「確かに、このまま何もなく下働きとして仕える道もあったと思います――側室になる道も。けれど、陛下が他の男を見つめるのも、睦まじい姿を見続けることも。陛下の訪れを待ち続けるのも、訪れがあるようご正室や筆頭にお願いするのも私には耐え難く……」
「……だろうな」
サーシャは先ほどと同じ返事をクリスタに寄越したが、その温度は違う。今は確かに少し同情と理解の入ったもので、彼にはそれがわかって涙が出そうだった。
少しでも彼女に自分の想いを伝えたい、それだけだった。クリスタはその為に皇帝のリュイへの寵愛を利用した。
サーシャがそこまで裏を考えない場合、リュイに気持ちがない場合には決して上手く行かない作戦だ。そうなれば無実の罪の護衛の首が飛ぶ。
護衛だけではない、クリスタだけではない、リュイもタウシャも玉も。関わった者の首は残らずなかっただろう。
だが、サーシャはリュイの願いを聞いてクリスタの部屋へと訪れてくれた。
叶わないと思っていた積年の想いを遂げることを許され、あまつさえ図々しい願い事も聞き入れて貰え、クリスタは嬉しさで泣き崩れそうだった。
フィリア王国が実質失くなったこと、廃嫡になったこと、家族の進退を聞いても全く哀しくなかった。
そもそも捨てるつもりだった国と家族だ、と彼は思う。
王族として民に申し訳ない気持ちも彼にはない。大事にされていない訳では決してないが、他の兄弟妹たちと比べれば王族として捨てられたようなものだと思っている。
「さて、3つ目だクリスタ。最後の問いになる」
「はい」
サーシャはクリスタを見つめる。これまでのように見下し蔑み馬鹿にする気持ちではなく、きちんと向き合った。
「私の手ずからと、苦しまぬものとどちらが良い?」
この問いにクリスタは目を閉じ、静かに深呼吸する。涙がつ、と彼の閉じた目蓋から一筋流れた。
「陛下の手ずからであれば」
「わかった」
サーシャは微笑んで、脱いだガウンを拾い上げた。
そこには短剣が1つ仕込んである。
それを鞘からすらりと抜いて、寝台に寝そべるクリスタの元へと行く。
「クリスタ」
サーシャが名を呼んでやると、クリスタは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「……愛してる、アレクサンドラ」
「そうか」
クリスタは覆い被さるサーシャに抱き着いた。サーシャは空いた手でしっかりクリスタを抱く。
サーシャの右腕がぐぐ、と強く強くクリスタの胸の辺りで大きく何度か円を描くように動いた。
びくり、とクリスタの身体が大きく痙攣し、その後も数度痙攣し続ける。
寝台の上は果実酒が零れたように紅く染まった溜まりを作っていた。
とぽ、とぽ、と床に溜まりが零れていく。
サーシャはクリスタの身体の震えがなくなるまで抱いてやっていた。
既にクリスタの腕は力が抜けだらりと垂れている。
サーシャは彼の耳元で優しく囁く。
「もしお前があの時守られているばかりでなく、助けに入っていたなら、私が愛していたのはお前だったかもしれぬ……ソーニャと婚約中は単なる馬鹿だと思っていたが、無礼を詫びよう」
そう言うとサーシャはクリスタの額に口付ける。
「お前ならば話はもっと簡単だったやもしれんな。フィリアの第3王子と帝国皇帝……だが、私が愛するのはリュイただ一人なのだ、許せよ」
――そう呟くサーシャの腕の中で、クリスタは幸せそうに微笑みながら息絶えていた。




