サリー(2
不満と言うほどではないけれど、彼女はただちょっと悪役のサリーという名前から自分が悪役になったかのようで嫌な気分がするだけ。
サリーはとりあえず対象それぞれとハッピーエンドを迎えて満足した。
スパダリ皇帝が気になるが、また最初からは面倒くさい。また今度やろうとそこで一旦ゲームはやめた。
このゲームを教えてくれた同僚は、そんなに気に入ったならと活字嫌いのサリーにアプリで読める漫画を勧めてくれた。
『乙女ゲームがベースの世界に転生したら悪役令嬢で無実の罪で断罪されるが無事幸せになってざまぁする』という内容が流行っているのだと聞いてはいたが、調べれば調べるほどに溢れて出てきて、こんなにあるのだと驚くも片っ端から読んでいく。
配信が待ちきれなければ電子で単行本を購入したり、漫喫で紙のほうを探して読む。
サリーは他にも乙女ゲームに手を付けたが、同僚の勧めてくれた自分と同じ名前の悪役が出てくるあのゲームほどはのめり込めない。
サリーはもう一度あのゲームをやろうと探すけれど見つからない。どうも間違って消去してしまったようで、タイトルも思い出せない。あの同僚に聞こうにも彼女はとっくに店を辞めていて連絡先も分からない。
内容やキャラで探しても見つからない。タイトルが分からないからSNSや掲示板で情報を求めても出てこないか違うゲームや漫画と勘違いしているのでは? と言われる始末。
そんな風にあのゲームを探す日々を過ごしているサリーにとって、また酷く苦しい思いをする日がやって来た。
この日サリーはバイト中、客に首を絞められ酷くあっさりとここから追い出されてしまったのだ。
彼はサリーをとても好きでいてくれた。
客から何度も指名を貰うために店側は疑似恋愛をするよう、客への色恋を求めてくる。
もちろん客たちだってそんな営業に慣れている者が多い。それを嘘と分かっても乗ってくれる男、単なる欲の捌け口なのにと冷たくあしらう男、いろんな男がいる中でその客は本気にするタイプの客だった。
特定の彼氏はいないので、彼氏はいないに嘘はない。だが遊ぶ相手には事欠かない。だから彼氏面して嫉妬するし口煩くもなる。
サリーは彼のことを『優しくて都合のいい客』としか思えなかったので言うことなんて聞いていられなかった。
サリーは彼のことを鬱陶しいな、と思い始めていたところだったので、まさかこんな風に追い詰められるほど自分を好きだと思っていなかった。
サリーの首が圧迫され息ができず苦しくなって自然と空気を求めて彼女は暴れる。それを抑えるように男からの力が強くなる。
そういえば川で溺れた時もこんなだったな、と思っていると、目の前がチカチカして眩しい光に覆われ意識はゆっくり遠くなり、そして暗闇に落ちていく。
耳もまるで中で蓋をされ覆われたかのように遠かった。泣きながらサリーを責める彼の声がとても遠くてどんどん聞こえなくなる。
――ごめんね、あなたを好きになってあげられなくて。
* * * * *
彼女は身体を酷く揺さぶられる感覚に、怠い、起きたくない、お母さん学校休みたい、と言おうとして目を開けた。
そこには綺麗な顔をした男の人が、不安な瞳を揺らしてサリーの顔を覗き込んでいる。
一瞬、自分をさっき殺したあの男かと思ってぶるりと身体が震えたが、全く違うとすぐ気付いて彼女はほっと安堵した。
男の頭上に光が当たって、ピンクの髪がきらきら光っている。
次いで瞳の碧もきらきらして見えた。綺麗だな、優しい色だなとサリーはぼんやり思う。
と、あちこちが痛い事に気付く。鼻も喉も胸も、身体中痛い上に噎せてしまって酷い咳と吐き気が襲ってきた。ピンク頭の男はわあっと大きな声を出す。
「良かった! 良かった、生きてたね! 良かった!」
――綺麗な人は声も綺麗なんだな。
サリーはそう思ってまた意識を手放す。
今度は夢は見なかった。
サリーがまた目を覚ますと、整えられた部屋の中。さらさらとしたシーツ、柔らかな寝具が気持ちいい。
それでも夢の中の自分のベッドよりは心地よさはだいぶ下がる。だがサリーの地下室にある寝台代わりの箱と寝具代わりの布よりは遥かに良い。
そこでサリーは首を捻った。
「あれ?」
長い夢だった。生まれてから死ぬまでの24年という夢。
だがあれは夢ではなかった気がする。
ではここが夢かと言えばそうでもない。
思い返せば夢の中で彼女はサリーと呼ばれた事は一度もない。
違う名前で呼ばれていた。けれど彼女はそれを自分の名前だと認識出来ないままで、あだ名だと思うことにして過ごしてきていた。しかも何と呼ばれていたか全く思い出せない。
そして、この見覚えのあるくすんだ色の世界こそサリーの世界だ。あちらはもっとカラフルで騒々しい。
「異世界転生ってやつ? 転移ってやつ? どっちなんだろ」
サリーはサリーとしてこの世界で生を受けた。
川で溺れた事もしっかり覚えている。
だがそこからこのベッドで目を覚ますまでは違う人生を、それこそ生まれたての赤ちゃんから生きてきた。
転移と言うには当てはまらないし、転生と言うには何か違う。魂があの世界の赤ちゃんに乗り移ったのだろうか。
だからあの世界の両親とうまく行かなかったのかな? とサリーは何となく予想して自分なりに納得した。
両親だけではない、友人関係や彼氏含めた男たちともだ。振り返っても両親は何かにつけて腫れ物に触るような扱い方だったし、対人関係では皆壁があったような気がする。
サリーのあちらでの最期の幕引きをした男だけは何か違っていたようだが、何が違うかまではよく分からない。
――お父さんお母さんとも最後らへんは完全に仲良くできなかったな。でも追い出しもせずに衣食住提供してくれたし。ここに戻ってくる前にもうちょい話しておけば良かったかな?
と、サリーが両親について振り返っていたところで部屋のドアが開かれた。
「目が覚めたかな? 熱が出てるのと、川の水をたくさん飲んでるからお医者さんに見てもらったよ?」
とはいえフィリアじゃ熱冷ましと虫下しくらいしか信用できないけどね、とその人はきらきらピンクの髪を揺らして笑う。
「あ、ありがと……う……ございます」
サリーはお礼を言った。くすくす笑う男の人は6歳のサリーよりずいぶん歳上のはずだが、経験した夢の24年のせいなのか少年のようにも見えた。
「ちびっ子はね、そういうことを心配しなくていいんだよ」
ぽんぽん、とサリーの頭を優しく叩くと起き上がらせて薬を飲ませてくれる。どろりとした緑色のそれは熱冷ましだ。その後に甘い液体を飲まされる。
――蜂蜜だ、懐かしい。
ここでの6年で口にしたことはなかったが、あっちでは高校を辞めるまで毎朝トーストに掛けて食べていた。
ピンク男はサリーの様子に嬉しそうに目を細める。
「それはね、蜂蜜と言うんだよ。甘くて美味しいだろう? 養蜂をしている友人からこっそりもらっているんだ、内緒だよ」
こくりと頷くサリーの頭を彼はいいこだね、と優しく撫でる。
「君はどこの子だろう? ご両親が心配するといけないから君の状態を知らせてあげないと」
サリーは困る。家に案内はできるが住所も番地も分からない、母の名前も知らない。スマホもないから連絡先が分からない。サリーがおろおろと視線をさまよわせていると、優しい手のひらが彼女の頭に温かみを与えた。
「大丈夫、大丈夫。今はゆっくり身体を治しなさい。辛いのにごめんね」
そう言って彼は部屋を出ていく。サリーは寂しくなった。もっと話をしたいと願ったが、身体は熱で怠さを訴え、ゆっくりと眠りに沈んでいった。
次に目が覚めると身体はずいぶん楽になっていて、サリーはピンク男の姿を探す。
彼は台所に面した部屋のソファでぐっすり眠っていた。
家の作りも家具も質素、身なりも庶民のものだが、なんとなく『訳ありのいいところの人』だろうなとサリーは予想していた。
窓から見た通りも治安は良さそうだが貴族が住まうような街ではない。けれどこの人はこういう街に住む人の持つ空気のようなものがない。
サリーは自分ができる彼女なりのお礼をしようと、眠る彼の足元から寝具の中に潜り込んだ。




