あなただけのためには生きられない(3
リュイはふう、と細く軽く息を吐く。
「もちろん後宮とは別の道、側室にならずとも陛下への忠誠を見せ働くこともできます。私の提案を断ってもあなたの命は保証されますし、特例としてあなたを後宮から出し官僚として召し上げる形になります。但し陛下の宛がう女性と形ばかりの婚姻を結んでいただくことになります」
これがサーシャから伝えられたもうひとつだ。
ロイスの官僚としての能力を試したい、その為に後宮から出す。だが、先導した訳ではないが捏造された証拠で公爵令嬢を貶めようとし、帝国を侮辱したことへの罰を与えない訳にはいかない。そこで宦官と同じ処置を施し、サーシャの息のかかった者と婚姻させて一生監視し飼い殺すことになる。
もし官僚として思ったほど役に立たなければ、後宮の下働きとして使うという措置だ。
リュイはロイスと今ほど向き合って腹を決めた。
彼は女性を愛することはきっとないと思っていた。男色家ではないから女性への欲は当たり前にある。家庭を持つことにも憧れがある。だけどそれを想像すれば母の怨みの籠った声が、王妃の嫉妬で歪んだ顔が浮かぶ。
だがサーシャを前にすると不思議とそれらが出てこない。
リュイはこれから王妃や母と同じく茨の道を歩むことになるのかもしれない、同じ立場になる可能性があるからだろうか。
誰かの元へ通うサーシャを見送る。その時の気持ちの想像はまだつかない。
どうせ後宮を閉じることでサーシャがどれだけ庇ってくれようとリュイが矢面に立つのは明らかだ。
そこで『何もできぬ種馬よ』と嗤われるよりはリュイが後宮の主となって送り込まれる男たちをまとめていくほうが気が楽かもしれない。
その片腕としてロイスにも立ってほしい。
ロイスは今真っ直ぐリュイを見つめていた。
「後悔されませんか?」
「……正直分かりません」
「私が側室筆頭になるということは、いずれ私も陛下を抱く……いや? 抱かれる? と、とにかく。伴侶を共有するということです」
「そう、なりますよね」
「あなたが望めば陛下は後宮を閉じてあなただけに愛を謳い身を捧げて下さるのですよ、自ら修羅の道を歩むと仰るのですか」
「だからこそのロイス、あなたです」
「……私は」
ロイスは一瞬言い淀み、目を静かに閉じるとリュイから微妙に目を反らした。
「私は正直、あなたに羨ましく妬ましい気持ちを持っています。王国に心を残した者は確かにこの心の中にいますがそれは後悔も含めた過去です。しかも今や別人の過去となりました」
遠い目をして庭に視線をやるロイスの横顔をリュイは見つめた。
「リュイ様、私はおそらく――陛下に心惹かれています。毎晩陛下が夢に出ます。なぜ陛下の夢を、と思っていました。男であってあれだけ美しい人を私は知らないからか、恐ろしい思いをしたからなのか、と」
ロイスは庭を向いたままだ。
「ですが昨晩、あの方は女性であったと知り、あなたへの羨望を抱く気持ちを抑えられなかった。あの美しい方に愛され、その身を抱くただ一人となったあなたに」
リュイが何も言えずにいると、ロイスは彼に向き直った。
「今ならリュイ様のお言葉を聞かなかったことにできます。女の悋気よりも男の嫉妬のほうが被害は大きい」
ロイスは過去それで自ら壊したものがある。運が悪かったでは済まされない、取り戻したくとももう取り戻せない。
リュイは両膝に乗せたこぶしを握る。
「それを知るロイスならば共に陛下を支えられると思いました。私たちは陛下がどう言って下さっても、帝国の主だった者たちから見ればただの種馬でしかありません。万が一私が陛下に子を授けることができなければ? 私のワガママで後宮が閉じたら? 陛下は『やはり女帝は』と謗られ侮られることになりませんか」
リュイはロイスから目を反らさない。じっと見据えたまま話す。
「私一人ではきっとそれに潰されてしまいます」
「私が陛下に懸想していても? 横恋慕しても?」
「あなたなら、マッドのように盲目にはならないと思って声をお掛けしました。そこまでご自分で危機感をお持ちならなおのこと。それに、もし私が嫉妬の炎に焼け焦げる日が来たときには……私を止めて下さるかと」
「だからこそ、後宮を閉じることが――ああでも陛下の事を思えばこそですもんね……」
リュイとロイスは同時に溜息を落とした。ロイスは微笑んで言う。
「ままならないものですね」
「貴族の女性は皆このような気持ちで嫁ぐのですかね?」
「……そうですね、言われてみれば。逆だ」
ロイスはそう呟いた後、沈黙する。ややあって突然立ち上がるとリュイの前に跪いた。
「リュイ様、私も心を決めました。皇帝陛下ならびに皇配となられるリュイ様に忠誠を誓い、拾って頂いた命の見返り以上に貢献できるようお仕え致します」
リュイは真摯な表情でそれを受けた。
* * * * *
皇帝アレクサンドル・ファン・メイエットことサーシャは現在大変機嫌が良い。
なぜなら、一目惚れからの長い片想いが実る日が早くも来たからだ。
リュイは正室になるのを承知し、あまつさえ後宮もそのままにすると言う。但し、その権限はリュイに。そしてロイスを側室筆頭として立場を動かさないという誓約をすることになった。
サーシャは寝椅子にしどけなく転がったまま、2人の話を聞きふたつ返事で了承する。渋っていた正室のみならず、よく頭の回りそうな側室の2人が一度に手に入ったのだから、ある程度は都合してやらねばなるまいという気持ちからだ。
但し、サーシャにも条件があった。
「まず、ロイスは名を改める。そしてリュイとの婚儀より1年は私の訪れはないと心得よ」
ロイスは御意、と短く返事をする。傍に、と彼女に手招きで呼ばれカウチに寄って跪けば、頬から頤をなぞるように軽く触れられた後、頬を指先で軽く叩かれ彼はびくりと震えた。
「うむ、良く仕えよ……さて、リュイ」
リュイはサーシャに膝を貸している。ここに着いてすぐにカウチに座らされサーシャの頭が乗せられた。
サーシャは自分の頭を撫でろと命令し、彼は頭をさらさらと撫でていたところだ。
「その出自を明らかにする。これにお前の拒否権はない。わかるな? お前に後宮の権利を渡すならそれくらいの犠牲を払ってもらわねば、納得しない者たちがおるのでな」
リュイが頷いたのを見て、サーシャは微笑む。
「よしよし、済まぬの。いかな皇帝と言えども臣下を蔑ろにはできぬ。寵と政は別だからな――というわけでだ、フィリア王国はお前の持参金代わりの領地となった」
「えっ!?」
「リュイ様の持参金代わり!?」
リュイとロイスが顔色を無くし、唖然としているところにサーシャが追い討ちをかけた。
「よく聞け2人とも。フィリア王国の王子2人は相次いで急な病で儚くなられたそうだぞ? そして他の王子王女は婚約されているとおりに他国で縁付かれるそうだ。だが、急な病は伝染るものだそうで、皆それに罹ったのだと。皆この先子供は望めぬらしい。可哀想にな」
サーシャが堪えきれないと言う風に笑いだす。
「そしてな、事情により隠されていた王子がフィリア王国の国王に就任した。元第3王子と年齢は同じだが、半年ほど早くに生まれていたらしいのだ。ちなみに元第3王子は廃嫡されておる。他の弟妹は皆他国の王族や高位貴族と縁付くゆえ解消は出来ぬ。まあ、したとしても彼らは子供が望めぬからフィリアは継げぬ。それでその王子が国王になった」
「え? 成った? 国王に?」
「陛下、それは……リュイ様が……もしや」
「だがフィリアの新国王は帝国の皇帝の正室となる身。そこで帝国への敬意を示し、属国ではなく支配国として持参金代わりにフィリアを差し出すことにした。帝国は武で圧し戦で侵した訳でもない。昔の決まりごとは破らず王国は帝国の支配下となった」
くつくつと笑うサーシャに2人は何も言えずにいる。
「ちなみに民にはまだ知らせておらぬ。今のフィリア中枢は混乱の最中だ。できればリュイとの子をフィリアに立てたいが、それまでは兄上に治めさせる。なあに、兄上の番は元王族だ。なんとか治めるだろうよ」
そこにお茶を淹れていたベラが口を挟んだ。
「あの年中花が咲いてるお2人の国運営では心配ですがぁ、まあ不要なものはさっくり切り捨てるマルタとぉ、しっかり者のナーシャ姉様もおりますからー」
サーシャはそれにうんうんと頷いた後、リュイに彼の耳を彼女の口元に寄せるよう言う。リュイが言われた通り身体を屈めると、こっそりと小さな声で彼にだけ伝える。
「フィリアの王宮とは恐ろしいところだな? 王妃が何者かに海の酸と呼ばれる液体を浴びせられ、口に出すのも憚られる見目になったそうだ。それを苦にして王宮より離れた教会の鐘塔から身投げしたとか――その塔の近くにはある王族の乳母の墓があるらしい」
聞いたリュイは目を大きく見張り、サーシャの顔をじっと見た。サーシャは真剣な顔でそれを見返す。
その後静かに彼は目を瞑ると、何かを堪えるようにその睫毛がかそけく震えていた。




