クリスタ(2
人の多く行き交う中でクリスタは非常に気落ちしていた。
リュイだけがしょんぼりと肩を落としてこちらへ戻って来たからだ。
気になった白いワンピースの少女ではなく、ピンクのワンピースの少女がにこやかにこちらを見ている。
クリスタが諦めきれずにたたらを踏んでいると、リュイから彼女たちの伝言を聞く。
「あの子、グラスペイル公爵家のご令嬢だよ、クリスタのこともバレてる。気にしないでくれみたいなこと言ってた」
「……そうか、グラスペイルの」
クリスタは名残惜しく白いワンピースの少女を見つめたが、彼女はこちらを見てはいても目が合うことはない。
一行はとりあえず気分を変えて芝居を見たりと移動テントを満喫し、王宮へと帰った。
クリスタとしては、そのままグラスペイル公爵家に遊びに行くのもいいと思ったのだが、護衛たちが止めた。
クリスタは王子だ。王国で王子が来て喜ばない家はないと思っているし、あの少女に会えるせっかくの好機が潰され不快な気分のままだ。
国のことは学んでいない訳ではないが、兄たちと違ってしっかり教育されてないのが仇になる。
彼にとっては王国が一番上。その上があると分かっていない。驕った王と王妃が帝国を下に見ているのも良くなかった。
だが、護衛たちは知っている。グラスペイルは王国ではなく帝国の領地であることを。この国の王であっても「ごめん、来ちゃった。至れり尽くせりもてなして」なんて通用しないことを。だから絶対駄目だと止めた。例え大事な主の希望であろうと。
そして王宮に戻り、クリスタが毎日彼女のことを思っていると、ある日父親からリュイと共に呼び出しがかかった。
謁見の間にリュイと急げば、そこには父母が揃っていてにこやかに笑っている。
座るように言われ座れば、母親が良くやったとクリスタを褒めた。
「……何かありましたか」
「これをね、ご覧なさいクリスタ。あなたこの前グラスペイルの娘を助けたのですってね」
母親である王妃が見せてきたのは、美しい押し花があしらわれた手紙だった。封蝋にはグラスペイルの紋章が使われている。
「母上、この花は?」
クリスタが押し花に使われている花を指す。大きな白い花びらだが、可憐さもあってまるであの日見た少女のようだった。
「これは木百合ね。木になる百合のように見えるから木百合と言うのよ」
「木百合……あの、母上。この手紙は頂いても?」
「ええ。王家宛に来たものだけれど、あなたとリュイに助けて貰ったとあるもの。あなたがお持ちなさい」
クリスタは封筒に手紙を戻すと、そっと胸に抱いた。
「リュイ、君にもだ」
王が小さな箱をリュイに手渡した。彼はおずおずと押し戴いてそれを受け取る。
「ご令嬢が君の勇気にと送って下さった贈り物だ」
「……は、はあ、でも僕はクリスタ様に言われただけで……」
「だが、リュイにと届いたのだ。そうだ、ここで開けてみよ」
リュイは窺うように王と王妃の顔を見てから、箱を開けた。中には茶色のリスを象ったブローチが入っていた。
「……リス?」
「リスだ」
「リスね」
「何故リスなのだ?」
謎を残したままクリスタとリュイはその場を辞する。
クリスタはリュイの持つ箱が羨ましく妬ましい。
両親は分かっていなかったが、多分茶色はリュイの色味に合わせたもので、リスは彼女の好きな生き物に違いないと彼は思った。
ちらちらとリュイの持つ箱を見ているのはリュイも気付いていて、彼はクリスタに箱ごと渡した。
「クリスタがそんなに欲しいのなら、これはクリスタが持てば良い」
ややなげやり気味に聞こえたのは、きっとリュイに対して疚しい気持ちがあったからだと少し恥じ入ったものの、結局ブローチは彼の宝物となった。
手紙も大した内容は書いていない。型通りの礼状で公爵の名前と令嬢の名前が連名で綴られているだけのもの。
だけどこれはクリスタにとっては大事なものだ。
「あの子の名前はソフィア。ソフィア・ロシュタリア」
指で何度も押し花を撫でる。ブローチを眺める。茶色が気に入らないが、リスの瞳は黒い石で出来ていて、それが彼女を思い出させる。
ほんのちょっとの邂逅なのに、まだハッキリと彼女を思い出せる。彼の日々に今までと違う色がほんのりと付いた。
そしてこれはもちろん両親の知るところとなる。
元々国内に置いておくための第3王子。年頃の令嬢で釣り合う娘はいなかったが、何の事はないグラスペイル公爵令嬢がいた。
以前婚約を打診した時には一人娘だと断られた。
その後帝国の人間と婚約が内定したことも、その為社交界デビュー以降帝国に入り浸りなことも彼らは知っていた。
だがクリスタの相手として、これ以上国内に身分の丁度良い娘はいない。ましてあのクリスタの様子を見れば親として粘らざるを得ない。
王と王妃は帝国を甘く見ている。
なぜならもうすぐ次期皇帝と成るのはクリスタと同い年の10歳の子供だ。
どうせお飾りだろう。と彼らは高を括っている。
そしてこの若さで次期皇帝ということは、現皇帝は病か何かで先が短いのかもしれないと勝手な妄想までしていた。
これまで属国という盾で、友好国として破格の待遇で護られてきたことは何故なのかを知らない。
ただなぜか、王国の方が上という強い思い込みをしていた。
クリスタだけでなく、王と王妃にも教育は必要だったと、次期王となる予定だった王太子は酷く後悔することになる。
さて、王と王妃はソフィアをクリスタの婚約者の座に据えた。
と、言っても全て騙し討ちのような事後報告の婚約だった。ソフィアを王宮に呼び出し、婚約決定の旨を伝える。ソフィアが了承するまで王宮に監禁する予定だったが、意外とあっさり彼女は婚約することに頷いた。
そして帝国には全てが終了してから報告する。
さぞやクリスタは喜ぶだろうと思っていたが、ソフィアを呼びつけた日に顔合わせしてみると、彼は不機嫌極まりない。
そのクリスタは、先ほどまではソフィアが彼の両親と今現在話をしているのだと聞いて、早く行きたくてうずうずしていた。そこにリュイから入室許可が出たと迎えが来た。
彼は駆け足のように、王宮の王妃専用庭園へと足を踏み入れる。
胸は早鐘を打つようで、耳に心の臓がくっついてしまったのではないかと言うほど煩く聞こえる。
緊張する、と彼は呟く。リュイが彼の後ろからこっそりと落ち着けと声を掛けた。
そしてクリスタが来たことに気付いた彼女が振り返って彼に挨拶をする。
――違う……こいつじゃない!
「クリスタ、ソフィア嬢よ」
王妃が紹介をして、ソフィアと呼ばれた娘が敬意を表す挨拶をする。きちんとした淑女の礼だ。なのに彼は驚きと失望を隠せず何も声を出せず動けもしなかった。
――あの子じゃない。こいつはあの子の隣にいた奴だ。ずっと笑っていたけど、早く行けとばかりに見ていた奴だ。
そしてこれがクリスタにとっても暗く長く憂鬱な婚約期間の始まりとなる。
彼は両親にソフィアではない、嫌だと説明したが、グラスペイルで黒髪と言えばソフィアしかいない。
帝国の皇族も黒髪だが、お忍びで来ているとは彼らは思い至らない。
しかも王国の考え方からすれば、ソフィアはいくら皇族と公爵家の血統と言っても所詮妾腹の娘だ、皇族からの扱いは下だろうからわざわざ来ることはあるまいという大きな思い違いもあった。だが、それでもグラスペイル公爵家はクリスタが降婿するには丁度良い上、他にいないのだ。だから王家としては婚約を解消させたくない。
まだ少年のクリスタは拗ねて不貞腐れた。
ソフィアが美しくないわけではない。むしろグラスペイルの至宝と呼ばれるだけある、気質は穏やかで優しく気品もあり、また賢さも兼ね備えていた。
帝国での社交界デビューも果たしているため、多少マナーに違いはあれど王国の社交界でもそつなく渡っていく。
そういう部分もクリスタには受け入れられなかった。彼はまだ社交界デビューできる状態ではなく、せいぜい参加できるのは昼間のパーティやお茶会程度だ。
まだ子供だと馬鹿にされているようで、彼は悔しい。
彼の知識はソフィアに及ばず、また公爵家に入るための知識の習得もソフィアが女公爵として後を継ぐため必要ない。
降婿する際に公爵位と領地は貰えるものの、爵位はクリスタ一代限りの名前だけ、領地は持参金代わりなので公爵――ソフィアがゆくゆくは治めることになる。
この不満を両親に訴えても意味がない。ならば、ソフィアか公爵に訴えればまた事態は動いたかもしれない。
だがクリスタは絶対に泣き言をソフィアには言いたくなかった。弱味を見せたくも、握られたくもなかった。
それほどまで彼にとってソフィアは敵愾心を抱かせる存在だったと言える。




